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限りなく水色に近い緋色【原作版・連載中止】  作者: 尾岡れき
第3章「鎖に繋がれた獣は、朝陽を前に夢を見る」
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 爽が立案した作戦は、できるだけ【弁護なき裁判団】を牽制する。可能であればナンバーズを殲滅する。かなり手厳しいことを言っているのは自覚しているが、茜自身も承服した。


 甘いことが言える状況でないと、茜自身が言う。


 本音を言うならば、遠藤も川藤もここで殲滅すべきではあるのだ。

 障害は排除すべきで。

 だが、それを要求するにはサンプルとしてあまりにもひなたが優しすぎた。


 だから――。


 川藤の奪還を最優先にする。

 それが、ひなたの意志を後押ししたのは確かだったと、爽は思う。

 多少の――かなりの誤算を抱えて。

 感覚通知で、直接ひなたが投げかけた言葉に面食らった。


〈爽君、私に力を貸して〉

〈水原爽、妾にチカラをカセ〉


 ひなたと同時に囁いたその声は、明らかに緋色の声で。

 ひなたと緋色は、同時に思った事を爽に代わる代わる投げかける。

 彼女たちが出した結論に唖然とし、呆然とし、そして――そして戸惑っている時間なんかない事にはっと気付く。


 弁護なき裁判団に時間を与えるという事は、川藤の逃亡を許すことに他ならない。

 ゆかりにサインを出す。


〈川藤を可能な限り包囲して、時間を引き延ばせ〉


 ゆかりが、げんなりとした表情を浮かべたのが分かった。

 かなり無理を言っているのは、承知の上だ。こんなの作戦ですらない。だが、考える時間が欲しい。今は頼れるのはゆかりしかいない。


「水原先輩にお願いされたら、断るなんてできないじゃない! バーカ!」


 と言いながら電力を放出していく。番号無しは、この際どうでもいい。弁護なき裁判団達の退路を断つ方法ばかりを考える。


 その一方でひなたはと緋色は――そんな爽の想いはお構いなしに、自分たちの意見をぶつけてくる。


 頷きながら、聞きながら、唇から漏れるのはため息しか出てこない。

 危険すぎる――。


 ひなたと緋色の提案はあまりに無謀すぎる。検証すべきデータが爽にはない。だからオッケーを言うことができない。でも、理論としては興味深い。そんな方法、考えたこともなかった。


〈適正オーバードライブ理論だね。よくそんなこと思いついたね〉


 と感覚通知を飛ばしてきたのは、茜で。簡単に言ってくれるがと舌打ちしながら――情報を検索する。彩子のデータベースで、割とすぐに検索することができた。


 ――適正オーバードライブ理論。そもそもオーバードライブは能力活動暴走を意味するものではなく、能力上限稼働を意味する。すなわち、個体の能力活動における上限突破を意味し、過活動となる。その結果、細胞組織の耐久限界を突破し、細胞崩壊をもたらす。だが上限稼働域を維持することができれば、最上級のコストパフォーマンスを得ることができる。近年では研究者ビーカーが、オーバードライブ理論のサンプル生成化に成功している。


 爽は理解した。それをつい今し方、見てきたばかりじゃないか。


 ビーカーのサンプル、レヴァーティン。彼のマイクロブラックホールは、強大な能力だが、時空間を歪ませるためコストパフォーマンスが悪い。連続稼働する為に、適正オーバードライブ理論が不可欠だったわけだ。


 だからレバーティン――田中真はあんなにも、傾眠がちで。


 生活リズムが不規則なんじゃない。彼は過活動による反発疲労で、睡眠が圧倒的に足りないのだ。


 生徒会執行部の面々が余計なことをひなたに教えてくれたとも言えるし、今はそれしかないとも言える。弁護なき裁判団が番号なし(ノンビルド)まで導入してきたのは予想外だった。


 やるなら今しかないし、それができたら、状況が変わってくる。

 実験室がどんな目的で動いているのか分からないから、なおさら気持ち悪い。

 だが現在の弁護なき裁判団のデータを得るチャンスでもあるのだ。


「わかった」


 コクリと爽は頷く。爽はひなたの耳元で、囁いた。


 ――ひなたを信じるよ。


 ブーストを4倍でひなたにかける。その一方で、暴走しかけたらブレーキをかける用意もしておく。爽の能力稼働が安定するように、彩子がブーストをかけてくれているのが分かる。「ひなたの思うとおり、やってみて」


