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限りなく水色に近い緋色【原作版・連載中止】  作者: 尾岡れき
第2章「使い捨てられる廃材たち」
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 かつん、かつん。足音が響く。本来なら灯るはずのない灯り、人の息吹、それがかび臭さに紛れて、何ともアンバランスだった。


 旧清掃工場──。


 老朽化に伴い、東区から北区に移転されて五年が経過したが、未だ解体されず現存している。

 否、正確には、改修を施されて静かに稼働していた。その事実を知る者は少ない。


「しかし、上の考えることはわからないな」

「まったく。野党、国民国防委員会が与党、自主民主党の母体だなんて、誰も思わないでしょうね」


 と、足音が乱れる。


「私語は慎め、文官」


 足音はまた規則正しく巡回を繰り返す。指摘された彼らは肩をすくめた。何が、私語は慎めだ、と心の中で舌を出す。


 本来なら国家公務員、エリート中のエリートだ。その中でも厚生労働省の局長まであと少しというポストの二人が、辞令の名の下に、非公式な任務に専従させられるのだから、投げやりにもなるというものだ。


 もっとも、大臣からは最も信頼にたる者にしか依頼できない、と勿体ぶった打診を受けた。自身でも国民国防委員会が絡む案件に参画できることは、喜ぶべきだという自覚はある。


 二つ返事で了承したことは間違っていない。


 科学は進化する。その中でも国家プロジェクトとして、実験室は蠢動してきた。科学にタブーはつきものだ。倫理に反する、と世論は言う。しかし、と官僚は思う。この世の何処に、倫理があるというのか。


 実験室を非公式にする。その上で、国民国防委員会が隠れ蓑になる。国防に力を注ぐべき、と声高に叫び。遺伝子特化研究による優秀遺伝子保持者を選民すべき、と喧伝し。


 過激思想と認知しつつも、何割かの人々はそれを魅力的に感じてくれていた。こちら側としてはそれで首尾は上々だ。


 その一方で連動し与党、自主民主党がサンプルに関わる法整備を整える。遺伝子照合による国民ナンバリングシステム、健康診断の遺伝子精査項目追加はその一貫だ。国民の利便性をと与党は声高に叫び、衆議院の議席過半数を獲得した。遺伝子工学革命とまで持ち上げるマスコミもいる。保守の与党と過激派リベラルの国民国防委員会の根が一つであると洞察する国民もマスメディアも皆無。だが世論は操作され、大きく動く。遺伝子工学万能主義に向けて。


 自主民主党は唱える。遺伝子工学の進歩こそ、日本の新世代産業革命であると。雇用を増進し、経済の輪を循環させ、国防の点からも本当に強い国を作る。そこに民意は大きく肯定し、投票してくれた。


 即ちそれは、実験室の存在意義を民意が肯定したことに他ならない。


 実際、若年層が国民国防委員会に賛意を示し始めている。彼らは遺伝子工学ドリームを感じ始めている。つまりお金がなくても、学歴がなくても、コネも伝手がなくても、優秀な遺伝子させ持ちあわせていれば、成功することができるかもしれない、と。


 分かっているのだろうか、その意味を──分からないままいてくれた方が、政府は大喜びだが。見回りの量産型サンプルの規則正しい、無機質な足音を聞きながら思う。


「実験開始まで、後一時間か──」


 と腕時計を見やったモーションのまま、言葉を失う。


 それは、あまりにも激しい灼熱だった。熱風が乱気流となり、火焔が通り抜ける。そのまま量産型サンプルも文官も意識を手放す。たった一人の少女が放った火炎を視界の隅に焼き付きながら。


 確固たる意志をその目に宿して。

 深夜23時。限りなく水色に近い緋色、と呼ばれた遺伝子特化型サンプルは単独で行動を開始した。








 緊急事態を告げるアラームが、旧清掃工場内の中央制御室に鳴り響く。ビーカーは怪訝な表情を浮かべて、各監視システムを確認する。遺伝子研究監視型サンプル【弁護無き裁判団】No.Eこと遠藤警部補は監視システムを稼動させるまでもなく、状況を理解した。


