12
ゆかりは左耳にはめたイヤーチップに集中する。保育園に突入する直前に爽が渡してくれていたモノだった。本当なら、ひなたのようなペンダントが欲しい。特別な能力はいらないけど、と本末転倒な事を思う。
あのペンダントはひなたにカスタマイズされているのも承知している。
それでも────爽と繋がる事ができるのなら、少しでも拠り所が欲しい。ゆかりに残された時間はわずかしか無い。そう思うと焦る。
水原爽は自分の事など見向きもしない。最初からゆかりは、そう結論付ていた。彼は学校でも、線を引くべき存在だった。どの女子から見てもそうだったろう。
誰にも優しく、誰にもさり気なく。少し『いいなぁ』『仲良くなりたいなぁ』と思った瞬間に、線を引かれてその手は届かない。爽はそんな存在だった。
ゆかりが知る中でも、爽に仄かな感情を抱いていた子を少なからず知っている。勇気を振り絞って、告白をした女子だって、幾数人。全て玉砕だったのは、爽の心は宗方ひなたという転校生全てに捧げられていた事を知る。
爽は遺伝子特化型サンプルだと言う。ゆかりは、研究室の実験について細かい事は知らないが、彼の能力は戦闘特化型サンプルではない。支援型サンプルだ。埋め込み型のブーストでは為し得ない力の流動に驚く。ここまで効率的に能力を行使できた事はなかった。細胞への負担も多分、今まで一番軽く────否、ほとんど無いに等しい。
ひなたが、特化型サンプルなのは理解するが、爽もまた別次元の人だった。彼と彼女の接点は、学校とう枠を超えて、【実験室】にまで遡るのだ。それはどんな女子も────ゆかりなど、どう足掻いてもかなうはずも無く。
「桑島、桑島、聞こえるか!」
ノイズ混じりで、イヤーチップから想い人の声が聞こえてきて焦る。
「あ、え、うん?」
自分はとても腑抜けた声を出していた気がする。思わず、自転車を運転するバランスを崩しそうになった。
「桑島?」
「あ、大丈夫。それより水原先輩、このまま進んでいいの? ヤツがまったく見えないんだけど」
「河川敷を北上してる。桑島、橋を渡れ。多分、奴は北区に入る」
北区は田舎町という表現が似合う田園風景の残るベッドタウンだ。閑静な住宅街に潜む廃材という名の誘拐犯。どことなくシュールで笑えない。
「あっちはバイクで、私は自転車ってかなりハンデあり過ぎなんですけど?」
「監視マーカーで追跡できているうちは大丈夫。焦らなくて良い。俺達もできるだけ早く、追いつくようにするから。それと仮に追いついても、即接触は禁止ね」
後半息切れする爽に、ゆかりは苦笑を浮かべる。戦闘型サンプルや廃材に比べて、支援型サンプルは総合体力でどうしても劣る。体力、火力、能力を排除し支援や索敵、環境改善に特化する故に仕方ないが、単体ではあまりにか弱い。だからいざとなったら、爽の事は自分が守る。そうやくりは決意を固めていた。
「おい、ひなた、あまりくっつくな。その胸があたって────」
「でも爽君、下り坂でスピード出て、コワイコワイ! 怖いから!」
そう言えばひなたはバス通学なので、自転車が無い。必然的に爽の自転車の後ろに乗る羽目になるのだろうが、釈然としない。自分が必死で追跡している最中、彼らは青春真っ只中。今すぐ雷撃を放ってやりたい気分に駆り立てられる。
全部、台無しだ。
「水原先輩」
「な、な、何?!」
最早、爽には余裕が無い。いざ実験室とら合間見えた時の冷静沈着さはまるで消し飛んだ様相に、 ゆかりは小さく笑む。
「頑張るから、絶対ご褒美頂戴」
「奢れの件?」
「勿論。その代わり高いですよ?」
ゆかりが邪笑をあえて浮かべると、爽は小さく息をついた。
「桑島、絶対に行くまで無理するなよ?」
爽の心配は別方向で。気遣ってくれる爽の優しさが妙に嬉しくて。単純な自分に苦笑しながら、通信を切った。
ゆかりとの通信を切った後も、爽の心配は尽きない。さすがは実験室の戦闘特化型素材、ゆかりにも位置情報はマーカーしているのだが、自転車移動のスピードが早い。赤信号で自転車を止めた際にスマートフォンで追跡マーカーの位置情報を再度検索するが、廃材羽島と距離を少しずつ縮めつつあった。問題は自分たちがどの段階で追いつけるか。場合によっては公共交通機関に乗り換えてもいい。スピード決戦のカーチェイスではなく、【彼】をどの状態で屈服させるか、そこにかかっている。だが然程の問題ではないと思っている。ただ爽の中で別の迷いがあった。
