表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
限りなく水色に近い緋色【原作版・連載中止】  作者: 尾岡れき
第2章「使い捨てられる廃材たち」
25/48

22


「さて、どうしたものか」


 とビーカーは苦笑を滲ませた。現況を把握したいが、【弁護なき裁判団】のNo.Eこと遠藤警部補は、水原爽が放った不可視物理防御壁の反動を受け、軽い脳震盪で気絶中だ。監視システムにアクセスする術がない。


 制御室は完全に沈黙している。電気系統を完全に停止させられたのは全くの誤算だった。そして支援型サンプルとして、水原爽のアプローチは全くもって正しいと言わざる得ない。


 サブで弁護なき裁判団をもう一体連れてくるべきだったかと思う。だが今回の実験には弁護なき裁判団は不干渉と決めたのはビーカーだ。何より結果の出た現実に対して ifの話をするのは、実験室らしからぬ、と自身に失笑する。


 と、携帯電話が鳴った。思わぬ反応に面食らう。


 そう言えば、と思う。この文明の利器は、無線で通じるのだ、と今更ながらに思う。ディスプレイには何も表示されない。それこそ実験室の研究者からの連絡だ、という証拠だった。


「私だ」


 とフラスコの声が耳元に響く。


「随分としてやられたようだな?」

「……耳が早いな、室長」

「弁護なき裁判団はネットワークに特化した監視型複合サンプルだ。それをあえて君に説明する必要はないと思うが?」


 楽し気にフラスコは言う。


「遺伝子特化型サンプル【デバッガー】の性能は刮目に値するのはビーカー、君から見ても明らかだろう。各サンプルに向けての指示命令系統もさることながら、彼自身の能力も高い。データのハッキングに、高水準の学習機能、そして支援型サンプルの弱点でもある自衛においてもある一定の水準を保つ。支援型に注力しつつ、ここまでの開発をできる研究者を私は一人しか知らないな」


 ビーカーは唇を噛む。


「離反のトレーか」


「違わないだろう。限りなく水色に近い緋色を開発したのがスピッツとシャーレ。そこに共同研究者としてトレー。つまり【デバッガー】という特化型サンプルは、【限りなく水色に近い緋色】の支援に特化したサンプルとも言えるか。あのサンプルは二体とも欲しいな」


「……解剖したい、という意味でか?」

「バージョンアップさせたい、という意味でだよ」


 フラスコはクッ、クッと笑む。


「だがビーカー、君の実験はそこそこ成功したようだぞ? 【廃材】達は見事にオーバードライブ中だ。いささか、検証すべき事項はあるが、多分それは君のせいじゃない。総理もご満悦のようだ」

「国民国防委員会は壊滅に近いがな」


「想定内だ。そもそも量産型サンプルは組織的に稼動した。それこそ評価に値する。頃合いだ」

「頃合い?」


「遺伝子工学関連法案が採択された。善良な日本国民の皆さんは、遺伝子工学研究こそが経済改革の要と信じてやまない。最早、国民国防委員会で煽る必要もないと判断してもいい。次段階として、自衛隊に量産型サンプルを投入する。だがその前に、ビーカーにさらに実験をして欲しい」

「は?」


「干渉信号の出力を上げて、量産型サンプルもオーバードライブさせるんだよ。君の研究はその段階に来ていることは知っている」


 ビーカーの首筋を戦慄が走った。まだ公開していない 研究情報ソースをフラスコは把握している。フラスコならあり得るが、自身で施せる限りの情報防御を行ってきた。それすら無意味、と言うことか。


(オモシロイ――)


 ビーカーは唾を飲み込む。


「その実験の意味は?」

「オーバードライブの人為的管理と、特化型サンプル達の性能テストだよ勿論。それと、国民国防委員会とシリンジの破棄かな」


 さらりと恐ろしいことを言う。

 と、別の声が囁いた。それは囁くようで、それでいて力強く、なんとも禍々しい。


「ビーカー君、あえて言う必要も無いと思うが、粛々と整備と改革は行われるべきだ。国民国防委員会は良い仕事をしてくれた。世論をコントロールし、急進派から無党派層へ理解を繋げた。だが、此処からはクリーンなイメージが何より必要なのだ。汚物は早々に処分し、未来に繋げたい。理解頂けると助かる」


