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限りなく水色に近い緋色【原作版・連載中止】  作者: 尾岡れき
第2章「使い捨てられる廃材たち」
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 ――エースは本当にダメになったんだな。


 そんな呟きが、耳の中に入り込んできて、みのりは体を固くする。


 ――だから引退なんだろう?

 ――年には勝てないってことか?

 ――もともと球の速さが売りだったからな。メンタルで暴投してたし。引退が遅すぎるくらいなんじゃねー?


 耳を塞ぎたい。だが、そんな呟きはとめどなく流れる。

 何度も、このスタジアムには来た。マウンドの上にいる父の姿を当たり前に見た。


 でもと、みのりは思う。父はこのマウンドに立つことを守ることに必死だった。勝てばヒーロー、負ければ敗者。弱肉強食の世界で、父がした選択は間違っている。


 遺伝子研究サンプルになるという事は、正々堂々な勝負じゃない。ドーピングよりも悪質な自分の為だけを考えた愚行――そう父は言った。

 みのりには難しい事は分からない。でも、と父がニッと笑ったあの瞬間が目に焼き付いて離れない。


 ――もう一回、あそこで野球したいんだけなんだ。


 力の流れを感じる。爽のブレーキを彩子が増幅させる。だが量産型サンプルとして、まだ安定稼働していない羽島の力をセーブする事の難しさは、無言な爽を見れば一目瞭然だ。サポートする道具(デバイス)があれば別だが、それこそ引退試合に不正行為と見られる可能性がある。


(ま、俺の存在そのものが不正行為だけどな)


 ちが、違う! そうじゃない! そうじゃ――

 諦め。

 ため息。

 嘆き。

 重い空気、どよめきが支配する中、息を吸う。吐く。そして、その声は凛として響いた。


「羽島! 羽島! 羽島!」


 ひなたは応援用メガホンを打ち鳴らす。その瞬間に、乱れていた爽のブレーキが安定したのを、みのりは肌で感じて目を疑った。


 爽もひなたを見る。ひなたは何も、気付かずメガホンを鳴らし、羽島の名前を呼ぶ。ひなたから、ゆかり、ゆかりが茜へ――それが周囲の観客へ伝播して。


 スタジアムは羽島コールが鳴り響く。

 その様を、唖然として見やる。


 父は、でもそんな空気を気にもとめず、ボールを投げ放つ。バッターの空振りを誘い、時に打上げられた球を、守備陣が危なげなくグローブで捉える。


 拍手が――歓声が――羽島を【エース】と呼ぶ声が乱舞して。


 隣で無言で観戦していた母は、そんな父を見て頬を濡らす。みのりだって一緒だ。マウンドに立つお父さんはかっこいい。いつだって、どんな時だって応援してきたのだ。


 ひなたは言う。

 ――お父さんを本当の意味で、応援できるのはみのりちゃんと、みのりちゃんのお母さんだけだね。


 ニッと笑って。でも、と思う。こんなにエースであるお父さんに期待して、夢を見ていた人たちがいる。失望もする。絶望も。もう勝てないと諦める。でも心のどこかで、諦めたくないと願っている。


 父の背中は、そんな人たちの夢を背負っている。その夢に潰されそうになっても、父は立ち上がって。間違った選択をしたかもしれないけれど、今この瞬間も諦めていなくて。


 母の表情を見やる。その目を濡らしながら――溢れる感情を抑えることができないまま――それでも父のモーションをその目に焼き付けようとしているのが、みのりにも分かる。


 だから――みのりも、父の名前を呼ぶ。エースの名前を。私にとってのたった一人のお父さんを。世界で一番のお父さんを。






「流石、と言うべきか」


 ビーカーのつぶやく声に気を留める人はいない。スタジアムは羽島コールで埋め尽くされているから、なおさらだった。


「データ、後で俺にも回せよ」


 とビールを飲みながら言う。げんなりとした顔で遠藤は見返す。


「ただの山田にやるデータなんか無い」

「スペシャルな山田親子だ」


「ドクター、私は巻き込まないでくれます?」


作品()に拒否されてるじゃねーか」

「うるさい」


 と言いながらもビーカーは上機嫌だった。思わず遠藤はビーカーの顔を見やる。


「どうした? 俺に惚れたか?」

「――バカなのか、お前は?」


 ため息も出てこない。堅物だと思っていた研究者にこうも翻弄されるとは思いもしなかった。


「そうカリカリするな」


 ビーカーは意地悪い笑みを絶やさない。


「限りなく水色に近い緋色は戦闘型サンプルだ。それは異論が無いことだ。では今の能力起動は何だ?」

「……」


「あ、別に答えなくてもいいぞ。俺は山田として勝手に喋ってるだけだ。羽島公平を抑えていたのは、水原爽の支援型サンプルとしての能力【ブレーキ】だ。過剰能力を抑制し効率稼働する為の。だが本来、各サンプルの遺伝子配列の適合性から、全てのサンプルに対して凡庸性はない。だから普通は補助具(デバイス)を使うのは承知の通りだ。だがそもそも、【ブレーキ】という能力に実用性そのものをこれまでサンプル研究は見出してこなかった」


