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限りなく水色に近い緋色【原作版・連載中止】  作者: 尾岡れき
第2章「使い捨てられる廃材たち」
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26


「本当にやっちゃったね、宗方さん」


 茜はディスプレイのモニターを見ながら、深く椅子に座り込む。饒舌だったスピッツ――ひなたの父も、黙り込んで注視していた。


 と、その唇がほんの少しだけ歪んだ笑みを見せている。


「スピッツ?」

「まさか、ここまでとは思わなかったよ、トレー」


 ディスプレイを覗きこみ、彩子が続けている分析を見やる。


「君の研究成果は確かに出た。本腰で実験に協力しよう、と思うよ」

「……」

「サンプル【限りなく水色に近い緋色】の課題は安定稼働に尽きた。だが、なかなかどうして、様々な検討項目があるじゃないか?」


「開発者様のご意向聞こうじゃない」


 茜は感情を排除して言う。あえてこめた感情――殺意だけを灯して。


「攻撃細胞と万能細胞、それぞれを重ね合わせた遺伝子研究サンプル、これがそもそもの目的だった。だが蓋を開けてみれば、両遺伝子は拮抗し、オーバードライブを繰り返した。挙句、実験室初のエクストリームドライブだ。失敗作と言って差し支えないだろう? シャーレは常にそこだけは反対したが、研究を分析した結果だ」


「何が言いたいのか、理解に苦しむんだけど、スピッツ?」

「そう、怖い目で睨むな、トレー」


 楽しそうにクツクツと笑む。


「遺伝子研究特化型サンプル【限りなく水色に近い緋色】を管理したのは、トレーの爽君なのは間違いない。管理が必要な欠陥型サンプルとも言えるし、可能性があるサンプルとも言える。サンプルを兵士となぞらえるなら、特化すべきは一個人の兵士ではなく、統率された軍隊だという意見も、今なら大きく頷ける。だからこそ――稼働試験に協力してもいいと思っている」


「協力?」


 茜は眉をピクリと寄せる。


「単純なことだ。サンプルがどの研究者に信頼し、稼働しているかは一目瞭然だ。そこに私がしゃしゃり出て、サンプル調整してもいい結果にはならない。それならば――」


「高見の見物か、スピッツは」


 茜の物言いに、スピッツは静かな微笑みを返す。


「実際私はひなたのサンプル調整を行ってない。それどころか、ひなたの中では実験室での研究は引退したと言う設定になっている。そんな私が、どんな顔をしてあの子を切り刻めと言う――」


 スピッツに最後まで言わせずに、茜は腕を凪ぐ。無音でスピッツの頬を裂き、血を滴らせた。


「精度あげたんじゃないか、トレー? 【抜刀】をますます、自分のものにしているじゃないか。さすがは実験室で一二を争う逸材と言われた研究者だ。この分じゃ【鎌鼬】の精度も――」


「そんなに試したいのか、スピッツ? 今の僕はいささか機嫌が悪い。喧嘩を売りたいなら、即お買い上げしてあげたい、そんな気分だけどどうする?」


 スピッツは表情を変えず笑みを零す。と、その目が色を変える。楽しみから、歓喜、そして狂気に満ちた目で何かを呟きながら。ブツブツブツ、と。感情を何ら込めずに事務的に。


 茜はそれを確かに聞いたのだ。

 聞き取れた、唯一の単語を。


 彼は確かにこう言った。

 ――Enter.


