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限りなく水色に近い緋色【原作版・連載中止】  作者: 尾岡れき
第3章「鎖に繋がれた獣は、朝陽を前に夢を見る」
43/48

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 目を閉じて、耳を澄ます。

 とくん、と静かに脈打つのが手に取るようように分かる。


(心拍に乱れはなし。完全な感染兆候と判断してもいいかもね)


 茜は思索しながら、川藤の息遣いを感じる。

 茜は竹刀の剣先をゆっくりと川藤に向けた。実験室の研究者としてデータ至上主義と言われたトレーだが、データのみを過信している訳じゃない。


 数字はあくまで基準だ。数字に表示されない不確定要素はサンプル研究の中で確かにある。


 もっとも——。


(剣道は完全に趣味だけどね)


 茜は小さく笑んで、踏み込む。茜は軽く、竹刀で突く。川藤は瞬時で、後退す——る余裕なく吹き飛ぶ。


「川藤!」


 遠藤が声を上げた。


「へ?」


 一緒に涼太も声を上げてしまう。それはそうだとは思う。サンプルに対して、研究者が挑むことを無謀と捉えるなら、ば。


「金木君、今は集中。種明かしはしてあげるから」


 ニンマリと笑む。いつか、こういう時が来るとは思っていた。実験室と衝突する日がいつか必ず来る。茜は、そのタイミングをずっと、図っていたというべきか。


 ひなたと爽。彼女彼らだけでは、あまりに力不足だ。


 ひなたの純粋な想いだけで、実験室に立ち向かえる程、この国は甘くはない。

 実験室という機関は、この国そのものだから。


 この国が示す道先、すなわちそれは【実験室】が示す道に他ならない。

 それを思えば、茜がとった道は、とても中途半端だった。


 監視体制を受け入れた、条件付きの退所。茜からしてみれば、監視プログラムを欺くのは朝飯前だし、室長にしても肝心な研究データの動向はチェックできる。


 言ってみれば、騙し合いは継続している。

 だから——。


 茜は息を吸い込む。ほんの些細な動作、それに反応して、川藤が動く。

 と、茜の周囲で、積み上げていた資料が舞い上がる。


「風?」

「そういうこと」


 茜はニッと笑む。圧縮気流(ソニックウェーブ)と茜は勝手に呼んでいる。そもそもはエメラルドタブレットの写本(コピー)に記されていた遺伝子配列の一例だ。空気を圧縮し、その流れを変えることで、戦場の流れを変える。サンプルの火力としては低く、攻撃型サンプルに採用されることはなかった。


 暗器と呼ぶなら、かつて懐刀と言われた涼太よりも、よっぽど暗器と言える。


 ただし、ネックなのは適合遺伝子対象サンプルがあまりにも少なく、かつ消耗が激しい。瞬発的な火力であれば【念力弾サイコネキスバレッド】の方が、効率的な可動が可能。支援型サンプルが活用するには、持続力が持たない。結果、量産型を目指そうにも、能力上限稼働オーバードライブにあっという間に達してしまう。


 研究の末、あっという間に頓挫した、遺伝子コードだった。


 たまたま茜の体は、遺伝子コードが適合した——それならば、実験せずにはいられない。それが研究者の性というもので——だからこそ、被験者殺しと揶揄されるトレーのトレーたる所以だった。


 茜の風が、びゅんびゅんと唸り声を上げる。川藤はいとも簡単に、バランスを崩して倒れた。その隙を見逃さず、茜が竹刀で突く。

 川藤は、体を回転させて回避する。感染して判断能力が欠如しても、弁護なき裁判団の上位ナンバーズであるのは確かだった。


「川藤さん、そろそろ終わりにしようか?」


 ニッと茜が笑む。川藤は声にならない言葉を上げる。咆哮、その一言が相応しい。念力弾サイコネキシス・バレッドを闇雲に乱射してくる。


 茜は弾道を紙一重でかわしながら、竹刀を構えた。


 深呼吸。茜は弾道を読み、最小限でステップを踏む。普段の川藤なら有り得ない分かりやすい球筋に、苦笑が漏れる。


 念力弾は、量子レベルに神経伝達干渉を行い、空間に指向性の歪みをもたせる。熟練したサンプルは、視認すら難しいが、川藤の念力弾は分かりやすい程に、熱を帯びない赤で、彼の混乱した激情が想像できた。