 ゆかりが、弁護なき裁判団たちの退路を電撃の放出で奪っていく。時に番号なし(ノンビルド)を高圧電流で、灰に帰しながら。


〈いいぞ桑島〉


 と、爽は感覚通知を送る。

 威嚇だけではダメなのだ。弁護なき裁判団を少し焦らせ、かつ包囲網をしきながら、遠藤の退路を防いでいく必要がある。そのルートは、彩子がすでに算出してくれている。


 なかなかのハードワークだが、それでも川藤を取り返す。


 川藤の為じゃない。

 姉の為でもない。


 実験室に有利になるカードは欲しかったけど――今はその為でもない。


 ひなたがそれを望むなら、俺もその方角へ手を伸ばす。

 支援型サンプルとしては失格だと思うが、ひなたの為にやれるべき事をやる。ただそれだけで――。


「ありがとう」


 とひなたが。


「とくと見ておけ」


 と緋色が同時に言葉を投げかける。

 爽は掌を突き出した。


 ブーストをかけながら、不安定にならないようにひなたのチカラの波形を追っていく。彩子が抽出したデータを追いかけながら。


〈川藤さんを取り返す――〉


 ひなたの意志はまるで揺らがなくて、爽は微苦笑を浮かべる。

 ――相棒。


 そんなひなただから、自分の全てを捧げていいと思っている。

 実験室時代の記憶が欠落して、ひなたはほとんど憶えていない。


 彼女がなんのために作られたのかも。

 でも、それでいい。


 爽は、ひなたに焼かれた。

 あの瞬間、恐怖心がないと言えば、ウソになる。


 あの炎は――全てを焼却して焼き払う。そして消す。あの時、爽が灰とならなかったのは、運がよかっただけと思っている。


 その激情すら、受け入れる。その覚悟はあって、爽は今でもそれが揺らいでなくて、可笑しいな、と思う。


 ひなた――。


 実験室で孤独だった俺に火を灯してくれたのは、確かに君だったんだよ。

 小さく笑む。

 今、そんなことを思う自分はなんてピンボケなんだろう、と思う。


「――能力上限稼働(オーバードライブ)

 火種が、火となり、渦を巻いて、焰となる。

 爽は目を細めた。


(え?)


 あの時のような、際限なく火炎が猛り狂う様はまるでない。あの時が感情の暴発なら、今は明確な意志で、炎をひなたが纏っている。


 不用意に近づいた番号無し(ノンビルド)が、瞬く間に灰となって消えた。

 弁護なき裁判団は驚愕の表情を浮かべた。


(そんな表情を浮かべることができるんじゃないか、兄弟?)


 支援型サンプルとして、ともに開発された。

 爽としても、無関係だなんて言えない。

 限りなく水色に近い緋色に最適化された支援型サンプル【デバッガー】と遺伝子研究監視型サンプル【弁護なき裁判団】――。


 ただ、彼らは実験室の為に開発された。茜――トレーが実験室を去る時に出された条件の一つが、弁護なき裁判団の継続稼働だった。そしてトレー不在でも、継続稼働ができるよう緻密に設計されていた。


 だからといってあの姉(トレー)が感情移入しないはずがない。彼らを捨て去るなんてできるはずがなかった。


「1分だ――」


 と言ったのは、ひなたの声だったのか、緋色の声だったのか。


 爽は起動しようとしていたブレーキをかき消して、ひなたに向けてブーストをさらに追加する。


〈ちょ、ちょっと水原君?〉


 彩子が驚愕の声を上げたが、これでいい。爽の思惑を理解して、彩子も言葉を飲み込んで、それ以上は言わない。


 中途半端な迷いなら捨てる。

 今は、ひなたを信じる。


 ブレーキを消去した分、余力の全てをブースト6倍にして、ひなたにめがけて注ぎ込む。


 覚悟なら、実験室と向き合うと決めた時に――ひなたと再会できたあの日に決めたじゃないか。

 今さらだ、と唾を吐き捨てる。


〈そういうことなら、私もとことん付き合うね〉


 彩子は感覚通知で苦笑する。

 呼応するように、ひなたの炎はさらに膨れ上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 弁護なき裁判団、No.Yは狼狽していた。イレギュラーがあるとすれば、まさに今のこの状態で。【限りなく水色に近い緋色】の行動パターンは理解していた。No.EやNo.Kが採集したデータを検索すれば明らかで。


 限りなく水色に近い緋色――宗方ひなたは、感情面が脆い。優しすぎると両ナンバーズは評価していたが、そんなあやふやな感情的表記をすることそのものが、彼らがエラーを犯していた証拠だ。


