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遺伝子特化型サンプル【デバッガー】水原爽が言うところの「あの人」は四方をディスプレイに囲まれ、情報の分析に没頭していた。爽からの全自動記録については情報量は然程多くは無い。彼に関しては、生体兆候のみの記録にとどめている。心拍数、呼吸数、能力稼働による細胞耐性も良好。
一方で実験室の監視システムを情報詐取。この短い期間でのあらましについては、事細かに掌握していた。
あえて監視システムにセキュリティホールを散らしている気がする。実験室のフラスコがやりそうな事だ。彼はさも知らない振りをしながら、全体の掌握に抜かりない。言ってみたら監視システムはこちらの動向を知る餌でもあるという事だが、それを理解した上で追尾不可な程、迂回して接続している。犯罪ハッカーや詐欺集団を介して海外サーバーを多重経由。逆探査は徒労に終わるし、多分フラスコならば、誰がハッキングしたかなどとっくに察しがついている。言わば、これは情報戦を模したギブアンドテイクだ。
もっとも、中途半端な贈与も詐取もしようものならまるごと失う。それが実験室という場所なのはイヤという程知っている。何せ一回は壊滅的な被害を受けながら、あっさりと復活したのだ。
否────。それすらも実験だった。【限りなく水色に近い緋色】を現実社会に放出する事により、彼女の精神安定がどこまで図れるのかを調査する為の。
表向きは遺伝子工学研究所、即ち実験室の継続を断念したように装い。これにより政治駆け引きの中でも、穏健派の実験倫理の追求を回避する。つまり生体実験施策は人道に悖ると世論に向けて非難される事を防ぐ為に。
重ねて、公的監査から外れる事で、第三者機関承認を待たずして禁忌実験に踏み込む事が可能というシナリオは、あまりに悪魔的と言わざる得ない。
その唇から溜息が漏れた。
室長フラスコは仮面の男だ。優男を演じるが、その内面はなんと計算高いことか。ただし誤算もあった。【限りなく水色に近い緋色】のレポートの確信部分は隠蔽されていたのだ。
研究者シャーレとスピッツは自分の子を実験台にした。良心の呵責があったかどうかは知らないが、実験室の監視を受け入れながら、一般人に戻る事を選択した。
極限能力最上稼働と実験室内部で記録された唯一の事例でもある。無論公式にされていない。実際、遺伝子工学第七研究所の崩壊は、周囲直径2キロに及んだ。発火能力の暴走はまるで意志をもったかのように破壊をし尽くした。正確なデータなどあの状況下ではあるはずも無いが、酸素を流動的に操作、集約した上で圧縮をしたのでは無いかと推測する。加えて、研究所の実験機材には廃材廃棄用の高濃度圧縮ガスがあった。厳重な管理すら【限りなく水色に近い緋色】の前では、あまりに無意味だった。あの戦慄は、その場に居た人間でしか分からない。
(それなのに爽君は臆さないんだね)
精神鑑定を行い、メンテナンスも定期的に行っているがエラーは無い。彼は彼の意志で【限りなく水色に近い緋色】に接触した。支援型としてはあまりに感情的な行動だが、それはそれで興味深い。彼が彼女に抱く感情は恋愛感情に適合するモノなのだろうか。実験室のサンプルは精神的に不安定な事が多いだけに、興味深いテーマだ。それは結局のところ、遺伝子特化型サンプルが安定稼働する事をも意味する。
何より、宗方ひなたには興味がある。第七研究室にいた時代の爽の記録があまりに少なすぎる。当時は遺伝子特化量産型サンプルのプロジェクトに大半の研究者が動員されていた。能力稼働は平均並み。しかし、その量産ラインを安定化させる事により、人工兵士を作り上げる。いかにも政治屋連中が好みそうなプロジェクトだった。
しかし、このプロジェクトも極限能力最上稼働により一時休止状態となり、離脱。実験室の籍を捨てて今がある。と言っても実験室は放ってくれるはずもなく。結局は情報戦の応酬となる。
せめてもの救いは実験室は戦闘型サンプルに傾倒しており、支援型サンプルの開発は停滞している所か。つまり現在の所、爽は実験室にとって重要では無いという事だ。