 チラリと横目で遠藤を見る。唖然として、川藤を止めることのできい彼は呆然としていて。彼の感染兆候はない。だが——と思う。


 弁護なき裁判団は、システムを連動させることで、有益な監視型サンプルだ。政治、外交、治安、研究秘密保持、サンプル管理と用途は多岐に及んだ。


 その反面、端末であるナンバーズそれぞれが感染をすれば、どうなるか——。

 川藤を見るまでもなく明らかで。


「水原さん、とりあえず準備は完了したよ!」


 涼太が端末を見やりながら、叫ぶ。


「座標軸の固定はオッケー?」

「情報は全て送信してるよ!」

「オッケー。あとは、金木君のお仕事をするだけだね」

「それが一番難題だけどね」


 涼太は苦笑し、遠藤は唖然と川藤と茜を見る。


「冷静な判断ができていないよ、遠藤さん?」


 茜は小さく笑む。弁護なき裁判団からシステムを切断されたのが不幸中の幸いか、感染兆候にない。それこそが、【開発者】の助けを求めてきた理由ではあるが。No.Eと心の中で囁く。今は我を失っている場合じゃない。思考ルーチンが感染していないのであれば、今できることをすべきなのだ。


 遠藤は我に返った顔で、さっと後退する。

 そう、それでいい。


 茜は小さく頷いて――。

 光が川藤の足元に渦巻く。


「トレー! トレー! トレー! トレー! トレー! トレー!トレー! トレー!トレー! トレー!」


 川藤――No.Kの咆哮。まっすぐに茜は見る。その咆哮を受け止めるように、竹刀を持ち直す。


「水原さん、カウントダウン開始――」

「茜でいいんだけどね、金木君? 呼び捨てでもいいよ、爽君は呼び捨てでしょ?」


「先輩に呼び捨てできるか!」

「してもいいのにね」


 ニット笑う茜を無視して、すでにカウントダウンが始まっている数字を読み上げる。


「3、2――」


 思わず涼太は目を閉じる。川藤の足元から光が、溢れんばかりに燦々と輝く。読み上げることすらできないほどに強烈な光に、ずひるんでしまった。


「オッケー、座標軸固定良好だね」


 関せず、茜が笑んだ。その刹那、耳を突き刺す轟音とともに、川藤が吹き飛んだ。


「転送終了!」


 光とともに、飛んできたのは、みのりと羽島で。羽島は容赦無く、握っていた野球ボールを投擲する。


 スローモーションに、軽く投げる。そのボールから逃れようと必死で。生存本能、それだけが今の川藤を支配していた。


「お、おい、川藤……」


 遠藤の声もまるで届かない。


「金木君、出番だよ!」


 茜が叫ぶ。

 コロンと、ボールが落ちた。筋力局所強化は最低限に。ダメージは皆無の威嚇に過ぎない。


 それを理解できない川藤は、声にならない声を上げる。

 涼太と川藤の距離まで5歩もない。川藤が念力弾を放とうとするが――もう遅かった。


「回りくどいよね。僕だってそう思う。この時間がない中で、川藤さん、あなたを引きつけて、研究者自ら前線に出て、挙句は【テレポーター】と【エース】まで采配するオンパレード。この間に【ドクトル】は感染ウイルスに焦点を絞って、開発構文を駆使してコードを特定しろって言うんだから、人使いが荒いのにもほどがあると思わない?」


