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ぷつり、と画面が消えるように何も見えなくなったと思ったら次の瞬間にはるうかはもう自分だけの夢を見ていた。いや、ひょっとするともっと長い時間が経っているのかもしれない。はっきりとしない意識でるうかは自分があの場面で気を失ったのだと気付く。
限界だった。あまりにもめまぐるしく起きた出来事に頭がついていかなかった。だから佐羽が本当に生きていることを確認できたことで緊張の糸が切れ、そのまま気絶してしまったに違いない。あとのことはどうなったか分からないが、あの場には緑もいたことだしそう悪いようにはならないだろう。学校の方はこの際どうだっていい。家族に何と説明すればいいのかは分からなかったが、どう伝えても面倒なことになりそうなのでるうか自身は黙っていることに決めた。どうせ彼女を巻き込んだのは柚木阿也乃や西浜緑なのだ。彼女達に何とかうまく誤魔化してもらうのが道理というものだろう。
さて、今るうかの意識は彼女の夢の随分奥深い場所にあるようだった。そこには何もなく、ただ時折キラキラと光る赤い楕円形のものが目の前を横切っていく。あれは何だろうか。そう思ったるうかはその楕円形の光を追い掛けて走っていった。
やがて急に視界が開け、一面に緑色の草原と青い空が広がる。眩しさに一瞬目を閉じたるうかだったが、その次の瞬間には思わず目を見開いていた。
青い空から次々と、まるで雪のように赤い羽根が降ってきていたのだ。
それは美しい光景だったが、見ようによっては血飛沫のようでもあった。現実であんな光景を見たせいもあるのかもしれない。るうかは降り注ぐ赤色の羽根を見つめながらどこか切ない気持ちで青空を見上げる。夢の世界で自分の髪を飾っているのはあれと同じ赤色をした鳥の羽根だ。それはかつて治癒術師をしていた“るうか”が身につけていたものだったようだが、果たしてどういういきさつでるうかの手に渡ったものかどうかは分からない。それは今のるうかの記憶からは失われている事柄のひとつだった。
佐羽が言っていたように、その者にとっての夢世界での死は現実世界での死にはならない。夢世界での死は人間にとって危険なものであり、精神的な防衛機制が働いて記憶の脱落が起きるのだろう。だからこそ、るうかもこうして生きていられる。
佐羽はそんなるうかがうらやましかったのだろうか。彼は自分が罪を犯していることを知っていて、それでもそれを実行することを貫いていた。そんな彼にも、逃げ出したいという思いがあったのだろうか。
降り続く羽根を見つめながらそんなことを考えていたるうかの意識は、やがて青空に溶けるようにして薄れていった。
ゆっくりとした目覚めがるうかを待っていた。乗っている馬車は動いておらず、そのために揺れもない。ただ温かい腕がるうかの身体を優しく労わるように抱いていた。るうかがそのことに安堵しながら目を開けると、そこには案の定頼成がおり、静かで険しい灰色の目で彼女をじっと見守っていた。いや、視線の鋭さから言えば見張っていたという方がしっくりくるのかもしれないが、それでも彼としては見守っていたのだろう。おそらく。そして馬車の中には彼とるうか以外には誰の姿もなかった。
「……るうか? 大丈夫か?」
心配そうに頼成が尋ねる。やはり彼のその表情はるうかを心配して見守っていたもので合っていたようだ。しかし彼はすぐにるうかが現実世界でショックを受けた要因のひとつが自分でもあることに気付いた様子でサッと彼女から目を逸らした。るうかは少しだけそのことが気に障り、手を伸ばして彼の顔を自分の方へと向け直す。
「なんで目を背けるんですか。私は大丈夫です」
きっぱりと言ったるうかに対して頼成はとてもばつの悪そうな顔をしながらもホッと息をつく。それならいいんだけど、と言った彼は小さく溜め息をついた。
「心配した。あんた、相当ショックだったんだろ。急に脱力して意識失って、慌てて病院に運んで……」
「あ……ごめんなさい、色々と迷惑をかけてしまって」
「……それはこっちの台詞でしょうよ」
ふう、と再び息を吐きながら頼成は空いた片手でるうかの頭を撫でた。彼の話によればるうかはそのまま目を覚まさなかったために入院ということになったらしい。そうなるとやはり家族への説明に困るところだが、その辺りは阿也乃がうまく誤魔化したのだという。詳しく聞いてみたところ、なんとるうかは高校の体育の授業中に熱中症で倒れて病院に搬送されたことになっているそうだ。実際には阿也乃に連れ出されて全ての授業を休んだというのに、なんとも無茶苦茶な捏造だった。
