中編(改むるに)
※文字数が多いです。
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リーザは不機嫌さを、大安売りセールスさ乍らにバラ撒きながら、捕獲組合の職員専用扉を開けた。
「おはよう!」
いやそれ挨拶じゃなくて道場破りのノリですよ。
ホワンはそう思ったが、賢明にも沈黙を守った。代わりに口にしたのは別のことだった。
「おはようございます、リーザさん…えと、デヴィッドさんにお願いしたいことがあるのですが、連絡をしてもお仕事に差し支えないでしょうか?」
ホワンの礼を尽くした質問に対して返ってきたのは、リーザのブリザード視線だった。
「したければ好きにどうぞ?」
「は、はひ…」
分厚い魔獣図鑑にブリザード視線。何の因果か、ホワンはリーザの八つ当たりをまた受けてしまった。物理的ダメージも精神的ダメージも相当なものだ。
二度ある事は三度あるっていうけど、一度目が物理で二度目が精神なら、三度目は合わせ技かな…とホワンはよけいな想像をしてしまい、しばらく冷汗が止まらなくなった。
リーザはホワンを歯牙にもかけず、捕獲組合エイド支部の奥へと入って行った。
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仕事を一段落させたホワンは、庶務からの頼まれ事のためにリーザの姿を捜し歩いていた。
組合の事務所の中で行き交った共通の知人にリーザの居場所を尋ねる。
リーザは捕獲人の待機所にいた。
「リーザさん。ちょっといいですか?」
ホワンが待機所の出入口で手招きした。リーザは「遠慮せずに中に入ればいいのに」とブツブツつぶやきながらもホワンの方へ行った。
捕獲人の待機所には、荒々しい魔獣を捕獲することを生業とする者達が集まっている。体格もよければ気性も猛々しい者が多く、圧倒的に男性が多い。ホワンが入室しないのは、気後れしているのか気圧されているか、或いは両方かもしれない。
リーザが来るのを待ちかねたように、ホワンはいつになく早い口調で話し出した。
「あのう、リーザさん。デヴィッドさんに至急連絡を取りたいんで、なんとかお取り次ぎお願いできませんか?」
「え?あいつに連絡取れないの?確か、魔法通信機持って行ってたでしょ?」
リーザは首を傾げた。
魔法通信機とは、大災害前に「デンワ」または「ケータイ」「スマホ」とも呼ばれていた機器で、遠くにいる相手と会話できる便利な物だ。加えてインカムと違って距離に制限もなく、ノイズも比較的発生しない。
その代わり購入費も維持費も高額で、おまけに特別製の魔力でメンテナンスしなければならないという、個人では手が出せない商品でもある。
仕事に携わる時に限っての事だが、組合に申請すれば、この機器を格安で貸し出してくれる。
リーザとデヴィッドの場合は、現場が遠方の時によく借りていた。
リーザが把握している限り、デヴィッドは今回借りて行ったはずだった。通話に必要な魔力も満タンだったので、音信不通など考えられない。
ホワンも「確かに魔法通信機を借りてらっしゃるんです、ですけど」と困りきった様子で続けた。
「ここんところ、庶務がデヴィッドさんの魔法通信機に連絡してるみたいなんですけど、一向に返信がこないんだそうです。庶務の話ですと、報償金の振込でトラブルがあったみたいで、デヴィッドさんのサインを明後日までにもらわないと、今月振込む報償金が、来月になっちゃうそうです」
リーザの表情が険しくなった。振込不能も気になるが、返信がないのはおかしい。
「…連絡が取れない?庶務はいつから連絡を取っているの?」
「今日で4日目になるそうです」
リーザは口に手をあて、半ば目を伏せた。それは、リーザが真剣に考え込む時の癖だった。
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デヴィッドは何が起こったのか分からなかった。
目の前にいるのは、右手方向から回り込んだはずの友人。その友人の背から鋭い針が生えている。
赤黒い血が友人の服を同色に染めていた。
「クリス?!」
クリスの頭越しに見えたのは、クリスとほぼ同じ大きさの蜂だった。神経を引っかくような羽音をさせながら空中でホバリングしている。
こいつは…ひょっとしてランクS級の魔獣だったのか?
