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限りなく水色に近い緋色【原作版・連載中止】  作者: 尾岡れき
第3章「鎖に繋がれた獣は、朝陽を前に夢を見る」
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 爽が立てた計画はいたってシンプルだった。


 先手必勝――というわけではないが、相手の陣地に入るのだ。無策で飛び込むわけにはいかない。生徒会室に、爽の能力、デバッグ・チェイン――その指先から放出された無数の糸を張りめぐらせる。有機的なトラップ、遺伝子研究サンプルの能力(スキル)、電子的な盗撮、その全てを解析し、逆探知をするのが、デバックチェインの主たる用途になる。


 瞬時で大量のデータをデベッロパーこと、野原彩子が高速で解析をし、爽達に結果を感覚通知で返信、その結果をもとに、ひなたとゆかりは行動を起こすだけ――と思った、その体が硬直をする。


 すーすー、と幸せそうないびき。

 会議用デスクに突っ伏す、赤髪の男子が一人。生徒会室に場違いな彼そのものの存在もさることながら、彩子が解析したデータは


〈|Not availableノット・アベイラブル


 と通知するのみで。


「データが存在しない?」


 爽は、唖然として周囲を見回す。

 デバッグチェインを張り巡らしたのだ。検知できないわけがない。データを検出できないということは、そもそも罠なんか存在しないことに他ならない。


〈再解析、再収集するから、ちょっと待って〉


 彩子が間髪入れず、送信してくれる。さすが姉貴分と言うべきか。野原彩子(デベロッパー)に今は全て任せることにする。今はそれ以上にすることがある。

 コツ、コツと小さく足音が響いた。


「あら、時間より早いじゃない?」


 と山田ほたるが生徒会室に優雅に入って、声をかける。


「田中先輩は、また授業サボって寝ていたパターンね」


 と彼の耳を無造作に、引っ張る。


「あ――い、痛い、痛い、痛いイタイ、痛い!」


 飛び起きた彼は、目をパチクリさせる。


「山田? あ? なんだ、お前ら?」


 寝起き直後に、取り囲まれているこの状況だ、そうも言いたくなるだろう。


「朝、話したでしょう。お客様よ、私たちの大事な」

「寝てたから、知らねーよ」

「朝、話したよね、私?」


 ニコニコ笑うほたるに、田中は、慌てて、コクンコクンと素直に頷く。爽は生徒会の力関係を垣間見た気がした。


「彼は、田中真。生徒会副会長なんだけど、ね。まぁ、見ての通りの個性的な性格で。でも、やる時はやる人です」

「成り行きで、生徒会に連行されただけだ」


「収容所のように言わないでよ、会長からの公正な推薦と民主主義による賛成票多数での当選なんだから」

「優秀な遺伝子を持たないと選挙権そのものがなく、遺伝子情報を元に全自動で操作されるこの学校の選挙が、民主主義? 山田、笑わせるなよ」


「こ、こら! 一般人にそんなことを言ったら――」

「それこそ、こいつらは一般人じゃないだろ?」


 ひなたは困惑し、ゆかりがついていけないと言う顔で、生徒会の面々を見やる。


「ごめん、待たせたね」


 とそのタイミングで、長身の眼鏡男子が入ってきた。田中とは真逆の、いかにも生徒会に所属していそうな品行方正な、所作で。


「会長は、相変わらず時間ぴったりだね」


 とほたるは、自分の腕時計を見やりながら、言う。


 爽はゴクリと唾を飲み込む。

 彩子がデータを送信してくれるが、照らし合わせるまでもない。


 遺伝子研究特化型サンプルが、三人?

 予想はしていた一番最悪のパターンだが、準備が無いわけじゃ無い――。


「水原爽君、そんなに緊張しなくても大丈夫。まずは、座って、話をしよう。ほたる、コーヒーを淹れてくれる?」


「いいけど、予定より彼らが来るのが早くて、準備これからよ、会長?」


「構わないよ。約束どおりの時間に来ないのも、情報収集を済ませているのも、支援型サンプルとしては妙手だと思うしね。あわよくば、僕らの殲滅を計画することも、彼らの立場を考慮したら妥当だよ。水原君みたいな器用な支援型サンプルが協力してくれたら、助かると心底思うね」


