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同じ夜の夢は覚めない 3  作者: 雪山ユウグレ
第10話 夢が迷う真っ直ぐな道
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3

 授業はつつがなく終わった。妹を佐羽の策略によって失った担任教師による数学の授業も、昨日必死で課題を片付けたるうかの苦手な英語の授業も、淡々と過ぎていった。クラスメイト達の一部は相変わらずくだらない噂話に興じているようだったが、るうかにとってはどうでもいいことだった。ただし理紗はそれらの噂を耳にして大層憤慨しており、静稀(しずき)(ほぎ)が暴れる彼女を取り押さえて宥めるという一幕があり、それだけが唯一事件と呼べるものだった。

 放課後、るうかの快気祝いに甘い物でも食べにいこうと誘ってくれた理紗達に「用があるからまた今度」とすげない断りの言葉を告げ、るうかは一目散に学校を出てひとまず頼成の自宅アパートを目指した。留守だろうということは分かっていたが、一応確かめておこうという心積もりである。外扉を開けて中に入り、オートロックの自動ドアを前にインターホンで605号室を呼び出す。応答はない。見れば壁に並んだメールボックスも605号室のものにだけチラシやら何やらが詰まっていた。やはり頼成はしばらくここに帰っていないらしい。

 るうかは次に地下鉄に乗り、朝倉医院へと向かった。そしてこの間の看護師に挨拶をしてから佐羽の病室へと向かう。佐羽はベッドの上でスマートフォンを片手に何やら暇潰しをしていたが、るうかの姿を見とめるとふふっと意味ありげな微笑を浮かべて出迎えた。頬のガーゼは一回り小さくなっている。

「いらっしゃい。来るんじゃないかなって思っていたよ」

「傷の具合はどうですか?」

「うん、まぁ痛むけど大丈夫。……それに、君はそんなことを聞くためにわざわざここまで来たわけじゃないんでしょう?」

 何もかもを見透かしたように言う佐羽に対してるうかは少しだけ呆れながらこう返す。

「お見舞いに来たのも本当ですよ。一度は心臓が止まったっていうくらいなんですから、心配して当たり前です」

「……そっか、ごめんね。ありがとう」

 佐羽は少しだけ困ったような、くすぐったそうな顔でそんなことを言う。それから彼はまだ手に持っていたスマートフォンをベッドの上に置いて、改めてるうかの顔を見た。

「でも、本題は頼成のことだよね。一応俺もここでできる限りの手は尽くして調べてみた。報告した方がいい?」

 お願いします、とるうかは答える。佐羽は黙って頷くと、彼が集めたという情報を丁寧に教えてくれた。

 まず大学の方だが、他の学部に先駆けて今週の初めから始まった薬学部の臨時ゼミに一度だけ姿を見せたのを最後に目撃情報が途絶えているという。大学そのものはまだ夏季休業の期間であるためにそもそも講義そのものがほとんどない。休学の届けなどは今の所提出されていないようだとのことだった。

 阿也乃が支給しているカプセル発信機の方も相変わらず反応がないとのことで、インターネット方面に明るい緑に頼んで他のルートからも色々と探りを入れてはみたものの特に収穫はなかったという。

 さらにここの医院に住み込みで勤めている湖澄(こずみ)も彼なりに頼成の行方を捜したらしいが、やはり何も手掛かりはなかったらしい。予想の範疇ではあったものの、こうもないない尽くしでは先が思いやられる。

 ふぅ、と思わず溜め息をついたるうかに、佐羽はふっと静かな瞳で告げる。

「るうかちゃん、これは俺の推測だけど……多分、頼成はただ裏切ったわけじゃない」

「……それは、あの、私の……」

「ああ、裏切った理由とかそういう話じゃなくってね」

 佐羽はるうかの言葉を遮るとにこりと微笑み、自分の口元に人差し指を当てる。

「それは口に出さない方がいいよ。……輝名(かぐな)にも似たようなことを言われなかった?」

「……。じゃあ、どういう意味ですか?」

 頼成がるうかを守るために裏切ったのなら、それを当のるうかに知られることによって彼の立場もるうかの安全も危うくなる。確かに輝名はそう言っていた。佐羽もやはり同じように考えているようで、素直に黙ったるうかに向かって再び笑顔を向けてから口を開く。

「この街にいて、ゆきさんや緑さんの捜索網に引っ掛からない。それって結構おかしいことなんだよ。浅海柚橘葉(ゆきは)が巧妙に隠しているか、それとも……」

「……」

「……本当のところは本人に聞くしかない。聞いても答えないだろうけどね。でも俺が言えるのは、俺達は結局“一世”達のゲームの駒でしかないっていうこと。駒がどんな感情を持ってどんな風に動こうとしたって、指し手の気まぐれひとつでころっと転がりかねないんだ。俺も、頼成も……」

