表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
同じ夜の夢は覚めない 3  作者: 雪山ユウグレ
第5話 繋がれた蝙蝠の痛み
21/42

4

 ばぁん! という派手な音がして男達が何事かと一瞬そちらに注意を向ける。その一瞬が全ての始まりであり、終わりだった。ダダダダッ、と何かが駆け抜けるような音と共にビルの屋上に血の華が咲いていく。スーツの男達が面白いようにバタバタと倒れ、その間を黒髪の青年が一直線に駆けた。そして佐羽に群がる若い男達に向けて、その手に抱えた大型の銃を構える。

 連続した破裂音の後に残っていたのは死体と、それが流した赤に塗れた佐羽だけだった。黒髪の青年はゆっくりとした足取りで佐羽に近付く。その背後でゆらりと立つ影があった。

 双沖(ふたおき)だ。黒いスーツの中の白いシャツに赤い血が染みている。それでも彼は立って、憎悪に満ちた目で青年を睨みつけていた。その手には拳銃がある。

 一方青年は大きな銃を双沖に向けたかと思うと、次の瞬間にはもう引き金に指を掛けていた。目にも留まらない連射の後、全ての弾を撃ち尽くした銃は沈黙する。そして双沖も二度と立ち上がることはなかった。青年はわずかに安心したような表情を見せると銃を肩に掛けて再び佐羽の方へと歩き出す。

 るうかの身体は凍りついたように動かなかった。動くことができなかった。

 黒髪の青年は見間違いようもなく頼成だ。彼はどこから調達したのか、普通の日本人が持っているはずのない大きな銃で暴力団の男達をあっという間に皆殺しにしたのだ。ひとつのためらいも、欠片の慈悲もそこにはなかった。佐羽を助けるためにそうしたのだということは分かる。しかしその行為そのものはるうかの常識から大きく逸脱していた。日常の中にあってはならない光景だった。

 るうかの視界がぐるぐると回っている。その回る視界の中で佐羽が自分の左腕を支えに1人で起き上がった。そして彼は頼成を見て、何事かを言う。頼成の歩みが止まった。すると佐羽は薄く微笑んで、それからふらふらとした足取りで屋上の端へと歩いていく。血の色をした足跡を付けながら歩く友人の姿を頼成は茫然と見ていた。そして。

 佐羽が、床より一段高くなった屋上の縁に上がる。気付いた頼成が駆け出す。やめろ、という声がるうかの耳にも届いた。しかしその叫びも虚しく佐羽の身体は重力に引かれるようにしてそのまま前へと倒れ込み、るうかの視界から消える。

「落石さんっ!」

 るうかは叫び、今度こそ緑の制止を振り切って駆け出した。廃墟の建物を駆け降り、すぐ隣のビルの裏側まで全速力で駆ける。るうかの口からは意味の分からない悲鳴のような音が漏れていた。目からは熱く沁みる涙が止めどなく溢れていた。ビルの白っぽい色をした外壁、その角を曲がってとにかく走る。そこには大きな街路樹と、その足元に青々と茂った植え込みがあった。そしてそこに頼成がこちらに背を向けて屈み込んでいた。

 彼はまだ肩に大きな銃を掛けたままだった。彼もまたるうかと同じように一目散にビルを駆け下りてきたのだろう。はあはあと荒い息が聞こえ、その合間に小さく佐羽を呼ぶ声が混じる。るうかは一瞬だけ足を止めたが、すぐに頼成の背後へと駆け寄り声を掛ける。

「槍む……」

「っ!」

 突然頼成が振り返った。手には大きな銃があり、銃口はぴたりとるうかに向けられている。色素の薄い灰色の瞳が見開かれ、血走った視線が銃口よりなお恐ろしい深淵をるうかに見せつけていた。るうかの口からひっと短い悲鳴が漏れる。気付いた頼成の表情が崩れた。

 彼は自分の失態に傷付き、混乱していた。色を失った頬がひくりと動き、唇がわななく。まるで泣き出す寸前の幼い子どものようなその顔を前に、るうかは彼をこれ以上刺激しないようゆっくりと歩み寄った。

「槍昔さん、私です。るうかです」

「あ、ああ……」

 頼成はやっと絞り出すようにして声を出し、頷いた。そして彼はハッと気付いて銃を下ろす。るうかはそれを確認してから頼成の横に回り込み、そして植え込みを覗き込んだ。

 果たしてそこには仰向けに横たわる佐羽の身体があった。彼の鳶色の瞳は薄く開いており、真上にある青い空を映していた。そしてその目尻からは一粒、また一粒と透明な涙が止めどなく流れ落ちていく。

 彼の姿は本当に酷いものだった。綺麗な顔は原型を留めないほどに腫れあがり、右の鼻の穴からは赤黒い血が滴っている。左の頬は青黒く腫れ、わずかに開かれた口の中からも出血していた。亜麻色の髪も赤に塗れ、乱れるにいいだけ乱れている。左の前腕がおかしな方向に曲がり、植え込みの脇にだらんと垂れていた。右脚も脛の辺りから折れて曲がっている。着ているシャツにもあちこちに血が滲み、もしもるうかがただの女子高生であったならば正視することさえできなかっただろう有様だ。

 しかし皮肉なことに、るうかはこのような凄惨な光景を見ることにいくらか慣れていた。夢の中で“天敵”と呼ばれる肉塊のおぞましさと悲しさを思えば、ボロボロになった佐羽の姿を見ることそのものによる生理的な嫌悪感はほとんどなかった。ただ、そんな彼の目が揺れるように動いてるうかを見た時、彼女は思わず1歩後ずさる。

