十二話
「……レオンハルト=シュゼリア、何をしているんだ?」
「先生に会いに来たに決まっているじゃないですか」
「くだらない冗談はいらない。わざわざ、隣国まで婚約者様の顔でも見に来たのか?」
シュゼリアからの使者へ渡す報告書の完成が遅れているらしく、ザシド先生は今回だけだと言う約束で報告書をまとめるのを手伝わされていると聞き、アーガスト王に面会をお願いする。
アーガスト王はすぐに人を呼び、ザシド先生の元に案内してくれたのだけどザシド先生の机には多くの書類の束が積み重ねられている。
急な仕事ができた事に先生は機嫌が悪いのか私の顔を見て眉間に深いしわを寄せた。
ザシド先生の反応に私は期待に答えようといけないと思い、最高の笑顔を作って見せる。
しかし、先生は冗談だと切り捨てると私の考えなどお見通しのようで手を止めて大きなため息を吐いて見せた。
……さすがは先生だね。
自分の考えを半分だけ読まれている事にため息が漏れてしまう。
半分だけだ。
確かにメリル=スタルジック王女の顔は見たい。それを否定する気もないけどね。
だけど、目的はもう1つある。
どちらかと言えば、私にとってはこちらの方が重要だ。
「半分正解ですよ」
「半分? ほう、レオンハルト=シュゼリアにしては珍しく気が利く」
「何を言っているんですか? 私は常に気を使っていますよ。尊敬するザシド先生のお時間を割くんです。当然の事です」
この部屋に来る前に厨房によってミルアちゃんから奪い取ったケーキを先生の前に置くと先生は少しだけ気分を良くしたようで小さく口元が緩んだ。
先生は報告書の作成よりも休憩の方が大事だと言いたいのか、私の言葉に返事をする事無くケーキへと手を伸ばす。
普通は自分が仕える国の王族が目の前にいるのだから、気を使うべきではないのかと思うのだけど特に責める気は無い。
ケーキを頬張っている先生を見て、小さく表情が緩むが先生は気が付く事はない。
先生の様子からまだ本題には入れないと考え、机の上の書きかけの報告書へと手を伸ばす。
……学校や病院か、この辺は普通だね。
報告書にはこれからスタルジックを立て直すために必要な施設やそれにかかる経費が事細かく書かれているのだけど特にこれと言った真新しい物はない。
ただ、今更、この程度の事を整備しなければいけないスタルジックの状況に頭が痛くなってしまう。
正直、この程度の国と縁戚関係を結んでまで親密になる必要性があるとは思えない。
アーガスト王は充分な才覚を持っているように見えたけど戦争を回避しただけで国同士の関係としては充分だと思える。
この報告書以外にも隠された思惑があると言う事だろうか?
「縁戚関係まで結ぶ必要性を感じないか?」
「正直なところ、そうですね……先生、口元にクリームが」
「……これで取れたか?」
婚約の本質を探ろうとしていた時、ザシド先生はケーキを食べ終えたようだ。
私の考えを見透かすような声に驚きの声を上げそうになったのだけど、平静を装い小さく笑みを浮かべて先生へと視線を戻す。
視線を戻した先の先生の口元には生クリームがべっとりと付いており、一気に力が抜けてしまった。
レストと言い、先生と言い、真面目な話をする時にはケーキなどは無い方が良いかな?