【限りなく水色に近い緋色】をバックアップする事に特化した支援型サンプルだという事実もまた、隠蔽している。また爽には積極的なチューニングも行わなかった。彼には実験室に関わる事が今後無ければ良いと密かに願っていただけに、それは脆くも崩れ去った結果になった訳だ。忌々しい、とも思う。
「トレーの爽君は素敵ね」
突然の介入に戸惑う。ディスプレイ正面に何の予兆もなく、女の姿が映る。キーボードを叩き逆探知を試みるが、それは無駄な努力な事は分かっている。
「シャーレ……」
「お久しぶりぶりね、トレー。こちらのモニターは、マスコミ関係の情報検索用だから支障はないでしょ?」
事も無げに言う。確かにマスコミはこの騒ぎにまだ何も感知してない。────と言うよりは実験室が情報統制をしたという方が正しいと思う。全てが終わった後に廃材・羽島を駆除した上で収束させる。それは【限りなく水色に近い緋色】であっても監視システムでも問題は無い。相も変わらずの実験室のシナリオには反吐が出る。どちらにせよ【限りなく水色に近い緋色】のデータを収集する算段だろうが、実戦経験の無い爽にしては健闘し撹乱していると言うべきだろう。
「デバッガーとしての精度が上がってるだけじゃないわね。環境構築、遠隔干渉、代替操作、情報管理、サンプル調整までしてるじゃない? ひなたとの適合率も高い。実験室を離れてよくここまで調整したものと感心したわ」
「シャーレのレポートに合わせて調整しただけだし。爽のロードマップとしては順当。むしろ実戦経験が足りないから後手後手は否めない」
「実戦経験なんかさせたら、目立って仕方ないわ。でもよく考えて作戦立案してると思うわよ? ひなたの優柔不断さは今後の課題だし、幕引きには丁度いいでしょ」
「むしろ幕開けだと思うけど?」
「言い方はなんでもいいのよ。トレーはトレーの目的で。私達は私達の目的で実験室を潰すだけ。トレーが欲しい【エメラルド・タブレット】への近道なのは間違いないでしょ?」
「シャーレにとっての【エリクシール】がそうであるように?」
トレーは表情を変えず、そしてシャーレは満面の笑顔で質問には答えない。
と、画面のハッキングした監視システムがひなたの強襲を映し出す。火焔の弾丸が雨のように廃材に降り注いでいた。
「やるじゃない」
とシャーレは嘆息をする。
「トレーの【デバッガー】は自分達がどう監視されているのか良く理解しているのね、頭が良い子。実験室に記録として残っている発火能力での陽動、そして不可視物理防御壁・ファイアーウォールで救出対象を保護とサンプル達へのブーストが【デバッガー】の仕事。さらにチェックメイトは、データ確認できない不確定サンプルのこの女の子。確か廃材だったはずよね?」
シャーレはすでに検索終えている。持ち得ている情報はほぼ一緒。後は爽がどれだけ情報を得ているか。だが、焦る事は無い。実験室は政治と密着した巨大組織になった。そう表現すれば脅威的に感じるが、肥大化したからこそ行動に緩慢になりがだ。彼らにとって【限りなく水色に近い緋色】の出現は監視対象でこそあれ、排除対象では無い。まして爽も彼女達も、まだ能力のコントロールにまで至ってない。彼女達が苦戦していた相手は所詮ただの廃材なのだ。実験室が未だ監視対象と誤認しているうちに、検査と調整を研究者レベルで施す必要がある。
それに、と思う。
【限りなく水色に近い緋色】としてではなく、宗方ひなた自身に興味がある。
爽がささやかな感情を捧げようと思った少女に。監視システムから見る限り、ひなたはあまりに戦意というものが無い。能力があっても、それを動かす意志がなければ、いずれ力に飲み込まれる。
爽を再び極限能力最上稼働に巻き込ませる訳にはいかない。それだけは絶対に、だ。と思う反面、例え廃材の暴走があったとしても、子どもの誘拐救出に爽が乗り出す事は無かった。その点もひなたの影響だとしたら、実に興味深い。
と────ディスプレイが強烈な光を放った。
監視システムの一台が沈黙する。桑島ゆかりの放った一撃で、廃材・羽島は吹き飛び、その電圧の余波に機器が漏電したと思われる。だが────
「な?」
トレーは目を疑う。保育園の時とは別物の統制された電流、そして電圧で無駄なく羽島を停止状態に追い込んだ。
爽が調整を施したのは確認済みだが、廃材が持ち得る生体電圧管理とは思えない。
(なにが起きてる……?)
