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限りなく水色に近い緋色【原作版・連載中止】  作者: 尾岡れき
第3章「鎖に繋がれた獣は、朝陽を前に夢を見る」
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33


 空気は一瞬で変化した。突き刺すような、緊張感がその場を支配する。スマートフォン型デバイスが、通知アラームを鳴らすまでも無い。国民国防委員会の量産型サンプルとは非にならない威圧感が爽を苛ませる。


 深入りし過ぎたか? と思うが、過程論は捨てる。情報は少ない、活発化した国民国防委員会と実験室の関係は不明だ。政治状況から見れば、国民国防委員会は【実験室】から切り離された。だが、妙な違和感を感じるのだ。


 静かなものをあえて起こさなくても、とは【デベロッパー】こと野原彩子の意見だ。それは単なる挑発行為だと言う。


 それは分かる。でも、膠着ではなく静かに進行している思惑を感じるのだ。推測論、と彩子に指摘されて反論できない。実際の所、確証ある材料があるワケではないのだ。


――ま、直感も大事だよね。


 と呑気に言うのは、元実験室の研究者トレーこと水原茜。戸籍データ上の爽の姉だ。


 挑発行為は愚行としてもよ? 彼らが何もしないまま監視だけの傍観者でいてくれるワケないじゃない? 情報は時として、危険を覚悟で引き出すことも選択肢の一つだからね。


 そう茜は言う。もっとも――と茜は言葉を続ける。リスクか規定値を越えれば増援を送るから、その覚悟でいてね?


 ニンマリと笑むのが、瞼の裏側で何度も再生(リピート)される。


 それは絶対に避けたい――そんなことを思うから、野原に過保護と言われる。だが今がその時では無いことは爽が重々承知している。茜はその状況判断は爽がしろ、と言っているのだ。ジョーカーを引いた時の対策まで考えておきなさいよ、と――。

 爽は唇を噛んだ。そのジョーカーを引いてしまったことは否めない。


「未確認対象を確認。桑島、気をつけ――」


 爽の言葉は間に合わない。


「遅せぇよ」


 彼は拳を容赦なく振り上げる。桑島ゆかりは悲鳴をあげる間もなく、コンクリートの壁に衝突する――寸前で、壁に足を向けて踏ん張る。反動で跳躍し、彼――廃棄体4号に雷撃を放つ。

 それを彼は、その手で霧散させる。感電の兆候すら見せなかった。


「ヌルいな」


 と腕に息を吹きかけながら、笑う。


「この前の――」


 ゆかりは臨戦態勢で睨む。なんだって? 爽は目を見張る。桑島はこのサンプルと接触してた? そんなの聞いてないぞ?


〈水原君、今はそんなことを考えてる場合じゃない!〉


 感覚通知で野原彩子が檄を飛ばす。それで思考を取り戻す。あのサンプルはアキレス腱を相互に伸ばし、それから緩やかにステップを踏む。――刹那、その距離をあっそりと埋める敏捷さで爽に拳が接触する。


(は、やい?)


 そして拳が重い。咄嗟に作り上げた不可視物理防御壁・ファイアーウォールは10枚程度。それをいとも簡単に粉砕する。爽は物の見事にコンクリート壁に叩き付けられた。


「弱いな」


 カツンカツンと、悠然と爽に向けて歩みを向ける。完全なるジョーカーを引いた、か。リンクされている【デベロッパー】野原彩子のデータベースの中から、一致するサンプル資料が脳内に送信される。


(廃棄体4号――)


 これまた、とんでもない大物が出たものだ。実験室研究者にして室長【フラスコ】作製の遺伝子変容型モデル。実験室での研究の失敗作を【廃材スクラップ・チップス】と呼ぶが、廃棄体は実験的な失敗は何ら無い。


 彼らは、実験室の研究者が御せないことを除けば、実験的には成功した特化型サンプルなのだ。


「シリンジは、なんでこんな奴らのデータを欲しがるんだ?」


 廃棄体4号は、唾を吐き捨てる。


「……」


 成る程ね、と爽は頷く。国民国防委員会を動かしているのは、死亡リスト入りしたシリンジか。それなら合点がいく。実験室が切り捨てた国民国防委員会を、第三者勢力としてシリンジが牛耳る。いかにも、あのエゲツない研究者がやりそうなことじゃないか。そして実験室とまるで乖離した動向も納得ができた。


 それならば、もう長居する意味もない。爽は指を無造作に宙へ走らす。


「あ?」


 彼は不快そうに反応する。

 今度は爽を標的に疾駆してきた。なおの事、都合がいい。爽の手招きに応じて、彼は全力で――コンクリート壁に衝突する。


 まるで乾いた紙粘土のように粉砕する。

 爽の能力【ブースト】は神経信号への干渉を介し、能力稼働の効率性を上げる。では適正稼働率のサンプルに対して、さらにブーストを行使すれば?