 宗方ひなたは、感情面が圧倒的に脆弱だ。


 感情の不安定さ、情緒不安定が顕著。サンプルをアシストする支援型サンプルとして【デバッガー】が存在することそのものが、サンプルとしての不安定な存在なのでは、とNo.Xは結論づける。


 No.K、No.E以外の全ナンバーズは首肯する。

 そしてエラーを起こした両サンプルの修復が必要だ。ナンバーズのエラーは、システムの致命的なエラーになりかねない。システムの稼働に支障をきたすようであれば、削除も厭わない。No.Xはそう論理付けた。


 その【限りなく水色に近い緋色】が自分たちに、肉薄してくる。炎の渦が、番号無し(ノンビルド)を容赦なく、焼却させていく。灰にすることに彼女の目は躊躇いがない。


 慌てた弁護なき裁判団を【雷帝(トール)】――桑島ゆかりが、高圧電流を放ち、弁護なき裁判団を分断してくる。

 この状況は計算されていない――。


〈ナンバーズに告ぐ〉


 No.Xの無機質な通知が、今はなんとも歯がゆい。


〈宗方ひなた――【限りなく水色に近い緋色】のオーバードライブ信号を検出。危険度【S】を認定。No.Kを確保し、退路を確保せよ〉


 言うが易しとは、この事か。この場にいた弁護なき裁判団は同時にそう思う。【限りなく水色に近い緋色】が能力上限稼働(オーバードライブ)をした。その意味を分からない監視型サンプルがいたとしたら、まさしくエラーを侵しているとしか言い様がない。


 第7研究室があの日、彼女の手で崩壊したのだ――。

 否、第7研究室があった街そのものを、限りなく水色に近い緋色は一瞬で灰にしたのだ。


「ヌルいだろ、この程度の温度では?」


 と言ったのは宗方ひなただったのか、限りなく水色に近い緋色だったのか――。


 弁護なき裁判団は目を見開き――言葉を失った。

 無造作にその手でこねくり回した火球が膨れ上がり、竜の顎のように造形していく。データで見せたことのないような笑みを【限りなく水色に近い緋色】は浮かべていた。


「な?」


 狼狽し、No.Yが呻いた。


「あなたは無関係な一般市民を巻き込むつもりか?」

「おかしなことを言う」


 目の前の少女は酷薄な笑みを浮かべて首をかしげた。宗方ひなたがこんな残酷な表情を浮かべるなんて、それこそ想定外で。


「この学校は実験室のカタログなのだろう? そして、弁護なき裁判団、汝らが連れてきた番号なし(ノンビルド)もまた、無関係であるはずがない。つまり、だ。妾達が考慮する理由など、何一つないということだ」


 ニヤリと笑って、その手を突き出す。

 膨れ上がった炎の顎で――容赦なく襲わせる。

 轟音をあげて、番号なし(ノンビルド)が吹き飛び、肉片が散り、呻き声で埋まる。


「仮に関係があったとしても、私は、目の前の人を守る為なら妥協しないって決めたんです」


 先程とはうって変わって、にっこり笑うその表情は今度は毒気を感じさせずに穏やかで。だが、その炎の熱が急激に上昇していくのを【弁護なき裁判団】が計測――するまでもなく、肌がヒリヒリと痛い。

 弁護なき裁判団の全員(ナンバーズ)が唾を飲み込む。


〈警告、警告!〉


 とNo.Xの通知を確認するまでもない。【能力最大上限稼働エクストリームドライブ】のデータを検知を――していない? それじゃあ、No.Xの警告はなんなんだ?


 弁護なき裁判団は目を疑う。


 水原爽の後押し(ブースト)を確かに感じたのだ。限りなく水色に近い緋色が少しでも安定稼働できるよう、補助する為に。それが今や、宗方ひなたには一切、ブーストの付加されていない。いつのまに? と思うが、あまりの展開にかろうじて口をパクパクさせることしかできなくて。