デヴィッドの全身に戦慄が走った。
俺を庇うなんて…。
「っくしょぉぉぉ!!」
デヴィッドの口から咆哮が迸った。
土と葉の湿った匂いがする。それにやけに固い感触がする。
デヴィッドは瞼を持ち上げた。鼻先に木の床がある。次いで目だけで辺りを見回す。
暗かった。それでも夜目がきくので、次第に様子が見て取れる。
デヴィッドは、四方が丸太に囲まれている空間にいた。それほど広くはない。どうやら木の床の上で寝転がっているようだった。
さっきまで森のど真ん中にいたはずなのに、どうなってやがる。
デヴィッドは軽く頭を振って…はたと気づいた。
そうか…さっきのは夢か。
デヴィッドは改めて周囲を観察した。
彼がいるのは、丸太小屋のようだった。暗いのは窓がないせいみたいだ。
次に時間が分かるものを探す。残念ながら、現在時刻が分かる物はなかった。ただ、木の隙間から光が筋状に差し込んでいるので、少なくとも太陽が出ている時間帯であることは分かった。
ひととおり周囲の状況を確認し終え、今度は身を起こそうとした。だが体が思うように動かない。一定以上動かないのだ。
麻痺ではないのは感覚的に分かる。では何故動かないのか。
首は動いたので、デヴィッドは自分の体がどうなっているかを見て…こめかみをヒクつかせた。
デヴィッドの全身は、縄でぐるぐる巻きにされ蓑虫状態にされていた。
…そうか、アイツらの仕業か。
デヴィッドは、自分の身に何が起こったかを十分すぎるほど理解した。
「おや、お目覚めのようですね。まさか本当に昏睡状態になるなんて思いませんでしたよ」
背後から男の嘲笑が聞こえた。顔は見えない。だが、デヴィッドはその男が誰なのか、既に目星が付いていた。誰何するまでもない。
「俺は冗談は言うけどな、嘘は言わねぇよ」
背後から軽い衝撃が襲った。背後の男がデヴィッドを足蹴にし踏み付けたのだ。もっとも、デヴィッドの体は筋肉の鎧で覆われている上ぐるぐる巻きの縄が緩衝材代わりになったので、ちょっと強めのマッサージ程度にしか感じない。
この蹴りがリーザのでなくて良かったなぁ、とデヴィッドは呑気に思った。
「強がりはそのへんにしていた方がいいですよ。まあ、あなたの命も残りわずかです。精々己の不運を嘆き悲しむことですね」
キメ台詞が型どおりすぎて工夫の欠片もない。完全に想定内の言葉ばかりで面白くない。
デヴィッドは、密かに男の語彙の少なさと表現力の平凡さを嘆きつつ、妥当な反撃に出た。
「そうだなぁ。お言葉に甘えて、アンラッキーな自分を悲しんどくよ…マルコさん」
息をのむ気配が伝わってきた。
その様子にデヴィッドは冷笑した。随分と侮られたものだ。この後に及んで正体を悟られてないとでも思っていたのか。
「恩を仇で返すたぁ、随分な真似してくれるじゃねえか。あの偽妻の怪我はワザとだったのか?偽夫婦にしては、随分仲も良かったし、演技で食っていけるんじゃねぇの?」
「……アイシャは本物の妻だし、怪我は偶然だよ」
マルコの主張は怒気を帯びていた。何かが癪に触ったらしい。だがデヴィッドの知ったことではなかった。
「フン…ま、これであんたらは俺の敵に決定だ」
デヴィッドは一旦言葉を切ると、不敵な笑みを浮かべた。
「…後悔先に立たずって言葉の意味を、骨の髄までたっぷり叩き込んでやるからよ。楽しみにしとけ」
デヴィッドの体から、マルコの足の重みが消えた。軋みが聞こえる。どうやら移動しているらしい。
ゆっくりと、デヴィッドの視界にマルコのつま先と脛が侵入してきた。
「減らず口はキライだよ」
デヴィッドの横っ面にマルコのつま先がめり込んだ。
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マルコはデヴィッドを蹴り付けたあと、小屋から出て行った。彼が出て行くと、小屋の中はデヴィッド1人になった。