「……どういうことだ!」


 シリンジがキーボードを自棄糞に叩いた。


「精密機械は大事にしろよ」


 遠藤は呆れながら、キャンディーを舐める。エラー音は鳴り止まない。耳が痛いほどに、それが不快だった。


「こんなことが──こんなことがあってたまるか!」


 シリンジは吠える。ビーカーは慎重に冷静に情報収集に集中している。その表情は心なしか、笑んでいた。


「ビーカー?」


 遠藤は訝しむ。声なくビーカーはさらに笑んだ。


「量産型サンプルを二つの地点で同時に撃破か。かつ支援型に多方面から撹乱され、サンプル共のネットワークは完全に切断。これだけ見れば、テロレベルにも等しいが──今までの経緯を考えても流石、としか言いようがないな」


「……ビーカー?」


 今度はシリンジが顔を上げる。何を呑気な、と恫喝しそうな勢いで。


「深夜零時、それはあくまで我々が想定したプランだ。そこに真っ正面から便乗する義務は彼らにはない。彼らはあくまで廃材を救出できればそれで良いわけだし、無駄な労は極力避けたいだろうさ。特に支援型サンプルの彼なら、な」


「ふざけてる!」


 シリンジは唇を噛む。未だ、前戦での屈辱が消えないだけに余計にだ。弁護なき裁判団の妨害があったとは言え、シリンジのプライドを見事に割かれた。たかがサンプルが、と呪詛にも近い声を隠すこともなく。


「弁護なき裁判団、貴様らの監視システムは何をしてる!」


 遠藤は小さく肩をすくめる。


「全ては実験の範疇。例外を除き手出し無用と言う命令(コード)に従ったまでだが?」


「その状況下か!」


「なら命令コードで示せ、その通りに動いてやる。ただし現段階のパスコード管理者はビーカーだ。アクセス権をパスしてから再度示せ」


「貴様、たかがサンプルの分際で──」


 ビーカーは無言で手を上げて、制する。


命令コードに変更は無しだ。あくまで実験を再優先。プラン想定の被害増大に関しての介入は許可。追加プロセスとして、監視システムを強化。限りなく水色に近い緋色の能力スコアを報告しろ」


「了解した」





【Enter】


 弁護なき裁判団の思考回路がこの瞬間、全員にリンクする。

 No.Eはもとよりそのつもりだったから、造作ないことだ。もうその作業始めている。しかし、と思う。


(ひなちゃん、やるなぁ)


 口笛を吹いて褒めてあげたい。自分のことのように嬉しくなるのはどうしてか。シリンジのあの歪んだ表情を見る度にそう思うのだ。彼だけではない、実験室の科学者にとっては、サンプルはモルモットでしかない。それがどうだ、そのモルモットに翻弄されて、慌てふためく様は?


 遠藤もまた、モニターを見やる。その目はモニターが映さない、各監視型サンプルである同胞たちの送る情報を角膜の裏側で同時に確認していた。


 数字の羅列、位置情報、生命徴候、心拍数、温度、設備の状況、量産型サンプルの動向。モニターよりも速く、結果を算出してくれる。


 明らかに撹乱を目的としていた。


 その上で、ひなた達は動いている。闇雲に見えて、息が合わせたかのように同時に各個撃破、すぐさま離散。その整合性ある動きから、指示を誰が出しているのかも明らかだ。


 データで見るだけでも、恐ろしいなと思う。


 彼は清掃工場内の見取り図を把握した上で動いているのは間違いない。改修を加えたとは言え、全面改築した訳ではない。誤差は彼にとって許容範囲だろう。


 ひなたはそんな水原爽に向けて、満幅の信頼を預けているのか。


 胸が疼く。──でも、なんで?