「だから、相手しているのはひな先輩だけじゃないでしょ? 私達もいることを忘れないで欲しいんだけどね」


 ゆかりは、ニヤリと不適な笑みを浮かべた。弁護なき裁判団――番号あり(ナンバーズ)番号無し(ノンビルド)とほぼゼロ距離で。


 弁護なき裁判団は無数に流れてくる現況データに翻弄されるがままで、情報の整理ができないでいた。――まさしくパンク寸前である。


「桑島!」


 爽があらん限りの声で叫んだ。


「まかせて!」


 ゆかりのその手を、電流が迸る。爽とひなたのブーストを重ねがけして。合計8倍のブーストで。その手を、校庭に立つ電灯に触れる。


 電灯を媒体に、電流が迸る。電灯から循環する学校の電気エネルギー、その全てをゆかりは飲み込み――刹那、その電流を一息で発散させた。


 弁護なき裁判団は、予想できなかった行動に対処も防御もできず、固まることしかできなかった。その躰が、電流の余波で振戦する。


 苦悶に顔を歪めながら、必死に事態の整理をしようとする。ログを、この状況を、No.Xに送信しなくては、ソウシンしなくてハ――。


 ひなたがその手を、空へ向かって掲げた。

 炎が蠢き、渦を巻いて柱のように、天まで貫く。


 コンドはナニが、コンドはナニを――。

 今まさに情報分析をしようとしたその瞬間に、風がよぎった。


「え?」


 弁護なき裁判団は、次から次へと起こる事態に追いつけない。

 遺伝子研究量産型サンプル【エース】――筋力局所強化体の羽島が、どうしてNo.Kを担ぎ、水原爽と野原彩子の隣にイルのハドウシテダ?


「お待たせだったね」

 と羽島が笑む。待ちくたびれましたと言わんばかりに、ゆかりと羽島はハイタッチをした。


「やれやれ」


 と爽は小さく笑む。それは勝利を確信した笑みで。


「弁護なき裁判団、君らはひなたのオーバードライブに固執しすぎた。君らの思考ルーチンはつまりこうだ。1分間のオーバードライブを回避することができら、No.Kの奪取は成功することが可能だ。その為に番号無し(ノンイルド)を用いて、人外戦術を用いた。人という体を使って、壁を盾を作ったんだ。ある意味、戦略としては興味深い。ひなたには、確かに意味がある」


「……何が言いたい」


「実際にオーバードライブはしたし、その気になればこの学校ごと、ひなた(緋色)は破壊し尽くすことも厭わなかったと思う。だけど、適正オーバードライブ理論では、理性が勝る。ひなたと緋色の中で、何を話したのかは知らない。でも緋色が力を行使するかわりに、ひなたの守りたいものを守る。その約束を緋色は守ったんだ」


「わざわざ青臭く説明をする、な――」


 不満気に悪態をつくひなた(緋色)の体が揺れる。ふらつくその体を、爽は優しく受け止めた。


「3分50秒――」


 彩子が時も見ずに言う。爽はなおさら嬉しそうに笑んで、ひなたの髪をそっと撫でる。


「戯言を、たわむれを!」


 No.Dが叫ぶ。


「戯れ言を現実にするってことが、夢を叶えるってことなんじゃない? 青臭いなって思けどね。でも俺は、ひなたが望むのなら、それも厭わない」


「ふざけるな! こ、このままですむと思っているのか、人数で言えばこちらが優勢! 逃げられるとでも思って――」


「思うにきまってるじゃん。思考ルーチンがパンクしているのにも気付かないなんて、ね」


 彩子(デベロッパー)は呆れたように言う。なんだって、今、彼女はなんて言った?


「デバッガーもデベロッパーも支援型サンプル、特に私は水原君のサブだからね。私が前線に出ることそのものが、おかしいと【弁護なき裁判団】――貴方達ならまず普通はそう思うはずなんだけどね」


 そうだ。確かに、野原彩子(デベロッパー)が現場に出ることは違和感があった。だが我々は、愚策を弄したトレーの自棄と判断をした。この人数に勝てるはずがないと。番号無し(ノンビルド)という盾があれば、No.Kを護ることができると――。


「私は水原君のサブでありバックアップ。彼にできることは私にもできる。私が近くに居ることで、私たちはお互いの能力(スキル)増幅(ブースト)する。水原君は、不可視防御壁(ファイアーウォール)をかけながら、ひなたをブーストしていたけど、それも全力じゃない」


 開いた口が塞がらない。なんだって?


「水原君の残りのリソースで、私のデーターバンクを稼働させながら、私の全力で貴方達に思考ルーチンをパンクさせるプログラムと、No.Xとの通信を遮断させるプログラムを打ち込んだの。少し冷静に分析したら突破できるトラップだったんだけど、まんまと貴方達はまってくれた。No.Xなら、私たちの行動の一つ一つを、他のナンバーズを監視役にして分析をしたはずよ。茜ちゃんが作った傑作であるのは間違いないわ、貴方達は。盤石なシステムだからこそ、何か一つでも遮断することができたら、こんなにも簡単に狂う。貴方達のシステムが強固だった故にね」


