二話
……兄様は忙しそうですね。
お部屋の位置が変わってから、ひと月が経ちましたが兄様はお仕事が忙しいようで私に会いに来てくれません。
私も礼儀作法の勉強など忙しくお部屋から出るヒマもほとんどありません。
寂しいと思うのは私のわがままなんでしょうか?
以前の薄暗い部屋とは違い、今の部屋は広くてキレイなのですけどいつも話し相手になってくれた兄様とは会う事はできません。
礼儀作法や他にもいろいろなお勉強のために多くの方がお部屋を訪れてくれるようになったですが以前のお部屋にいた時より、孤独を感じてしまいます。
「メリル、少し良いかな」
「兄様……シュゼリアから何か問題を突きつけられたのでしょうか?」
ため息が漏れてしまった時に待ち人がお部屋を訪れてくれました。
久しぶりの兄様の顔に胸が熱くなり、兄様に駆け寄ったのですが兄様の顔は酷く疲れているように見えます。
兄様が疲れているのはスタルジックがシュゼリアを裏切った事に対する制裁への対策なのでしょう。
でも、レスト殿がそんなに厳しい事を言うようには見えませんでした。
……先日のレスト様のお顔を思い出します。
表情がまったく変わらない人だなと言う印象だったのですけど、彼の持ってきてくださったケーキを食べた時には表情が緩み切っていました。
私と兄様がその表情の変化に唖然とした時にレスト様はすぐに表情を戻して少し恥ずかしそうに甘党だと言う事を教えてくれたのですが兄様も私もそれ以上は何も言えませんでした。
少しだけ、レスト殿にシュゼリアのお話や先日、いただいたケーキのお話をしていただきましたが、シュゼリアが平和な国だと言う事が私にもわかりました。
「いや、レスト殿ではない。問題は……身内だ」
「身内? 父様や姉様ですか?」
「……身内がまとまらないからレスト殿にもあのような事を言われてしまうんだな」
兄様は頭が痛いのか額に手を当てて肩を落としています。
後半の言葉が聞き取れなかったのですが、身内と言うのが気になってしまう。
私が聞き返すと兄様は頷いてくれるのですが……表情が晴れる事はありません。
何が問題かは私には想像がつきません。
元々、兄様以外の肉親と顔を会わせる事はありません。
この部屋に移動してきても、兄様以外は顔を出してくれないですし……聞いても良い事なんでしょうか?
「兄様、私がお聞きしても良い内容なんでしょうか?」
「そうだな……その反応を見ると誰も話には来ていないようだな」
私に話をする事で兄様は考えをまとめる事が多い。
今回もそうなんだろうと思い、訪ねてみる。
どうせ、聞いても私に難しい事は理解ができないのですが、私に話す事で兄様が考えをまとめてくれれば良い。
何より、私は兄様の役に立ちたい。
兄様は私の言葉に1度、戸惑ったように笑うのですが少し考え込んだ後、小さく頷いてくれます。
「姉様達がシュゼリアに嫁ぐと言う事ですか?」
「そう考えているようだ。あまり、レスト殿は良い顔をしていなかった……表情では読み取り難いが良い顔はしていなかったと思う」
「そうですね。レスト殿の表情は読み取り難いですね」
先日、シュゼリアの使者としてスタルジックを訪れたレスト殿達に末長い同盟の証として第1王位継承者である『レオンハルト=シュゼリア』様に王族を嫁がせようと提案したらしい。
それを行う事で戦争回避とともにスタルジックへの支援も要請したらしいのです。
父様達はシュゼリアも戦争は起こしたくないだろうと高をくくり、これで問題は解決した物だと考えているようですが兄様はそうは考えていないようです。
そのため、兄上や臣下達が少しでもスタルジックを立て直そうと努力しているにも関わらず、父様達は未だに自分達がやってきた悪政を省みる事無く、姉上2人はどちらがレオンハルト様に嫁ぐかでもめているとの事でした。
このままではシュゼリアから返事が届く前に領民達がスタルジックに反旗を翻すのではないかと兄上は心配なさっているようです。
その件を父様がシュゼリアの使者であるレスト殿達に話した時の使者達の様子も兄様には心配ごとの1つなのでしょう。
ですけど、兄様はレスト殿の表情を読み取れたんでしょうか?
