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るうかは1人、城の廊下を歩いていた。都でタヨという老婆からこの国についての話を聞き終えた頃にはすでに夕刻が近付いており、頼成と共にそのまま城へ戻って佐羽達と合流した。それから仮面の召使い達によって運ばれてきた立派な夕食を食べ、食後の散策に出掛けたのである。
タヨの話はるうかにとってかなり衝撃的な内容だった。それもあってるうかは少し出歩くことで頭の中を整理しようとしていた。このままではベッドに入っても眠れそうにない。
60年程前のことだ。この辺りは隣の大魔王領の一部であり、イールテニップという地名ですらない小さな町があるだけの土地だったのだという。当時はまだ呪いや祝福といった“天敵”の発生を抑制するための手段は発展途上であり、時折治癒術の暴走によって生まれた肉塊の化け物が町や村を襲うという事件が起きていた。それはこの世界のどの土地でも同じことだった。故に治癒術師達はできるだけ強力な治癒術を使うことを控えたり、それでも現れる“天敵”を倒すべく各町や村では腕に覚えのある者を集めて自警団を作ったりしていた。
しかしこの辺りに住んでいた人々は他の土地に住む人々とは異なる方法で“天敵”に対処することを考えた。それが“治癒術を根本から否定すること”、つまり治癒術師や賢者を片端から殺してしまうというある意味で最も確かで、それでいて残忍な方法だった。
人間を殺すことは“天敵”を倒すよりよほど簡単だ。当然、殺される方はたまったものではないと多くの治癒術師や賢者がこの土地から逃げ出した。しかし彼らと彼らの術による“天敵”の出現に怯える人々は執拗に彼らを追い掛け、できる限り殺そうとした。
そしてある時、逃げた治癒術師の1人が鈍色の大魔王が住むというウォム・ボランの地下塔に辿り着き、大魔王に直訴した。悪いのは治癒術ではない。自分達が殺される道理はない。そう訴える彼の後から彼を殺そうと鎧に身を固めた一団が地下塔へとやってきた。そして鎧の一団もまた大魔王に対して自分達の主張を訴えた。
治癒術などというものがあるから“天敵”が生まれる。薬草や他の方法で治すことのできない病を治すという発想こそが悪であり、人間の領域を超えた禁忌なのだ。だから治癒術によって細胞の異形化が起こり、“天敵”などという化け物が生まれるのだろう。どうか我々が治癒術師を殺すことを正当に認めてほしい。
双方の意見を聞いた大魔王、つまり阿也乃は「よし分かった」と言って笑ったのだという。
『治癒術も“天敵”もこの世界の摂理のひとつであり、俺にも変えることのできない現実だ。それを否定して治癒術師を殺すことを正当にしろというのなら、俺からもひとつ条件を出そう』
その条件とは、鎧の一団が治癒術師達を殺すことのできる区域を定めること。そしてその区域内でのみ治癒術師の粛清は正当化され、そこから1歩でも外に出ればそれは単なる人殺しとなる。鎧の一団はその条件を承諾し、地下塔に逃げ込んだ治癒術師は一命を取り留めることとなった。
元いた町へと帰っていく鎧の一団を見送りながら、その治癒術師は大魔王にこう言ったのだという。
『彼らはいつまで治癒術師を殺し続けるのだろうか。それは彼らの町に平穏をもたらすだろうが、そのことによって彼らの精神は病んでいくのではないだろうか』
自分を殺そうとしていた相手を案ずるような治癒術師の言葉に、大魔王はもうひとつの提案をした。それはあの鎧の一団にある魔法をかけるというものだった。
それによって彼らは良心の呵責から解き放たれ、治癒術師を粛清することによって領地の平穏が守られるということを信じて疑わなくなる。その代わりに彼らの“個”としての感情はほとんど失われる。そうなると彼らの意思を統一させるために指揮を執る存在が必要となった。そこで大魔王がこの地に送り込んだのが初代の虹色の女王、ミアムだったのだという。
やがてミアムによってイールテニップと名付けられた城を中心にこの都が整備された。人々は“天敵”に怯えることのない平穏な暮らしを謳歌し、その陰では色のない騎士と呼ばれるようになった鎧の一団が常に治癒術師達を見付け次第殺していった。イールテニップの城の中では全ての者が仮面をつけ、まるで仮面に操られるかのように領地の秩序を守るためだけに動いていた。都の人々はそれを知っていてなおこの地に留まることを選んだ。“天敵”がいない。その平穏は癒えない病があることよりもずっとずっと魅力的だったのだ。