 茜は目を見開く。


「諸君」


 とスピッツは言う。


「私は予定が詰まっている、今夜はこれで御暇するよ。日和、研究室に戻る。明日の夕方には帰られるように頑張るから。いつもすまないな――愛してるよ」


 そう口吻を交わし、スピッツは足音もなく部屋を出て行く。


「茜ちゃん?」


 彩子が怪訝そうに見るが、それどころではなかった。シャーレを見る。機械的な表情で、スピッツの背中を追う。端から見れば、なんて熱愛夫婦なんだろと思うだろう。


 彼らは共通の目的のために、夫婦であることを契約した他人でしか無い。


「シャーレ。スピッツは【弁護無き裁判団】のシステムそのものを――」


 ハッキングしたのか? と問い詰めるはずの言葉は、映像からの爆発音で奪われた。


 ディスプレイを覗き込む必要もなく炎が弾け、煙が上がり壁が崩れる。監視カメラは激しく揺れ――そして暗闇のまま、沈黙した。


「火薬反応を施設から検知。全ブロックに均等に破壊行動を記録。発火能力の兆候ゼロ? ひなたのオーバードライブじゃない……? 茜ちゃん、小規模核分裂反応を確認!」


 彩子のデータ分析を聞きながら、拳を固める。


 スピッツは読み上げた意味不明な言葉に、何故もっと早く気づかなかったのか。研究者は誰だ? どこにいる? 【弁護なき裁判団】を開発したのは誰か?


(――僕だ)


 その自分が勝利の高揚感にほだされて、冷静な分析ができていなかった。

 平和ボケしているのは宗方ひなたでは無い。水原爽でもない。他の誰でもない、この、この、この、ここにいる――この、僕だ。


 スピッツの呟きに何故、もっと早く気づかなかったのか。あれは、単純な命令ではない。【弁護なき裁判団】が【弁護なき裁判団】をリンクさせ共有し統一した行動をする為の、限定プログラミング言語だ。それは【弁護無き裁判団】でしか行使できない。


 【弁護無き裁判団】は間違いなくシステムを改編されたのだ。そうであれば遠藤ことNo.Kのエラーも解釈できる。と、思考を巡らしていると、シャーレが茜の肩に触れる。


「茜ちゃん、お願いがあるの」


 シャーレは言った。


「ここで待つ事なんかできない。ひなたの所に行かせて」


 茜はシャーレの顔を見る。本当であれば、ここで問い詰めるべきだ。彼女はスピッツが何を思って動いているのかを知る唯一の人物のはずだ。でもその言葉を叩きつけることが、今の茜にはできなかった。


 母親の顔で、シャーレは茜を見る。


「あの人がなんと言っても、私はひなたの母親だから。嘘つきと言われても、私はこれだけは曲げないってもう決めたから。お母さんらしいことを何一つ、あの子にはできてないけれど、私だけは――あの子には――私は――」


 言葉にならず、顔を歪ませながら呟く言葉が痛い。茜は大きく息をついた。


「……戦略もクソもないね、こうなったら。あーや、出発の準備をお願い」

「もう完了してる。自動運転車を用意したから、すぐ行けるよ?」

「フルスピード、最高出力でお願い、って言わなくてもやるんだろうけどさ」

「ラジャ」


 ニッと笑って彩子は言う。


 彩子はすでに行動に移しているのが頼もしい。シャーレとともに、その後を追いながら思う。


 ――すでに手遅れの可能性はあるのだ。


 遺伝子研究特化型サンプルであれば、ある程度の耐性がある。支援型の爽であれそれは例外ではない。実験室の耐性試験をパスした実績が彼にはあるのだから。

 だが未検証のサンプルにはその保証は無い。まして一般人のみのりや、廃材には――。


 と、スピッツの言葉が脳裏で再生された。

 だからこそ――稼働試験に協力してもいいと思っている。


 茜は思考を切り替える。今思考すべきは、そんな雑念じゃない。検証は後でもできる。最善の危機回避と対応策と行動を示すのが、茜の仕事なのだ。


 考えろ、考えて、行動しろ。それだけを思いながら。


 流線型をイメージした、黒いスポーツカーが宗方家の前に停車していた。彩子が乗った瞬間にエンジンが稼働する。ハンドルは存在せず、彩子はディスプレイにタッチする。文字が流れるようにスクロールし、彩子が命令をこの瞬間にも出していく。


