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「あ、良かった。やっと起きた? それとも馬車の中で頼成と仲良くしてた?」
馬車から降りたるうかが最初に聞いたのは佐羽のそんな台詞であり、最初に見たのは彼の妙に清々しい笑顔だった。なおもしつこく「どこまでいっていたの?」などと聞いてくる彼に対して勇者の鉄拳をお見舞いしていいものかどうか数秒悩み、るうかは色々と諦めながら「おはようございます」とだけ返した。代わりに後から降りてきた頼成が遠慮容赦なく友人の亜麻色の頭をバシッと叩く。
「おい、お前この状況でよくそんな軽口が叩けるな。るうかにどれだけ心配かけたと思ってんだ」
「いったいなぁ、もう。分かっているよ、だからこそ敢えていつものノリで挨拶したんじゃないか。ほらるうかちゃん、俺ならこの通り元気だから心配しないでね?」
にこりと笑う佐羽に頼成ははぁと溜め息をついて空を仰ぎ、るうかは不覚にも少しだけ笑ってしまった。彼は今回の一件で以前よりもたくましくなったようだ。
「揃ったか」
そんな声と共に湖澄が向こうから歩いてきた。るうか達がいるのは何か大きな建物に併設された馬車の停車場で、すでに客車の前に馬の姿はない。柱の上に簡単な屋根がついただけのその場所にはるうか達以外の人影はなかった。湖澄の話によると、例の騎士は一足早く城へ連絡に行ったのだという。
「じゃあ、ここがイールテニップのお城なんですか」
るうかが尋ねると、湖澄はそうだと頷いた。停車場の外には鉄製の頑丈そうな柵がぐるりと巡らせてあり、外側の景色はあまりよく見えない。どうやらこの場所自体が周囲より少し高い丘の上にあるらしかった。
「イールテニップの都は城を囲むようにして広がっているんだよ。ここからじゃよく見えないけど、お城の中になら都を一望できる場所もあるってあの騎士が言っていた」
佐羽が言って、「後で見せてもらおうか?」と呑気な提案をしてくる。るうかも都を見てみたいとは思うものの、ひとまずそれより先にやるべきことがあった。そこへ折よく例の騎士が戻ってくる。
「目が覚めたか、赤の勇者」
相変わらず全身を鎧兜で固めた姿の騎士だったが、るうかに語り掛ける声は優しく安堵に満ちていた。どうやら彼もるうかがなかなか目覚めないことを心配していたらしい。あるいは佐羽辺りから何か聞いていたのかもしれない。るうかは彼に心配を掛けたことを詫び、そしてすぐに女王に会わせてもらえるかどうかと尋ねた。騎士は首を縦に振る。
「話は通しておいた。女王陛下は赤の勇者の噂をご存知ではない様子だが、お前の容姿を伝えたら是非顔を見たいと仰った。黒い蝶のことも気掛かりなことだ。できるだけ早く謁見してもらえるとこちらとしても心強い」
「色のない騎士にしては随分柔軟な対応だね」
佐羽が言って、ふと探るような眼差しを騎士へと向ける。騎士はそんな佐羽の視線をスリット越しに真っ直ぐに見据え、「女王陛下のためだ」と短く答えた。ふうん、と佐羽は呟く。そして騎士がるうか達を先導するように城の中へ入っていったのを見届けてからこっそりとるうかに耳打ちした。
「ねぇ、もしかして彼……何か知っているんじゃないかな?」
「え?」
「君と女王様の関係のこと。何となくだけど、そんな気がする」
そうは言われてもるうかには心当たりなどない。そもそもあの騎士の素顔すら見たことがないのだ。確かにどこかで会ったような感覚を覚えたことはあったが、それもひどく曖昧で頼りない感覚にすぎない。どうもあのように全身を鎧で固められるとまるで個性というものが掻き消されてしまうのだ。きっと今のるうかであれば彼以外の色のない騎士に出会っても見分けがつかないのではないだろうか。
そんなことを思いながらもるうかは頼成達と共に騎士の後を追って城の中に入った。
中はまさしくファンタジー世界の城といった雰囲気で、廊下の装飾ひとつとってもどれも見事なものばかりだ。高い天井を見上げればそこには鮮やかな虹と星空が描かれ、金色をしたアーチがそれぞれの絵を縁取っている。壁にも緻密な細工の施されたレリーフがいくつも飾られ、中にはお伽話に出てくるようなペガサスや妖精といった架空の生物の姿もあった。
「こりゃあまた随分と少女趣味な城だな」