「どうせ、私は不器用な支援型サンプルで、す・い・ま・せ・ん・ね」

「不器用というよりは、頑固かな?」


「会長にコーヒーは、間違って墨を入れてしまったら、すいません!」

「山田、俺はコーヒー飲めないから、ビールで――」


「田中先輩は、水です。水のみです。生徒会室にビールがあるかどうかぐらいちょっと考えろ、未成年!」


 戦意も敵意も感じないのは、余裕の表れなのか、それとも――。


「ようこそ、生徒会室へ」


 ニッコリと、ひなたへ、爽へ、ゆかりへ、会長は微笑む。


「改めまして、会長の神谷蓮です。3年だから、君らの先輩に当たるけど、気遣いは無用だよ。僕ら3人とも、研究者ビーカー作成の遺伝子研究サンプルです。そう意味では研究者は違えど、同胞かな? 僕ら生徒会本部は君たちを歓迎します、よろしくね」


 さらりと、とんでもないことを言ってのける。

 鬼が出るか、蛇が出るか。


 バッググラウンドで解析を継続している彩子を頼りに、席につく。

 ひなたの不安が感覚通知で流れてくるが、それを全て受け止める。

 大丈夫だなんて、無責任な言葉は垂れ流さない


〈ひなたと、桑島の力が必要だけど、今は俺に任せて〉


 そう言葉を流す。


 爽は小さく笑んだ。ひなたを失ったあの日からつい最近までのことを思えば、大した問題じゃない。実験室も特化型サンプルも、問題としては些細だ。何かしらの接触があるのは想定内だったから――爽がすることといったら、たった一つしかない。


 さぁ、頭脳遊戯(ブレインゲーム)を始めようか?










 情報処理室が三教室あるのも、マンモス校ならではかもしれない。

 茜が根城にしている情報処理室は、正確には第一情報処理室と言う。


 旧機種が揃うというラインナップなので、教師からも生徒からもまるで人気がない。まして今頃は、それぞれがスマートフォンやタブレットを所持しているから、検定やプログラミングを志すエンジニアは第2情報処理室、第3情報処理室を選択する。


 ついたあだ名が「墓場」だから、まさに茜に相応しいと思う。


 旧機種のパソコン内部を換装し、茜の研究仕様になっているなんて、誰が思うか。通常起動すれば、使い古されたOSが立ち上がるデュアルブートに作り変えている。


 まして、茜には遠隔(クラウド)で、爽と彩子がいる。たかだか、機械の箱がかなうはずもない。


 茜は漫然と、文字の羅列を眺めている。彩子が抽出した生徒会のサンプル達のデータだ。


 茜はすでに知っていた。

 研究者ビーカー秘蔵の特化型サンプルのことは。


 あえて、爽にそのことを触れなかったのは、稼働テストが続いてきることに他ならない。


(爽君にとっては、そんなことは問題じゃないんだよね)


 小さく笑む。実験室の動きは中途半端だが、彼らは確実に動いている。面倒だと思うのは、彼らは良い意味で、一枚岩ではない。フラスコ、ビーカー、スピッツ、ともにそれぞれが動いている。弁護なき裁判団しかり、廃棄体4号しかり。だが結局のところは――フラスコの手の中で踊らされている、それは間違いがなくて。


 だったら、フラスコの思惑だけを手繰り寄せたらいい。

 結局のところ、ただ一つ、エメラルド・タブレッドに集約するのみなのは間違いない。


「それは野原も把握してるの?」


 と、黙って茜の作業を見ていた涼太が欠伸を噛み殺しながら言う。


「あーやは爽君のバックアップだからね。分析はできても、データの意味を抽出する機能は制限をかけてるよ」


「え?」


「だって、そうでしょ。膨大なデータの全てを理解できたら、脳がパンクしちゃうもん。あーやの支援型サンプルとしての能力は有用だけど、人間の脳は万能じゃない。そんな理由で、私はあーやを壊したくないしね」


「え、あ、うん――」


「金木君の思う所は理解するよ。情報は戦略を組み立てる為の素材だからね。でもね、君も含めて、爽君達は実戦を知らない。害にならない対象なら、あえて慌てる必要はない。そうじゃない?」


 涼太は首をかしげる。害がない?