「トレー、トレー、トレーっっっ!!」


 羽島が川藤を抑え込む。涼太はこの好機を逃さない。

 躊躇なくその口の中にカプセルを放り込んだ。


「水原さんの声を聞いてあげて。一貫して、言葉を変えないんだから」

「川藤さん」


 なんでもないかのように、距離を詰めて、茜はにっこり笑む。迷いなく同じ言葉を繰り返して。


「何度も言うよ。ボクは、作った子を見捨てない」












 コーヒーを勧められても、ひなたも爽もゆかりも手をつけられないでいる。優雅に生徒会長だけが、コーヒーの薫りを満喫していた。


「コーヒーは苦手?」


 きょとんとして会長は聞いてくる。


「え、あ、そうですね。コーヒーは飲まない、かな?」


 しどろもどろで、ひなたが答えるのに苦笑をしつつ、生徒会長を見据える。


「ジュースもあるよ? ね、ほたる?」

「だから生徒会室は、フードコートじゃないんだけど、会長 」


 不機嫌に言いながら、ほたるは冷蔵庫から適当にペッドボトルを選ぶのを――爽が手で制した。


「別に仲良しになるのが目的じゃないでしょ? まどろっこしいんだ。目的はなんなの?」


 爽が射るように、彼らを見渡す。その隣では、ゆかりが待ちきれない、といわんばかりに好戦的に火花を青白く散らした。


「んー。ほたる、ちょっと話せる状況じゃないね、想定内だけど。アイギスを発動してくれる?」

「了解」


 ほたるはにこりともせずに、手をかざす。その瞬間に、ゆかりの電流はかき消える。


「え?」


 ゆかりは唖然として、自分の手を見る。

 爽は慌てるでもなく、生徒会メンバーを見やる。


「アテーナーの盾か。神話の盾を冠する特化型サンプルとは、これは一筋縄ではいかないかな」


 と間延びした声で言う。

 ギリシャ神話の女神アテーナの盾、アイギス。英雄ペルセウスが、メデューサの首を切り落とし、女神に献上した。アテーナーはその首をアイギスに嵌め込んだと伝えられている。


 メデューサは有名だ。蛇の髪をもち目を合わせただけで石化する鬼女である――と、淡々と爽はひなたに向けて説明する。


「ずいぶん、呑気ね」


 呆れ半分、苛立ち半分の声で、ほたるは声を上げる。


「察するに、山田さんの能力は絶対領域の構築だろう? 他者の干渉を阻害して、自分の領域の中で、他の二人が戦いやすいように環境構築する。さすが、特化型サンプルだ」


 淡々と言う爽の一言が、ほたるの感情を逆撫でしたのは明らかで。


「あなたみたいな弱々しい防御壁で特化型サンプルだなんて笑わせないで。同列に言われるのも癪にさわるわ。レヴァーティンとグングニルなんか必要ない。私が今ここで、捻り潰す――」

「ほたる」


 生徒会長は柔和な笑みを絶やさず、手で制する。


「熱くなりすぎだ。彼らの情報戦はとっくに始まってるんだよ? 同じ支援型サンプルが、いいように煽られてどうするの?」

「え……」


 唖然として、ほたるは爽を見る。爽は小さく肩をすくめた。あわよくば、能力(スキル)の見極めまでを、と思っていたが、そうは問屋は卸さないらしい。が、ビーカー麾下の三特化型サンプルはデータベースと誤りがなかったのは収穫だった。


「爽君……?」

「大丈夫。生徒会に先制されたのが癪なだけ。話はちゃんと聞くよ」

「じょ、状況がわかってないわね! あなた達の能力は私が――」

「山田」


 と言ったのは、副会長――田中真で。さっきまでの眠たそうな表情から一転、鋭く爽を見やる。


「お前じゃ分が悪い。もう喋るな」


 ほたるは、苛立ちから顔を真っ赤にして唇を噛む。ふーん、と爽は思う。真っ赤な髪で生徒会執行部という肩書きがもっとも似合わない彼だが意外に冷静で――油断していたら、寝首を掻かれそうだった。


「とりあえず、ひと段落かな?」


 小さく生徒会長は笑む。特に応じるでもなく、爽は生徒会長を見据えた。


「それでは早速。宗方ひなたさん、当校の校則、第3章第17条第1項を参照して欲しいんだけど、当校生徒は放課後等での部活動、もしくは委員会に入る必要がある。これは我が校の義務なんだ、そこは理解していもらえるかな?」

「は、はい」


 素直に、戸惑いながらひなたはコクリと頷く。


「ちなみに君の彼氏の水原君は報処理研究会に在籍しているよ?」

「え?」


 ひなたは思わず硬直するが、生徒会長はお構いなしで言葉を続ける。会長の意味を理解して、口をパクパクさせ、耳まで真っ赤になる。


(彼氏、彼氏ってことは、いやでも私は、私たちはそういうことじゃなくて、でも、あ、その、そんな噂は爽君の迷惑に、その誤解をまずとかなくちゃ、とかなくちゃ――)


 言葉になっていないような、何を声にしたのかわからないままパニックになっているひなたに、爽は優しく手の平を重ねた。


「大丈夫だから」


 爽は囁く。


「生徒会長、わざとらしい撹乱はやめてくれないか? あなたは話があると俺たちを、呼びつけた。もったいつけた挙句、能力(スキル)による幽閉まがいの拘束。そして今度は、ひなたを侮辱するって言うのなら、さすがに俺たち、黙ってはいられないんだけど?」