思わずそんな感想を漏らした頼成に、前を歩く騎士が微かに笑う気配がする。
「当然だ。ここは代々女王陛下が治める城なのだから」
「そんなもんかね」
「……女王陛下ミアム様は常に少女であられる。我々がお守りすべき無垢な少女、それが女王陛下だ」
だから、と騎士は何かを言いかけてふと口をつぐんだ。だから? と佐羽が続きを促すが彼は答えず、結局それ以降は一度も口を開くことなく歩き続けたのだった。
騎士が次に口を開いたのは、るうか達が豪華な装飾の施された虹色の大扉の前に辿り着いたときだった。
「さあ、ここだ」
扉の脇にはやはり色のない騎士が両側に1人ずつ、そして召使いと思われる格好をした女性がやはり1人ずつ控えていた。騎士が兜を被っていることは分かるとして、どういうわけか召使いの女性達も顔を仮面で覆っていた。つるりとした白い表面を持つその仮面は一体どういった材質で作られているのか、光の当たり具合によってわずかに虹色に輝く。目と鼻と口にそれぞれ最小限の穴が開けられただけの仮面をつけたその姿は異様で、るうかは居心地の悪さを感じながら彼女達の前を通り過ぎた。
「くれぐれも失礼のないようにな」
るうか達をここまで案内してきた騎士はそう言うと大扉を押し開け、るうか達を中に入れて自分は元来た廊下を戻っていった。どういうつもりか知らないが、彼自身は女王には会わないらしい。仕方がないのでるうか達はそのまま案内された部屋の奥に見える玉座へと向かう。
広々としたその部屋はまさに女王の部屋に相応しい荘厳な雰囲気に満ちていた。しかしながら壁や天井、そして床の隅といった至るところに色とりどりの花が飾られ、さらにその鉢には小さなくまやうさぎの人形が隠れていたりする。そんなやはり少女趣味の垣間見える玉座の間の奥で、女王はるうか達を待っていた。
「ようこそイールテニップの城へ」
近付いてきたるうか達を前に、女王は自ら玉座を立って微笑む。しかし微笑んでいるのは口元だけで、目が笑っているかどうかは判別できない。何故ならその顔にもやはり虹色に煌めく白い仮面が張り付いていたからだ。るうかは女王を見つめながら膝を折り、礼をする。
「こんにちは、女王様。私はるうかといいます」
るうかは女王から目を逸らさずに名乗った。すると女王は一瞬だけ声を詰まらせ、しかしすぐに再び微笑んで答える。
「騎士から聞いています。大神殿で活躍をした赤の勇者だと。まさかこんなに若く、そして可愛らしい少女だとは思いませんでした」
女王は澱みなく言ったが、その手は微かに震えていた。そして女王自身の背格好もるうかとそう年の変わらない少女であるように見えた。茶色の髪に白を基調として色々な色が散りばめられたドレスをまとい、まだ少女である女王は勇者達を歓待する。
「この虹色の国は長らく平和の元にありました。ところが報告によれば先日から領地内におぞましい化け物が現れているとのこと。そのようなときに貴女のような方がいらしてくださったことは幸運としか言いようがありません。どうかこの国のために貴女達の力を貸してください」
るうかは女王の言葉を聞きながら、その声にじっと耳を傾けていた。るうかの知っている理紗とは口調も態度もまるで異なるが、その声の微妙な具合や語尾の調子はやはり理紗によく似ているように思われる。まるで彼女が何か劇でも演じているような錯覚に囚われ、るうかは一度現実から目を逸らすように瞳を閉じた。そこに再び女王の声が降りかかる。
「赤の勇者、どうかお返事を」
「……!」
その声にるうかはハッと顔を上げた。調子こそこれまでと変わらずに穏やかなものだったが、その声にはるうかにしか分からないような微妙な響きが含まれていた。何かに耐えるような、何かに抑圧されているような感情がわずかに見え隠れする。それはたとえ仮面を被っていたとしても、微笑んだ口元の微かな震えから伝わってきていた。るうかは大きく頷いて彼女に答える。
「必ず。必ず何とかします。だから女王様、怖がらないで。私達を信じてください」
「……ルウカ」
女王がぎこちない声音でるうかの名を呼んだ。それは理紗が彼女を呼ぶときと比べて随分と弱々しい声だったが、るうかはそれに対しても力強く頷いてみせたのだった。
執筆日2014/02/21