 佐羽は生きていた。そしてその場にいるはずのないるうかを見て、ひどく辛そうな、悲しそうな、そして恨みのこもった眼差しを向けた。

「どうして……」

 口からも血を零しながら、佐羽はかすれた声で言う。るうかは彼をこのような目に遭わせた責任の一端が自分にもあることを自覚していた。だから自然と謝罪の言葉が口をついて出る。

「ごめんなさい、落石さん……私」

「……どうして、君がここにいるの?」

 佐羽はとても悲しそうにるうかを見てそう言った。こんな姿を君に見られたくはなかったのに、と。るうかはハッとして口ごもる。頼成がそんなるうかの後ろから佐羽に声を掛けた。

「佐羽、てめぇ……」

「頼成も。どうして来たの。俺なんて、放っておけばよかったじゃない」

 ごほっ、と佐羽が咳をする。赤黒い血がその口からわずかに溢れる。

「俺は向こうの世界の生まれだから、こっちで死んだって別にいいんだよ……」

「……てめぇはよくてもな、俺はそうはいかねぇんだよ」

 そう言って頼成は銃を背中に回すと、佐羽の身体を丁寧に植え込みから持ち上げて地面に寝かせた。彼の横には折れた街路樹の枝が落ちている。ビルから身を投げた佐羽だったが、どうやら街路樹に一度引っ掛かったことで速度が落ち、さらに植え込みに落下したことにより衝撃が吸収されて一命を取り留めたらしい。呆れる程の強運だったが、佐羽にとってはそのことがかえって辛いということか。

「どうして死なせてくれなかったの」

 そう言って佐羽は頼成を責めた。彼を助けるために駆け付け、男達を皆殺しにした頼成を責めた。なんで俺のために君が手を汚したの。なんで、どうして。

「……てめぇだけが汚れ仕事をしていると思うなよ」

 頼成はそれだけ言うと、るうかの後からこちらへと向かってきた緑に向かって怒りの眼差しを向ける。

「緑さん、あんたがるうかを連れてきたのか」

「うん、“一世”に頼まれてね」

「どいつもこいつも……。もしるうかが巻き込まれでもしたらどうしてくれる」

「それは大丈夫だよ。僕はそれこそ全力で彼女を守るために一緒に来たんだから」

 それが今回の僕の役目、と緑はうっすらと笑みを浮かべて言う。頼もしいのかそうでないのか分からない彼の言い草に頼成は「所詮犬かよ」と吐き捨てた。頼成の表情はるうかがこれまでに見たことがないほど荒んで、傷付いているように見えた。佐羽もまた似たような表情を浮かべていた。

「死ねば全部忘れられたかもしれないのに」

 ぽつり。佐羽はるうかを見つめながら呟くように言う。君みたいにね、と。

「人間ってね、夢の中で自分が死んだことをはっきり認識してしまうと本当に死んでしまうらしいよ。だからなのかな? 君も3年前のことを覚えていないんでしょう? いいな……俺も、全部忘れられたら……」

「佐羽」

 きつい声音で頼成が友人の言葉を止めた。それ以上は言うな、とその激しくしかめられた眼差しが告げている。彼はるうかを気遣ってそのように言ったのだろうか? しかしるうかは佐羽の思いも分かる気がしていた。

「落石さん、辛いんですね。全部忘れたいくらいに」

 るうかは佐羽の顔の横に屈み込み、腫れた頬に埋もれた鳶色の瞳を見つめながら言う。佐羽はそんなるうかの黒い瞳を見返しながら「ごめんね」とかすれた声で囁いた。

「君と一緒にしちゃいけないよね。君は湖澄(こずみ)を助けようとして“天敵”になって死んだのに、とても良いことをしようとしてその命を落としたのに。そんな君と俺なんかを一緒にしちゃいけないよね……」

「……そんなことないですよ」

 るうかの口からするりと言葉が漏れる。

「そんなことないです。違わないです。確かに落石さんは酷いことをしてきたのかもしれませんけど、死んじゃったらおんなじです」

「……るうかちゃん」

「死んでも、何も変わらないですよ。自分は忘れることができても、他の誰もが覚えています。落石さん達が私を覚えていてくれたように」

「……!」

 佐羽の表情が変わる。るうかは決して彼に優しい言葉を掛けようとしたわけではなかった。ただ、自ら命を絶って楽になることなどできないのだということを知らせたかった。そんな手段を使ってでも、彼にこの世界で生きていてほしいと思ったのだ。

 佐羽の目からは再び涙が溢れる。それが苦しみからくるものなのか、それとも何か別の感情からのものなのか、それはるうかには分からない。ただ、泣いている佐羽の瞳にはいくらか生気が戻っていた。身体も顔も、そしておそらくは心もボロボロになりながらも、それでも彼は今るうか達の目の前で生きていた。生きていてくれた。

 今はそれだけでいい。るうかはそう思いながらそっと手を伸ばして佐羽の涙を指で拭う。ありがとう、という小さな声が聞こえた気がした。背後では頼成がほーっと長く深く息を吐き出している。

「……やっぱり、あんたはすげぇな」

「え?」

 振り返ったるうかの視線の先で、大きな銃を背負った頼成が微笑んでいた。遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。

「あんたには敵わない」

 頼成が微笑んで告げたその一言の後、るうかの視界は急に暗転した。

執筆日2014/02/14

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