その魔法は呪いなのだと、タヨは言っていた。虹色の女王も色のない騎士も、身寄りのない少女や少年がある日突然城に呼び出されてその役割に任命されるのだという。そして仮面と兜を与えられた彼らは“個”を失って領地の秩序を維持するための歯車と化す。やがてその呪いは彼らの生命力を吸い取り、それを城の結界へと変換しながら消えるのだという。そしてまた次の女王や騎士が選ばれる。
それが60年の間続いてきた虹色の女王の領地の秩序だった。何故そこまで詳しく知っているのかと問いかけた頼成に対してタヨは笑いながら答えた。
自分の娘こそが初代の女王ミアムだったのだと。タヨ自身は大魔王に命じられて娘を女王としてこの地に送り込む代わりに当時患っていた死病から救われたのだそうだ。彼女はそのことを悔いていた。自分の命を長らえるために娘を犠牲にしたようなものだと。だからこそ彼女はこの都で、真実を語ることのできる者として生き続けるのだと言っていた。
るうかは長い廊下を歩く足を止め、一度深く息を吐き出した。タヨは60年の間この城を見ながら何を思ってきたのだろうか。確かに治癒術がなければ“天敵”は生まれない。それはこの世界における根源的な恐怖を取り除くためには最良の方法といえるのかもしれない。しかし結局のところ犠牲になる対象が変わっただけのことで、何の解決にもなっていないようにるうかには思えた。
ましてや今、黒い蝶という新たな脅威が出現している。細胞の異形化を促す鱗粉を撒き散らすというその蝶はこの国で60年の間犠牲と共に維持されてきた秩序を覆すものだ。もしもそれがこの国に蔓延し、ここに来る前に立ち寄ったイナトの村のように人々の多くが“天敵”化していくといった事態になればどうなるだろう。秩序の崩壊に混乱した民衆が城への反感を爆発させないとも限らない。
そう、都の人々は城の統治によってもたらされる平穏を享受しながら、心の底では色のない騎士を忌み嫌い、虹色の女王に憎しみに近い感情を抱いている。それはるうか達をここまで案内してくれたあの騎士が言っていた通りであり、またるうか自身が都を歩いていて薄々感じたことでもあった。都の人々は決して城に近付こうとしない。そして頼成が賢者であることを知る者はあからさまに彼を避けようとした。巻き添えを食っては御免だと、その瞳が語っていた。
るうかは再び城の廊下を歩き出す。もしも本当に現在のこの城の主、虹色の女王が理紗であるなら、事がこじれる前に何か手を打ちたい。それには黒い蝶の情報も必要だが、何より先に女王が本当に理紗であるのかどうかを確認しなければならなかった。しかしあの呪われた仮面のせいか本人に会ってもそうであるという確証が得られない。“個”が掻き消されてしまっているために、あの女王はどちらにしてもミアムであって理紗ではないのである。だからるうかにも判別がつかない。
とにかく、どうにかしてもう一度彼女に会いたいとるうかは考えていた。たとえば玉座の間ではなく、もっと彼女が素を出しやすいような状況で会えばまた印象も異なるのかもしれない。もっと世間話のような気軽な会話を交わしてみれば、彼女が理紗であるという確信を得ることもできるかもしれない。るうかはそのわずかな可能性に賭けてみることにした。
城の中は広い。しかしるうかは迷いのない足取りで廊下を進んでいった。もしもあの女王が理紗であるならば。彼女は高くて見晴らしの良い場所が好きで、いつも学校の最上階にある図書室で本を選びながら窓の外を見ている。だからもし彼女が理紗であるなら、やはり同じような場所を好むのではないだろうか。そしてるうかは城の中庭を見渡すことのできるバルコニーへとやってきた。
果たしてそこには夜用の落ち着いた色のドレスをまとった女王がいた。彼女はるうかに気付くと少しだけ驚いたように口を開き、そしてたっと靴を鳴らしてるうかへと駆け寄ってくる。
「勇者、ルウカ。どうか……私を助けて」
どきり、とるうかの心臓が大きく跳ねる。それは紛れもなく懇願だった。女王はるうかに寄りかかるようにして彼女を抱き締め、縋るように言う。