彼がデヴィッドを放置したのは、蓑虫状態の人間に何かができるとも思えない、との思惑からだろう。とことんナメられてるが、絶好のチャンスだ。
マルコに蹴られた頬の痛みと熱は既に大分引いている。特異体質のおかげだ。おそらく、明朝までには完治するだろう。それに男の、とはいっても戦闘訓練を受けたことのないヤツの蹴りの威力など高が知れていた。
さて、とっととヤツらをブチのめしてやるか。
デヴィッドは反撃するための行動を開始した。
まずは、"寝転がっている蓑虫"から、"起き上がっている蓑虫"へ進化を遂げなければならない。
…3回チャレンジした結果、どうにか起き上がる事に成功した。
次に縄解きを試みる。
力を込めて引き千切ろうとしたが、縄に妙な伸縮作用があるせいで、篭めたはずの力を逃されてしまった。縛り方は単純なのに、縄は特殊なシロモノらしい。
さて、どうしたもんか。
デヴィッドは悩んだ。
物理的な手段が無理であれば、残る手段は魔法の力でどうにかしなければならない。
ただ、魔力の強さや量には絶大な自信があるものの、いざそれをコントロールして使うとなるとミジンコほどの自信もなかった。下手すると、周囲1キロメト(1km)を不毛の荒野に変えてしまいかねない。
マルコ達に報いをくれてやるのはいい。だが、今回の一件と無関係な周囲の人間や物、自然環境を巻き込むのは避けなければならない。
デヴィッドは心の中で腕組みして、なけなしの魔法コントロールをうまく発揮する方法を考え始めた。
不意にデヴィッドは異変を察知した。気配を消し、蓑虫状態のままだが臨戦体勢に入る。
小屋の外の様子が変わった…。
小屋の外の世界の変化が、デヴィッドにとって新たな災いになるのか、幸運になるのか、それとも無関係なのかはまだ判別できない。
デヴィッドは五感と第六感をフル活用して様子を伺った。
突然小屋の空間の一部が白くなった。
続いて人のシルエットが出現した。
「武器を捨てて両手を上に…って、デヴィッド?」
「リーザ?」
デヴィッドの視線の先では、リーザが油断なくスリングショットを構えて立っていた。
魔法攻撃を主とするリーザにしては珍しい事だった。
それに、よくここが分かったな…。
疑問が渦巻いているデヴィッドの傍へ、リーザは慎重に歩み寄った。
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リーザはデヴィッドを拘束している縄を短刀で切り、デヴィッドをすみやかに解放した。
デヴィッドはリーザに心からお礼を言うと、大きく伸びをし軽くストレッチを開始した。
「…何があったか聞かせてくれるわよね?あんたが音信不通になってから今日で8日目よ」
「ん、分かった」
固まった体をほぐしながら、デヴィッドは話し始めた。
「アイツらに案内されて来たのはいいが、拳闘兎の群れに囲まれちまってな」
「拳闘兎?ランクAの?しかも群れ?」
リーザは驚愕した。デヴィッドは頷くと、肩や首を回し始めた。
デヴィッドの話を要約するとこうだ。
マルコとアイシャに連れられて、深い森の中へ入った。森に入ることしばらく、未知の魔獣の目撃地点まであと少し、という所に来た時だった。
『うわっ』『きゃぁっ』
夫婦の悲鳴に気づいた時は、既に拳闘兎の群れに囲まれていた。緑色の毛並みに紫の目をしている魔獣だ。体の大きさはデヴィッドと同じくらいで、180セチメト(180cm)を超えている。
デヴィッドは、ひとまず「夫婦を守る」「拳闘兎共の殺人級パンチをかわす」「応戦する」の3つを優先させた。
その甲斐あって襲い掛かってきた拳闘兎共は全て撃退したが、アイシャが拳闘兎の魔のパンチから逃げている間に転んでしまい、足に大怪我を負った。
歩けなくなったアイシャを、ひとまずより安全な場所まで運んだ。
そしてマルコと2人掛かりで応急処置したものの、問題が残った。出血が止まらなかったのだ。