 位置情報と最新の地図データ、リアルタイムの交通情報を分析した上で最短の距離を走行するのだ。後は彩子に任せておけばいい。多少――運転は乱暴だが。


「シャーレ、シートベルトは必須だからね、喋ったらダメだよ。間違いなく舌を噛むからね?」


 と茜は諦めたような声で言った。


「え?」


 と言ったシャーレの声は、間髪入れず絶叫となって響いた事だけをココでは記しておく。


(宗方さん達、無事でいないと承知しないよ)


 研究者らしくないと笑うなら笑えばいい。今や、サンプルの一人としては到底見られなくなった少女達のことを、茜は祈らずにいられなかった。









 思考リンクを切断された時に、考えを巡らすべきだった。

 非常事態であり【弁護なき裁判団】が多数稼働している事からも、回線の切断は想定できた。だが再検証、システム稼働の確認をしなかった、それが川藤の失策だと思う。

(勝手なことを――)


 舌打ちをする。再度アクセスしても【非常事態モードの為、管理権がありません】と通知が来るのみだ。


 情報漏えいを防ぐ為、施設そのものを破棄する事は計画の内だった。これで廃棄体4号を処分できればなおのこと。


 だが、それも遺伝子研究特化型サンプル【限りなく水色に近い緋色】の安全を確保してでのことだ。フラスコは彼女のサンプルとしての拿捕を望んだ。捕らえてしまえば、改編はいくらでもできる。それがフラスコの命令だったはずだ。


 しかし――。


「これも含めて、全て実験と言うつもりですかね、室長は?」


 爆風に煽られながら、川藤は【弁護なき裁判団】のシステムにアクセスに踏み込む。管理権がなくアクセスができないのであれば、管理権のないアクセスを試みる、それだけの事だ。世間はそれを不正アクセスと言うが。


「ねぇ、No.C?」


 と銃口を彼に突きつけて、ニンマリと笑む。彼は口をパクパクさせるのみだ。

 安心しなさい、と川藤は囁いた。あなた方がどうこう足掻いたトコロで、事態は何ら変わらない。


 思考がリンクする。No.Cが思考を巡らすのが手に取るように分かった。川藤がエラーになっていないか検証しているのだ。


 何がエラーで何が正規なのかも分からないが、言えることが一つある。


「同志、私のエラーを検証する前に【限りなく水色に近い緋色】を処分してごらんなさい、可能ならばね」 


 No.Cは目を剥く。リンクする思考。不正アクセスしたから当然だが、彼の思考が手に取るように分かり、可笑しかった。


 彼は思う。命令を拒否しようというのか?

 彼は思う。No.Kはエラーをおこしている。

 彼は思う。No.Kのセキュリティーホールに至急、アップデートパッチが必要だ。

 彼は思う。命令に優先すべき選択はNo.Kか、特化型サンプルか?

 彼は思う。命令もないままに管理権を剥奪された彼が、管理権を要求するのは当然のプロセスではないか?


 彼は思う。ナゼ、ソンナ、コト、ヲ、オモウ?


 川藤は背を向ける。悪魔的に微笑んで。

 パン。乾いた音が響くのを川藤は聞いた。


 銃の引き鉄は一切、力をいれていない。

 だが――言葉の引き鉄はひいた。


(茜ちゃんの真似事でしかないですけどね)


 No.Cのプログラムは機能不全で完全に沈黙をした。ほんの少し、思考ルーチンを混乱させただけで、だ。


 もっとも水原茜――研究者【トレー】に比べたら、我ながらなんて残虐なのだと思う。川藤は強制リンクでアクセスし、脳内の混乱を招くキーワードを放り投げたのだ。


 結果、No.Cのプログラムは強制終了。再起動すら不能になった。


(と、悠長に分析してる場合でも無いですね)