「私は疑問を持つことができない。騎士が治癒術師を殺していることを知っても、それを覆すことを考えてはならない。それをすれば私が騎士に殺されてしまうから。でも黒い蝶が現れたのなら、もう“天敵”は治癒術だけで生まれるものではなくなったのでしょう。それなら、本当はもう、騎士も誰かを殺す必要なんて」
「……理紗ちゃん」
るうかは小さな声で呼んだ。瞬間、女王がハッと顔を上げてるうかを見る。仮面の奥の目がこれでもかというほどに見開かれ、そしてそこには希望を見出したかのような光が宿っていた。
「分からない。それは、私のこと? 貴女は、私が誰だか知っているの?」
「うん。理紗ちゃん……あなたは理紗ちゃんでしょう? だって、理紗ちゃんはいつも優しくて正義感が強くて、曲がったことが嫌いだった。今のあなたみたいに」
るうかはやっと確信していた。夜の闇が仮面の光をわずかに隠し、虹色の女王からミアムという古い記憶と人格を微かにではあるが消している。そのためか、今の彼女はるうかの目にはほとんど理紗自身であるように見えていた。るうかは自分を抱く女王の身体を優しく抱き締め返す。
「大丈夫、理紗ちゃん。私はこれでも勇者だから、強いんだよ。絶対に助けてあげるから」
「……る、うか」
るうかの腕の中で女王が小さく嗚咽を漏らした、そのときだった。突然鋭い剣の切っ先がるうかの首筋に当てられる。それは女王の背後に立った黒い鎧兜の騎士の手から伸びており、るうかの首に走った赤を見て女王がひっと悲鳴を上げた。騎士は低く静かな声で言う。
「赤の勇者。何を目的に我らが女王様を誑かそうとする」
「……」
るうかは答えず、ただ騎士の目を兜のスリット越しに見つめた。彼はるうか達をここまで案内した、あの騎士だった。そのわずかに緑がかった目には確かに見覚えがある。
「この国に、本当に必要ですか?」
そうるうかは尋ねた。騎士が「何がだ」と問い返し、るうかは答える。
「仮面の女王様と、兜で顔を隠した色のない騎士。治癒術師を殺して“天敵”から逃げることが、本当に必要なんですか?」
「……それは、女王陛下に対する反逆とみなされる発言だ」
騎士の剣を握る手に力が込められ、るうかの首からはだらだらと赤い血が流れ出す。女王はその光景に言葉を失い、今にも倒れそうな様子で立ち尽くしていた。るうかはそれでもなお騎士の目を見つめ続ける。
「あなただって、本当は」
「……ん?」
不意に騎士がるうかから視線を逸らす。剣が首筋から離れ、るうかもまた騎士の視線を追って顔を巡らせた。そこには半ば闇に覆われた城の中庭があり、その隅にひっそりと、藍色のマントをまとった人影が見えた。
「……え?」
るうかはすぐにその人物の正体に思い当たり、名を口にしようとした。しかしそのとき信じられないことが起こる。
藍色のマントをまとった人影は持っていた斧槍を天に向かって高く掲げる。すると蝶のような形をしたその刃が輝き、やがてその光に誘われるようにして無数の黒い蝶がその者の元に集まってきたではないか。
「な……まさか」
騎士が呟き、すぐさま剣を手にバルコニーから庭へと身を躍らせる。彼の素早い判断に遅れること数秒、るうかもまた女王に一言「ここで待っていて」と伝えてから騎士の後を追う。
「槍昔さん!?」
ついにるうかは彼の名を呼んだ。まさかそこにるうかがいるとは思ってもいなかったのだろう、藍色のマントをまとった頼成は愕然とした表情でるうかと視線を合わせる。その手には確かに黒い蝶をまとわせた斧槍があった。
「貴様、まさか……」
騎士が剣を手に頼成を睨む。るうかはどうしていいのか分からないまま頼成の言葉を待っていた。これではまるで、頼成が黒い蝶を操っているようではないか。そんなことがあるはずがない。彼がこの世界に“天敵”の種を蒔くような真似をするはずがない。るうかはそう信じていた。しかし、頼成は自分に迫る剣とるうかの視線とを交互に見ながら微かに口元を歪めた。
「悪いな、るうか」
それだけを言い残し、彼は黒い蝶もろともその場から一瞬で姿を消した。転移魔法だ、と気付いたときにはすでに遅い。そこにはわずかに青緑色をした粘性の強い液体が残されているだけで、頼成を追う術はもうどこにもなかった。騎士がわなわなと身を震わせ、絞り出すように言う。
「あの男……よくも謀ってくれたな!!」
るうかはそんな彼の隣で首から赤い血を流しながら茫然とするより他なかった。まるで悪い夢を見ているような気分だった。
執筆日2014/02/21




