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夢の世界で目を覚ましてすぐにるうかは隣のベッドに頼成がいないことに気が付いた。そして簡単に服を整えると何よりもまず先に廊下に出て隣の部屋の扉をノックする。すると湖澄の声で返事があった。湖澄はるうかが名乗るとすぐに扉を開けて中に入れてくれる。
「おはよう、舞場さん。佐羽はあれだ」
「おはようございます、湖澄さん。ええと、ちょっといいですか?」
湖澄は挨拶と共に窓際のベッドでこちらに背を向けて眠っている佐羽を指差した。るうかは彼に返事を返しながらもほとんど一直線にその佐羽の元へと向かう。そしてひとまず彼の名前を呼んだ。
「落石さん、大丈夫ですか?」
「……んむぅ」
返事らしきものはあったが、眠る佐羽の表情は険しい。心なしか顔色も悪いようだ。るうかはまさかと思いながらも彼の肩を軽く揺すって起こそうとする。
「落石さん、ちょっと起きてください。聞きたいことがあるんです」
「……る、かちゃん……?」
むにゃむにゃとした口調で言いながら佐羽がうっすらと目を開けた。るうかはホッと息をつく。
「落石さん……あの、大丈夫ですか?」
「ん……怪我ならもうほとんど痛くもないし……」
「あの、そうじゃなくって……」
「……うん」
ぱちり、と佐羽は突然しっかりと目を開き、そして身体を起こしながら苦笑いした。どうやら寝惚けていたのは演技だったらしい。ぎょっとしたるうかに対して佐羽は「ごめんね?」と言いながらこくりと首を傾げてみせる。
「誤魔化そうと思ったんだけど、やっぱり駄目だよね。ごめんね、るうかちゃんにまで迷惑かけちゃって。でもとりあえず俺は大丈夫だから、心配しないで」
「なーにが『大丈夫』だ。ヤクザなんか敵に回しやがって、馬鹿野郎」
不意にそんな声が聞こえ、頼成がずかずかと部屋に入ってきた。彼の表情は元々そうである以上に険しく、小さな子どもが目にしたら泣き出しそうな様子である。佐羽はそんな友人を見て肩をすくめると「俺だけの責任じゃないもん」とそれこそ子どものように唇を尖らせた。
「どういう意味だ?」
状況の分かっていない湖澄が有無を言わせない厳しい口調で尋ね、佐羽はますます不機嫌そうに答える。
「ヘマをした。嵌められた。寅札会って知ってる? 日河岸市じゃ結構有名なんだけどね。そこの幹部の愛人に手を出して目を付けられた」
「……なんだって?」
「知らなかったんだよ、ヤクザ絡みだなんて。そんな情報は全く入ってこなかった。初めっから仕組まれて罠に掛けられたんだ。本当……よっぽど俺が気に食わないんだろうね、彼女は」
佐羽の表情が邪悪に歪む。るうかはハッとして彼に問い掛けた。
「まさか、もしかして、佐保里さんが……?」
「そういうこと。彼女はあの手の連中を相手に色々と商売をして恩を売っているらしくってね。その流れで俺を殺すために連中を動かしたんだ。昨日、ネットに俺と君が映っている写真がばら撒かれて……写真そのものは緑さんに頼んですぐに削除してもらったけど、あれで気付いたんだよ。サーバを辿ったら寅札会の下部組織が関わっていた」
それから佐羽が語った内容によれば、彼は朝方の繁華街で夜の仕事を生業とする女性を狙って声を掛けるということをしていたらしい。それは彼の常套手段で、仕事で疲れた女性に優しく甘い言葉を掛けることでその懐に入り込み、恋人のような関係を作っては捨てるということを繰り返しているのだそうだ。今回の相手も同じような流れで知り合った女性だった。彼女は繁華街の中でも特に極めていかがわしい、つまりは法に触れかねないような店で働いており、佐羽の甘い口説き文句にするりと落ちてきたのだという。佐羽も彼女のあまり幸福とはいえない生い立ちを聞いたり、これまでの辛い思い出などをゆっくりと聞いて優しい慰めの言葉を掛けた。彼女が欲しいと言った服や小物やアクセサリーの類を惜しみなく買い与え、彼女が店に借金があるために抜けられないと言えばその金さえも立て替えた。彼にとって金は役目を全うするための手段であり、その全ては柚木阿也乃から支給されていたのだった。
そうして最後に佐羽は彼女を手酷く振った。水商売で汚れた身体がこの世で一番嫌いだと。身の上話で同情を買うような惨めな女に用はないと。自分と彼女とでは住む世界が違う、身の程知らずも大概にしておけと散々なことを言って、そうして笑って別れを告げたのだ。
