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本当にできるのか。そう祝は輝名に尋ねる。何がだ、と輝名は問い返した。
「決まってるだろ、本当に……もう、夢から覚めなくなるのか? まさかそれって死ぬってことじゃないよな」
祝の言葉に理紗がびくりと身をすくませる。るうかはそんな彼女を抱き寄せた。輝名はふふんと笑いながら流し目で祝を見やる。
「馬鹿か。この世界の住人であるお前がこの世界で死ねば、向こうの世界のお前も死ぬ。夢を見る者がいなくなれば夢は終わる。当然だろ」
「……だったら、どうやって」
「この世界のお前と夢の世界のお前を切り離す。そして今のお前の意識を夢の世界にだけ残す。そうすればこの世界のお前はもうお前じゃなくなる。ただの“ホギ”という名前だけを残した抜け殻だ。お前の意識も、意思も何もそこには残らない。お前の責任も何も残らない。お前はただの高校生として、向こうの世界で呑気に学業にでも部活にでも勤しめばいい」
「……」
祝は信じられないという表情で輝名を見ていた。しかしるうかは輝名の言っている意味を理解する。以前、頼成が余命いくばくもないだろう病に冒された老婆に治癒術を施したことがあった。そのとき彼は彼女を向こうの世界から切り離すための呪文も同時に使っていた。それはつまり、向こうの世界ではすでに死の運命から逃れられない彼女をその現実から切り離すことで、彼女にとっての夢の世界で生きる道を作ったということだ。そういう魔法があるということは、るうか自身も頼成の口から聞いていた。
「もしあんたが望むなら、こっちのあんたと向こうの……夢のあんたを切り離すこともできるんだぞ」
「……夢の中に“るうか”はいるけど、それは“舞場るうか”じゃなくなる。経験や記憶を共有することはなくなる。“あんた”が血を浴びることはなくなるんだ」
かつて頼成はそうるうかに持ちかけたのだ。るうかが今の祝のようにこの世界の過酷さに嫌気が差しているのなら、その夢から切り離すこともできると。しかしるうかはそれを断った。
「祝、それでいいの?」
理紗が幼馴染みに向かって言う。彼女が祝の出生のことや現在の状況をどれだけ理解しているかは分からない。ただ、その瞳は真っ直ぐに祝を捉えていた。祝は握り締めた拳を震わせながら頷く。
「もう……たくさんだ」
罪も責任も、全てを捨てて楽になりたい。勿論それはあくまで事象としてのことであり、きっと祝の記憶の中からそれらが消えることはないのだろう。桂木祝はこの世界の“ホギ”のまま夢の世界に居を移すのだ。それは帰るべき故郷を失うということでもある。
「そうか」
輝名は静かな顔で頷きを返した。それから少し考えた後、改めて祝に問い掛ける。
「一応、最終確認だ。一度切り離した夢にはもう二度と戻ることはできない。それはルール違反だ。選択の機会は一度しかない。たとえ向こうの世界でうまくいかずに挫折したとしても、お前はこの世界に戻ってやり直すことはできない」
「……」
「お前がどう考えているかは知らねぇが、向こうの世界だって決して楽なもんじゃねぇ。学校では常に誰かと比較され、やれ進路だ何だと望んでもいない選択肢を提示されては惑わされる。高校を卒業して、その後どうするとか考えてはいるのか? 進学にしろ就職にしろ道はそう多くない。今まで色のない騎士として働いてきたお前なら少々の苦労で音を上げたりはしないだろうが、それでも不慣れな仕事や環境はお前を追い込むこともあるだろう。いいか、どっちの世界にだって苦痛はある。それを分かった上で選択するのなら、俺はもう何も言わねぇよ」
そもそもそれ以上言うことがあるだろうかというくらいに言いたいことを言い終えて、輝名は黙る。後はもう祝が最後の答えを出すだけだ。るうかは祝を見つめながらもどこかぼんやりとその向こうの林を眺めていた。
この世界と向こうの世界。るうかにとっての現実は果たしてどちらなのだろうか。
るうかがそんなことを考えている間にも祝はすでに腹は決まっていると笑みさえ浮かべて頷いていた。るうかの隣で理紗が震える声で幼馴染みを呼ぶ。
「祝……」
「ああ。そうだ、理紗も……もうこの夢から覚めたっていいんだろ?」
べっとりと血の付いた黒い鎧をまとったまま、祝はそう言って理紗に笑いかけた。一緒に“現実”に帰ろうと。理紗は一も二もなく頷く。そして2人は次にるうかへと視線を向けた。
「舞場、お前も……どうだ?」
祝が誘う。同じ高校の同じ教室で毎日のように顔を合わせてきた彼は一体いつからるうかのことに気が付いていたのだろうか。たとえ同じ夢を共有していることに気が付いていたとしても、この世界は広い。こうして出会う確率は決して高くなかったはずだ。そのわずかな可能性が結び付けたこの機会に一緒に向こうの世界に帰ろうと、そう祝は言う。
「もういいだろ。青の聖者は裏切った。黄の魔王は言わずもがなだ。銀の聖者はまともそうだけど、それでもお前をこの世界に繋ぎ止める理由にはなりそうもない」
祝は湖澄が静稀の行方不明の兄だとは気付いていない様子である。そもそも面識がなかったのだろう。それは湖澄にとっては幸運だった。
「るーか、ねぇ……あたしも、もういいと思う。だって、こんなことしてたらるーか、いつか死んじゃうよ……?」