 内閣総理大臣の声は国会同様、朗々としていて明確で、そして――欺瞞だらけだ。


 ビーカーの頭のなかを計算式が過ぎる。彼らは、スクラップ・チップスもろとも処分しろと言っている。可能だ、それは。ビーカーの計算式によれば、現在オーバードライブ60%の干渉率だ。それを90%まで上昇させて脳に干渉するのだ。


 すでに実験済みだからこそ、末路は見なくても想像できた。

 全て、最初から何もなかったことにする。

 取りこぼしは弁護なき裁判団が稼働し処分する。つまりはそういうことだ。


「心得ました」


 それだけ言い、信号機に指を伸ばす。

 かち、かちん。かチん。

 音を静かに打ち付ける。皮肉なものだ、と思う。何ら感情は湧かないが。


「まさに悪魔の研究だ、ビーカー。そんな君が私は大好きだよ」


 フラスコの声が響く。心底、歓喜をたたえた笑顔を浮かべていることが想像できた。


「まさか、干渉信号の増幅装置(ブースター)を羽島君に埋め込んだなんてね」


 電話はそれで切れた。好き勝手言ってくれる、とビーカーは息をつく。悪魔の研究はフラスコ、アナタの専売特許だろ? そう心で毒を吐きながら。


 欲しいな、と思う。手探りの研究でもコピーデータでも埒が明かない。エメラルド・タブレットも、弁護なき裁判団も、特化型サンプルも。全て欲しい。


「なぁ、No.E? 欲しいだろ?」


 ビーカーは遠藤に口吻を交わす。干渉信号をビーカーの測定器が認知する。もう今や、やれることは何もない。全て、やりきった。全て、全てだ。

 ビーカーは遠藤の髪を撫でる。


「人間でさえ簡単に狂えんるんだ。サンプルも狂えるだろう?」


 彼が愛用するキャンディーを無造作に舐めて、そして捨てる。


「不味い、な。やはりNo.E、お前がいい」


 ビーカーは声なく笑んで、その手をのばした。












「ゆかりちゃん!」


 ぎゅっと、ひなたはゆかりを抱き締める。オーバードライブしていない。ゆかりだ、確かにゆかりだ。ゆかりがここにいてくれる。絶望しかけていたひなたに勇気が灯る。視界が滲むが、悲しいからじゃない。嬉しいからだ。心底安心する自分がいる。

 ゆかりも、戸惑い半分安堵半分の微笑を浮かべる。


「ナゼだ? ナゼだ? ナゼだ? ナゼだ? ナゼだ? ナゼだ?」


 壊れたオモチャのようにシリンジは喚き立てる。廃材が蠢き、その人影に呑まれそうになりながら。

 たん、たん。その中で足音が響いた。


「教えて欲しいかい、国民国防委員会の書記さん?」


  スクラップ・チップスの声にならない声が耳につくなかで、ひなたは目を向ける。勇気が、力が湧く。


 意志を奪われた一団がみのりに手をのばす。ひなたは、彼らを薙ぐようや腕を振りかざした。引火すらせず灰になる。

 

「デバッガー、水原爽――」


「色々情報検索、お疲れ様だね。憶えて頂いて光栄と言うべきか。面倒が増えたと言うべきか」

「これは、どういうことだ?」

「気になって仕方がない、という顔だね」


 爽はにんまりと笑むが、シリンジはとうに理性をなくしかけている。


 唾を撒き散らし、廃材に囲まれながらも研究者の本能が真実を求める。知ったところでどうにもならない真実だと、爽は思うが。シリンジこそまさに、オーバードライブしているといっても過言ではない。爽は小さく息をついた。