トレーの探究心が疼くが、思考を切り替える。データを収集せず推測で考える事程危険な事は無い。まずは爽が無事ならそれで良い。
「さしずめ、超電導接触って所かしら?」
「……シャーレ」
「なに?」
「ずっと言おうと思ってたんだけど────なんで花柄エプロンでフライパン持ってるんだ?」
「変?」
「いや、変って言うか、僕は白衣のシャーレに見慣れてるから……」
「そりゃ、お母さんだから。私も年をとったって事。ひなたが帰ってくるまでに、パンケーキ作ってあげようかな、と思ってね」
にっこり笑うシャーレに、トレーはため息しか出てこない。
戦況は爽の頭脳労働と根回しにより終息したかに見えたが、トレーはこれで終わりだなんて信じない。遺伝子実験監視型サンプル・弁護なき裁判団の監視システムをハッキングしていたのだ。逆を返せば、【弁護なき裁判団】が動いている事を意味している。
(どう出る実験室?)
トレーは心の中だけで呟き、沈黙したカメラから監視システムの別のカメラにシフトする事にした。
「やったか?」
爽はやっと声を上げた。
ひなたとともに、2階から吹き抜けになっている作業場を見下ろす形で、ブーストとファイアーウォールの操作を行っていただけに、疲労度が強い。さらにひなたの発火能力の弾道誘導も行っていた。今回は正確でなくても良かったから余裕がもて助かった。要は、ゆかりが接近する猶予さえ作ればよかったし、その余裕とともにゆかりが万全の一撃を決める事ができたのだ。
爽はひなたとともに降りて、ゆかりと合流する。ゆかりも全精神力を使い、半ば放心気味だった。ふらふらになりながら爽に手を振る。
「桑島、よくやった」
そう言いながらも、ひなたとゆかりへ少女の元へ行くように指示をする。完全勝利だったが、悠長にしている時間も無いのだ。自分の判断が甘い事を自覚している。だが、羽島は生きている。それは逆を返せば、まだ足元にリスクが残っていることにほかならないのだ。
ファイアーウォールはもう解除してある。爽自身は、羽島の元へ駆け寄る。脈拍、呼吸ともに確認。正常値に近い。ゆかりによる電圧接触から覚醒は当分遠いはずだ。それまでに、羽島を保護する。
(やはり、ここはあの人に頼るしか無いか)
と思った瞬間だった。
荒々しい排気音が響き────十数台のオートバイが一斉に、工場内に雪崩れ込んでくる。
爽は思わず、残っている力を振り絞って、ファイアーウォールを再展開する。これで多少の事からは彼女達から守れるはずだ。
そう思った矢先、バイクごと、ひなたへ向けてバイクが突っ込む。それをファイアーウォールが弾く。見た目的には何もない場所からの反発なので重力操作のように思われるかもしれないが、人工的に力場を作り、物理的干渉に作用する。
もっとも耐性は弱いので、何枚にも重ねて張り出す必要があり、その分精神力を磨耗する。
と、オートバイの一台が爽に標的を絞る。さっきまで硬直していたひなたが、動いた。
「爽君!」
ゆかりも目を向けるが、力を使い果たした彼女ではどうにもならない。
爽のスマートフォンが、重力操作を検知する。オートバイが 爽自身にかけたファイアーウォールに接触する寸前、上へ回転して弾ける。慣性の法則をまるで無視して。
ひなたの重力操作である事はスマートフォンを見るまでもない。
「爽君を傷つけたら許さない!」
真っ直ぐな言葉が意志をこめる。それを爽は唖然として聞き、ゆかりは爽に向けてニヤニヤとした冷やかしの笑みを送り。
(今、そんな場合じゃないだろ!)
思考を切り替え────る?
爽は目を疑った。ひなたの能力でバイクが粉砕されたが炎上する事なく、ライダーとともに砂塵になる。その間も他のライダー達が騒音のように排気音を喚き散らす事は変わらない。
(量産型サンプル?)
だが検証している時間は無い。ひなたは今でこそ戦意を宿したが、この数を殲滅できるかどうかは分からないし、爽自身、余力が残っていない。戦場で守りながら戦うのは支援型にはリスクが高い事を思い知らされた。
(どうする? どうする?)