 それを開発したのが研究者・トレーだった。自分たち【弁護なき裁判団】にも実装されている。 正直、実装された所で使い道に困る、というのが正直な本音だった。


「水原爽は未熟なサンプルの能力稼働抑止で使っていたが、使用用途の応用が効くな。ある意味でサンプルの無力化なんてされたら、個人プレーを得意とするサンプルは一網打尽だ」


「――そんなの、特化型じゃなきゃムリた。稼働ロスが多過ぎる」


「特化型なら、可能ってことだろう? 実際、【デバッガー】はそれを可能にし、宗方ひなたと桑島ゆかりの過剰能力をセーブした。そして今、羽島公平をコントロールしている。もっとも【限りなく水色に近い緋色】のブーストの補助があって、持ち堪えたという表現が正しいだろうがな」


「は?」


 遠藤は慌ててデータを探る。データ収集は他のナンバーズに任せっきりだったが、ビーカーはこの場にいても【実験室のビーカー】に何ら変わり無い。ひなたの能力がブレーキだと安易に考えていたが、そうだとしてもそもそも、そんなことは有り得ない。


 ――ひなたが戦闘型サンプルなのは間違いないのだ。


「特化型ともなれば、多能力行使なんて珍しい話じゃない。なぁ、アイギス?」


 ビーカーの特化型サンプルはコクリと頷く。


「だが、系統は重要だ。遺伝子配列を狂わせれば、サンプルは生存できない。廃材と量産型サンプルの差は本の僅差だ。 じゃあ、あいつの系統はいったいなんなんだ?」


 ゴクリと遠藤は唾を飲み込む。

 件のブーストそのものは当たり前の技術になりつつある。だがサンプルが特化して能力にする必要がなくなった。荷重が重いのだ。


 だが、研究者トレーがそれでもサンプルが保持すべき能力としてこだわった理由がある。


 状況変化への即応と効率の良さ。水原爽を見れば、それは一目瞭然だ。支援型である事のポテンシャルがそこにある。単純戦闘では戦闘型が有利だが、火力だけでは戦局は支配できない。


 支援型――。


 トレーは【弁護士なき裁判団】を含み、支援型サンプル研究の権威である。この分野において他研究者の追随を許さない。


 遠藤は確かに、と思う。水原爽の采配で戦局は劇的に変化した。

 だが――。


(戦闘型サンプルが、支援型サンプルのブーストを行使した?)


 宗方ひなたは、研究者スピッツ、シャーレ、トレーの共同研究である。レポートにはそうある。発火能力を礎とした――。


「まるで自分で遺伝子編集(ゲノムエディット)してるみたいじゃないか?」

「え?」


「ゲノムエディットをして、肉体を保持するか。学習型サンプルという位置付けが的確かもな。あるいは応用型、創造型と言ってもいい。どちらにしろ、既存のサンプル概念を度外視したバケモノだな。――ま、賞賛の意味、でだけどな。発火能力の方だけでも、非常に興味深いのに、遺伝子情報のデュアルブートなんて発想、狂ってるぞ」


 遠藤とアイギスは思わずビーカーを見やる。


「そう難しい顔するなよ、二人とも」


 とビーカーは笑む。


「ゲームを楽しめって。お楽しみはこれからだろう?」


 とスタジアムを見やる。今まさに、羽島公平が投球をした瞬間だった。


 ――ストライクに会場が沸く。ブレない綺麗な投球フォームだと思う。


 だがアイギスの視線は、野球そのものではなく、イレギューラな特化型サンプルのエースを探していることに気付き、遠藤は小さく息をついた。ある意味じゃ、遠藤と同じだ。ただ彼女は特化型サンプルとして、敵意の剥き出しを隠さない。


 じゃあ遠藤は?