アイシャの顔からはどんどん血の気が失せていく。マルコは半狂乱になって、あらゆる神に祈り出す始末。
最寄りの町まで戻って医者に診てもらうには、移動距離が長いし時間がかかりすぎる。医者の所へ着く前に失血死してしまうだろう。
仕方ない、奥の手を使うか。
デヴィッドは、できる事なら絶対に使いたくない手段を使うことにした。そのためには、まずマルコに説明が必要だった。
『マルコさん、俺は今からアイシャさんに治癒魔法を使う。で、その前に言っときたい事がある』
『へ?…本当ですか!使えるんですか!何故サッサと使ってくれなかったんですかぁっ?』
『落ち着け!…あんま使いたくねぇんだよ、ホントは。詳しい理由は省くが、治癒魔法を使うと、そのあと大体1週間くらい、まるまる眠っちまうんだ』
『は?』
『時間がないから話進めるぞ。で、アイシャさんを治すと俺はここで眠っちまうから、あんた達は森から出て、助けを呼んできてくれ』
『へ?デヴィッドさんはどうなさるんです?』
『自分の身を守る手段ならある。で、これを渡しとく』
『この青い石はなんですか?』
『結界石だ。今発動させた。これを持っていると1メト(1m)以内なら安全だ。じゃ始めっぞ』
そしてデヴィッドは治癒魔法をかけるためアイシャに傷口の上に手を翳した。治癒魔法独特の淡い翠色の光がデヴィッドの掌から放たれる。鼓動に合わせて噴出していた鮮血は、徐々にその量を減らしていく。
不意にデヴィッドは、魔獣の気配を感じた。治癒魔法を施しながら卒無く辺りを探る。気配がある場所を探り当てると、今度はその場所が視界に入るように、できるだけ自然に移動した。
視界の中に、やや遠方の木の枝から見下ろしている詐欺栗鼠の姿が入った。
詐欺栗鼠は、ランクSの魔獣で、名前のとおり人間相手に詐欺をする、魔獣には珍しく頭脳戦も得意とするタイプである。人化もできる厄介さから、ランクが高く設定されていた。
詐欺栗鼠が、何故こんな時に、こんな所にいる。
不審に思いながら更に様子を見ていると、詐欺栗鼠は、時々デヴィッド達へ視線を寄越していた。敵視している感じはなく、様子見、観察といった態だ。
デヴィッドは自分の動きが気取られないよう視線の先を追うと、そこにはマルコがいた。おまけにマルコは、詐欺栗鼠を見ても視線が合っても平然としている。うっすらと笑ってすらいた。
デヴィッドは予想外の事態に愕然とした。
まさか…コイツらグルか?!
目的は不明だが、どうやら罠に掛かったらしい。
それを悟った時、強烈な睡魔がデヴィッドを襲った。頭がフラつき、まともに考えていられなくなる。
やべ…。
落ちてくる瞼を上げる気力すら、睡魔に喰らわれていく。
『詐欺栗鼠様!捕獲人を連れてまいりました!』
『ふん、御苦労!ん?んん〜?お前!命令をちゃんと実行しろ!…つ……ぐ…』
ここまでが、デヴィッドが覚えていることだった。
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デヴィッドはストレッチを終え話を終えると、どっかりと胡座をかいた。それに合わせてリーザも正座する。
「…大体の経緯は分かったわ。で、ここでいくつか確認させてほしいんだけど…あんた、お腹は空いてない?」
「いや。今回は腹が減ってない。多分大丈夫だ」
デヴィッドは即座に否定した。治癒魔法はデヴィッドは例外的に魔力をコントロールできる魔法だが、反動も大きい。
その反動というのが、約1週間の昏睡状態であった。そして、まれに異常なほどの空腹というオマケがつくことがある。
たかが空腹、されど空腹。異常空腹のデヴィッドは、突然倒れて動けなくなるのだ。その倒れる時がいつなのかはデヴィッド本人にも分からない。リーザの懸念はそこからきていた。
「OK、じゃあ次。詐欺栗鼠とマルコ達はグルで、なんらかの目的であんたを騙した。これでいいのよね?」