「ま、まだだ。こ、これで終わったと思うな――」


 憤怒の限り吐き出そうとした言葉は、眩い光と衝撃で遮られた。自分たちが校舎に叩きつけられたと、No.Xのログで知る。


「な、なにが――」


 まるで耳鳴りするかのように、No.Xからの通信が押し寄せてくる。


〈外部プログラムの侵入を確認、遮断せよ〉

〈No.Xのデータ送信を各ナンバーズ、受信せず。サーチしています〉

〈各ナンバースの思考ルーチン、暴走を確認。オーバードライブには至らず。しかし修復プログラムを受け付けません〉

〈外部プログラムが自動消去されました。全システムの強制復帰を試みます〉

〈No.KとNo.Eの接続ができません。検索除外します〉


 怒濤のログが、弁護なき裁判団のナンバーズに向けて一斉送信される。頭痛、吐き気、目眩、機能停止――。弁護なき裁判団は状況の理解が追いつかず、のたうち回るしかない。


〈テレポーターの能力(スキル)を確認しました〉


 No.Xのログからテレポートが発動したことを悟る。

 思考停止したまま、届くはずも無いのに弁護なき裁判団は、その光に向かって、手を伸ばそうとした。


 トレー。

 その名前を呼ぶ。呼んでも空しいだけだと、プログラムはいつも教えてくれているのに。

 理解できない。

 この感情はプログラムされていない。

 残念ながら、もう手遅れだ。

 それなのに――それなのに、手をのばそうとする。


〈対象の転送を確認しました〉


 名前を呼ぶ。その名前を。

 ムダと分かっていながら。

 探し、追いかけていたその名前を。

 光が、風がその体を煽る。

 衝撃が、意識を奪い取ろうとするが、それでも――。

 名前を、その名前を【弁護なき裁判団】は呼び続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 眠気が吹っ飛んで、真は投影画像を見やる。

 その画像は、砂が散るように霧散していく。山田ほたるが、絶対領域(アイギス)を解除したのだ。


「……なんてヤツらだ」


 真は唾を吐き捨てた。蓮は微苦笑を浮かべた。真がそう言いたい気持ちも分からなくもない。ビーカーが研究開発した【神々の黄昏(ラグナロック)】シリーズは、適正オーバードライブ理論ありきで開発された実験体である。過去のサンプルデータを網羅しながら、トレーの支援型サンプル理論とともに、最大限取り入れてきた、いわば実験室の最新作だった。


 開発の経緯をたどれば、【限りなく水色に近い緋色】も【デバッガー】も過去のサンプル(レガシーサンプル)であるのは間違いないのだ。研究データを秘匿されていたにしても、だ。基本的なデータ、研究は実験室のデータベースの中にあるのだから。


 だが――。

 蓮は唾を飲み込む。


 【限りなく水色に近い緋色】は、適正オーバードライブ理論を真似た。

 真似であれば、ホンモノにかなうはずがない。齟齬が、ほつれが、隙間が生じて、中途半端な猿真似なら力のコントロールができず、暴走オーバードライブ状態となるのは目に見ている。

 だが彼女は、完璧にコントロールしたのだ。


「コピーアンドトレースと言ってもいいわよね」


 ほたるが爪を無造作に噛みながら、呟く。多分、彼女の瞳孔はは先ほどの一戦を再生し、再分析しているのだ。


 イチかバチか。

 そんなナマヌルイ言葉じゃ表現できない。


 決意したのは宗方ひなた――【限りなく水色に近い緋色】だろう。ひなたなら――あの子なら、きっと躊躇無く選択する。良い意味でも悪い意味でも、実験室のサンプルらしさが無い。あの子は、危険なくらいに純粋で、危険なまっすぐさを持っている。


 サンプルとしてのポテンシャルの高さ――潜在能力はむしろ未知数とも言っていい。

 だが、論点はそこじゃない。


 あの短い時間の中で、適正オーバドライブ理論を、散乱した一瞬のでデータから理論に結びつけた、支援型サンプルの一挙一動、それこそが賞賛されるべきだ。


 【レヴァーティン】――真の適正オーバードライブ理論の稼働時間は、正味2分もない。まして真は、蓮の意図を汲んで全力を示さなかった。不完全にオーバードライブ理論を起動させ、様子をうかがった。


 真なりの最大限の譲歩なのは分かるし、短気な真には限界だったのも分かる。

 それは良い。それは良いのだが――。


 本当の意味で恐ろしいのは、その2分弱の中で、徹底的なデータ収集をした野原彩子と、そのデータを【限りなく水色に近い緋色】に合わせて、水原爽が修正(コンパイル)したのだ。