 宗方ひなたに対しては、さして心配はしていない。能力を最大限に活かせていないにしても特化型サンプルだ。そこは生き残ることに何ら心配はない。


 ただ彼女の甘さを除けば、だ。彼女達がどんなミラクルを起こせるか。川藤の興味はそこに尽きる。

 炙られような熱風を感じながら、川藤は歩みを進めた。







 破壊し尽くす炎の恐怖を感じながらも、シリンジは哄笑をあげた。

 施設の制御が自己発電に切り替わることまでは特化型サンプル【デバッガー】は思いもしなかったようだ。


 所詮はただのサンプルが、研究者に抗うことこそが傲慢なのだ。


 弁護なき裁判団は、施設の破棄に向けて稼働開始したようだ。これだけの騒ぎになれば、愚かなマスメディアも色めき立つのは間違いない。


 ――だが甘い。


 この施設には実験用ウランがある。核分裂による高レベル放射能で、サンプルの負荷を試すのだ。


 それを局所的に使用し、特化型サンプルを塵も残さない。シリンジの受けた屈辱に比べればまだ甘いと、歯ぎしりをしながら思う。

 シリンジは、キーボードに指を滑らせプログラムを起動する。言語がディスプレイに流れるように現れては消え、最後にただ一文【プログラムを開始しました】という淡白な表示に満足の笑みを――。


 圧力を受け、呼吸が止まる。その喉を鷲掴みにする手に抵抗しながら、シリンジは酸素を求める。生命の危機を感じた。


 体裁を無視し、蛇に姿を変える。が、その手は何ら動じず、握力をこめてきた。


「研究者が遺伝子配列変容実験の被検体か。何のジョークだ?」


 何一つ交わりの色を拒否する、黒曜石を思わせる双眸が覗き込む。


「…は……はいきた……四……」


 蛇はのたうち回るが、その拘束から逃げ出すことはでいない。はじめて、廃棄体四号は、笑みを浮かべた。何より歓喜を、何より快楽をと言わんばかりに楽しそうに。

 シリンジの意識はそこで途切れた。







 フラスコは無表情に、モニターから映し出される状況を見やる。概ねは予想通り推移していた。


 注目すべきサンプル――【限りなき水色に近い緋色】も【デバッガー】も、流石は特化型サンプルと言うべきか。量産型サンプルや廃材が相手では役不足なのも仕方がない。廃棄体四号を野放しにするのも計画通りに進んだ。


 だがそれ以上に面白い。まさかココにきて【弁護なき裁判団】がエラーを起こした。否――エラー警告がシステム上出てないのだから、エラーとは言えない。システムを修正しないといけないタイミングではあるが、フラスコの思う通りに動いていないこの現状。それがまた笑いがこみ上げるほどにおかしかった。


「楽しそうだな、フラスコ?」


 ボイスチャットの向こう側で、心底楽しそうにスピッツは笑う。気まぐれのハイエナがこうしてまたコンタクトを取ろうとしている。良心の呵責に耐えられず実験室を脱退するなど、なんて白々しい言い訳をこねくり回したものか。スピッツがそんな感性を持ち合わせていないことは、フラスコが一番理解していた。


「上機嫌なスピッツが言うか、それを」


 フラスコは表情を変えずに言う。権力でも金でも研究者としての知識欲でも無い、その外側で生きている男だ。懐柔できるモノなど何一つない。彼は孤独なハイエナだと、フラスコはよく理解していた。


「うちの子がどんな化学反応を見せてくれるか、楽しみだろ?」


 笑む声がなんて感情がこもらず、残酷なことか。彼はそのただ一つの目的のためなら、どんな犠牲も厭わない。スピッツはそんな男なのだ。


 だが――。


 さすがの特化型サンプルも足手まといにしかならない廃材を前に、救出劇を望めるはずもない。


「父としては、ひなたのさらなるミラクルを期待してるんだけどね」


 どの口がそれを言うか。半ば呆れながらも、フラスコはディスプレイの情報に注視する――その目が点になる。


「な、んだと――」

「これは、これは……」


 スピッツも唸るのが聞こえた。フラスコは声を上げて笑う。これを笑わずにいるなと言う方が無理難題だ。サンプルの能力の問題ではない。サンプル性能でも戦略でもなく、まして駆け引きですらない。