「ああ」
デヴィッドの返事と目には、静かな殺気が宿っていた。デヴィッドを見つめたリーザも、目に不穏な光を宿らせる。
「了解。じゃ最後。鑑定に関する事で、あんたに何があったのか教えて」
「……」
デヴィッドはそっぽを向いた。だが今度は、リーザは引かなかった。
「今度はだんまりはなしよ。今のあんたは、いつものあんたらしくない。詐欺栗鼠が見かけによらず悪どいヤツだって、あんたも分かってるでしょう?このままだと、やられっぱなしよ」
やられっぱなし、という単語にデヴィッドは反応した。
リーザは、黙ってデヴィッドを待った。デヴィッドは大きく息を吐き出すと、頭を乱暴にいじった。
「わーったよ…大分前の話だしさ、なんか言いにくかったんだよなぁ」
「魔獣絡みの話に明るさは求めないから気にしなくていいわ。私も気にしないし。で、何があったのかしら」
デヴィッドはリーザを見ないまま説明しだした。
「組合のメニューは、最初は鑑定がなくて特定だけだったろ?」
「そうね。しかも超低価格だったわよね」
魔獣捕獲組合が提供している各有料サービスには、設立当初からあるもの、形を変えて続いているもの、利用頻度が少なくて廃止されたもの、追加されたもの等々、いろいろある。料金改定も時々行われている。ちなみに魔獣特定の価格は、最初1万エンだった。2人が初めて目にした時、特にリーザは衝撃を受けたものだ。
そういったメニューにおいて魔獣鑑定は、追加されたメニューの一つだった。
「俺の友達…クリスっていったんだけどさ、特定とは別の魔獣確認メニューを追加すべきだって再三組合に訴えてたヤツがいたんだ。捕獲人にしては、気が優しくて穏やかな性格だったけど、その件についてだけは別人みたいに荒っぽくなってた」
「うん」
「クリスの兄貴も弟も捕獲人だったんだけどよ、魔獣特定の仕事の最中に魔獣に殺されたそうだ。それもあって、繰り返し主張してた」
組合設立当初は、魔獣の情報が圧倒的に不足していた。契約内容は、きちんとしたものから雑なものまで実にバラバラで、サービスの線引きや内容が契約書ごとに違うという事態が頻発していた。捕獲人の派遣体制も整っていなかったし充実もしていなかった。
そんな中でも、魔獣特定の仕事は更に混迷を極めていた。
依頼人が本来頼みたいことは特定でない。魔獣を退治してほしかったり目の前から消え去ってほしいのだ。それ故に、契約書の不備をついて捕獲や退治を現場で追加することが頻繁に起こった。情に訴えることもあれば、強制させられることすらあった。
その捕獲人の力量が魔獣を上回れば、話は"契約違反"で終わる。しかし、常にそうなるとは限らない。
断るに断りきれなかった捕獲人が、無謀にも自分達の力量を遥かに上回る魔獣捕獲や退治に挑み、落命するケースも度々起こった。
クリスの兄弟もそのようにして亡くなった捕獲人だ…デヴィッドはそう言っているのだった。
「…うん」
リーザが先を促すと、デヴィッドは珍しく溜息をついた。茶色の目が揺らめいている。
「…クリス自身も、魔獣特定の仕事中に……俺を庇って、死んじまった。毒針蜂にやられたんだ。クリスは、かなり優秀なヤツだった。今の捕獲人ランクで当てはめると、Aランクだったろうな、てくらい強かった。けど全く歯が立たなかった。お前も知ってのとおり、毒針蜂はランクSの魔獣だ。攻撃と敏捷性だけなら、個体によってはSS並みのヤツもいる」
リーザの目が見開かれた。全部初耳だった。
組合は、捕獲人の強さも、魔獣の強さも、"ランク"という階級で位置づけている。両方とも、強い順に、SSS、SS、S、A、B、C、Dの7段階になっており、1つ階級が違えば、強さは5〜20倍くらいの開きがある。
ちなみにデヴィッドはAランクだ。
つまり、結果としてクリスとデヴィッドは、自分の実力を遥かに上回る魔獣の特定の仕事をあてがわれたことになるのだ。