私は読み取れる自信はありません。
「どうしましょうか? シュゼリアが提案を聞き入れてくれないと戦争が起こってしまうのかも知れないんですよね?」
「そうだね。シュゼリアから戦争を起こす事はないと思うが、スタルジックから弓引くように持って行く事はできるだろう」
「スタルジックが戦争を起こすと言うのですか?」
「10年前、5年前の支援は無償ではないんだ。返済を迫られても、スタルジックに返済する能力はない……正直、もう私にもどうして良いかがわからない。言いたくはないがこれならばシュゼリアに取り込まれてしまった方が民達は幸せかも知れないな」
「兄様……大丈夫ですか?」
兄様はすでにスタルジックが国として成り立っていないと考えているようです。
私には兄様の力になりたいと思うのですが私には何もできる事などなく、兄様の手を握る事しかできません。
「大丈夫だ。レスト殿は悪いようにはしないと言っておられたし、何とかシュゼリアからの使者がくるまでは持たせて見せる。メリルも頑張ってくれるか?」
「はい。私にできる事なら、兄様のお手伝いができるなら、ただ、何を頑張って良いかはわかりませんけど」
兄様の手を握った事で私の不安が兄様に伝わってしまったのでしょうか、兄様は優しく頭を撫でてくれます。
精一杯の笑顔を作り、兄様の助けになりたいと伝える。
でも、今の私には何もできる事はない……今まで薄暗いお部屋に閉じこもっていたため、私には知らない事が多すぎます。
あのお部屋から出て、なぜか、王族とはこう言う物だと礼儀作法の学ぶ事になって初めて理解する事ができました。
……そう言えば、どうして、私はあのお部屋から出る事ができたんでしょうか?
今までは兄様が顔を出してくれる以外にはわずかな使用人が食事を運んでくれただけのお部屋。
そこから出て、このお部屋に移動させられた理由。
私の事を嫌っていた父様達がこのお部屋に移動して良いと言ってくれた理由とは何でしょうか?
「あの。兄様」
「どうかしたか?」
「私はどうして、急にこのお部屋で過ごして良いと許可が出たのでしょうか? お勉強を見てくれている方達に聞いても、私は気にしなくて良いとその事を教える許可はいただいていないと」
「……そうだったな。何も聞いていないんだったな。どうして、必要な事を話そうとしないんだ」
頭をよぎった疑問を兄様に尋ねてみる。
私の質問に兄様は眉間に深いしわを寄せてしまう。
聞いてはいけない事を聞いてしまったのではないかと言う不安で胸が押しつぶされそうになります。
兄様のこんな表情を私は見たかったわけではありません。
私は兄様に笑っていて欲しいのです。
「父上が王族を嫁がせると提案したのは話したな?」
「はい。それで姉様達が仲たがいをしているとそれも兄様のお疲れの理由だと」
「そうだ……自分達のわがままで国を傾けておきながらシュゼリアでなら、スタルジックよりももっと良い生活ができると考えているのだろう。ただ、レスト殿はあの若さで他国にも名が知られるシュゼリアを支える外交官だ。2人の性格をすでに見抜いているのかも知れない。王族をと言うのであればメリルも候補の1人と考えても良いかと、父上は否定しようとしたのだが、父上の言葉を聞く前にこの件はシュゼリア王に報告しますと話を切ってしまった。父上や母上達はメリルを送るつもりはないと考えているようだが、候補が3人だと言われてしまえば、話を合わせる事しかできない。仮にメリルが選ばれたとして第3王女をあの薄暗い部屋で軟禁されていると知られてしまえば立場上、良くない。そのために次のシュゼリアの使者達が来る前に体面上だけでも整えておこうと言う事なのだろう」
「あの、兄様、それは私もシュゼリアに嫁ぐ候補と言う事なのでしょうか?」
予想もしていなかった言葉にどうして良いかわかりません。
兄様と離れたくない私はその言葉に小さく頷くのですが兄様の様子からわずかでも可能性があるようにも聞こえます。
それを否定して欲しくて兄様の服をギュッと握る。
「……心配はない。レオンハルト殿とメリルは年も離れているし、選ばれる事は低い」
「そうですか」
兄様は小さく頷くとレオンハルト殿では年も離れているから選ばれる可能性は低いとおっしゃってくれました。
心配ないと言っていただき、胸をなで下ろすのですが胸には小さなしこりが残っているような気がします。
私の不安に兄様は気が付いてくれたようで優しく頭を撫でてくれました。
その後、兄様はお仕事に戻ってしまいました。
寂しいのですが兄様はシュゼリアとの関係を良くしようと努力している兄様を止めるわけにはいきません。
寂しくても兄様の足を引っ張るわけにはいきません。
兄様を困らせてはいけないとレスト殿達がスタルジックに訪れた時に粗相をしないようにと小さく気合いを入れます。
ただ……なれない礼儀作法のお勉強は辛いです。
そして、10日が過ぎた頃、シュゼリア王国から先日の件について使者が来ると言う連絡がありました。
その時にはレスト殿から兄様に宛てられた手紙もあり、その中でまたケーキを持ってきていただけると書いてあったと兄様が教えてくれました。




