三二話
「それで何があったのですか?」
「そ、それは……」
ディアナさんが戻ってきて私と姉様の前に紅茶が用意されます。
姉様は紅茶の香りをしばらく楽しんだ後、私へと視線を向けます。
ただ、考えはまったくまとまっていないため、言葉が出てきません。
「……メリル」
「あ、あの」
「カタリナ様、そのように怖い顔をされていてはメリル様が何も話せなくなってしまいます。メリル様はあまり、自分の考えを口にできる方ではございませんから」
姉様は私が何も言わない事に怒っているようでその声は重たいです。
何も話せない自分が情けなくて顔を伏せてしまいそうになった時、ディアナさんが助けに入ってくれました。
「それは確かにそうですけど……」
「レオンハルト様も緊張させていては話もできないでしょうとおっしゃっていたではないですか?」
「……」
納得ができない姉様をディアナさんが説得をしてくれるのですが、彼女の口から出たレオンハルト様の名前に胸の奥が小さく痛みます。
そんな私とは対照的に姉様は忌々しそうに顔を歪められました。イヤな気分を変えるためなのか紅茶を飲まれます。
どうしてでしょうか?
姉様の表情の変化が気になるのですが余計な事を言うと姉様からの追及が向けられそうなため、何も言えません。
「メリル様も温かいうちに」
「は、はい」
ディアナさんに促されて紅茶を1口飲みます。
その温かさに少しだけ気分が落ち着いたような気がしました……だからと言って、姉様に何を話して良いかはまとまってはいません。
どうしたら良いのかわからずにため息が漏れてしまいました。
その姿を見て、ディアナさんは優しげな笑みを浮かべます。
笑われているようでなんとなくですが胸の当たりがもやもやとしています。
ただ、何かを言って、ここでディアナさんを敵に回してしまえば姉様からの追及に対応ができません。
「メリル様は何を悩んでいるのですか? カタリナ様がお聞きしたいのはメリル様が泣いていた理由だけですよ」
「泣いていた理由ですか?」
「そうです。カタリナ様はそれだけしか聞いておられません」
考えをまとめようと必死に足りない頭を動かしていた時、ディアナさんは優しい声で言います。
泣いた理由と聞かれたわけですが……それがはっきりとしないので困っているのです。
ただ、姉様に婚約のお話がお芝居だと言う事は話さなくて良いような気がしてきました。
「……それがわからなくて困っています」
「……メリル、あなた、やっぱり、バカなのですか?」
「メリル様は頭が悪いわけではないと思いますよ。まだ、知らない事が多すぎるんです」
正直に言ってみると姉様に大きなため息を吐かれてしまいました。
頭が悪いと言うのはなんとなく自覚しています。先生が褒めてくれてはいましたが姉様からは叱られてばかりですから。
バカと言われて少し傷ついてしまったようでうつむいてしまいますがディアナさんは私の肩を持ってくれます。
「知らない事が多すぎるね……」
「ですから、初めての想いに胸を痛めて泣かれていたのですよ」
「……ディアナ、あなた、ひょっとしてすべて知っていてここに居るんですか?」
姉様は私の顔を見た後に小さくため息を漏らしました。
ディアナさんは小さく頷いているのですがその口元が緩み始めています。
彼女の表情に何かイヤな予感がした時、姉様も何かを察したようでディアナさんを睨み付けました。
「すべてを見ていたわけではありませんが、レオンハルト様からいただいた本を抱えて走り去ったところは見ていました」
ディアナさんは紅茶を飲んだ後、楽しそうに中庭の事を見ていたと言います。
……見られていたと聞き、恥ずかしさでうつむいてしまいました。
私の恥ずかしさが姉様にも伝わったようで姉様は気にする必要はないと首を横に振ってくれます。
「あの、見ていたんですか?」
「中庭ですからね。私以外にも見ていた者はいると思いますが」
それでも認めたくないためか聞いてしまったのですが聞いてすぐに後悔してしまいました。
どうやら、多くの城勤めの方達に見られていたようです。
恥ずかしさで顔が熱いです。どうして良いかわからずにいるとディアナさんは紅茶を差し出してくれました。
自分を落ち着かせようと紅茶を飲んでみるのですが全然、落ち着きそうにはありません。
「何があったのですか?」
「初恋に胸をときめかせる純粋な王女とお腹の中が少し黒い王子の恋愛風景の1場面です。状況とするとこの辺りでしょうか?」