 これじゃ、まるで彼に嫉妬しているみたいじゃないか。たかが小娘に? 笑わせる。

 ピン。脳内に響く電子音。NO.K──川藤からの直接電信ダイレクトメッセージだった。


【警部補、宗方さんが心配かもしれませんが、ココは抑えてくださいね?】

【なんで俺が、ひなちゃんの心配をするんだ?】

【違うんです?】

【遺伝子実験監視型サンプルである以上、ルーチンに沿って行動するだけだ】

【なら、いいです。まぁ今回は直接、僕らが介入することは無いでしょうしね】

【……そうだな】

【あ、それと。フラスコからの命令コードも同時並行であることをお忘れなく】

【デバッガー、水原爽の能力スコア測定か】


 小さく息をつく。川藤は、小さく笑むことで肯定する。


 と、ガタンという激しい物音で、遠藤は接続を切る。──あともう一つの、と川藤が言いかけたが、確認は後からでもいい。最優先事項は、遺伝子特化型サンプルの二人なのは変わらない。


 案の定、とでも言うべきか感情剥き出しのシリンジは、冷静さを欠いて吠えていた。


「こんなことが許されるか! 小娘どもが、調子にのって、正義のヒーロー気取りか!」

「どうするつもりだ?」


 と言ったのはビーカーだった。遠藤は静観するに務める。ビーカーの目は、あまりにも冷徹で──サンプルに向けて実験する時と同様にシリンジを見ていた。


「私が出る!」

「そうか」


 ただ頷く。


「量産型サンプルを出すのだろう? 弁護なき裁判団、特化型サンプルの動向を算出できるか?」

「問題ない」


 遠藤は頷く。


「算出結果をもとに、再配置だ。シリンジ、量産型サンプルを好きに使え。【懐刀】も稼働させるつもりだろう?」


「無論だ」


「殺す気でやれ。生け捕るなんて生半可に思うな」


 シリンジは指示に不快そうに鼻を鳴らすだけで、返事もせずに出ていく。周囲の研究者達はビーカーの意図を汲み、量産型サンプルの再配置の指示出しに慌ただしい。


 遠藤はビーカーの顔を見る。この研究者は無表情に見せながら、唇の端が笑んでいる。


「──煽ったな」

「何がだ?」


 言葉ではとぼけつつも、その目は素直に肯定していた。


「実験までの時間稼ぎのつもりか?」


「特化型サンプル達を甘く見過ぎて、誤算を招いたことは認める。的確な分析のできないシリンジを誘導したことも含めて。実験までに少しでも時間は欲しいのも事実だ。【懐刀】が支援型サンプルとして、如何程の能力(スコア)を弾き出せるかも興味深い。【懐刀】が【限りなく水色に緋色】と近しい関係であることを加味しても、良いデータがとれそうじゃないか?」


 ビーカーは初めて、唇を歪めてニヤリと笑う。嗤うと表現するのが的確な笑みで。


「……悪趣味だな」


「だが、彼女のサンプルとしてのあやふやさ、そこにこそ付け入る隙があるのも、また事実だ。データは全てを物語る。シリンジがそこに着眼しているかどうかは、別問題だが」


 遠藤は興味ない、と肩をすくめてキャンディを舐める──ことに成功しただろうか?


 当たり前のことながら、今までの経緯を実験室は記録をとり、分析を進めている。まして今回の実験で廃材の少女、桑島ゆかりは命を奪われる。ひなたはその後も、誰かに手を差し伸べたいと、それでも想い続けるのだろうか?


(ムリだ──)


 心掻き乱されるのを必死に抑えながら、キャンディの味に集中しようとする。


 でもナンデ?


 遺伝子研究監視型サンプル、弁護なき裁判団のNo.Eが?

 わからない。分からない。ワカラナイ──。


 思考がパンクになる寸前で、弁護なき裁判団のネットワークによる警告アラート音。遠藤は目をパチクリさせる。

 その三分後、研究員達がビーカーに報告を上げた。


「中央制御室が外部から電子攻撃(ハッキング)を受けました! 制御不能、システムをブロックされこちらからの操作を受け付けてくれません! セキュリティも全解除されました!」


 さすがのビーカーも、唖然として言葉にならない。なん、だって?


