2
るうかと頼成は連れ立って昨日の騎士の部屋を訪れていた。早朝から押し掛けたにも関わらず彼は全身を鎧で固めた昨日と同じ姿で2人を迎え入れ、兜のスリットからそっと探るような瞳を向けてくる。
「よく眠れたか?」
態度の割に言葉は軽く、こちらを警戒している様子もほとんど見られない。騎士はむしろどこかリラックスした口調でるうか達を部屋のテーブルへと招いた。そこでるうか達が人間の“天敵”化を引き起こす黒い蝶に関する情報を提供すると共にこの国の女王に会いたいという旨を告げると、騎士は初めからその流れを予期していた様子で頷く。
「それは我らとしても願ったりだ。女王陛下ミアム様は現在大変苦しんでおられる。我ら色のない騎士では陛下のお心を癒すことはできない。赤の勇者、お前が謁見することで、陛下も少しは希望が持てることだろう」
「ミアムっていうのか、ここの女王の名は」
頼成が確認するように問い掛けると、騎士は少しの間を置いてから頷きを返した。
「我らが女王陛下はいついかなる時においてもミアム様ただお1人しかいない。たとえ何百年の時が過ぎようとも」
「……何か事情があるって風だな」
「詮索は身を滅ぼすことになる。青の賢者、お前達外の人間には分からないだろうが、この国にはこの国なりの秩序がある。それを脅かすもの全てが我々色のない騎士の粛清の対象となりうることをよく心しておけ」
騎士はそうは言いながらも薄く笑みの混じった声で話している。るうかはどこかでその声を聞いたことがあるように感じたが、思い出すことはできなかった。
騎士の話によれば虹色の女王が住むイールテニップの城はこの町から馬車で丸1日かかる場所にあるのだという。それも色のない騎士専用の魔法を使って加速することのできる馬車で最大限の速度を出しての場合だというので、るうかは少しばかり顔を暗くした。できることなら早く女王が理紗であるのかどうかを確かめたい。そしてもし本当にそれが理紗であるなら、早く彼女の苦しみを何とかしたい。
るうかの表情から何を読み取ったのか、騎士はするりとした身のこなしで椅子から立ち上がると壁に立てかけてあった剣を携えて小さく息を吐いた。
「赤の勇者はお急ぎのようだ。町の騎士詰所に行ってくる。すぐに出立できるよう、全員用意しておいてくれ」
そう言うと騎士はるうか達を部屋に残して颯爽と宿を出ていってしまった。あまりにもあっさりとしたその判断にるうか達の方がいささか面食らってしまう。これほどスムーズに事が運んでいいものだろうか? そんな疑念さえ抱いてしまうほどだ。頼成もるうかと同じように考えたのだろう。少しだけ顔をしかめながら首を傾げ、それからるうかに向かって言う。
「とりあえず、いいって言うならお言葉に甘えさせてもらおう。るうか、あんたは佐羽と湖澄に今のことを連絡してくれ。俺はちょっと町に出て消耗品の買い出しをしてくる。すぐに戻るから」
頼成はそう言い残してやはりるうかを部屋に置いて出ていった。るうかは素直に言われた通りにし、佐羽と湖澄に事の次第を伝えたのだった。
それからいくらもしないうちにるうか達はイールテニップの城行きの馬車に乗っていた。2頭立てのその馬車は普通の乗合馬車よりは大分大きく、騎士の語ったところによれば普段は一度に多くの騎士を輸送する目的で使われているものらしい。それを今回は多少の無理を言ってるうか達のために借り受けたのだという。
「大丈夫なのか、そんなことをして」
湖澄が騎士を気遣う様子で尋ね、尋ねられた騎士もその気遣いに気付いてかわずかに肩をすくめて「問題ないだろう」と答える。
「それが我らが女王陛下のためになるならば、どんなことも許される」
「それがこの国の秩序か?」
「……いや、これは違う」
兜のスリットから覗く緑がかった瞳が湖澄を捉え、沈黙のままに何かを伝える。湖澄は黙って頷いた。
「それにしてもさすがに魔法の馬車。随分な速度が出るものだね」
佐羽が呑気に窓の外を見ながら言い、るうかもつられて外を見る。確かに窓の外の景色はまるで時速100キロメートルで走る車の中から見るそれのようだった。聞いてみるとやはりその程度の速度が出ているらしい。独特な魔法の使い方をしている、と頼成が感心したような呆れたような口調で感想を述べた。
「馬車を加速させるくらいなら、町ごとに移動用の魔法陣でも作っておいた方が速いんじゃないのか?」
すると騎士は小さく頭を振った。
「それだと待ち伏せの危険がある」
「……なんだ、あんたらは嫌われ者なのか?」
「当然だろう。我々はまだ罪を犯してもいない治癒術師を、将来の危険性を理由に殺す集団だ。民衆から忌み嫌われないはずがない」
「それでもあんたらはそれを正義だと思っているのか?」
「正しい義などこの世界にあるのか?」