状況の理解できない姉様は眉間にしわを寄せられているとディアナさんは私がレオンハルト様からいただいた恋愛小説の1冊を手に取ります。
何をするつもりなのかとその様子を見ているとディアナさんは恋愛小説を開き、姉様へと見せ始めました。
レオンハルト様からいただいた恋愛小説を先に読まれてしまった事に何かがもやもやとしているのですが、ここで何かを言うのは危険な気がします。
「……メリル、状況は理解できた気がしますが、あなたはレオンハルト様の婚約者でしょう。このようなお話と同じような事をしているのですか?」
「このようなお話と言われましても、私はまだ、その小説を読んでいません」
姉様は私が泣いていた理由をなんとなく察してくれたようですがなぜか視線をそらされてしまいました。
ディアナさんが姉様に見せた小説の内容がわからないのですが、姉様の頬は少しだけ赤く染まっている気がします。
「そうでしたか、レオンハルト様からいただいた物でしたので嬉しさのあまり、お部屋に戻ってすぐに読み漁っているものと」
ディアナさんは口では私がレオンハルト様からいただいた恋愛小説を読んでいた物と言っているのですが、その表情は楽しそうに緩んでいます。
絶対にわかっていて言っている気しかしません。
それは姉様も同じのようでため息を吐かれています。
「あ、あの」
「これはレオンハルト様と一緒に私達が選びましたからね」
その時、1つの疑問が頭をよぎりました。どうして、ディアナさんはレオンハルト様がくださった恋愛小説の内容を知っているのでしょうか?
それが聞きたくて言葉を口にしようとするのですが、上手く伝える言葉が見つかりません。
迷っている間にディアナさんは私の言葉を察して答えてくれたのですが、その言葉に胸が小さく痛みました。
「……悪意のある選択ね」
「レオンハルト様は本当にこのような小説はお読みにならないようでしたから、スタルジックで人気のある作品をお薦めしました」
「そうだとしても、それをメリルの前で言うのはどうなんですか?」
この胸の痛みにどうして良いかわからない私を見て、姉様はディアナさんを睨み付けてくれました。
ディアナさんはレオンハルト様に意見を求められたと言います。
それは確かにレオンハルト様もおっしゃられていましたけど……レオンハルト様に選んでいただきたいと思いました。
「……恋する乙女ですね」
「そうね。ですが別に婚約者を好きになれたのなら、それでも良いのでしょう」
姉様とディアナさんは顔を見合わせてため息を吐かれました。
私がレオンハルト様に恋ですか?
お話の中で主人公の少女が胸を痛めていた物?
でも、私とレオンハルト様はただのお芝居の関係です。
私がレオンハルト様をお慕いしてもこの関係はお芝居なんです。
お2人に言われて自分がレオンハルト様に惹かれている事を自覚しました。
それと同時に胸が痛みます。婚約話は両国が安定するまでのお芝居です。
私がいくらレオンハルト様をお慕いしても、これはただのお芝居なんです。お芝居だから、私がレオンハルト様を好きになってはいけないのです。
そう思った時、止まったと思っていた涙が再び、流れ出してきました。
慌てて涙を拭うのですが、涙は止まる事はありません。
「……なぜ、泣くのですか? 政略結婚だったなかで相手を好きになれたのですから、何も問題ないではないですか」
「カタリナ様、メリル様はレオンハルト様が他の女性と仲良くされる事に嫉妬されているのです。それがまだ良くわからないのです」
「良くわかりませんわ」
「形は多少違いますが、アーガスト王がメリル様を可愛がっていた時にカタリナ様が抱いていたような想いと同じです」
私の様子を見て、姉様は心配そうに声をかけてくれます。
ディアナさんは私の気持ちを察してくれているようで姉様に言い聞かせるように言い、姉様は眉間にしわを寄せられました。
確かに嫉妬と言う思いもあると思います。でも……
「違うんです。好きになってはいけないんです」
「……メリル、あなたは何を言っているんですか?」
婚約のお話がお芝居である事は秘密だったはずなのに独りでしまい込んでいるのが辛くて口に出してしまいました。
私の言葉に姉様の雰囲気が変わったのがわかりました。
口を滑らせてしまった事に慌てて、口を塞ごうとするのですが姉様の手が私の手をつかみます。
「メリル、あなたは何を隠しているのですか?」
姉様の瞳が真っ直ぐに私の瞳を見ます。
その瞳に逃げ出す事はできず、レスト殿から口止めされていた婚約話がお芝居だと言う事を姉様とディアナさんに話してしまいました。