彼はこれまでにも同じようなことを繰り返してきた。彼にとってはいつものことであり、彼女は何百人という標的の1人でしかなかった。しかしその女性は日河岸市でも有数の勢力を誇る指定暴力団寅札会幹部の情婦であり、元々佐羽を罠に掛ける目的で近付いてきたことが分かったのだという。
「美人局のようなものか」
難しい顔をして言う湖澄に、佐羽は「現場を見られたわけじゃないよ」とどうでもいい言い訳をした。それに関しては彼も警戒しており、そもそもその女性はどうやら佐羽に対してかなり本気になっていたらしい。そしてそれこそが今回の問題の引き金になった。
「ネットで俺とるうかちゃんの写真が出て……彼女がそれを見て激怒したんだってさ。自分以外の女に色目を使った、とかで」
「……いや、それは何かおかしいだろ。その女だってヤクザの女なんでしょうが」
頼成が言った通り、浮気はお互い様である。そもそもるうかについては写真を広めた者の悪意によってそう見えるようにされたというだけであって何の事実もない。そうなんだけどね、と佐羽も溜め息をつく。
「ま、結局そんなわけでその幹部も形無しで。このままじゃ下にも示しがつかないからとにかく落とし前をつけろって言われたよ。佐保里が俺の隠しアドレスをばらしたんだね。例の彼女の写真付きで脅迫メールが送られてきた」
そう言うと佐羽はぼすっという音を立ててベッドに仰向けに倒れ込む。彼は自分の右腕で目元を覆うようにしながら小さな声で言った。
「酷い写真だった」
「……殺されたのか?」
頼成が尋ねて、返答はない。るうかはその場でごくりと唾を飲み込んだ。佐羽は薄く微笑みながら口を開く。
「佐保里は彼女を使って俺に因縁を付けさせて消すだけのつもりだったんだろうけどね。思った以上に事態が悪い方向に転がって、きっとさすがに焦ったんじゃない? だからるうかちゃんを巻き込まないように、それだけはうまく動いた。で、俺はまた1人……俺のせいで死んだ女性を増やした」
「それで、お前はどうする気だ」
尋ねたのは湖澄だった。佐羽は腕で顔を覆ったまま「どうしようね」と呟く。
「今はまだ考えていない。だって、それは向こうの世界のことだしね。今はこっちの世界の問題に対処する方が先でしょう?」
ふふふ、と佐羽の口から漏れた笑いにはどこか悲しい響きが混じっていた。佐羽、と頼成が気遣わしげにその名を呼ぶ。大丈夫、と佐羽はあまり説得力のない声音で答えた。そして彼は改めてむっくりと身体を起こす。
「それより昨日の騎士の彼から話を聞いた方がいいんじゃないの? 佐保里が何を考えているのか知らないけど、黒い蝶だって彼女の仕業かもしれないんだし。手を打つなら打つで早くしないと、あの大神殿の時みたいに“天敵”が大量発生するなんてことになりかねないよ」
「確かにな」
頼成はそう言って頷くと、現実世界でるうかが彼に話した理紗の夢の内容を佐羽達にも語って聞かせた。るうかの友人が虹色の女王かもしれないという推測に、さすがの佐羽と湖澄も驚きを隠せない様子で表情を変える。
「まさか、でも……」
「偶然にしてはできすぎている。だが、話を聞く限りでは限りなく疑わしいな」
湖澄がそう言うと頼成も大きく頷いた。そして彼はるうかの方を見てついと扉の方へと頭を振る。
「昨日の騎士に掛け合ってみよう。松ヶ枝さんのことはとりあえず伏せて、事態が事態だから女王に謁見したいってことで話を進める。それでいいか?」
「あ、はい。そうしましょう」
「じゃ、ちょっと話してくる」
頼成はそう言ってるうかを伴い部屋を出た。
ぱたん、と閉められた扉の内で佐羽がふうと溜め息をつき、そんな彼に対して湖澄が長い銀髪を揺らしながら静かな視線を送る。
「良かったのか?」
「何が?」
あくまでとぼける佐羽に、湖澄はその澄んだ緑がかった青い瞳を細めた。
「舞場さんにお前の所業を知られたくはなかったんじゃないのか」
「……潮時だと思ったんだよ」
答えて佐羽はふふっと笑う。
「勇者と魔王っていう関係ならともかく、向こうの世界で友達だなんてやっていられるような状況じゃないってこと、彼女にも分かってもらえたんじゃないかな? いっそこれで愛想を尽かしてくれれば俺も気が楽になる」
「舞場さんはお前が期待する程薄情じゃない。……いや」
湖澄は佐羽の隣のベッドに腰を下ろしながらじっと佐羽の目を見つめ、こう言う。
「彼女はきっとお前のことだって救ってくれるだろう」
「……それが一番怖いんだよ」
暗い顔で答えた佐羽に、湖澄はただ静かな視線を投げかけるばかりだった。
執筆日2014/02/14