スリットの奥の瞳が頼成を睨みつける。頼成は少し考えた後、そうだなと小さく呟いた。
「正義じゃあないって分かっていても、それがこの国だってことか」
「正しいかどうかなど初めから問題にならない。ただこの国が、女王陛下の治める地が平穏であればそれでいい。たとえそこにどれだけの血が流れようと、全ては我々が被るものなのだから」
騎士は少しだけ遠い目をして頼成から視線を外した。窓の外を飛び去る景色は感情をそこに留めておく暇すら与えてくれない。るうかはそんな騎士の横顔を見て、それから隣に座る頼成の横顔を見やった。2人はどこか似たような雰囲気をまとい、同じような瞳でそれぞれの方向を見ていた。
ひらり。
一瞬だがるうかの視界に黒い蝶のような影が引っかかり、すぐに消える。ハッと窓の外を見たるうかに湖澄が「どうした?」と尋ねた。るうかは「蝶が」と言ったきり言葉が続かない。
「いたのか? 黒い蝶が」
頼成が確かめるように尋ね、るうかは暗い顔で曖昧に頷く。何しろ飛び去るように走る馬車の窓から一瞬見えただけのものだ。それが本当に黒い蝶であったかどうかも定かではなく、またたとえそうであったとしても戻って捕まえるわけにもいかない。ただ、もしかすると今さっき通り過ぎたこの国のどこかで人間を“天敵”へと変えてしまう鱗粉を持つ蝶が翅を広げたかもしれないというだけで。そしてそのためにまた新たな“天敵”が現れ、悲劇が起こるかもしれないというだけで。
るうかの懸念を読み取ってか、騎士が「大丈夫だ」と不思議と力強い声で言う。
「“天敵”なら我々色のない騎士が始末する。我々の数は多く、腕はどれも等しいだけに強い」
「昨日のはあんたが1人で倒したのか?」
「……ああ。まだ“なりかけ”だったからな。手こずりはしなかった」
騎士は自嘲気味に言い、その言葉の意味を悟ったるうかは思わずごくりと唾を呑み込んだ。なりかけの“天敵”とはつまり、まだ人間の部分を多く残した者……いや、まだ人間であった者だったのだろう。確かに“天敵”と成り果てた相手を始末するよりは人間を殺す方が戦闘としてはよほど簡単だ。しかし、とるうかは思う。きっと自分にそれはできないだろうと。そしてもしも自分達がもう少し早くあの場に到着していれば、この騎士が殺した相手は頼成の持つ薬によって助けることができたのかもしれない。そう考えるとるうかはどうにも心の置き所がなく、ただぎゅっと唇を噛み締めて窓の外から視線を外す他なかった。
そんなるうかの頭をぽん、と頼成が撫でる。無理をするなと言われているようで、るうかは少しだけ口元を緩めてみせた。そんな2人を佐羽と騎士が似たような視線で見つめる。
「勇者が少女で、聖者が男か。考えてみれば妙な取り合わせだ」
ふと騎士がそんなことを言い、頼成はどこかむっとした表情で相手を睨む。
「別にいいだろ、そんなの」
「お前はそんな少女に“天敵”を屠る役目を負わせて、それでいいと思っているのか?」
騎士の言葉は頼成を責めるものだったが、その声音は決して厳しいものではなかった。どこかぼんやりとして、別のことを考えながら言葉を発しているかのような。そんな雰囲気が彼にはあった。だからだろう。頼成も声を荒げたりすることはなく、落ち着いた調子で答えを返す。
「いいも悪いもない。俺達が決めて歩いてきた道だ。るうかが辞めたいなら、そのときには誰も引き留めたりしない」
「……そうか」
騎士はやはり頼成の答えを半分程度しか耳に入れていないようだった。
馬車はそのままの速度で走り続け、途中何度か御者の交代を兼ねた休憩を挟んで夜になる。このまま夜通し走り続けるということなのでその夜は皆で馬車の座席に座ったまま眠ることになった。大きめの馬車なので1人くらいであれば横になれるだけの座席の余裕はあるのだが、誰もそうしようとはしない。湖澄が一度るうかを気遣って声を掛けたが、るうかは断った。
隣に頼成がいたからである。木の板に薄い布を張っただけの座席よりも頼成の肩に寄りかかって眠る方が何倍もいい。勿論るうかはそんなことを口には出さなかったが、湖澄は深く追及することもなく引き下がった。そしてるうかはそのままそっと頼成の肩に頭をもたせかける。
頼成は何も言わず、るうかの身体が揺れて座席から転げ落ちたりしないようにその腕を彼女の腰に回した。衣服越しに徐々に伝わってくる温もりが、今のるうかにとってただひとつの拠り所だった。
理紗のこと、そして佐羽のことと不安は尽きない。こうして眠って目覚めた次の朝は現実の世界で、そこで何が起こるのかも予想がつかない。それでもこうして頼成の隣で眠ることができれば大丈夫だとるうかは自身に言い聞かせるようにして目を閉じた。視界の端で佐羽がそんなるうかをとても優しい瞳で眺めていた。
執筆日2014/02/14