「何故だ、何故にこのスクラップ・チップスはオーバードライブしない? 貴様はその理由を証明できると言うのか?!」


「ひなたと桑島が接触した経緯はあなた方がよくご存知だと思うから詳細は割愛するよ。ひなたが施した能力、遺伝子レベル再生成。実験室の表向きのお題目だよね? 医療への貢献という意味でね。現に支援型サンプルとして現存することは姉さんのデータベースからも確認している。あくまで治療の補助として、だけどね」


「現在のサンプルでできることは疼痛の緩和や免疫機能の向上程度だ。理由にはならん!」

「懐刀の本来の能力が、人体に限りなく負荷の少ない電気麻酔のように?」


 涼太はえ? と顔を上げた。


「貴様、そこまで――」


「この施設のデータベース経由で、一番セキュリティの弱かった、あなたのシステムを拝見させて頂いただけだよ。元東日本大学准教授にして、産業スパイで名が高い、矢坂英輔さん?」


 爽の淡々とした一言にシリンジの理性が切れた。


「き、きさま、貴様! 貴様! 貴様に、たかががサンプルの分際で何が分かると言うのだ! 研究の成果が上げられなかった研究者に未来はない! 後は金と権力を束ねて生きるしかない過酷な現実など、貴様には分かるまい! 学者は――研究者の崇高な真理の探求は――貴様ら愚民には理解できるはずもない!」


 唾を撒き散らし、喚き、抵抗する。がその体を廃材に引き込まれる。哀れだと爽は思う。本来、実験室の研究者とは世俗を捨てた人間達を指す。姉ですらそれは例外ではない。水原の姓は一般人として生きる為の偽証でしかない。だが、シリンジはかつての栄光にすがり、戸籍情報もかつての論文も醜聞も何もかもデータベースに保存していたのだ。論文を人から盗み自分の成果としてなお、政治ゲームに競り勝ち准教授に成り上がり、そして刹那で地位も収入も失ってなお、シリンジは【学者】であることに固執している。


 実験室の研究者であることも、産業スパイとして暗躍したことも、否定するかのように。

 だからこそ、爽はシリンジのプライドを切り裂くように、あえて真実を伝えるのだ。


「――ひなたの能力、遺伝子レベル再生成が廃材の因子を除去したと言ったらどうする?」


 爽の思いがけない一言にシリンジは、ぽかんと口を開けたまま思考が追いつかない様子だった。


「な、んだと?」


 目を剥く。


「 調整コーディネイトで違和感を感じたんだけど、間違いないね。スクラップ・チップス特有の遺伝子情報の欠落がなく、能力は滞りなく機能していた。桑島ゆかりは、遺伝子研究特化型サンプルと言って差し支えない」


「なにを言って――」

「あえて言うなら、遺伝子研究特化型サンプル 【雷帝】(トール)と言うべきかな?」


 ちらり、とゆかりを見やりながら。

 当のゆかりは、困惑半分ご機嫌斜め半分で爽を睨む。


「……水原先輩、女子に雷帝って、それは無い」


 むすっとして言うゆかりに、爽は小さく笑んで応じる。


「桑島ならそう言うと思ったよ。ま、コード名なんてただの呼称だからね。でも、実験室のサンプル史上、最大量の電力生成と貯留、放出と管理ができるんじゃない? 試してみなよ?」


「え?」


 ゆかりは爽の一言に固まり――理解する。異常な帯電はオーバードライブの前兆だと思っていた。限られた命だからこそ、それを絶好のタイミングで打ち上げることだけを考えていた。それこそ、煌めく花火のように。


 それなら、ひなたの為だけに綺麗な火花を散らしたい。それだけを思って。


 ぐっと、拳を握る。溢れる青白い火花。これは命尽きる寸前の――オーバードライブの予兆だとばかり思っていたが、実際にはひなたにこの命を救われていた証そのものだった。


(だったら――)