 と、トントン、とスライドドアをノックする音。

 許可を待つ間も無く、悠々と一人の少年が無防備に入室してくる。不敵な微笑を浮かべて。


 多重認証セキュリティで、実験室研究者にしか入れないはずなのに、だ。その全てのプログラムを強奪(ハック)しただと? 


「君が【デバッカー】か?」


 さすがのビーカーも、苦虫を潰したような表情で応じる。他の研究者が彼を取り押さえようと掴みかかるが、それも無駄なことだった。


 爽の張っていた不可視防御壁・ファイアーウォールが、それをあっさりと阻む。たかが研究者達は為す術もく弾き飛ばされた。


「……大胆な支援型サンプルだな」

「──ショータイムだ、いけ桑島」


 それはビーカーに向けた言葉ではなかった。


『もう盗聴の心配は不要ってことでいいの、水原先輩?』


 と傍受された音声がスピーカーから鳴り響く。


「正確には現在進行形で盗聴はされているけど、システムを乗っ取ったから、どうでもいい。ポイントd-257にいるんだろう?」


『モチ!』


「そこは勿論、って正しく言えよ」


 爽は軽くため息をつく。


「電力管理室に廃材を仕向けたのか……」


 ビーカーが唇を噛む。爽の視線は制御室のモニターを見やっていた。


「貴方のことはなんとなく覚えてるよ、ビーカー」


 爽は、カタカタとキーボードを叩く。電力管理室のゆかりが映る。黒いライダースーツに身を包み、量産型サンプルと遜色なかった。それは撹乱される訳だ、と遠藤は納得する。


「実験室による改修は想定内。制御室をハッキングすることは造作ないが、この施設そのものを稼働させたくなかったからね。全部、機能を停止させてもらう。データもあるから知ってるでしょ、彼女の能力?

電気で管理されたシステムを壊すには、やっぱり電気だと思うんだ」


 爽ほ表情を変えずに言う。ゆかりは大きく拳を振りかぶる。その手が青白く帯電していた。


「それに、彼女は【廃材】って名前じゃない。桑島ゆかりだ、覚えておけ!」


 ビーカーは唖然と、モニターの向こうのゆかりは、何より嬉しそうな表情を浮かべる。それを見て遠藤は苦笑するしかない。


(俺たち【弁護なき裁判団】が稼働する以前の話で、完敗なんじゃないか、ビーカー?)


 ゆかりが能力を解放し、稲妻が徹底的に電力管理室を破壊していく。その音は無音で。──直後、耳を突き刺すような緊急事態アラート音が鳴り響く。予備電力に切り替わり、その後完全に電力は停止。無音。沈黙とともに暗闇に包まれた。ゆかりは、予備電力の電動機まで破壊し尽くしたのだ。


 モニターは沈黙する。

 ただ遠藤だけは、弁護なき裁判団のネットワークで、彼女のピースサインを見ていた。


「……よもや、ここまで計算外とは。デバッカー、君を過小評価し過ぎたようだ」


 その声はあまりに冷静で、些細なことだと言わんばかりに変化がない。逆にそれは遠藤からしても気色悪い。


「だが、実験は継続だ」

 ビーカーは笑む。そして、カチリと何かを押した音が響いた。







 ひなたは足を止める。その手に仄かに伝わる、みのりの体温を感じながら。


 爽の立案した作戦はコワイくらいにスムーズに進行している。爽がとった手段、それは奇襲でしかない。今回の騒動を仕組んだと思われる、実験室の研究者シリンジとビーカー以外は三人プラス一人の存在は知れ渡ってない。そこに、付け入る隙があるはずと踏んだ。


 だけどね、と爽は言う。


 ──みのりちゃんを守りながら戦う、のはリスクがある。連れていないという選択肢も勿論、ある。でも羽島さんの安否は保証できないから、その選択肢は選べない。それなら、みんなで守るだけだね?