このまま実験室に関わることに、だ。
ひなたは【実験室】という組織について理解が無いに等しい。勿論、爽自身も全貌を把握している訳じゃない。ただ【あの人】を通しての予備知識があるだけだ。そして、あの人による『庇護』があるから干渉を受けなかったに過ぎない。遺伝子特化型サンプルでありながら、支援型という条件も監視を緩和されていた理由だと思うが、何より【あの人】の存在感と影響力に大きく助けられている事を実感する。 だからこそ────ひなたがどう選択するか、ではなく爽自身がどう選択するか。
失いたくないモノ、手放したくないモノ、後悔、現状認識、精査分析を繰り返そうと努力するが、現状の情報が少なすぎる。
『覚悟ある?』
あの人は悪戯めかした笑顔で囁くが、こういう時の目はいつも笑ってない。
────ある。爽はそう答える。
『爽君が彼女を探す事は、言ってみたら実験室に向けて存在を示す事と何ら変わらない。つまり、 ココにいると挙手するようなモノ。覚悟とはそういう事。重ねて聞くけど、その覚悟はあるの?』
無策では、無計画では、ただの感情では事態を打開できない。それだけ爽が求めた少女の存在は大きく、影響力は計り知れない。
『まぁ、爽君の決意は前から聞いていたし、今更ではあるんだけどね』
あの人はそう笑う。
『がんばれ、男の子』
あの人から剣呑な表情は消えて、そう笑う。
覚悟────。爽は反芻する。情報が足りない。できるなら実験室とは距離を置きたい。ひなたを普通の女の子として幸せにしてあげたい。それが押し付けのエゴであったとしても。
「爽君」
ぎゅっとひなたにしがみつかれて、我に返る。
「え?」
「代わるよ? 爽君がきつそう」
「大丈夫。ひなたには体力を温存してもらわないと────」
さらにぎゅっと、ひなたが爽を後ろから抱き締めた。
「え?」
爽は自転車のスピードを緩める。
「私は自分の能力が怖い。怖くて仕方なかった。それを誰かを助ける力にできるかも、って思えたのは爽君のおかげ。だから、私にもできる事をさせて」
「ひなた?」
「私は何も分かってない」
爽の制服を掴んで言う。その手に少し力がこめられた。
「誰かに向けて力を使うのはやっぱり怖い」
爽は自転車を止める。ひなたの言葉に耳を傾ける事に集中する。
「うん」
「でも、爽君があの人に体当たりを受けた時、頭が真っ白になった。もう少し間違ってたら、爽君を失うかもしれないって思うと、怖くて」
ひなたは爽の背中に頬を押し当てる。爽は自分の理性を抑えるのに必死になりながら、再度聞く事に集中する。無自覚すぎるのだ、ひなたは。
「うん」
「でもあの状態のまま、知らないふりはできない」
「ひなたならそう言うと思ったよ」
爽は小さく笑う。
「爽君」
「うん?」
「私を導いて。私、勇気を出すから」
「ひなた?」
「怖くても、誰かを傷つけても。例え、誰かを殺す事になっても爽君とゆかりちゃんの事は守る。そこは譲らない。絶対に譲らないから」
ぎゅっと、ひなたは爽の背中を掴む。爽の想像力が足りなかったというべきか。彼女は常に大きすぎる能力に翻弄されてきた。結局、安定したのも爽がブースターとブレーキで仲介している事を実感した今日の話なのだ。それまでのひなたは、能力に怯えてきた。今回の作戦ミスは、爽の分析ミス────敵ではなく、ひなたに対しての。ひなたが今まで抱えてきた、不安に対してのケアに着眼していなかった。
だから爽は、自転車から降りて、ひなたの顔を直視する、
「爽君?」
「ひなたはあの廃材を救いたいと思った。そうだよね?」
「え、うん」
コクリとひなたは頷く。
「ひなたは保育園の子ども達や先生が怖い思いをしていたから、助けたいと思った。そうだよね?」
「う、うん」
「だったら1つは達成した訳じゃない? 今度は廃材とあの子を助けよう。ひなたは桑島を助ける事ができたんだ。あの親子も助けよう」
「うん!」
満面の笑顔で頷く。爽も笑顔で返した。
変なプライドは捨てろ。爽は言い聞かせる。そもそも爽が支援型である以上、ひなたやゆかりと、双肩を並べる事の方が無理なのだ。