「そう。ビーカーは本気じゃない。本気だったら、そもそもサンプルであることを気付かせるなんて芸当しないよ? ビーカーは君達と遊びたいだけだから。だから、遊んであげたらいい。爽君達のトレーニングにも丁度いいしね」


「それは、本気な人が別にいるって、聞こえるけど?」


 茜は目を細めて、小さく微笑む。


「君は爽君と同じくらい回転が速くて、剣呑だね。そういうのキライじゃないよ」

「え?」

「だけど、ここからはシーだよ」


 と茜はその指で、涼太の唇に触れる。


「静かに、ね。好奇心なら、今は殺しておくこと。指示を出すから、その指示通りに迅速に動く。いいね?」

「え、え?」


 涼太はかなりの無茶振りに目をパチクリさせる。もう少し、心の準備を――なんて言葉を茜が、待ってくれるはずもない。


 と、茜のパソコンのディスプレイが、慌ただしく文字を流しては消えを繰り返す。


 警告ワーニング――その文字に、涼太は息を呑む。


「あ、金木君。コード読めた?」

「なんとかですけどね!」


 今も流れては消える構文を解釈するのに必死で目をこらす。この瞬間も、茜は状況とともに命令コードを投げ放つから、えげつない。


 最近、シャーレが次のステップとして、実験室研究者の開発構文を詰め込みで教えられた。


 自律思考は理想だが、サンプルの全てがそれが適うわけもなく。サンプルとして稼働できない被験体は【廃材】になる。


 かと言って量産型や特化型サンプルは、研究過程の中で、性格が歪曲することは珍しくない。そんなサンプルを御する為の鉄則が、開発構文だった。


 電気信号を介して送信し、構文に従って、サンプルを御する。サンプルは遺伝子情報に構文を叩き込まれる。応じないサンプルには、拒絶反応を誘発させる。


 生命維持の為にも、サンプルと研究者は切っても離せないから、サンプルが歯向かう事は少ないが――開発構文が、よりサンプルを縛り付け、従順な犬にする。


 研究者の中でも、シリンジは特にそれが顕著で、開発構文を振り回しては、威圧してくれたのを涼太は思い出す。苦々しい思い出だった。


 ――そんなことをしたら、子どもたちがノビノビできないじゃんね。


 と言ったは、茜だった。

 そもそも、実験室の研究者とは、考え方が違う。シリンジはもとより、どの研究者も、実験対象物――つまり、被験体としか見ていない。それが当たり前の空気だっただけに、茜のフランクな素振りに面食らう。


 ――だから、お母ちゃんって言われるんだって、茜ちゃんは。


 野原が苦笑いするのにも、今なら納得するが――それどころじゃない。


 茜が示した開発構文は、サンプルを統括する為ではなく、サンプルに開発権限を与えるためのものだった。調整、検査、治療、細胞維持――本来、それは研究者特権だったはずなのに、だ。その治療を、涼太に任せると、茜は言う。