 デバッガーとデベロッパーは、それぞれ補完関係にある。今まで表に出てこなかったデベロッパーが表に出てきた理由は、距離にあると見ている。


 デバッガーとデベロッパーの距離が近ければ近いほどに、相互作用で演算効率が上がるのだろう。言ってみれば、実戦の中でデータ収集・サンプル調整・修正・修復・微調整をやってのけたのだ。これは、本来、実験室研究者が時間をかけてすることだ。まして実戦の中でやり遂げてしまうなんて――こんなバカげたことがあってたまるか。


〈だから、なかなか面白いヤツらだって言っただろう?〉


 ビーカーが感覚通知を飛ばしてきた。ニマニマと楽しげに笑みを浮かべているのが、手に取るように分かった。


 蓮は思わず笑みを溢す。

 やっとだ。

 ずっと退屈していたんだ。

 これで。やっと。やっとだ。やっとその時がきたのだ。

 

 ビーカーが望む【神々の黄昏(ラグナロック)】の幕を開く。


 真とほたると視線が、交じり合う。感覚通知で、その意味を再確認する必要もない。

 神々の黄昏へ向けて――。

 ようやく始まるのだ。







「これはどういう事ですか!」


 プレパラート女史の激高が響くが、スピッツは涼しく受け止めた。彼女の思いも分からなくはない。自身が管理している、監視型サンプルが奪取されたのだ。実験室の研究者を統制するにあたって、トレーが構築した【弁護なき裁判団】は、実験室のシステムそのものと言っても大げさじゃない。


 室長(フラスコ)が各研究者の研究成果を掌握する。ある程度の戦闘能力があり、どこにいるのか、ドコで見ているのか判断がつかない。トレーが実験室を離脱する条件の一つが、【弁護なき裁判団】を置いていくことも頷ける。


 その一方で【Mother】を開発していたプレパラートに向けて、弁護なき裁判団の管理権を委譲した。


 遊び半分で弁護なき裁判団のマザーホスト、No.Xに接触したのはスピッツだったが、まさか本当にログインできるなんて思いもしなかっただけに、当初は驚きもしたが、合点もした。――研究者(トレー)不在で、無知のエンジニア達がシステムのアップグレードを試みた。サンプルの本質を理解することなく、アップグレードを試みれば、それは非の打ち所のないサンプルも、ハリボテに成り下がる。


 解せないのは、実験室が誇る監視システムの崩壊を、フラスコが容認していることだが、彼の性癖を考えれば、想像できなくもない。


 愉快であること。真新しさがあること。旧システムへの依存や存続を彼は熱望しない。科学の進化、イノベーションの為なら、フラスコは旧世界の遺産をとことん焼き払える。スピッツが知るフラスコの側面だが――彼が、何を考えているのかは、旧実験室所属時代からよく分からないというと言うのも本音だった。


 だが、目下の課題は女史の感情をコントロールすることが優先か。

 スピッツはプレパラートに唇を重ね――すぐに離す。


「な、な、スピッツ、あなた、なにを考え――」

「落ち着け」


 スピッツはプレパラートを抱き寄せて囁く。耳朶にその唇が触れるか触れないかの、そんな微妙な距離で。


「弁護なき裁判団のリンクは、切断されていない。ここが重要だ、プレパラート」

「え?」

「No.Eは完全なエラー兆候を示し、弁護なき裁判団のネットワークからはじき出された。でもNo.Kはネットワーク認証から外れていない。この意味、君ならわかるだろう?」


 プレパラートは、かすかに震える程度に首肯する。


「トレーは、弁護なき裁判団を実験室へ置いていくことを選んだ。去るためにはそれしか選択肢がなかった。だが、完全な管理方法までは、トレーは置いていかなかった。サンプル基幹情報(ゲノムマップ)がなければ、弁護なき裁判団の保守は不可能だ。でも、ゲノムマップを手に入れるころができるとしたら、君ならどうする?」


 プレパラートは呼吸の仕方を忘れたかのように、口をパクパクさせた。それを尻目に、スピッツは踵を返す。


 かつん、かつんと自分の足音がやけに耳につく。

 次はフラスコがお呼びか。やれやれ、とぼやきながらスピッツは小さく笑む。【弁護なき裁判団】を失ったことによる小言を聞かされることになるか。だが――と思う。フラスコ自身が【弁護なき裁判団】への保守に真剣ではなかった。フラスコはトレーに接触がしたい。だからスピッツの行動にも、大きな干渉はない。