そして問題の佐羽だが、こちらもやはり病院に担ぎ込まれてすぐさま手術となったらしい。損傷した骨や内臓を修復し、手術の方は無事に終了したそうだ。しかし退院できる程度にまで回復するには2ヶ月程度かかるだろうということだった。
手術が終わった後、佐羽は病室で待っていた頼成にこう言ったという。「痛いね」と。「生きているから痛いんだよね」と。るうかはそれを聞いてわずかに項垂れる。
「落石さんにとって、向こうの世界で生きることは辛いことなんですね」
「……そうでもないと思うぞ」
頼成は存外軽い調子でそう言うと、再びるうかの頭をがしがしと撫でた。
「あんたが佐羽に言った言葉、あれが効いたんだろうな。死んでも何も変わらない。自分達が覚えている。あいつにはそれで充分だったんだろう」
あんたが自分を覚えていてくれるっていうことだけで。頼成はそう言って不器用に微笑んでみせた。
「あいつにとってあんたは数少ない心を許した相手なんだろ。標的として落とそうとしている女とは違って、友達として接することのできる貴重な存在なはずだ。そんなあんたが間接的に“死ぬな”って言った。それだけであいつは充分向こうの世界での生きる意味を見付けることができた。だからあんたはすごいんだ」
頼成はるうかの頭を撫でながら嬉しそうにそう語った。その手の感触が心地良くてしばらく身を任せていたるうかだったが、やがて頼成がハッとしたように手を止めたので視線を上げて彼を見る。彼は苦虫を噛み潰したような顔で自らの手を睨んでいた。
その手は向こうの世界で大きな銃を持ち、暴力団の男達を皆殺しにした手だった。彼にとってはきっと汚れた手なのであり、それでるうかに触れている事実に耐えられなくなったのだろう。るうかにはそれが分かる。何故なら、るうかもまた勇者という肩書きと力の元にこの世界で“天敵”と呼ばれるかつては人間だった者をこの手で殺してきたからだ。
“天敵”を殺すことは罪ではなく、人間を殺すことは向こうの世界で大罪である。しかしるうかにしてみればその本質はそう変わらない。頼成は佐羽を救うために法を犯して人を殺したが、それはるうかが自分や他人の命を守るために“天敵”を殺すのと大差ない。ただ、世界と社会の制約に触れるか否かというだけの違いだ。
確かにるうかも彼が男達を撃ち殺していく場面を目の当たりにした時には身も凍るような感覚を覚えた。しかしそれから佐羽の元に駆け付け、頼成から銃口を突きつけられた時に気付いたのだ。彼が友人のためにどれだけ必死になっていたかということに。それでるうかは冷静になった。
「気にしなくていいんですよ」
るうかはそう言いながら自分より随分と高い位置にある頼成の頭へと手を伸ばした。彼の短い黒髪は少しごわごわとしていて、それでも思ったよりは柔らかい。てっぺんまではとても手が届かないので後頭部からうなじの辺りまでをそっと撫で下ろすようにすると、頼成の頬がさぁっと朱に染まった。
「る、るうか。その……なんていうか、すまなかった」
「だからいいんですってば」
「だが俺はあんたの目の前で人殺しをして、あんたに銃を向けさえした。とんでもねぇ話だ」
「確かに怖かったですしびっくりもしました。でも私の中でそのことに対する嫌な気持ちはほとんどないんです」
るうかはごく素直にそう言って、再び頼成の頭を撫でる。
「大丈夫です。槍昔さんのしたことが正しいのか間違っているのかは私には判断できませんけど、それで落石さんが助かったことは本当です。私にとってはそれでいいんです」
「……そんなこと言ってたら、あんた、向こうの世界じゃ犯罪者だぞ」
「そうですね。でも今ここではそうではないですから」
いいじゃないですか。そう言ってるうかは少しだけ笑ってみせた。頼成があまりにも不安そうな、頼りない表情をしていたので慰めたくなったのだ。頼成はそんなるうかの思いを知ってか知らずかやはり困ったように眉間にしわを寄せると、自らの後頭部に添えられたるうかの手を取ってそれをぎゅっと握り締めた。
「無理、するなよ。あんたは時々真っ直ぐすぎて優しすぎる。それじゃあ身が持たなくなることもあるかもしれない」
そう言うと頼成は握り締めたるうかの手にそっと口付けた。彼らしからぬ気障な仕草にるうかは戸惑ったが、伏せられた頼成の瞳が微かに潤んでいるのを見て何も言えなくなる。真っ直ぐで優しすぎるのは一体どちらの方だろうか。
いつの間にか身体ごと抱き寄せられながら、るうかは近くにある頼成の速い鼓動を聞いていた。その横で、窓の外を1匹の黒い蝶が薄く光る銀色の鱗粉を撒きながらひらひらと飛び去っていった。
執筆日2014/02/21