 再度拳を握る。そして、凪ぐ。たた、そのモーションだけで。することは、たった一つしかない。

 視認できるほどに青白い火花が舞い散る。猛狂い、縦横無尽に、上下左右を稲光が走り回る。


「さ、サイコネキシス・バレットを――」

「だから遅いって!」


 ゆかりがシリンジに拳で触れる。接触はソフトに。負荷電力は最大限に。そう、ゆかりは囁く。


 シリンジの絶叫が響いた。


 シリンジの体が弛緩するのと同時に、廃材が灰になる。それを尻目に、爽は小さく笑んだ。

 と、ひなたもステップを踏む。追随する火炎が牙を剥き、廃材を穿つ。

 爽は二人にに間髪入れずにブーストをかけ――ようとした、その手が止まる。


「な……んだって?」


 爽が呟く。デベロッパーから送信された大量の情報が、暗号化する猶予もなく爽のスマートフォンに送信されてきた。


 急ごしらえの監視システムが、功を奏したと言うべきか。

 ――考える猶予などない。


「Level2はしんどいんだけどなぁ」


 ぼやきながら、両方の掌を突き出した。


「ごめん、二人とも。ちょっと余裕ない。後頼むよ? 多分余力ゼロになるから」


 爽の手から淡い光の粒子が零れて弾ける。それは優しい雨となってひなた達に降り注いでいく。光は爽の手の動きに合わせて、収縮し収束し束ねられて壁になる。


 いうなれば対高出力干渉阻害壁、ファイアーウォールレベル2、物理的な攻撃も能力による不可視干渉も全て阻害する。ただし、稼動効率があまりに燃費がわるい。今後改善の余地ありだが、迷ってる余裕はない。


 高出力の干渉信号から、ひなたとゆかりを守る手立てはこれしか無い。

 シリンジは大きく目を見開いた。


「――フラスコ、干渉信号の出力を最大まであげたのか?」


 声が震えている。空気がざわつく。風が乾く。変化は些細だった。

 無音なのにヒリヒリする。

 と、廃材達の体がまるで泥のように溶け落ちていく。


「え?」


 ひなたは思わず口を手で塞ぐ。溶け、剥き出しになり痛みを訴えながらも融解しては同化していく。まるで廃材同士が引かれあうように。その流れにシリンジを包み込んでいく。


「やめ、や、やめろ、やめ――」


 シリンジの声は続かない。爽はゴクリと唾を飲み込む。それは言うならば、寄せ集めた巨大な細胞のカタマリだった。生命と言うにはあまりに乱雑すぎる。その球体は、骨が剥き出しで、時に臓器が剥き出しのままま、眼球や唇を無造作に配列しツギハギだらけと言わざる得ない。


 球体は息切れしながら呟くのだ。

 ――クルシイ、と。

 ――タスケテ、と。

 ――ミノリ、と。


「お父さん……? お母さん……?」


 やめて、とひなたは呟いた。こんなの無い。こんなのあんまりだ。爽に分析してもらうまでもない。この醜いカタマリの全てが、この周囲を蠢いていたスクラップ・チップスなのだから。


 ひなたは拳を固める。

 爽の光が消えて、爽は力なく膝を崩す。


「水原先輩!」


 ゆかりが駆け寄る。

 その一瞬がひなたにはスローモーションのように映る。


 カラーと白黒が織り交ざる視界。耳の奥底をノイズが突き刺す。ノイズ? 雑音? 違う、ちがう、チガウ。これは――炎が弾けて、火種が燻ぶるひなたの情動で。視界の裏側まで、真紅に染まる。


 まるで掌を差し出すように、その声が囁いた。

 ひなたと何ら変わらない声が。感情という感情、全てを排他した声で。

 燃え盛り、焼きつくし、全てを灰にすることも躊躇わない、無慈悲な声で。



――水色、汝が思うことを。想うがままに。




 だから、ひなたは声に出した。

 思うことを。想うがままに。あらん限りの声で、溢れる火焔を隠すこともなく。


「許さないっ! 許さない! 絶対にゆるさない!」


 渦巻く炎が感情のままに、猛り狂うようで。ゆかりが何かを叫んだが、もうひなたの耳には届かない。

 感情が弾ける。


 ――実験室を許さない。


 ただ、それだけに囚われて。

 実験室が言う所の能力上限最大稼動(オーバードライブ)にひなたは、足を踏み入れていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