(意味がわからない――)


 グチャグチャに攪拌された感情をどう処理すべきか分からない。そもそも【弁護なき裁判団】に感情なんてあるワケがない。 あくまで擬似的な心理プログラムが搭載された人工物でしかないのだ。コードを示されれば、コードに基づいて動く。そんなプログラムだ。


 それなのに、どうして――。


 こんなにも宗方ひなたという少女は、遠藤を狂わせる。

 飲んでも酔わないビールよりも、悪酔いが深くて。瞼の裏側で彼女の笑顔が今でもちらつく。


 ――ますます意味が、わからない。

 遠藤は再度、小さく息をついた。






会場の空気がガラリと変わったのを感じて、羽島胡桃は思わず手に力が入った。


 羽島公平は決して、ファンに対してサービス精神が旺盛な方ではない。彼をファンが【エース】と慕ったのは、その実力による。


 でも、と思う。

 【エース】ではなく、彼のひとなりに恋をしてしまったバカな女がいたのだ。

 その女は、彼のひたむきな野球への姿勢に惹かれた。【エース】である為に、彼がどれだけの努力をしていたのか、取材を重ねる度に知ることになる。


 強さの陰に、無骨なまでに練習を重ねて。でもそれを自分の口から言うことはなくて。

 この女は恋している事に気づいていなかった。野球をする【エース】を追いかけるうちに、自分自身が彼にのめり込んでいったのだ。


 でも――。


(自分は公平さんの事は何もわかっていなかった。)


 彼が苦しい時に――悩んでいた時に――辛い時に――距離を置く事でしか、彼と接する事ができなかった。


 羽島公平の人がまるで変わったようだった理由を、少女たちから聞いて愕然とする。まるでマンガの話のようで、今でも信じられない。


 でも、あんな事を見てしまった後なら――。

 と携帯電話のバイブに気づく。見ると、先輩から連続で着信があった。慌てて出ると、開口一番の叱責に目を丸くする。


「胡桃、あんたって子は何をやってるの?」


「え?」


「え、じゃないわよ! 旦那様の試合! 羽島公平の引退試合! 個人の感情もあるかもしれないけど、これを取材しないでどうするのよ? 下降気味のエースが見せた最後の踏ん張りからの、チーム一丸の逆転劇! ヒーローインタビューは胡桃しかいないでしょう?!」


「え……いや、先輩、そんな事を言われても――」


「でもじゃない! その大役を他の人に任せるつもり?」


「いや、あ、でも……」


「お母さん」


 にっこりみのりは微笑んで、胡桃の裾を引っ張る。


「お父さんのところだよね?」


「え?」


「任せておいて」


「ちょっと待って、みのりちゃん――」


 と言ったのは水原君という子だった。彼のその焦りを滲ませた声が途中で途切れ――観客の歓声の角度が変わった。


 そんな表現でしか言い表せず、唾を飲み込む。グラウンドの中央で、胡桃は唖然と観客席を見やる。


「胡桃さん?」


 と唖然した声で言うのは、彼女が追いかけてきた【エース】で。こんな顔は私がプロポーズした時以来なんじゃないしら? そんな事を、呑気に思う。


《それでは、これよりヒーローインタビューです!》


 そんな音がスタジアムを揺らす。拍手と歓声、その全てが【エース】に向けられているのを知り、またしても視界が霞む。


「――みのり、チカラは無闇に使うなってあれほど言ったのに……」


「……」


 夫の言葉で現実に引き戻される。みのりのチカラを見るのは、これで二回目。否応もなく現実に直視させられた。

 夫は小さくため息をついて――胡桃に笑いかける。


「ヒーローインタビュー、頼める?」


「え?」


「そのために、みのりが転移(テレポート)させたんだろ?」


「……」


「ヨロシク」


 ニッと笑む。その顔を呆然と見やる。この顔、この顔なのだ。


 普段は無愛想なのに、勝利の瞬間に見せたこの顔が――二人の時間に独占したこの顔が――みのりに見せる方が多いこの顔に嫉妬して――。


 今さらながら、私はバカだと思う。

 もう知ってたのに。この人の笑顔が少なくなって――消えてしまったことに気付いていたのに。私はそこから逃げて、私は――私は――。


「良かった」


 と言う彼は満面の笑顔で。「胡桃さんがヒーローインタビューで」


「え?」

「今まで、胡桃さんにヒーローインタビューされたことなかったから。夢だったんだよね」


 とエースは囁く。それは、私の方だから。


 思う。握り拳を固めて。会場の歓声に包まれながら。その温もりに包まれながら――つつまれながら?

【エース】が胡桃を何ら躊躇なく抱きしめていた。


 会場が拍手でわく。バカ、公平さんのバカ、と囁きながら。いつ以来ぶりなんだろう? そんな幸せを感じながら。


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