十一話
留学と聞かされて胸がざわざわするのですがお話を聞かないわけにはいきません。
大きく深呼吸をしてから、もう1口紅茶を飲んでみます。
「……あの、問題とはなんでしょうか?」
落ち着きはしませんが問題が解決すればシュゼリアに留学しなくても済むかも知れない。
そんな願いを込めて何とか声を絞り出しました。
「表向きは上手く行っています。アーガスト王は民からも人気があり、彼を慕う若い者も多いです。ただ、先代の下で甘い汁をすすっていた者達からの評価は真逆です。何かあれば先代に再び、国を明け渡そうと考える者、アーガスト王では国がまわらないと国を簒奪しようと考える者が出てきてもおかしくありません。その者達に取ってメリル様は狙いやすいのです」
「私が狙われる?」
レスト殿は私の身が危険かと言われるのですが……私にそのような価値があるのでしょうか?
私は兄様の妹とは言っても何かできるわけではありません。
「……充分にメリル様には価値があります」
「レスト様、もう少し、メリル様の考えをお待ちになった方が良いと思います」
自分に価値があるのかと悩んでいたのはレスト殿には気づかれていたようです。
レスト殿は首を横に振り、私は無価値などではないとおっしゃってくれますが……ミルアさんのおっしゃってくれた通り、お話が速すぎて付いていける自信がありません。
「あの価値があると言うのは私が兄様の妹だからでしょうか?」
ミルアさんの言葉で少しだけ考える時間がいただけたのですが、どうしても私は自分自身に価値があるとはどうしても思えません。
価値があるとすれば私がこの国の王女だからでしょう……
それしかないと自分でもわかっているのです。
先日まで私は王女だからと言う理由だけで生かされていたのですから……
それでもどこかで否定して欲しい気持ちがわいてしまったのか、小さな声で聞いてしまいます。
「否定はしません」
「……そうですか」
レスト殿はいつも通り、表情を変える事無く私の小さな希望の芽を摘み取ってしまう。
そんな事はわかっていたはずなのに胸の奥が小さく痛んだ気がしました。
「ですが、価値と言う物は変化をします。今はアーガスト王の妹姫でしかないかも知れませんが多くを学ぶ事でメリル=スタルジック様の価値を作り上げる事になります。それは万人から必要とされるものか、誰か大切な方から必要とされるかは私にはまだわかりませんが」
「大切な方……兄様やレスト殿にとってその方がレオンハルト様でないといけないのですよね?」
レスト殿は私が傷ついたと察してくれたようで優しい声で話しかけてくれますが、今の私にはレスト殿が求めている私の価値はシュゼリアに嫁ぐスタルジックの姫でしかないように聞こえてしまいます。
わかっていたはずなのに涙が溢れだしそうになります。
「いえ、婚約の件はメリル様の気がのらないのであれば反故にしてくれてかまいません。そうなってもシュゼリアからスタルジックへの援助が止まる事はありません。ただ、婚約を解消するかの判断は留学を終えるまで待っていただきたい。この事を知っているのはシュゼリア、スタルジック、ともにわずかしかいません」
それでも、泣いてはいけないと笑顔を作ろうとした時、レスト殿の口からは考えもしていなかった言葉が飛び出てきました。
……どういう事でしょうか?
驚きの言葉に溢れかけていた涙が止まったような気がします。
実際は止まっておらず、ミルアさんがハンカチで私の頬を拭ってくれています。
「それはいったいどういう事なんでしょうか?」
「正直なところ、シュゼリアはスタルジックと縁戚関係になる必要性はありません。アーガスト王は優秀な方です。民の事を考える事ができる王の資質を充分に備えられた方です。ただ、お優しすぎるせいか身内の暴走を止められる事ができませんでした。民の心が離れている状態で」
「それは……」
慌ててレスト殿に尋ねると彼は申し訳なさそうな声で答えてくれました。
それは兄様に覚悟を決めて貰うために演じたお芝居だと……一気に力が抜けたような気がしてしまいました。
それなら、私は兄様のお側にずっといられると言う事なのでしょうか?
「この件に関してはすでにシュゼリア王から謝罪の意味を込めた親書を送らせていただいています。アーガスト王も了承されておられます」
「そうなんですか……」
「安心されましたか?」
「それは……はい」
兄様も知っている事と聞いて胸のつかえがとれたような気がします。
私の様子を見て、ミルアさんはにっこりとほほ笑んでくれました。
「あの、婚約の話がお芝居だと言う事はわかりました。ただ」
「それなら、留学は必要ないのではと言う事でしょうか?」
婚約自体無くなってしまったのであればシュゼリアまで留学をする必要などないのではないでしょうか?