 爽はニッと笑う。


 量産型サンプルと言われた人達への奇襲は、ひなたとゆかりが。その間は爽がみのりを守り。


 爽がサンプル達のネットワークを断ち切った時にはゆかりが。ゆかりが電力管理室を無力化ささせた時には、ひなたが。その作戦は確かに功を奏した。


 でも、それももうお終いだ。


 靴をあえて鳴らす音が響く。

 量産型サンプル達が、ひなた達を整然と囲んでいた。


 廃棄物搬入口と見取り図にはあったが、今や人間の体が所狭しと転がっている。

 実験室にとっての廃棄物──つまり、廃材(スクラップ・チップス)の処理場ということなのか。ひなたは唇を噛む。どうしてこの人たちは、心なくこんなことができるのか?


「……お姉ちゃん、この中にお父さんがいるのかな?」


 ひなたは、みのりの手を握る。気休めの言葉が口から出かけては飲み込む。羽島は廃材だ。どのみち、その運命になることは間違いないのだ。


 ゆかりが、電力システムを停止した為、非常灯しか明かりがない中、あの男の声は鮮明に響いた。


「惜しいなぁ。実に惜しい。まだ、処理はされていないが、じきに処理される。君のお父さんは廃材(スクラップ・チップス)だからね」


 シリンジは粘るような笑みを浮かべていた。ひなたは迷わない。想定通りに、火炎の弾丸を連続でぶつける。


「陣形を組み、私の盾になれ!」


 シリンジの声はなお、ひなたの感情を逆撫でする。盾に? 貴方は何もしないくせに人を盾にするの?

 炎は火炎になり、火焔の渦を巻く。


「普通、能力の発動はタイムラグが生じるのだが、君はゼロモーションだ。発火能力(パイロキネシス)との相性はいいんだな。ところが、擬似重力操作では、3秒のタイムラグがある。それでも普通のサンプルに比べたら十分早い」


 と、ひなたが擬似重力操作で、量産型サンプルの念力弾(サイコネキシス・バレット)からみのりを守ろうした瞬間に、シリンジは雄弁に語る。


「遺伝子研究特化型サンプルの性能は伊達じゃない。だからこそ羨ましい。我々が、これほどに廃材を作ってなお、作り上げられない特化型サンプルという商品が」


 ひなたはその言葉を打ち消すように、火炎の弾丸を投げつける。だが、量産型サンプルは命令通りに、シリンジを守り続ける。シリンジはそれがさも当たり前で、何ら感謝を示すでもなく、彼らを踏みにじる。


「だが君は、実験材料に対して感情を揺れ動きすぎる傾向にある。考えてみたまえ。羽島公平も桑島ゆかりも、望んで実験室にその体を提供したのだ。我々が騙したワケじゃない。正しい契約のもとに、彼らは納得してサンプルになることを望んだ。それは遺伝子特化型サンプルである君も、そうだろう?」


「違う!」


 頭痛がする。私がサンプルになったのは──私がサンプルになったのは──ワタシがサンプルにナッタのは?


「やれ、【懐刀】」


 途端に、目眩が襲う。体のバランスが崩れそうになるのを、ひなたはかろうじて耐えた。炎が炸裂する。より激しく、より鮮烈に、より屍肉を焼きながら。


 目と目があう。嘘であって欲しかった。図書室でシリンジと邂逅した時、まさかと思っていた。信じたくなかった。でも爽が一切、そのことには触れなかったから、嘘だったと思い込みたかった。


 でもそれは、ひなたに余計な心配をかけまいという配慮で。

 最初に知っていたら、手加減して、躊躇ってしまう自分がいるのはよく分かるから。


「ほぅ」


 シリンジは感心する。


「そのライダースーツのせいか。【懐刀】の能力を軽減させる、とは。なかなかどうして、悪足掻きをする」


 シリンジはニンマリと笑む。ひなたは、全力でシリンジに目掛けて、火焔を叩きつけようとした。


「出力をあげろ【懐刀】金木涼太」


 視線を合わせまいと、でもその手が能力を確かに行使しているのを感じさせる。ひなたの膝が折れる。頭がガンガンする。量産型サンプルが、手の平をひなたとみのりに向けるのが見えた。