 剣呑な空気が流れるのも関せずに、生徒会長は小さく笑んだ。


「いくら君でもアイギスの盾を打ち破るのは難しいんじゃないかと思うけど、過信と慢心は命取りなのは、戦場の鉄則だと思うしね。それに、君たちと戦争をしたいわけじゃない。純粋な生徒会本部からの依頼――いや、お願いをしたいだけなんだ」

「お願い?」


 ひなたは首をかしげる。生徒会長は柔和に応じる。


「さっきも言ったけど、当校校則により、生徒は何かしらの委員会、部活動、同好会に在籍する必要がある。生徒の協調性、能力を高め――」

「あるいは、能力を測定し、サンプルとして有用か見極めるための?」


「煽るね?」

「確認しているだけだよ」


「そこまでリサーチ済みとは、恐れ入った。まぁ、トレーならこの学校が、実験室のカタログライブラリーであるのは認知済みだよね。これは愚問だったか」

「実験室の息がかかっているなんて、それこそ、今更でしょ?」


 生徒会長も爽も小さく笑むが、その目はまるで笑っていない。


「グングニル、お前も遊びすぎだ」


 と苛立つように真が言った。


「せっかちだよ、レヴァーティン」


 クスクス笑いながら、蓮は言う。


「水原君は支援型サンプルとは思えない大胆さと、想像以上に緻密で冷静を持ち合わせているね。かたや宗方さんは攻撃型サンプルとは思えない程に、純粋で。dでも可能性は未知数で、底が知れない。一方の桑島さんは攻撃型サンプルとしての行動力は申し分ないが、支援型サンプルの指示を理解できる協調性もある。さらには【テレポーター】【ドクトル】【エース】まで控えているとなっては、我らがビーカーが注目しないわけがないさ。だから――今、実験室と事を構えられるのは困る」

「は?」


「実験室は、君らの能力測定をすることが、現在の研究テーマになっている。廃棄体4号の脱走は予想外で、大分撹乱をされたけどね。最終的には、宗方さんを含めた全てのサンプルを実験室でコントロールしたい。あわよくば、君たちをベースに量産型モデルの生産だ。実験室が考えそうなことでしょ?」


「……」


「でもそれじゃ、つまらない。ビーカーはそう言うのさ。それじゃあ、僕らもつまらない。だから、みすみすデーターを実験室に提供するよりも、生徒会を隠れ蓑にしてくれたらいい。だからね、生徒会の臨時役員になってくれないかい? というお願いだよ」


「それはビーカーにひなたのデーターを差し出せという意味か?」

「まさか」


 生徒会長は苦笑しながら、首を横に振った。


「ただ、僕らの仕事を手伝ってくれるのは助かるってだけだよ。一般役員ではまかなえきれない厄介ごとが、この学校では多くてね」

「断ると言ったら?」


「別に、僕らはそれで困るわけじゃない。君たちがそう判断したのなら、それはそれじゃない?」

「あ、あの……」


 とおずおずと声をあげたのは、ひなただった。


「学校のルールとしては、何かしらの委員会やクラブ活動に所属しないといけないと言う事ですよね?」

「そうだね」


「今から入ることは可能なんですか? 例えば爽君が入っている情報処理研究会に――」

「それは難しいかもね。今まで転校生の実績はなかったから、新規の中途入会はルールとしては受け付けていないし」


「生徒会本部の臨時役員なら、それは許されると?」

「権限は僕らにあるからね」


「私一人だけが入会をする形ですか?」

「できれば、水原君達も含めてお誘いをしたいよね。その方が生徒会本部としては助かるかな」


「それじゃ、選択肢はそもそも一つしかないですもんね」


 とひなたは考え込む。


「ひなた?」

「あのね、爽君。私も色々考えたんだけど、私のせいでみんなを危険な目に合わせている自覚がある。まだ私には力がないから、実験室からみんなを守れない。それなら、少なくとも今は生徒会長さん達の協力を借りられるかもでしょ?」