レスト殿が否定してくれる事を祈って、彼の次の言葉を待ちます。
「いえ、留学はしていただけなければ困ります。先ほどもお話させていただきましたが現状ではメリル様は大変、危険な状態です」
「そうなんでしょうか?」
ですが、レスト殿の口からは私の期待するような言葉が出る事はありませんでした。
ただ、諦めたくはないため、もう1度、確認するように尋ねてみる。
レスト殿はゆっくりと首を横に振った後、受け入れて欲しいと私に向かい頭を下げてくれます。
「シュゼリアに……あの、それはいつ頃からでしょうか?」
「早い方が良いです。今はアーガスト王がいろいろとスタルジック側の準備をされていますので」
「準備ですか?」
いつまで兄様の側にいられるか知りたくて声を絞り出す。
時期はまだ確定していないようでレスト殿は首を横に振ります。
「スタルジックで留学を望む者達の選別が終わっていません。それが終わってからです」
「選別? そんなに希望者が多いんですか?」
「はい。メリル様のおかげです」
「私のおかげと言うのはどういう事でしょうか?」
シュゼリアに留学する者達が多い事に声を上げてしまう。
レスト殿は留学が多い原因は私だと言うのですが、その言葉の意味がわかりません。
「メリル様は現在、スタルジックで正式な王族です」
「それは兄様に何かあると言う事でしょうか?」
「そうではありません。そして、メリル様はレオンハルト様の婚約者、懇意にする事ができれば立場は盤石になります」
レスト殿の口から出た言葉は私に近づいてくる者がいると言っています。
でも……それって、喜んで良いんでしょうか?
良くわかりませんけど、私を喜ばせる事に必死になっては留学の意味を成さないのでは?
「問題ありません。我が母校はそんな甘い事では生き残れません」
……何があるんでしょうか?
私が王族だから近づいてくる者達がいると聞かされてもあまり実感がありません。
それにレスト殿の言葉に一瞬、背筋がぞくっとしました。
そして、わずかにレスト殿の眉間にはしわが寄ったような気がしました。
「……優秀な方も多いようですが、いろいろと問題のある方も多いらしいです」
「そ、そうなんですか? そう言えば、ザシド先生も腹黒い人、興味のある物にしか反応しない人、勝手に悪い方向に考えて悪循環に陥る人や表情が変わらない……も、申し訳ありません!?」
「最後のは間違いなく私でしょう」
シュゼリア王立学園と言うまだ見ぬ恐怖を感じてしまい、身体が震えてしまいます。
ミルアさんは困ったように笑うとザシド先生が教え子は問題児ばかりだとおっしゃっていた事を思い出しました。
そして、思い出している途中でザシド先生がレスト殿の事をおっしゃっていた事に気が付きました。
気分を害してはいけないと慌てて頭を下げるのですが、レスト殿の表情からは怒っているかどうかがまったく読み取れません。
「他はレオンハルト様とルーディス様ですよね? もう1人はわかりませんけど」
「……もう1人にも心当たりがありますがここでお話しする必要はありませんね」
私の心配を余所にミルアさんとレスト殿はザシド先生が問題児とおっしゃって方達の名前を挙げて行きます。
どうやら、お2人に近い方達のようですがその中にレオンハルト様の名前があるのが少しだけ気になります。
……そして、兄様の側を離れたくないと言う以上にシュゼリアへの留学が凄く不安になりました。
「大丈夫です。メリル様のシュゼリアでの生活はレクサス家の者が責任を持ちます」
「レクサス家でですか?」
「はい。希望があれば寮も用意できますが、メリル様は寮の生活は難しいでしょうし、レクサス家なら対応が行えますから」
レスト殿は私の考えている事が手に取るようにわかるようで、シュゼリアでの生活に付いては心配しなくても良いとおっしゃってくれます。
確かにお2人がいてくれると心強いですがシュゼリアに留学したくないとは言えない状況になっているのがわかります。
「わかりました……よろしくお願いいたします」
……それにレクサス家のお屋敷と言う事はレスト殿と顔を会わせる事が多いですよね?
今の王城の中でもまともにお話ができるのは兄様とザシド先生くらいの私にシュゼリアでの生活を心配してくれて対処だと言う事は理解できますが不安です。
それでももう決まった事だと思い、レスト殿に向かって頭を下げます。
「レクサス家の特典として毎日、ミルアのケーキがでます」
……少し心が揺らいだのは秘密です。