三十話
……参ったね。
メリル王女の背中を見送った後、ため息が漏れる。
どうやら、思っていた以上に彼女は純粋だったようだ。
王族同士の婚約なのだ。割り切った関係の方がお互いに都合が良いに決まっている。
嫌われる気は無かったにしろ。今日、会ったばかりの人間にここまで好意を持たれるとは想像していなかった。
……まあ、あまり他人と関わり合って生きてこなかったから、初めての感情に戸惑っているのだろうか?
ただ、気分的には餌付け? すり込みかな?
メリル王女に妙に懐かれてしまった事に戸惑ってしまっているようで眉間にしわが寄ってしまう。
王族と言う立場上、近づいてくる人間は表面上、笑顔で媚びを売っていても裏では利を考えて動いていた者が多い。
そんな者達ばかりだから、私相手でも言いたい事を言ってくるレストやミルアちゃんと言った身分をあまり気にしなくて良い友人も貴重なのだが……ここまで懐かれてしまうと居心地が悪い。
今まで感じた事のないものが自分の中で棘になり、突き刺さっているような感覚。
……気持ちが悪い。
多くの人間の思惑にさらされて生きてきたせいか、自分に向けられた純粋な想いに胸の辺りがむかむかする。
吐き出す方法が見つからない感情に苛立つがどこに誰の目があるかわからない。
冷静になろうと小さく深呼吸をするが収まる気はしない。
一先ず、部屋に戻って落ち着くのを待とうと考えた時、私を呼ぶ声がする。
「レオンハルト様、何をしているんですか?」
「今度は何をしたいんだい?」
「何を言っているんですか、私はレオンハルト様と違ってあくどい事は考えていませんよ」
声の主はミルアちゃんなのだがなぜか彼女はスタルジック城のメイド服を身にまとっている。
意味の解らない状況に眉間にしわが寄るが彼女は私の質問の意味がわからないのか首を傾げている始末だ。
「私がいつもおかしな事を考えているような言い方は止めて欲しいね。それより、どうして、スタルジックのメイド服を着ているんだい? レストがここのメイド服が良いとか言ったのかい?」
「レスト様はメイド服を愛でるような変態ではないですよ。私が着てみたかったんです」
いつも私を疑ってくる彼女だけど、今はちょうど良い玩具だったりする。
ため息を吐いて見せた後に彼女がスタルジックのメイド服に身を包んでいるかを聞くのだが返ってくる言葉は酷く単純なものだ。
それも残念な胸部を張って答えるのだ。
単純明確な回答に逆にどうして良いかわからずに眉間にしわが寄ってしまう。
「着てみたかったって、メイド服をミルアちゃんは自覚がないかも知れないけど、君はレンディル家の令嬢になったんだからね。着るならドレスとかさ」
「イヤですよ。動きにくいんですから、それにこのメイド服だって可愛いじゃないですか」
「そう」
養子縁組に動いた身としてはもう少し自覚を持って貰いたいのだけど、元々、庶民出身の彼女は初めて着るメイド服が気に入ったのか楽しそうに笑っている。
その様子に先ほどのメリル王女の件で疲れているせいか、反応が鈍くなってしまう。
私の反応にミルアちゃんは違和感を覚えたのか怪訝そうな表情をする。
そこまでおかしかったかな?
「レオンハルト様、疲れています? ケーキでも食べます? 何なら、焼きますよ」
「いらないよ。すべての人間が甘い物だけ食べていたら疲れが取れるんなら、睡眠欲求って物は存在しないだろうね」
彼女なりに心配してくれているようだけど、今は胸の辺りがむかむかしているため、ケーキのような物を食べると吐いてしまうかも知れない。
苦笑いを浮かべながら軽い皮肉を混ぜて言ってみると彼女はそうですねと小さく頷いた……どうやら、ケーキを焼くのは好きだけどレストや先生ほど糖分に毒されていないようだ。
「それで、レオンハルト様は悪巧みをしていないなら、中庭で何をしているんですか?」
「さっきまでメリル王女も中庭にいたんで、明日の件を話していたんだよ」
「そうなんですか? ……おかしな事をして逃げられたんですか? ダメですよ。メリル王女は純粋なんですから、穢れ切ったレオンハルト様が近づくと穢れてしまうじゃないですか」
ミルアちゃんの反応に少し安心していると私が中庭にいる理由が気になったようだ。
特に隠す必要も感じないため、素直に答えるのだけどなぜか責められてしまう。
反応から見るにずいぶんとメリル王女を気に入っているようだ。ただ、私の扱いはやはり悪い。
「純粋ではない事は自覚しているけどね。その言い方は酷くないかな? それに同盟のためとは言ってもメリル王女は私の婚約者なんだから話をしないのはおかしいよ」
「それはそうですね」
……あれ?
ため息交じりでメリル王女を無下には出来ないと言うとミルアちゃんの目が一瞬、泳ぐ。
その様子に彼女が私に何かを隠しているのは容易に想像が付くのだけど問題は彼女がレスト側の人間だと言う事だ。追及すれば、彼女の口から隠している事を聞きだす事は可能だろう。
ただ、問題はレストがミルアちゃんが口を滑らせる事を考慮して作戦を立てている可能性が高いと言う事だ。
かなり親しく話をしているけど、ミルアちゃんとの話すようになったのは最近だ。彼女の事を10年間、思い続けてきたレストが相手では彼女を使うのは分が悪いときは絶対にある。
レストを動かすのにミルアちゃんを使うのは有効だろう。ただ、レストの情報を引き出すのに彼女を使うのは有効な手段だろうか?
胸の辺りがむかむかしているせいなのか、判断力が落ちている気がする。
ここでの最良の選択肢はどちらだ?
いつもは味方側にいるレストが敵にまわるとここまで厄介だとは思っていなかった。手のひらの上で踊らされているかのような不快な感じ。
それが気のせいなのかが判断できない。
「レオンハルト様、どうかしたんですか?」
「いや、何でもないよ。ただ。いろいろとあったからか、考えがまとまらなくてね」
「……メリル王女の純粋さに当てられて浄化されているんですか?」
私の中に有る違和感はどうやらミルアちゃんにも伝わっているようだ。
誤魔化すようにため息を吐いてみせると彼女から返ってくる言葉は酷いものだったりする。
「本当に君はもう少し言葉を選べないのかい? ただ、間違ってはいないかもね。今までに周りにはいない感じの娘である事は確かだね」
「そうなんですか?」
「王族に近づいてくる人間の多くは腹の中に何か抱えているからね。少し戸惑ってはいるのかもね」
むかむかしている理由がわからないせいか、彼女で遊ぼうと思ってもどうもしっくりこない。
そのせいか、心の内に有った言葉がこぼれ出てしまう。
その瞬間に小さく顔が歪んでしまうのだけど、すでに遅かったようで彼女はニヤニヤと笑っている。
「レオンハルト様にはレスト様との事で相談に乗って貰いましたから、話を聞きましょうか?」
「……遠慮するよ」
彼女が楽しそうに私の顔を覗き込んでくるため、居づらくなった事もあり、私は逃げるように中庭を後にしようとする。
ただ、私の弱みを握ったと思ったようでミルアちゃんは私の部屋の前までニヤニヤとしながら付いてきた。
部屋に入ろうとしたけど、もちろん、追い出したよ。