爽の戦い方は、彼女たちと同列であってはならない。────のだが、やっぱり自転車二人乗りで女の子に漕いでもらうのは、誰もいなくても周囲を意識してしまう。
「イメージ」
ひなたは呟いた。
「え?」
「イメージでコンディションを整えるんだよね?」
保育園での爽のアドバイスをなぞるように呟く。違和感を感じた。否────ひなたの中の何かが変わったような感覚が爽に伝播する。
ペダルを漕ぐ。その瞬間、自転車は加速した。
「え? え? え?」
思わず爽はひなたにしがみつく。
風を切る。その表現でしか言い表せない。法定速度60キロで走る車を、自転車がいとも簡単に追い越していく。その加速があまりに急すぎて、爽の感覚がついていけない。
「ちょっと、ひなた?」
「えっと、爽君。もう少しスピード出すよ?」
「え?────って、オイ、ちょっと!」
「それっ!!!」
思わず、さらに強くひなたの腰にしがみつく。もうプライドも何も余裕が無い。
「あ、爽君。あんまり近いのはさすがに恥ずかしいんだけど?」
「む、無茶言うなぁぁ!」
絶叫しながらも、笑い出す爽がいて。なんて子だ、分析していないが、間違いなくこの加速は、筋力局所強化を下肢に施したのだ。無茶苦茶にも程がある。【限りなく水色に近い緋色】の底なしさに驚愕せざる得ない。実験室がデータを収集したら、兵器としても欲しい素材であるのは間違いない。その情報戦からもひなたを守りたい。それは偽らざる、爽の本心だった。
速度は自転車の規定外だが、運転そのものは安定している。
爽はスマートフォンに目を向ける。
廃材・羽島の動きが止まった。自分たちとゆかりとの距離も近い。近すぎた。慌てて、通信を接続する。
「桑島、聞こえるか?!」
「はぁい。何?」
「そこで待機。あと少しで追いつける」
「…水原先輩無理しすぎじゃない? さすがに距離的に無理────」
「ひなた止まれ!」
爽の声は絶叫にも近い。ゆかりを追い越してから、ようやくブレーキをかけて、爽を放り投げての停車。ゆかりは、眼前の事態に唖然とするしか無い。爽は畑の中にしたたかに叩きつけられた。
「爽君、ゴメン、ゴメンなさい!」
慌てて、爽に駆け寄るひなたより、ゆかりの方が早かった。無意識に爽を抱き締める。
「二人とも無理しすぎ!」
呆れながら、軽い脳震盪をおこして悶える爽を心配しながら。
「爽君、ゴメン」
半泣きにも近いひなたを励ましつつ、ゆかりは小さく息を吐く。ひなたはゆかりにとってのライバルで、ココで罵倒してあげてもいいはずなのに、ゆかりにはその言葉が何故か出てこない。
10分間のイレギュラーな作戦休止の間も、事態は動いていた事をひなた達は知る由もなかった。
微睡みの中、緋色は意識を水色に向けた。
水色の軟弱な意志など興味はなかったが、この短い時間で「水色の特性」について「水色」が認識を始めた。その事実に、緋色に歓喜が沸き起こる。
生きる事に渇望の無かった水色が、力を求め始めている。
緋色にとっては、対峙するに値もしない下等種、実験サンプルの失敗作だが、余計な感情が邪魔をして灰にする事もできない水色。
緋色は思う。
(意志薄弱な)
この世は生存競争だ。強い種が残る。弱い種は絶滅するだけだ。脆弱なニンゲンがいくら保護を叫んだところで、絶滅危惧種がこの大地からいなくなるのは、味生存競争ルールから見ても当然も事なのだ。むしろ弱いものを保護しようとするから、生態系が乱れる。それが力ある緋色には不愉快でならない。あまりに病的だから、腐食の進行が早くなる。力のないニンゲンが平等を叫ぶ。その努力も無く、醜態の生き様を晒しながら。実験室という存在がその良い例ではないか。
まぁ、好きにするがいい。
微睡みに身を任せて、緋色は呟く。
水色は手を差し伸べたいと言う。
強欲で溢れた実験動物に対して、助けてあげたい、と言う。
なんて甘い。
肉食動物が食ってしまった草食動物の情念に涙を流すようなものだ。あれ程美味い美味いと食べた後で。
真実を知り、水色は絶望をするだろう。だが、それも経験だ。水色には経験が足りなさすぎる。
緋色が自由に目覚めるその時の為に。
微睡みの中に緋色の冷たく、小さな笑みが消えていった。
大分遅くなり申し訳ありません。不定期更新としましたが、できるだけ早く次話更新を目指します!
あぁ、怠惰な自分が嘆かわしい。