 実験室は、所詮、化かし合いの戦場だ。

 フラスコの思惑など、知ったことではないが――スピッツの唇が、なお歓喜で自然と綻んでいく。


(トレー)


 その名前を呟く。君のエメラルドタブレットは、今度こそ俺がもらい受ける――。

 ひなた(・・・)の為に。






 瞼が重い。気を抜くと、閉じそうになるのだが、懸命に画面を見やる。


「おぉ、ケモノ畜生、起きたか」


 シリンジは憎たらしいまでに毒を吐くが、今はそんな小さなことは耳に入らない。


「やっぱり、お前の気付け薬にはこの特化型サンプルか。能力(スキル)だけは流石と言わざる得ないな」


 ディスプレイでは、限りなく水色に近い緋色と、弁護なき裁判団の接戦が流されていた。


「いつの間に……こ、こいつら……」


 言葉を吐くだけで、体が崩れ落ちそうになる。


「無理をするな。生命の水(アクア・ヴィテ)を浴びて正常でいることそのものが、賞賛に値する。細胞の過活動を促す――言ってみたら、薬物誘導的能力上限稼働(オーバードライブ)だ。室長が考える実験手法は、どれも悪魔の領域だな」


 まるで自分の研究のように、嬉々として語るシリンジを見やりながら、廃棄体4号――(ワン)は、映像を見やる。


 その体に、無防備にも身を寄せるルカを見やり、彼のか弱い体温を感じて安心した。

 限りなく水色に近い緋色。彼女が能力上限稼働した瞬間を食い入るように見つめる。


「適正オーバードライブ理論か。水原爽は私を泥棒扱いしたが、そちらの方が猿真似じゃないか? そう思わないか――」


 シリンジがなにか御高説を並べているが、王の耳には入ってこない。


 水原爽(デバッガー)もうまいことを言う。


 泥棒と言われても仕方がないではないか――。シリンジは人の研究を盗む事で、権威を得ようとした小者だ。彼は実験室の中でしか、その立場を見いだせず――そして実験室にも居場所を見いだせないから、今がある。


 ろくな研究もできず、サンプル管理ができない。なめらかに詭弁だけがその口からは出る。猿真似と彼は言うが、遺伝子変容体ですらら、ゲノムマップからもっとも最適化された遺伝子構造へ変容する。すでにゲノムマップの中に、変容した遺伝子情報が定着している。


 適正オーバードライブ理論の詳細は、研究者ではないので知るよしもないが、ビーカーのサンプルは、それを目的に開発されたと聞く。世界の終焉を、神々との境界線を越える特化型サンプル――【神々の黄昏(ラグナロック)


 面白い奴らが、まだまだいるものだ。

 だが、あのサンプル――限りなく水色に近い緋色は違う。


 見よう見まねで、サンプルの能力(スキル)をコピーなんかできたら、それこそ実験室はお役御免だ。シリンジなんか、とうの昔から必要にもされていない。あいつは、コピーを通り越して、自分自身の能力(スキル)として、適正オーバードライブ理論を稼働させたのだ。瞼が重い中、限りなく水色に近い緋色の炎が、眼底にまで焼き付く。


 廃棄体と烙印を押された理由は、実験室の研究者たちの言うことを聞かなかったからだ。それも理由の一つ。だが、それ以上に実験室のサンプルを、とことんまで破壊し尽くした、その衝動性にもあった。


(――お前なら、壊れないだろう?)


 期待を込めて、そう思う。あの美しい炎ごと抱きしめて、そして、とことん壊しあいたい。

 こんな時に、ルカの言葉が、耳鳴りのように響く。


 ――師匠(マイスター)は、百獣の王程度で満足なのですか?


 言ってくれる。

 瞼が閉じても、あの炎が消えないのが――妙に暖かくて、心地よかった。






 今なんて間抜けな顔をしているんだろうと、と茜は思う。

 諦めていた。

 実験室を出ようと決めた時に、彼らとは決別をしたのだ。


 被験者殺し――そう揶揄され続けたトレーだ。今さらすがりつくものもない。そして実験室が無下に、弁護なき裁判団を扱えない事も計算したうえで、トレーは実験室を飛び出したのだ。


 許して欲しいなんて、そんな生ぬるいなことは思わない。まして、彼らはプログラムを組まれた有機体構造のAIだ。本来なら、感情すらも疑似プログラムで、仮に遠藤や川藤が怒りや悲しみの感情を表現したとしても、それは彼らの感情ではなくではなく、作り上げられた感情であるのは、間違いない。