 ことごとく、フラスコの思惑を裏切ってくれる。それがあまりにも愉快だった。


「――したい研究があるんだ、フラスコ」


 このタイミングで、スピッツが切りだしてきた。


「は?」

「実験室が再び私を雇う気はあるか?」


 フラスコは無言で、ノイズに混じるスピッツの呼吸を読み取ろうとする。だが、それがムダなことなのをフラスコが一番よく理解していた。そんなことはお構いなしに、スピッツは囁くのだ。


「今の私なら、あるいはエメラルド・タブレットを起動することに協力もできると思うけどね」

「……」

「まぁ、考えておいてくれ。私は別にどんな選択でも構わない」


 スピッツはそう言い残して、一方的にボイスチャットを切った。浅はかな、と思う。彼が実験室を離れた本当の理由をフラスコが知らないと思っているのだろうか。


(まぁ、いい)


 彼が戻ってくるのも、また想定内だ。

 今は――。見失った、サンプル達の行方の方が重要だ。フラスコはさらなる指示を、弁護なき裁判団達に送信した。












 炎が焼く音とともに、はじけるようにコンクリートの壁が崩れ、天井が落ちる。


 爽が見えない壁――不可視防御壁ファイアーウォールを張ってくれているのが、みのりにも分かった。今まで無力な自分を助けてくれたチカラ。それすら、呼吸の荒い爽の様子を見ると、痛々しい。


 落ちてくる瓦礫をひなたとの炎とゆかりの電撃が払う。その二人も息がたえだえなのが分かる。それなのに、とみのりは思う。それなのに、私には何もできない。


 それを意識のある廃材の人々は、怯えた目で見ている。

 その数、父をいれて10人を超える。意識がない人をいれたら何人になるんだろうか。


 みのりは拳を固める。


 ひなた達なら、きっと逃げることもできるのかとしれない。でも、ひなたはそれをしない。この終わりへの秒読みをなんとか止めようと懸命で。


(お姉ちゃん、もういい! もういいから!)


 そう声にしようとした言葉が止まる。ひなたと目があった。その目は全く諦めていない。


 爽の顔を見る。スマートフォンを操作しながら、でも諦めはカケラも見せない。

 ゆかりは残る力を振り絞って、瓦礫を払っていく。涼太は常にみのりを庇うように立ってくれる。


 それなのに、私は私は――。

 と、父がふらふらしながらみのりの前に立った。


「お父さん?」


 羽島は小さく笑む。立つのもやっとで、血の固まりを吐き出しながら。


「若い子達に守られっぱなしって訳にはさすがにいかないからな。野球もサンプルも、落第だけど」


 自嘲気味に笑む。と、ひなたは首を横に振る。


「サンプルで成功しても何一ついいことなんかない。でも、みのりちゃんのお父さんは羽島さん、あかなた一人だけなんです。だから、みのりちゃんが聞いて悲しくなることを言わないで」


「え?」


 ひなたはにっこりと笑む。


「だって、そうやってみのりちゃんを守ろうとする羽島は、誰よりもカッコいいと思うから」


 全力でひなたはそう言い切る。照れ臭くそっぽを向く父を見ながら、みのりは思わず笑みがこぼれ――気持ちを引き締める。今はそれ所じゃないと思う。

 と、スマートフォンを見ていた爽が表情を変えた。


「ひなた、この施設のシステムが非常電源に切り替わってる。非常事態モードで、施設を破棄するらし――待って。小規模だが核反応を検知! こちらへの弾道を確認。次が 、くるぞ」