 それは従来の医療型サンプルの概念を大幅に突き抜けていた。ヒトは治療ができても、サンプルを治療する権限など、与えられていない。

 茜はそれを涼太に強く要望した。――だから、やるしかないと、息を飲む。


〈対象を確認〉


 監視プログラムが反応をする。

 密かに電子ロックをかけていた情報処理室の戸が、ゆっくりと開いた。

 息切れをし、遠藤にもたれかかる川藤に涼太は面食らう。


「いらっしゃい、川藤さん、遠藤さん」

「トレー……」


 絞り出す川藤の声は、擦れてようやく聞こえる範囲で。その目は力を失って、血走っている。


〈感染兆候を確認〉


 ディスプレイの文字を追いかけながら、涼太は感染媒体を精査させていく。電気信号による遠隔測定は、医療型サンプルの十八番だ。


 茜が示したコードは「弁護なき裁判団を救いたいんだけど、力を貸してくれない?」だった。


 コードで示さなくても、茜の頼みなら、やりますからね! と今ここで感覚通知を茜に向けて送信する――と、川藤が涼太を見やる。


「我々ではなく……別のサンプルを……我々が使い古されたレガシーデバイスだと、貴女も言いたいのか!」

「お、おい、川藤?」


 遠藤が狼狽するより早く、その手を振りほどいて、川藤は茜に拳銃を向ける。

 と、茜の挙動が、凪ぐように涼太の髪を揺らした。


「話をしに来たんでしょ? ボクも川藤さんの本音を聞きたかったし、ボクの本音も聞いてもらおうかな?」


 跳躍した茜は、川藤の首に竹刀の剣先(けんせん)を突きつけて、ニッと笑う。


 サンプルの比でないほどに、速さに涼太は目を疑うが、今は自分の仕事をするのみで。


 時間が足りないが、集中して解析をするしかない。爽のブーストがあればと思うが、そんなことを言っている場合じゃ無い。

 と、川藤が声にならない咆哮を上げた。


「何度も言うよ、川藤さん」

 と茜が言った。

「ボクは、作った子を見捨てない」











「プレパラート、感染の進行度は如何程までに進んだ?」


 フラスコは試験管に薬液を配合させながら聞く。


「はい、弁護なき裁判団の8割でしょうか。No.Kの感染を確認しています」

「川藤君が、か。さすがの彼も、所詮はサンプル。母体となるシステムの感染ともなれば、彼も感染はまねがれないわけだな」


 感心したように、隣でワインを飲むスピッツを見やる。


「君の見解はどうだ?」


 フラスコの言葉に、スピッツはワイングラスを置き、プレパラートを見据える。


「見解も何も、末端を感染させたら、ホストサーバーまで感染する。弁護なき裁判団の特徴は、完全なるリンクと情報共有なわけだろ? ある意味では、膨大なデータベース化は効率的だが、拡散させすぎた端末はセキュアとは言い難い。ただ、それだけの話だろ?」


「だからこそ、その経路を利用してアップデートするなんて、斬新で――残酷な発想はゾクゾクするじゃないか」


 フラスコは楽し気に笑む。試験管片手に、パソコンを操作して――前回の限りなく水色に近い緋色と廃棄体4号の接触をスクリーンに表示させる。


「君のヨリモト君か。何度見ても素晴らしいな。決定的な弁護なき裁判団の感染はこの場面から、か」


「その前からハッキングはしていたからな。トレーが、セキュリティホールを利用して、実験室のデータにアクセスしていたことは、室長は知っていたんだろ?」


「彼女は、過去も今も実験室の研究者だから、ね。情報の閲覧に、いちいち許可する必要もないだろう?」


 その一言にプレパラートは不快そうに眉をひそめたが、すぐにその表情をかき消す。その一瞬をスピッツは見逃さなかった。


(俗物だな、女史は)


 悪いとは思わない。だが、公開されている研究論文を読む中でも、彼女の研究成果は過去の焼き増しだ。それでは価値は、シリンジと変わらない。

 言ってしまえば、現在の実験室の水準はその程度で。


(トレー、やはり君の才能は何ものにも代えられない)


 スピッツは目を細めて、ワインを舐める。

 しかし――解せない。

 どうして、No.Eは感染していない?


 未だ、感染の兆候はない。だが、とも思う。サンプルもまた生物だ。機械のような画一管理は不可能だ。研究者の計画通りに実験は進行してくれない。だからこそ、研究は終わりがなくて――オモシロイ。タイクツシナイ。


 生命の水(アクア・ビィエ)を改変した毒素による影響が無いはずがない。遠藤ことNo.Eが感染するのも時間の問題のはずだ。


 川藤の瞳孔から映像を拾い上げる監視プログラムのデータを、スピッツはスクリーンに投影する。

 遠藤の狼狽する表情と、不敵に笑む水原茜――トレーを目の前に、スピッツは歓喜が込み上げてきた。


「さすがは、トレー。全く動じてないね」

「研究者がサンプルとの実戦なんて、無謀にも程が――」

「無謀?」


 フラスコが試験管の薬液を飲み干しながら、首をかしげる。


「プレパラート、それは違うよ。君はまだ若いから、その一線を越えられていないが、研究とは被験体に頼るだけには非ず。見ていたらいい。我らが同志が、実験室が誇る天才と言われる所以を」


 フラスコが満面の笑みを零す。プレパラートは、深々と頭を下げるが、噛み締めた唇は全く納得していない。


(やれやれ)


 プレパラートがフラスコに抱くのは、畏敬か崇拝か、または恋心か。

 スピッツは、小さく肩をすくめる。


 フラスコはもとより、トレーもまた、生半可な生き方で今日まで歩んできたわけじゃない。


 血塗られたという意味でなら、スピッツをはるか凌駕するのが、あの二人だ。

 だからなおさら、トレーには偽善という言葉がよく似合う。


 どんなに理想を語ろうとも、どんなに友情ごっこにいそしもうとも――彼女が、実験室の研究者であることに変わりはない。

 だからこそ、お手並み拝見といこうじゃないか。久しぶりに君の本性を見せてくれるんだろう?


 ねぇ、被験者殺し(トレー)

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