 それなのに――。


 眠り続ける遠藤を見やりながら。未だ彩子の変わりに情報収集を続ける涼太を見ながら。茜は呆けていた。

 光が滲んで、粒子が渦を巻いて集まる。


「水原先輩、テレポート反応を確認したよ!」


 涼太が分析結果を伝えるまでもなく、その光の礫が発しただけで、理解した。

 不可能だと諦めていた――無理だと言い聞かせていた――ずっと、ずっと。


 茜は実験室元研究者だ。現実が直視できないほど、幼くはない。爽を稼働させるために――限りなく水色に近い緋色とデバッガーをリンクさせる為に必要な犠牲なんだと――何回も、何回も、今までそう言い聞かせてきた。


 光に渦の向こう側から、人影が見えた。

 眩しくて、目を開けるのこともやっとなのに。それでも茜は目をこらしながら。


 予想していた6人と、諦めていたもう一人が、抱きかかえられながら。


「川藤さん、お帰り」


 きっとシステムからシャットダウンしてしまった川藤に、この声は届かない。これから、茜が遠藤と川藤を起こさなくてはいけないのだ。


 呆けている場合じゃない。


 その拳で、目から溢れ流れるものを拭う。まだ、何も始まっていないし、これから茜が始めないといけない。


 なんて子なんだろう、とひなたのことを思う。彼女は、茜の予想外のことを、そして諦めていたことを、こうも簡単にやり遂げてしまう。


 遺伝子情報上、水色と緋色が相容れないと分かっていても――なんとか、現実を覆したい。それを思ってしまう。

 残された時間は少ないが――茜に課せられた仕事はこんなにも膨大で。


(だけど私は諦めが悪いからね、フラスコ)


 そう思った刹那、

「茜さん、いま帰りました!」

 無邪気な声が、全力で飛んできて。

 茜は小さく微笑んで――手を振った。






 この感情を苛立ちというのだろうか。


 実験室のラボの中を歩き回りながら、遺伝子研究特化型サンプル【クイーン】は、未だかつてない感情の誕生に困惑していた。


(なんなの、あれは。)


 限りなく水色に近い緋色の事前情報は、データベースで確認済みだった。否――流し読み、流し聞きしていたと言うべきか。同じくチェスシリーズの【ビショップ】が、情報を噛み砕いて説明をするのを尻目に、対して気にもとめていなかった。


 発火能力(パイロキネシス)であっても、遺伝子編集(ゲノムエディット)であっても、フラスコの寵愛を受けたチェスシリーズからして見れば、なんら恐れるに値しなかった。


 なんて単調な余興なんだろう。これではフラスコを楽しませるどころではな――なに?


 クイーンは初めて、食い入るようにサンプルに注意を向けた。

 多分――生まれて、はじめてだ。


 【限りなく水色に近い緋色】は適正オーバードライブ理論をあっさり使いこなし、弁護なき裁判団を翻弄した。


 いや、彼女の能力をすれば、もっと早く殲滅して、No.Kの奪還も可能だっただろう。ツメの甘さが間違いなくあった。能力制御も、チューニングできているとは言い難い。


 こんな状態で、フラスコが彼女に関心を向けた理由は分からない――だからなおのこと、腹ただしい。


 警備型サンプルが、何かをクイーンに向けて言葉を投げかけた。

 普段のクイーンなら我が儘さはあっても、意にも介さない。だが彼女は生まれて初めての苛立ちを感じていた。そして今回はたまたま《ビショップ》もいなかった。だから、この警備型サンプルは職務に忠実であったが故に、不運だった。


「いかに遺伝子研究特化型とは言え、ここから先は、SS級情報ハーザード区域です! ルートの変更を要求します! 通行が必要な場合は、しかるべき管理者からアクセス権を取得してから――」

「うるさい」


 苛立つ感情のまま、クイーンは能力(スキル)を発動させた。

 あっという間に警備型サンプルは、凍り付く。

大気中の電子を絶対零度に変換して、対象を強制凍結させる。あとは、クイーンの気持ちの赴くままに、その指で弾くだけだった。


 声を上げることも許されないまま、サンプルは砕けた。

 クイーンの足下を中心に、ラボの床が凍り付いていく。


 限りなく水色に近い緋色の、あの弱々しい炎を消してやろうと思う。フラスコの関心を奪う、それだけで万死に値する。そんな中途半端な――猿真似のような能力(スキル)でフラスコの関心奪うなんて、失笑すら浮かばない。


 私は、認めない――。

 不快一色に染められた感情に突き動かされて。

 クイーンは、サンプルの破片を、一思いに踏み潰した。

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