「爽君、どうしたらいい?」

「……一か八か、やってみるか。ひなたと桑島、全力で能力を展開できるか?」

「うん」

「任せといて!」


 ひなたとゆかりが笑顔で頷く。


 でも、みのりは知っている。ひなたとゆかりの体力が限界である事を。それは爽も涼太も一緒なのだ。まして、サポートしてくれていた茜や彩子との通信も途切れ、爽が悩んでいることも知っている。爽はそれを必死に隠そうとしていたが、緊迫した空気の中、みのりは爽の焦りをひしひしと感じていた。


「タイミングを合わせて、核反応を相殺させる。ひなたの炎と、桑島の雷が頼りだ。頼む」


 二人は再度頷く。

 私は何もできないのだろうか――。


 幼いみのりだが、【核】という言葉が穏やかなものでないことぐらい分かる。ニュースを騒がせた原子力発電所の震災での、制御不能を大人たちが騒いでいたことも記憶に焼き付いている。


(お姉ちゃんを助けたい――)


 心の底から思う。


 ひなたが自分に手をさしのべてくれたように。自分にも、ひなたにできることはないのだろうか?


 小さな子どもでしかないことは自分でも分かっている。

 力はおろか、足手まといなのも知っている。


 ――みのりちゃんの声、しっかり聞こえたから――ありがとう――。

 エクストリームドライブから戻ってきた時のひなたの声が、脳内でリフレインする。


 でもダメだ。それだけではダメなのだ。


 ――ひなたは、ひなたのできることをすればいいのよ。

 そう言ったのは、ひなたの母だった。


 ――みのりちゃんは、みのりちゃんのできることをすればいいのよ。

 ひなたの母はそう付け加えて言ってくれた。


 唾を飲み込む。


 私のできること……私ができること……お姉ちゃんに……お父さんに……皆さんに……私だからできること……できても……できなくても……できなくても……諦めたくないから――


 痛いくらいに拳を固める。


(――みんなで帰りたい!)


 かちり。

 みのり確かに脳内で、歯車が動くような音を聞いた。


 網膜に直接イメージが流れるように溢れる。

 それは風景だったり、地図だったり、数字だったり、プログラム言語だったり、みのりには理解できないものが多かった。


 この施設の中、保育園、小児科、野球スタジアム、様々な場所が映っては流れ、消えていく。それは時に全体図であり、時に断面であり、時に立体的でもあった。


 と、映像が変わる。

 蛇を鷲掴みにしていたヒトが、獰猛な笑みを浮かべていた。


(ココは違う!)


 無意識にそう思った。場面は変わる。


 と、ひなたの母が映った。


 外だ。うっすらと朝陽が見える。

 並木道を茜と、もう一人誰かと並んで歩いている。――多分、ひなた達の言う野原彩子その人に違いないと思う。


(ここだ!)