と、オートバイの一人が羽島の近くで静止する。黒のヘルメット、黒のライダースーツ、黒のオートバイ。全員の出で立ちがそれで、爽は妙な気色悪さを感じていた。
「我々は、国の現状に憂慮する国民国防委員会である。同志を引き取らせてもらう」
そう言うや否や、羽島の体を片手で拾い上げる。それも無造作に。その力の流れ、筋力の緊張は実験室の筋力局所強化体の技術に他ならない。
「素晴らしい。諸君らも同志として、この国を変える為にともに共闘しないか。敵は外夷に限らず。腐敗の政治と、腐乱の国民性にあり。選抜された高い理想をもつ者だけが、日出ずる国の使徒に相応しい」
爽は唖然とするしかない。国民国防委員会といえば暴力団まがいの軍国傾倒主義者達の政党名である。だが、明らかに実験室のテクノロジーを施されたサンプルだ、此処にいるライダー達は。
ここは情報を引き出しつつ、策を整えるか。工場内にオートバイが13台。うち1台はひなたが消滅させ12台。広い作業場だが、オートバイ集団が暴れまわるのは狭い。遠隔干渉で工場内の機器に接続するのが得策か。手を模したクレーン型マニピュレータが10台ある。これは活用できる。後はひなたの余力と────。
「あなた達に協力する訳ないでしょ! ばーか!!」
余力ゼロのゆかりだった。全て台無しである。
爽はため息をつきつつ、苦笑を隠さない。ひなたは拳を固めている。臆していない。
「爽君」
「うん?」
「爽君は私が守る。ゆかりちゃんも、羽島さんも、娘さんも。みんなみんな」
「それは一緒に守ろうと言って欲しいね、相棒」
ひなたは爽の顔を驚いたように見て────そして破顔し頷いた。満面の笑顔で。
「私もいるからね」
とゆかりは、パチンと雷光をその手に宿すが、心なしか弱い。
「桑島、お前は羽島の娘ちゃん担当だ。ひなた、全ブーストをひなたにかけるよ。覚悟はいい? ひなただけが頼りだ」
「うん、分かった」
と言った刹那だった。サイレンの音がなる。
警察のパトカーの音だった。
「已む得ない、撤収だ」
とライダーの一人が言った。排気音が耳をつんざく。一斉にバイク達が埃を巻き上げて退避する。
「羽島さんが!」
だが爽はひなたの肩を抑え、首を横に振った。深追いは意味が無い。そして余力も無い。
静寂、パトカーのサイレンの音も止まる。間をあけず、一人の男が駆けてきた。
「大丈夫ですか?」
背広の男が声をかける。
「は、はい」
とひなたが答えてくれたので、爽は言葉にしない。違和感があって。それは異和感とも言えて。
「僕は県警捜査一課の遠藤遼です。保育園児が誘拐されたという通報により捜査中だったのですが、まさか国民国防委員会が絡んでいるとはね」
「え?」
爽は顔を上げる。
「黒いライダースーツに黒ヘルメット、黒オートバイは国民国防委員会が好むスタイルなんだよ。あ、そうそう、これ食べる?」
と取り出したのは、棒付きキャンディーだった。ひなたは困惑して、爽を見る。とりあえず頷いて受け取ろうと────絶句する。
トムヤンクン味だって?
「意外に美味しいよ?」
とすでに舐めているゆかりが言った。金輪際、ゆかりの味覚は絶対に信じない。
「でしょ?」
と自身も舐めながらニコニコで遠藤は言う。そして、ひなたを覗きこむように囁く。
「無事でみんな何よりだったね。ちょっと事情徴収させてもらうけど、いいかな?」
にっこり笑んで。ひなたは不安そうに爽を見る。警察官相手だ、爽は頷くしか無い。立ち回る自身はある、其れこそが爽の仕事だった。
だが、拭えない違和感。
情報集が足りなすぎる。推測は状況判断を見誤るが、直感は大事にしろとあの人は言う。その直感を信じるのであれば────国民国防委員会のライダー達は十三人いたが、まるで一人を相手にしているようだったのだ。
次回 限りなく水色に近い緋色
県警捜査一課、遠藤遼の取り調べは爽との頭脳戦とキャンディの応酬だった。そして爽が言う「あの人」がひなたに接触する。
ゆかり「ところでさ」
爽「うん?」
ゆかり「Twitterで面白いの見つけた。【好きな人に壁ドンされちゃった…///】っていう診断メーカー」
ひなた「?」
ゆかり「それでは行ってみます!」
宗方ひなたを壁ドンした時の反応
1.イケメンじゃなきゃ無理(ブスッ)
2.CMのノリでやらないで
http://shindanmaker.com/482693
爽「ひなた、お前意外にヒドイ」
ひなた「わ、私、そんな事言わないもん!」
ゆかり「次回は私の壁ドンの反応です! お楽しみに!」
爽「本編をお楽しみにって言ってくれよ……」
ひなた「次回15話、お楽しみに」
来週も日曜8時に更新できたらいいなぁと思ってます。
お読み頂き有難うございました。