先生が口元から生クリームを拭き取る姿に苦笑いを浮かべてしまうのだけど、先生が気にする様子はまったくない。
「メリル様の顔を見に来た以外にスタルジックの現状を確認しに来たわけか? 数日中に報告書が届けられるのだ。王都でゆっくりとしてれば良いものの」
「こちらはついでです。それに本来なら、私もそうしたかったんですけどね。どうやら、私にはスタルジックの情報をすべて見せないようにしているようなので」
先生はもう半分の用事をスタルジックの調査だと位置付けたようだけどそれも違う。
レストや父上達がメリル王女の情報を私に渡さないのは若干、引っかかっているけど決まった事に文句を言うつもりはない。
王族にとって結婚などその程度の事だ。
そこに愛だ、恋だと言った物は存在しない。
国益があるかどうか、領民を守るために必要かどうか、ただ、それだけ。
割り切っているからこそ、メリル王女も年の離れた会った事もない私と婚約を結ぶ気になったんだろう。
「私は婚約に文句を言うつもりなんてないんですけどね。ちゃんと婚約者を演じる事も出来ますよ。愛などなくてもやる事をやれば子は生まれますしね」
「そんな考えがあるから、情報を貰えないのだろう」
先生の事だ。適当にはぐらかしても私の本心などお見通しだろう。
それに話したからと言っても、先生の口が堅い事は私も良く知っている。
ため息交じりで結婚などに夢を持っていないと話すと先生は呆れたようにため息を吐く。
ただ、私と親子ほどに年が離れているわりに独身である先生に言われたくはない。
「この件に関しては先生には言われたくないんですけどね。このまま、独身でいられるとレンディル家の領地管理とかどうするんですか?」
「それは国に返せば問題ない。元々、私が望んだわけではないのだ」
「それなら、次代を担う優秀な者を養子に迎えて貰っても問題はありませんね?」
皮肉を込めながら本題を切り出すためにレンディル家の財産に付いて言う。
先生は自分の領地になどには興味が本当に無いようで好きにしろとため息を吐いている。
興味がない事を再確認してから養子の件を切り出すが養子縁組に付いては考えた事が無かったのか先生の眉間には小さくしわが寄った。
「養子?」
「はい。実際は先生に養女を迎えて貰って、その娘を嫁に出したいんですけど心配いりませんよ。嫁ぎ先は先生も知っている優秀な男のところです」
まだ、レストやミルアちゃんの名前を出さずに先生の様子をうかがう。
興味はないと言っていたのだから問題はないはずだけどね。
「……私の養女にしたいのはミルア=カロンか?」
「知っていました?」
「古い友人の娘だ。覚えているかはわからないが、レクサス家に仕えるように言ったのも私だ。クロード=レクサスの人間性は理解していた。身寄りのなくなった娘を放り出す事はできないと思ったんだ」
驚いた事に先生はミルアちゃんの名前を口に出す。
聞き返す私に先生は小さく頷くと彼女の亡くなった父親と友人だと口にし、レストの父親であるクロード殿に紹介したと言うのだ。
それは初めて知る事実であり、予想外の言葉に眉間にしわが寄ってしまう。
「……初耳ですけど」
「言う必要性があったか?」
「ないですけど、ミルアちゃんの父親と友人だったのなら、先生が最初からミルアちゃんを引き取ったら良かったじゃないですか?」
「当時の私に娘を育てるだけの能力があったと思うか?」
少しその辺の話が気になりはするけど、先生の口からはそれ以上は聞けそうにない。
先生がミルアちゃんと養女にしていればレストとは恋仲にならなかっただろうけどなんとなく文句を言いたくなる。
ため息交じりで先生を非難してみるのだけど、先生は表情を変える事無く、10年前の自分に付いて聞き返してくる。
先生が父上に重用されるようになったのは5年前であり、その時の先生はほとんど家に帰る事はなかったはず、独り身の先生では小さな娘を育てる事ができない事は容易に想像がついた。
「出来そうもありませんね」
「そういう事だ」
先生の性質を知っている私はため息を吐いてしまうのだけど、先生が気にする事はない。
ただ、先生とミルアちゃんの父親が友人だった事は私にとっては都合が良い。
記憶の中の父親に思い入れのあるミリアちゃんなら、父親の話を聞けるかも知れないと言う事実があれば納得してくれる可能性が高くなる。
先ほどの様子から見てもレストはしぶしぶ納得していたが、ミルアちゃんは養女になるのは納得できていなかったようにも見えた。
養父が実父と友人だと知れば彼女もまだ態度は軟化するだろうし。
「この件、受けていただけますか?」
「ミルア=カロンが納得すれば好きにすれば良い」
「そうさせて貰いますよ。納得させる可能性が増えるのはありがたいですからね」
先生はミルアちゃんの意思に任せると言うが特に反対する気は無いように見える。
その様子にどこか安心して胸をなで下ろすと先生は私の顔を見て小さく首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「ずいぶんと熱心に動いていると思ったのだ。婚約者には興味がないわりには人間に興味がないわけでも無いのか?」
「婚約者は選ぶ事はできなくても友人はある程度、選ぶ事はできますからね。レストは優秀ですし、これからの事を考えれば味方のままにしておいた方が良い。反感を買うわけにはいきませんよ」
「レオンハルト=シュゼリア、その回答では及第点には届かないな。レスト=レクサスを過小評価し過ぎている」
先生の疑問にため息が漏れる。
父上の後を継いで国を動かして行くのにレストは手放すわけにはいかない。
簡単な答えだと笑うのだけど、先生は私の答えに不満だと言いたげに大袈裟に肩を落とした。