 傷だらけの身体で天井を見上げ、佐羽は少しだけ悲しそうに呟いた。そして彼は次に「ごめんね」とるうかの方を見ないまま言う。

「学校、大変でしょう?」

「え?」

「あることないこと言われたり、いじめられたりしていない? あの写真がネットに流れたことで、学校での君の立場がどうなったのか……想像はつくよ」

「落石さん……」

「ごめんね。俺のせいで面倒なことになっちゃって」

 そう言って本当に申し訳なさそうに瞳を伏せる彼は紛れもなく普通の青年だった。女性を言葉巧みに騙して自分を愛させ、その感情を卑劣で残酷極まりないやり方で叩き壊しては彼女達を絶望の末の死にまで追いやってきた外道の姿はそこにない。柚木阿也乃の駒としての“落石佐羽”は間違いなく外道なのだろうが、今ここで身動きすらろくに取れずに悄然としている彼はただの落石佐羽だった。るうかや頼成がずっと見てきた彼だった。

「大丈夫です」

 るうかは言って、そっと佐羽の頬に触れる。その目尻にわずかに浮かんだ涙を指ですくい、できるだけ強く笑ってみせる。

「確かに噂にはなっていますけど、気にするほどのことにはなっていないですから。落石さんは、今は身体を治すことに専念してください」

「……るうかちゃん」

「槍昔さんは私が捜しますから」

 ぱちり、と佐羽が目を見開いた。彼は少しだけ慌てた様子で、しかしゆっくりと噛んで含めるようにるうかに声を掛ける。

「ええと、俺のさっきの話を聞いていたよね? 手掛かりはない。君が頼成を捜せば君にも危険が及びかねない。それに、相手は浅海柚橘葉だけとは限らない」

「はい」

「それでも、捜す?」

「はい」

「……何のために?」

 頼成は進んで裏切ったわけではない。局面が変わればまた共に戦うこともできるだろう。むしろきっとそうなるはずだ。佐羽はそう言ってるうかを引き留めようとする。しかしるうかは頑として首を横に振った。

「そうやって辛いことを槍昔さんだけに押し付けるわけにはいきません。信念を曲げてまで私を守ってくれている人に、私ができるのはその苦しさを半分受け持つことだけです」

 佐羽はるうかの言葉を聞いて少しだけ表情を変えたが、それでも縋るような瞳で尋ねてくる。

「待ってあげることはできないの?」

 待ってやってほしいのだと、その瞳は語っていた。頼成の好きなようにやらせてやってほしいと。確かに彼からすればそう言いたくもなるのだろう。頼成が彼の所業を知っても何も言わずにただその身だけを救ったように、彼はるうかにもただ頼成を信じて待つことを願っている。しかしそれは佐羽の考え方であって、るうかのものではない。

「待っていたら、私、きっと干からびちゃいます」

「……」

「悲しいんです。会えなくて、辛いんです。もしそれで槍昔さんの身が危なくなったり、私自身が殺されたとしても……会えないままよりいいって、そんなことまで考えてしまうくらいに寂しいんです」

 とんだ自己中心的思考だとるうか自身も分かっている。それでも気が急くのはどうしようもない。局面が変われば、というがそれがいつになるのかなどまるで分からないのだ。その前に何かが起こらないとは限らないのだ。何か得体の知れないものがるうかを後ろから急き立てている。

「会わないと。槍昔さんに、ちゃんと向き合わないと」

「……そっか。そうだよね。頼成は君の恋人だもんね」

 ふふっ、と笑って佐羽はさらに堪えきれない様子でくすくすと笑い続ける。その目尻からまた新しい涙が一筋流れて枕に落ちた。

「いいなぁ、羨ましいなぁ。頼成も馬鹿だよね、1人で抱え込むなんてことをしないで初めからるうかちゃんと一緒にいられる道を探せばよかったのに。本当、そういうところで格好をつけようとするからこんなに馬鹿なことになっちゃうんだよ。そう思わない?」

「私には槍昔さんのしたことを否定できないですよ」

「うん、そうだね。だから君は頼成を捜しに行くんだものね」

 はい、とるうかは頷いた。うん、と佐羽も頷いた。それから彼はスマートフォンを手に取ると、何やら操作をする。するとるうかの鞄の中で彼女の携帯電話が震えた。

「緑さんの電話番号とアドレス、あとついでに佐保里のも俺が知っているやつだけ送っておいたから。もしも使う機会があったら自由にどうぞ」

「あ……ありがとうございます」

「俺がこんな状態じゃなければね。……気を付けて、頑張って」

 俺は君と頼成の味方だからね、と佐羽は屈託のない笑顔でそう言った。るうかはその言葉をしっかりと胸に留めると、唇を引き結んで頷きを返す。そして挨拶もそこそこに佐羽の病室を後にした。

 1人で病室に残された佐羽は眉根を寄せてあーあと溜め息をつく。

「敵わないなぁ……彼女なら頼成を見付けちゃう気がする。なんでなんだろう」

「現実を見てもなおそれを決めつけることなく受け止めることのできる目を持っているから」

 1人のはずの病室に響いた声に佐羽は顔も上げずにただ苦笑する。

「朝倉医院の幽霊さん。俺は答えなんて求めてないよ」

「分からない」

「だろうね。でも、人間ってそういうものなんだ。答えがないことに囲まれて、そうやって生きているんだよ。だから……放っておいてほしい」

 小さく呟いた佐羽の言葉に返る答えはなかった。

執筆日2014/03/14

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