 ――言うまでもなく、過剰な動力の誘引は力の暴走を発生させる。


 特化型サンプルであればるほどに、その反動は明らかだ。


 彼は唾とともに血を吐き出す。多分、肺を傷つけたのだろうが、かのサンプルの再生能力であれば何ら支障ないはずだ。チャンスは作った。後は桑島ゆかりの電撃が、彼を停滞させてくれたらいい。


 ゆかりがその手に電圧を収縮させながら、彼の心臓めがけて跳躍する――その動きが止まった。


「え?」


 爽も目をパチクリさせる。

 光の粒子が、空間を歪ませる。何度か見たことがあるその歪曲の反動に、廃棄体4号は再度弾き飛ばされた。


(ウソだろ……)


 ゴクリと唾を飲み込む。


 この光の粒子は、みのりの転移(テレポート)技術に他ならない。光を纏いながら、突如出現した2人に爽は苦笑い――するその表情が引きつった。


〈水原君、ひなたのオーバードライブを確認!〉

〈わかってる!〉


 彩子に言われるまでもない。


 能力上限稼働(オーバードライブ)。これが緋色の意思であることをひしひしと感じる。それを証拠に、一瞥する視線が、ひなたでは絶対に見せない挑発的な笑みを浮かべていた。


 ――最悪だ。

 爽は舌打ちをする。


 そんな爽の想いなど我関せず、緋色(・・)はその手に宿した火炎を、容赦なく廃棄体4号に叩きつけた。

 










 それはほんの刹那、時を巻き戻す。


 ――なかなか楽しそうなことになってるじゃないか。


 微睡みの中、緋色はつぶやいた。


 ――楽しくなんか、ない!


 水色のあからさまに不機嫌な感情を受けて、緋色は眼を細める。押し込んだ感情ではなく、ストレートなのが、妙に新鮮だった。


 水色は、水原爽が自分にナイショで偵察行為をしたのが気に食わないと言う。だが彼は支援型サンプルだ。情報を収集し、整理する。戦場を支配するには不可欠な一手だろう。


 ――まして。感情に流されやすい水色では、偵察行為すら難しいのは自明の理だ。選択としては全く間違ってない。


 ――あなたなら、それが適してると言うの?


 最早、嚙みつきそうな勢いだ。宿主の中で眠りを貪りつつ、観察してきたが【水色】がここまで感情を剥き出しにすることに目を丸くする。


 ――今日は妾に譲れ。貴様では、分が悪い。


 そこまで言葉にする必要もなかったが、あえて水色に投げかける。応用も戦略も度外視の状況下で、特化型サンプルと遭遇した。あるいは水原爽なら、この戦況を立て直すこともやりかねない。

 だが。


(あれは危険だ――)


 調整を受けてない水色であれば、なおのこと。


(今、貴様も水原爽も壊されるわけにはいかない。だから、今は代われ。暴走はしない。誰も傷つけない。お前の甘っちょろい幻想なら守ってやる。だから――)。


 遺伝子情報の海をつかず離れずで泳ぎながら、緋色は何をこんなにムキになっているのかと思う。水色が能力を制御できずオーバードライブすればいい。その上で宿主を占領すればいい。造作無い事だ――。


 と、沈黙を続けた水色は、緋色に手をのばす。


(な、に?)


 緋色は目をパチクリさせる中、水色(ひなた)は満面の笑顔で呟いた。


――任せたね。











 それはほんの刹那、時をもとに戻す。


 シリンジは安全な場所からモニター越しに、口笛を吹きながら観戦としゃれこんでいた。


 廃棄体4号。


 彼は傍若無人極まりないが、その【能力(スキル)】は筆舌しがたいものがある。フラスコが飼い慣らせなかった廃棄体。系統は遺伝子変容レベル、シリンジが盗み出して研究してきた研究のまさに完成系であるが故に、震え出したいほどに歓喜していた。


 実験室の研究者は、サンプルの生命維持の根幹に関わる。それは成功研究の産物である特化型サンプルも例外ではない。生命維持こそ、サンプル研究の命題でもあるのだ。その生命線を破棄してまで、廃棄体4号はフラスコに噛み付いた。フラスコもまた実用に値しないと判断するや否や、生命維持とデータ採取だけにとどめて拘束した。


(非常に危なっかしいサンプルだな)


 シリンジの命令など一切聞かない。懐柔のしようがない。だが――その性能は本物だ。


 【雷帝】も【デバッガー】も肉薄し、蹂躙する。捕獲すること忘れ去って――実際、忘れているだろう。が、殺していなければなんとでもなる。


 道具は使いようだ、と思う。


 例え、【テレポーター】が出てきても【限りなく水色に近い緋色】が出てきても、だ。この状況は変わらない、と笑みがこぼれる。


 と――カタンと音を立てる音に視線を向ける。


 モニターから視線を逸らすと、廃棄体4号が拾ってきた少年が、意を決したように部屋を飛び出すところだった。


 シリンジはそのまま、無視を決め込む。サンプル流に言うならば「保護する命令(コード)なんて示されていない」といったところか。


 シリンジは並列して、各サンプルの情報収集モニタリングと、量産型サンプルの異常行動の検出と――退避経路を算出する。


 この施設は、寝ぐらとしても研究拠点としても絶好の盲点であっただけに、残念だ。

 

 









 それは並列して、同じ時の中で、神経信号を発信をしていた。


 ――命令(コード)に沿って、行動計画を再修正を要求する。対象者の出現を確認。接触可能。


 ――命令(コード)は変更された。現状維持し、次の命令コードを待て。現段階での行動は、不具合を生じる。追って指示を出す。命令コードを待て。


 ――Enter.