 とみのりは思った。ココだ、ココだ! ココしかない! と思う。――何故? とは考えなかった。みのりの本能がココを、と選択する。


【座標軸エラー。このまま転送を行うことは安全性に問題あり】


 そんな声が聞こえた。

 数字が記号が公式が流れていく。みのりは、数字に手をのばす感覚で、並べ替えていく。数字は流れ、線が引かれ、断面を立体的にその場所を分析していく。


 それが大人でも解をを求める事が困難な多重計算式であることを、みのりは知らずに。


【座標軸固定。転送できます。安全性を確認】


 言葉の意味はみのりには分からなかったが、とるべき答えは一つしかない。

 用意された台詞を言わされているかのように、みのりは呟いた。


「転送開始――」


 凛とした声音が、響く。


 え? とひなたと爽がみのりを見る。視界が――風景が――色を失う。色がまるで流れ落ちるようで。そして、歪む。


 瞼に光の粒子が泡だって。

 風がそよぐ。空気の流れが一瞬で変わったのが、みのりにも分かった。


「え?」


 それはひなたの母の声で。


 振り返る。朝陽に照らされた施設が、炎と黒煙を撒き散らして倒壊する瞬間だった。


 耳鳴りする程の轟音を響かせて。

 目が、涙で溢れる。それでも構いなしに、手探りでひなたと父を探した。柔らかい手と、ゴツゴツした手がすぐに握り返してくれる。


「ありがとう」


 そう言ったひなたの声を確かにみのりは聞いた。


「みのりちゃんが、助けてくれた」

 そうじゃない、そうじゃないけど。私には何もできなかったけど。でも、でも――よかった、と思う。


 お父さんも、お姉ちゃんも、みんな無事で良かった。そう思うと感情が綻びて、涙が止まらない。


 と、抱きしめてくれる人がいた。誰と考えるまでもなかった。私はこの人を一番よく知っている。


 どんなお父さんだとしても、私にとってはただ一人のお父さんだから。

 だから、と思う。お父さんと呼んだ。何度も何度も。涙と鼻水が混じって、言葉にならないけれど。何度も何度も、私のお父さんと――。

 そんなみのりを、羽島は全力で抱きしめたのだった。












「え?」


 ひなたは目を点にする。

 母が自分を抱きしめてくれたことに戸惑う。今まで――全く記憶になかったから。

 言葉はなかった。でもこれ以上の言葉もなかった。


「――お母さん、ありがとう」


 そう言うひなたは、みのり同様に言葉にならなくて。溢れる感情の礫を隠すことができない。


【こんな時くらい素直に甘えたらいいよ】


 爽は感覚通知でそう囁く。ずっとそうだった。常に爽は傍にいてくれて、ひなたの背中を押してくれる。


 だから、なのかもしれない。

 緊張の糸が途切れたのもある。

 安心して安堵したこともある。全ての人は守れなかった。自分が踏み潰して砕いた命もあった。


 だとしても、そうだとしても――。


 目の前の人たちを守ることはできた。何ら問題は解決していないにしても、無事に帰ることができた。


 今はそれで――。

 だから――。


「ただいま」


 なんとか言えた。でも後はもう言葉にならなくて。ただ母は受け止めて抱き締めてくれる。それだけで、安心できて、産まれてきたことをやっと肯定してもらえた気がして、感情が迸るのだ。


 みんなが優しく見守ってくれるのを感じるからなお、感情が溢れて。


 今まで愛される資格はないと、ひなたは思っていた。それは遺伝子研究特化型サンプルとして産まれた自分の罪だとずっと思っていたから。


 爽を灼いた自分の能力を、何度呪ったことか。


 でも、爽は、ゆかりは、彩子は、みんなは――ひなたを肯定してくれる。それならば、せめて目の前の人達の為に全力を尽くしたいと思う。


 ぐじゃぐじゃに撹拌されたような感情の中で、ひなたはそれだけを強く願った。 

 

 

 










 実験室こと、厚生労働省の外郭団体【遺伝子工学研究所】による非公式レポートから抜粋。


・○○年□□月△△日、実験サンプル廃棄第3工場が機能停止。機密保持の為、【弁護なき裁判団】による施設破棄、情報統制施行。確認されていた廃材378体を並行処分。


・機能停止した廃材65体の施設外流出を確認。身元不明人として警察庁介入で情報統制行う。処分済。


・羽島公平含む13体の廃材の流出を確認。特化型サンプル【限りなく水色に近い緋色】(以下特化型)の保護下にあり。室長判断で、特化型との交戦を停止する。


・対処は追って研究者会議(クリエイターミーティング)と政府閣議で検討予定。


・特化型を最重要監視対象に認定。【弁護なき裁判団】による監視を最高レベルで施行する。


・廃棄体四号の監視は継続するが、捕獲・処分の必要なし。動向に注視すること。


・【弁護なき裁判団】No.Cが起動不能。破棄を決定する。


・海外からのテロとして情報統制を行う。マスメディア各社、反論なく報道を実施。継続し、情報統制に留意。核分裂反応については公表せず、立ち入り禁止区域に指定。周辺住民の異論なし。


以上。

 

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