 守らないと。


 みのりを、念力弾(サイコネキシス・バレット)から。見えない力で潰されようとするのに必死で耐えるが、頭痛の酷さに耐えられない。吐き気まで込み上げてきた。


「させないって!」


 青白く光る電流。

 ゆかりが、全力疾走で駆け込んでくる。途端に、体が軽くなった。


「出力をあげろ」


 シリンジは命令を出す。


「む、無理だ……もう最大を……」


「出力をあげろ。余剰があるのは実験済みだ。金木、お前はそれぐらいしかサンプルとして役にたたない。役に立つのは、今しかない」


「シリンジ?」


 涼太は信じられないという目でシリンジを見る。


「出力を上げるんだ。役立たずは役立たずらしく、道具になれ。お前は私の言う通りに動けばいい。他は考えるな。お前は道具になるしか、人間としても最初から可能性はないんだ」


「な、何を勝手なことを──」


 とゆかりが、衝動て怒鳴り散らすよりも、少しだけひなたが早かった。


 言葉なく、手を振りかざす。まるで野球ボールを投げるように。それだけで、シリンジの体が発火する。


「私の友達を馬鹿にしないで」


「み、水、水、あ、あつ、熱い!貴様ら、水だ、量産型サンプル、水を、水を!」


 だが水などあるはずもない。ピクリとも動かない廃材とともに、シリンジの体は燃える。と、ひなたは指を鳴らす。火は突然消えた。


「は? きさま、どういう──」


 言葉は続かなかった。間髪入れず擬似重力が、シリンジを弾き飛ばした。


「あ、が、バカな──」


 シリンジは呼吸するのもやっとだ。擬似重力が肺を容赦なく圧迫する。


「金木君に謝れ。道具だなんて言うな。役立たずなんかじゃない。金木君は、転校して間もない私を励ましてくれたんだ。本当に心強かったんだ。ゆかりちゃんがいてくれて、私、笑っていいって思ったんだ。爽君が相棒だって言ってくれたから、何の力もない私だけど、みのりちゃんを助けたいって素直に思ったんだ。あなた達実験室はいつも、そう。悩んでいる人に甘い言葉で囁く癖に、すぐに使い捨てる。自分は何もしないくせに、偉そうに命令ばかり。楽しい? そんなに実験するの楽しい?」


 と、ひなたはのたうち回るシリンジを軽く蹴り上げる。筋力局所強化でシリンジは隔壁に衝突した。


「ひ、ひな先輩、おちついて!」


 これはオーバードライブなのだろうか? もしそうなら、ひなたが壊れてしまう。止めなければ、とゆかりは思う。壊れるのは、命が消えるのは自分だけで十分だ。だって、それは廃材としての自分の運命なのだ、もうそれで納得しているから。


「ひな先輩!」


 と、ひなたに手を伸ばしかけた瞬間だった。











 きぃぃぃんんんんん。



 鼓膜を突き刺す不快な音が響く。










 シリンジは苦痛も忘れて歓喜の表情を浮かべる。


「実験の開始だ! 後悔するんだな、特化型サンプル! 実験室に逆らったことを! 己の無知さを! 無力を痛感して、実験室のサンプルに舞い戻れ!」


 乏しい灯りの中、シリンジの振る舞いはシェイクスピア劇の俳優のようですらあった。

 ひなたはかろうじて顔を起こす。


 以前、保育園で鳴らされた音に似ている。似ているが、それよりもなお強烈でひなたの耳にも突き刺さる。


 ひなたはゆかりを見る。その音に耐え切れず、耳を塞いでいた。シリンジの哄笑が入り混じる。


「さぁ、廃材たちのオーバードライブ実験の開始だ!」


 シリンジの狂った笑みに呼応するように、横たわっていた廃材が静かに体を起こし始めたのだった。



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