 ため息が漏れた。通信を切る。そんなことを言われたって……つぶやく。どうしたらいいのさ?


 少年は八つ当たり気味に、ビル内の置き去りにされていた植木を殴る。コン、と音がして。


 瞬間――青黒く変色して、砂と消える。


 振り返ることなく、少年は命令(コード)の実行を諦めて、拾ってくれた【あの人】を探すことにモードを切り替えた。

 

 

 







 

 それは並列して、同じ時の中で息をひそめる。


 命令(コード)を再度受信した。


 ――そろそろお遊びの時間を始めようか、頼元君?


 彼は返信を返す。


 えんたー。エンター、Enter、えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。えんたー。Enter――。


 送信する神経信号は、途中で遮断された。せんセいは時々、そうやって話を聞いてくれない。いつものこと、いつものことだ――。


 混濁した意識の中で、命令(コード)をなぞるように確認しながら。

 唯一残った意識で、彼は呟いた。


「むナかた先生――」


 その声が妙にこのビルの中で、反響して。(ツタ)が湿度を帯びながら、這いずる。指示された目的のために。指示された【命令(コード)】に向かって。水音を立てながら。ゆっくりと、ゆっくりと。

 

 

 

 

 






 それは刹那、ほんのすこし、時を本当の意味で元に戻す。


 叩きつけられた炎で火傷を負った皮膚を、自己再生させながら廃棄体4号は歓喜の声をあげた。


「面白い! 面白い! 面白い! お前があのサンプル【限りなく水色に近い緋色】か。面白い、楽しませてくれよ!」


 ギラついた目で声にならない声を――雄叫びをあげる。


 ぼそりと緋色は呟いた。

 その言葉に、爽もゆかりもみのりも、目を丸くする。


「不快だ、とことん不快だな。妾の宿主の名は宗方ひなただ。サンプル名で呼ばれるのは不快以外の何ものでもない。もっとも――汝に名を呼ばれることそのものが、不快極まりないが」


 皮膚の再生を終える猶予を与えず、火炎を叩きつける。

 初めて、廃棄体4号に苦悶の表情が浮かんだ。


「再生して見せろ。その前に妾が、汝を焼く」


 ニンマリと笑んで焔が渦を巻く。


「やってみせろよ!」


 廃棄体4号は歓喜の声をあげて、拳を振り上げ踏み込む――前に、ひなた(緋色)がステップを踏み、息がかかるくらいに距離を埋める。


「悪くないな、水原茜の【とれーにんぐ】も功を奏しているじゃないか。さらに基礎体力を上げる必要はあるが、重畳だ。汝を実験台として、遊びたいのも山々だが、今回は早々に切り上げさせてもらおう」


「口でどうこう言う前に、やってみろって言ってるだろうが!」


 激昂する廃棄体4号に向けて、手のひらを向ける。


「あぁ。――水原爽、力を貸せ」


 爽はコクリと頷くのを見て、廃棄体4号は感情むき出しの不快感で吠え上げた。


「虫ケラが余計なことを――」


「馬鹿か、汝は。戦争で個人の英雄が勝利を導くなんて、本気で信じているとしたら、脳みそがおめでたい。まさに廃棄体の名が相応しい。そのまま実験室に飼われていれば良いものを」


 爽がひなたに向けて、ブースト4倍で能力値を跳ねあがらせる。廃棄体4号は、挑発に乗って感情的に吠えあげた。ゆかりの電撃が、廃棄体4号の足元を捉える。すべて、水原爽が感覚通知で事前に伝えた通りに事は運ぶ。ひなたに感覚通知が届く以上、緋色に届かないはずがない。


〈今回だけだ〉


 緋色はとりつくシマもないが、それでいいと感覚通知で、爽は笑う。忌々しい、と緋色は舌打ちをする。


〈水色と約束したからな、それ以外に他意はない〉


 無造作に火球を捏ねくり回す。そもそも発火能力パイロキネシスを主とした緋色にブーストを4倍過剰したのだから、その威力たるや、宿主ひなたの非ではないことは想像にたやすい。


 緋色のそれは、ゆっくりとした動作(モーション)だった。


 爽は不可視防御壁・ファイアーウォールを張ることを怠らない。密閉空間で、瞬時の最大火力で燃え上がれば、残された酸素を食いつくさんと、二酸化炭素が大量に生まれる。この化学反応を「バッグドラフト」という――。


「爆ぜろ」


 緋色の笑顔をかき消すほどに鼓膜を突き刺す――破壊しかない不協和音に、爽はファイアーウォールをさらに編上げながら、ゆかりとみのりを伏せさせて――。


 容赦なく、炎がすべて奪っていった。


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