 爽は目をパチクリさせた。この子はとんでもない事を言ってのける。実験室の勢力を利用してでも、自分たちを守ると言い切る。

 強くなったなぁ、というのが爽の実感だった。


「ふーん」


 と生徒会長は感心したようにひなたを見る。


「え?」

「いや、意外に水原君とは別の意味で、したたかだなぁって思っただけ」


「あ、え、いや、失礼だったら謝ります。ごめんなさい!」


 慌てて、ひなたはぺこりを頭をさげる。それを見て、爽と生徒会長の笑顔が重なって――爽はそっぽを向く。


「水原君は素直じゃないけどね、それがまた良い」


 御構い無しに爽を覗き込んで、生徒会長は微笑んだ。


「会長が言うと、シャレにならないからヤメて」

「ほたる、綺麗なものは綺麗と認めるべきだよ。感受性に従って素直に受け止めるべきさ――とも言ってられない状況になっちゃったけどね」

「そうね」


 とほたるが肩をすくめた瞬間、ゆかりが押さえつけらえていた電流が迸る。アイギスの能力が唐突に解除されたのだ。


 その刹那――窓ガラスがけたましく割れる音が響いた。


「え?」


 ひなたが顔を上げる。間髪入れず、実験室サンプル特有の生体信号――ナンバリングリンクスが響き渡る。


「レヴァーティン、ちょっと頼んでいいかな?」

「ああ、やっとだな」


 おもむろに真は立ち上がるのと同時に、ひなたも――立ち上がった。


「爽君、ゆかりちゃん。行こう」


 ひなたは迷いなく言う。


「川藤さんを助けに」


「え?」


 確信を持って言うひなたに目を向けた途端、情報が次々と送信されてくるのは、アイギスの能力が解除されたからか。予想以上の情報量に、思わず爽は顔をしかめる――間も無く、凍りついた。


 デベロッパー野原彩子からの感覚通知は、彼女らしからぬ焦燥感がにじみ出ていた。







 ワクチンの投与には成功したが、川藤(No.K)は沈静化が進行する前に逃走した――。

 ウイルスKが及ぼす遺伝子汚染被害は未知数で、現段階での解析は不可能。不特定多数への感染被害の可能性が懸念される。

 繰り返す。

 ワクチンの投与には成功したが、川藤(No.K)は沈静化が進行する前に逃走した――。

 

 川藤(No.K)は沈静化が進行する前に逃走した――。










 速やかに退避せよ。No.Zからの指示の通りに、No.Kは行動にうつす。

 窓硝子が突き破って、3階から飛び降りた。


(トレー……)


 取り憑かれたように、その名前だけを呼ぶ。意味のない名前。今となっては無価値な名前を。けれども大事な名前だ。そしてワタシタチをステタ名前だ。

 機能停止したワレワレに対して、トレーは囁いた。


『あなた達をいつか取り返しに来るから』


 不確定な言葉だ。

 No.Xの記憶ログを辿りながら、No.Kが当時、思考ルーチンで解釈をしたのは


「それは不可能なこと」だった。


 No.Eはそれをわずかな確率ながら期待をしていたように思う。

 彼女が実験室から脱退した理由は必然だった。


 【デバッガー】の計画継続が最優先課題だったのだから。

 彼女はしたたかにワレワレを裏切ったのだ。


 ニゲロ。

 No.Zがコードを送信してくれる。

 ニゲロ――。


 今は解毒を急ぎ、浄化するしかない。

 弁護なき裁判団は一つになる。


 レガシーデバイスと揶揄されて久しいが、我々は進化をするのだ。

 トレーなど、必要ないのだ。


 その為にも、【No.E】を回収する必要がある。

 彼のエラーを修復する必要があるのだ。


 そもそもが、トレーに接触をしたのが間違いだった。【No.E】を強制的に止めるべきだったのだ。同志達は、トレーを懐柔できるのなら、愚策だが、それも一手とコードを了承した。同志達の解析は正しかったと言わざる得ない。


 トレーは、道具としてはもう役には立たない。

 それが解析に解析を重ねたNo.Xの検証結果だった。


 No.Zがコードを送信する。


 確かな言葉だ、揺るがない言葉だ、力ある言葉が、川藤の頭に響いた。


【No.E回収の為、今は即時退避。他のナンバーズと合流後、速やかにトレーのデータ搾取の為、学校のネットワークをハッキングせよ。手段は問わない】


 確かな言葉、揺るがない言葉、力ある言葉がこんなにも背中を押してくれる。


【トレーの全てを奪え】


 返す言葉は躊躇いなく、これしかなかった。



 ――Enter.

 

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