「クリスはさ、慎重に特定に入っていた。けど、見たことない魔獣だって分かった途端……よりにもよって、あの時に限って、もっと近づこうって言い出した」
「どうして…?他に、何かあったの…?」
捕獲人ならば、準備不足のまま迂闊に魔獣に近づくことがどれほど危険か分かっているはずだ。なのに何故。
「子供が2人、襲われて死んだって情報があったんだ。クリスはかなり悲しんでいて…憤ってた。ゆるせない、て何度も繰り返していた」
デヴィッドの脳裏に、殺された子供達の母親や父親がクリスに泣きすがっていた光景が浮かんだ。
「……クリスは、できるだけ近づいて生態情報を集めようって言った。俺は反対したけど、止められなかった。しまいには、1人でもやるって言い出した」
いつの間にかデヴィッドの拳は固く握りしめられていた。血管が浮き上がり、白くなっている。
「1人でさせるくらいなら、って結局俺も折れた。で、二手に分かれて生態情報を集めようってことになって、それぞれ回り込んだんだが…ちょっと目を離した隙に、毒針蜂は俺に接近していて……気づいたら、クリスの体を毒針が貫通してた」
デヴィッドは、凝って湿った息を吐き出した。
「……メニューに鑑定が追加されたのや、特定の料金改定はそのあとだ。一番声高に主張してたヤツが死んでから実現するなんて…皮肉なモンだよな」
「…同じような思いを、他の捕獲人にさせるのは、いやだったのね」
リーザの優しい問いかけに、デヴィッドは首を振った。
「そんな大層なモンじゃねぇよ…俺は」
その瞬間、2人は表情を消して即座に立ち上がり、臨戦状態に入った。
小屋の外の空気に、先ほどまではなかった敵意と殺気が入り込んでいる。
2人は身構えたまま、足音を殺して互いに距離を縮めた。最接近し、背中合わせになる。
リーザは、スリングショットを隙なく構えながらデヴィッドに小声で告げた。
「とりあえず、あんたの武器を今から魔法で引き寄せるけど…ちょっと頼みがあるの」
「なんだ?」
デヴィッドも警戒を解くことなく尋ねた。
「この辺り一帯に、対魔法用のブービートラップが仕掛けられてる。魔力に反応するタイプで、爆発するパターンとランクB以下の魔獣をランダム召喚するパターンとがあるわ。どっちのパターンになるかは、トラップが作動するまで分からない。引き寄せと同時に爆発用の結界を張るけど、魔獣には対応できないから、そっちの方の対処を頼みたいのよ」
リーザが、魔法でなくスリングショットを使っている理由がこれで分かった。
リーザが武器・物理攻撃をする場合、大剣かスリングショットのどちらかを使う。見目が良いという、ある意味女性らしい理由で大剣を使うことが多いリーザだが、剣さばきは若葉マークが取れるかどうか、といったレベルである。怪力に任せて剣を振るうので、目標だけでなく目標の周辺物まで破壊に巻き込むのが常だからだ。
そして本人の意にやや反して、スリングショットの腕前は神業の域にあった。好き嫌いは別にして、リーザも一応、自分の技量はわきまえているのである。
「了解。うまく俺の手元に持ってきてくれよ?」
デヴィッドが口の端を持ち上げると、リーザも同じように口だけで笑った。
「誰にもの言ってんのよ…それと、さっきの続きはあとで聞くわ。今更私を蚊帳の外にするのもなしよ。いいわね?」
「…了解」
背中合わせになっているので、デヴィッドが苦笑したことはリーザには分からなかった。だがこの前と違い、この件に関する彼の心の扉が開いたことは感じた。
2人はそれぞれ、五感と第六感を更に高めた。
「よし、行くわよ」
リーザが引き寄せの魔法を発動させた。白い光がデヴィッドの右脇に出現する。
光が消えた時、デヴィッドの右手には、彼愛用の武器である鉄の扇…ハリセンがあった。
《後編:憚ること勿れ へ続く》
※スリングショット:Y字型の棒などにゴムなどをつけ、小石等を飛ばす武器。ぱちんこ玉。