仮面の奥で悲惨な光景を見つめてきた理紗もそう言って友人をこの過酷な世界から救い上げようと手を伸ばす。差し出された右手は傷ひとつなく綺麗で、るうかはそっと自分の手を見た。血に塗れた手袋を外してもなお、そこには鉄錆のような臭いが染みついている。
るうかは笑顔で首を横に振った。
「ごめん、私はまだこの夢を……ううん、こっちの世界を捨てられない」
「舞場」
「桂木くんの言いたいことは分かる。理紗ちゃんの気持ちも嬉しい。でも、私は」
そこまで言って、るうかは沈黙する。るうかをこの世界に繋ぎ止めているのは他でもない、彼女自身の信念だけだ。頼成や佐羽はきっかけに過ぎない。今はもう、るうかは彼女自身の信じる道のためにその力を振るっている。
この過酷な世界でできる限り多くの人々を無惨な死や痛みから救いたい。それは一度は“天敵”となってしまったるうかにとって贖罪のチャンスであり、せっかく勇者として与えられた二度目の命を精一杯に輝かせるための唯一の方法でもあった。つまり、るうかはこの世界の自分をも現実のものとして受け容れ、その人生を力の限り生きようと思うようになっていたのだ。
言葉を切ったるうかを輝名が静かな瞳で見つめている。祝は諦めきれない様子でるうかの肩を掴んだ。
「もうやめろ。お前が命を張ってまで戦う意味なんてどこにあるんだよ。お前はこの世界の出身じゃないんだろ? お前にとってこれはただの夢なんだよ。夢なんだから、覚めて忘れて……それでいいんだよ!」
「やめない。意味はあるよ。私は勇者で、全部じゃなくても誰かを助けられる。ううん、もし助けられなくても……それでも戦える」
「それは犬死にっていうんだ!」
「それでもいいの!」
大きな声を張り上げたるうかに祝が一瞬ひるんだ。理紗がそっと祝の背中を叩く。こんこん、と金属質な音がした。
「もー諦めなって、祝」
「なっ……理紗! お前それでいいのか!? 散々舞場のこと好きだ可愛い愛してる嫁にしたいって騒いでたくせに」
「そんなこと言ってたんだ……」
るうかが改めて友人の愛と情熱に少しばかり引いている前で、幼馴染みの2人は互いに意見をぶつけ合う。
「そうだよ、あたしはるーかを愛してる! るーかが信じることを信じる! だからるーかがこの世界で戦うっていうなら、あたしはそれを応援する! あたしは、とてもじゃないけどこの夢には耐えられないけど。でも元の世界で、学校で、疲れたるーかを笑わせたり楽しませたりして愛することができる! あたしはそれでいい!」
「お前はまだこの世界を分かってない! お前が思っている以上にこの世界はヤバい。確かに舞場の腕なら充分に渡っていけるだろうけど、それでもどれだけの怪我をするか分からない。舞場がこれ以上痛い思いや辛い思いをするのは嫌だ!」
「それはあたしじゃなくてるーかに言うことだ! そこでうじうじしているような男にるーかを止められると思うのかっ!!」
ハッ、と祝が身を硬くする。遅ればせながら、るうかも気付いた。どうして祝が理紗だけでなくるうかにも親身になって助けてくれていたのか。そしてどうして今、これほどまでに執拗にこの世界からるうかを切り離そうとするのか。るうかは複雑な思いで祝を見る。
「ええと……」
「いや待て。舞場、この際だから言っておく。俺はお前が好きだ。だから色々と要らないことも言った。お前が腹を立てるだろうと分かっていても、お前が心配で。勇者だからって無理に気張ることはない。もうお前、充分に戦っただろ。理紗を助けてくれただろ。それでもういいだろ」
「ごめん」
るうかの返事は早かった。横でなりゆきを見守っていた輝名でさえも思わずぎょっとして彼女を見るが、るうかは祝の目を真っ直ぐに見据えたままもう一度「ごめん」と繰り返す。
「今まで全然気付かなかった」
「……だろうと思った」
「ああ、だから私の下着の色まで見ていたの?」
「違う!」
下着の色? と理紗が剣呑な目つきで祝を見やり、彼は慌てて否定する。
「そんな、やましい気持ちで見てたわけじゃねぇよ!」
「うん、ごめん。ちょっと言ってみたかっただけ」
「舞場ぁあ!」
「桂木くんのことは嫌いじゃないよ。今回のことで親近感も湧いたし、色々忠告してくれたことには感謝もしてる。でも私はやっぱり槍昔さんが好きだから。桂木くんをそういう対象としては見られない」
きっぱりと、ばっさりと、るうかは祝を振った。祝の方もそれをある程度予想していたのだろう、神妙な表情で溜め息をつく。
「苦労を背負い込む性格してるのな、本当」
「そういうつもりでもないんだけど」
「分かってる。いいんだ、これで思い残すこともない」
「夢が終わっても学校では普通に会うけどね」
「……今それを考えるとちょっと凹む」
「まぁ、そういうときは部活にでも打ち込んで。試合は応援に行くから」
「……」
祝はるうかの言葉に少しだけ顔を上げて、そしてやっとにっと笑った。そうだな、と呟いた彼の顔にもうかげりはない。
「やっぱり俺はそっちがいい」
「……うん」
「じゃあな、舞場。もうこの夢で会うことはないけど、向こうではよろしく」
そう言って祝が差し出した手甲に包まれた右手を、るうかは強く握り返した。
「うん」
「……神官、頼む」
祝はるうかの手を離すと輝名の方へと向き直った。理紗もまたるうかにばいばいと手を振って祝に並ぶ。輝名はそんな2人を見て小さく頷くと、以前頼成が使ったのと同じ要領で2人の意識をこの世界から切り離すための魔法を使った。
執筆日2014/03/08




