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SARO

捨てられたモノたち

作者:

  DIVE5



 何食わぬ顔で玄関を開けると、真っ黒な大型犬、バーニーズマウンテンドックのバーニーが足早に出迎えに近寄ってくる。さろは後ろ手に玄関を閉めながらしっぽをお尻ごと振っているバーニーの頭をあいた手で撫でた。

 珍しいことにそれに足音が続く。リビングからヒロイが顔を出した。じっとさろの顔を見ている。

「ただいま」

 先に口を開いたさろをじっと見、それからヒロイはバーニーに目を移した。さろの通学鞄にしきりに鼻を近づけている。首を傾げ、後足で立ち上がってさろの鞄に手までかけようとしていた。

「何が入ってる?」

 見透かしたようなヒロイの声に、さろはごまかすような笑みを浮かべた。隠し仰せるとは思っていない。というより隠してしまっては意味がないのだ。まあ確かに、呼び出されてもいないのに、そして来る日でもないのにいきなり来れば訝しみもするだろうが、これまでそういうことがなかったわけではない。

 ヒロイの方は、最初は早いな、と思っただけだった。たった今、呼び出しをかけたばかりだったのだ。それが、見てみればバーニーの様子が少しおかしい。笑顔のさろを無言で促すと、さろはそのまますたすたとヒロイの脇を抜けてリビングに来てから鞄を開けた。

 中から顔をのぞかせたものを見てさすがのヒロイも言葉を失う。その隙にさろがねだるような目を向けた。

「ね、ここにおいてあげていいよね?こんなに広いんだもん」

「馬鹿者……」

 ようやく言葉を返し、ヒロイはソファに腰を下ろした。どんな時にもノーブルで怜悧な印象が消えない人物だ。ただ、その顔が和んだ時には天使とはかくありなんと思わせるに足るものではある。

「どこで拾ってきたんだ。戻してこい」

 さろの鞄から懸命な様子で這い出してきたのは計五匹の子犬。這い出したところで力尽きたようにくてっとなってしまっているのを見るとだいぶ衰弱しているのだろう。

 バーニーをおくと決めたのが悪かったのだろうか。捨て犬を拾ってきてこんな頼み事をされるのは予想外だった。

「飼いたかったら自分の家におけ」

「だってわたし昼間家に全然いないもの。かわいそうじゃない。ここならヒロイもバーニーもいるでしょ?」

 どっと疲れを感じながらヒロイは有無を言わせぬ調子で首を振る。が、そこは相手がさろ。しっかり言葉を返してくる。

「戻してきたらどうなるか分からないじゃない」

「どうせお前みたいなのが拾っていくだろう。こいつは躾られてて手がそれほどやけないからいいんだ。散歩もどうにかなるしな。だがそいつらはどうするんだ。面倒見きれん」

 さろは恨めしげにぺたんと床に座ったままヒロイを見上げる。どちらも頑固者。こうなると大抵、折れるのは結果的にヒロイの方になるのだが。

「この子たち、ビニール袋に入れられて、口しっかり閉められて、ゴミ捨て場に捨てられてたのよ?」

 ヒロイの整った眉間に皺が寄った。ムクあたりには人でなしだの冷血動物だのと影で言われてはいるが、それなりに常識人間ではあるのだ。常識人間、というと語弊があるかもしれないが。

「考えたくもないけど、もしごみ収集車なんか来ちゃったら」

「さろ」

 さろの言葉を遮る。怒っていいのか悲しんでいいのか分からないという様子のさろの顔を見て、ヒロイの方は腹を立てている。それがさろには今は自分が犬を拾ってきたことに対する苛立ちに思えてしまう。

「考えたくもないんなら言うな」



 ヒロイがそう言ったところにもう一人、これまた勝手にヒロイの家に上がり込んできた。リビングの入り口に立ち、中の二人の間の微妙な空気を敏感にかぎ取ったムクはそこで固まる。正直この二人の言い合いには巻き込まれたくない。気分的にはさろの味方をしてさろがヒロイをやりこめるのを見たいところだが、そんなものを表に出したりしたらさろは無罪放免でも自分の方はしっかり意趣返しをされてしまう。

 固まったまま目を移したムクは、そこに子犬がごろごろといるのに気づき、状況が大体読めた。それにしても、捨て犬を拾ってきてやり合うとは、小学生の子供と親みたいなシチュエイションではないか。

 が、浮かびそうになった笑みは当然隠す。

「遅い」

 問答無用のヒロイの言葉にむっとしてムクは目を向ける。

「さろ迎えに回ってたんだよ。こっちに来てるんならちゃんとそう言えよ。いつも通りに回っちまうんだから」

「は?」

 さろが間の抜けた声を挟んだ。二人のやりとりを聞くとどうやら呼び出しでもかかっていたようだが。

 その声に振り返った二人はやれやれ、とため息をつく。ヒロイの方は何となく予感がしていたが、単純にさろは子犬を頼むためだけにここに来たらしい。

 が、あえてそこは追求せず、ヒロイは書類を二人の方に差し出す。立とうとはしなかった。

 それを見ながらムクはまったく、と複雑な気分になる。これでさろのようなことを自分がやっていたらばかにするところだろう。たとえ早く来ていたとしても、来た連絡を知らなければ棘のある言葉を向けられたはずだ。それほどあからさまではないが、確実にヒロイはさろをかわいがっている。というよりも、特別なのだろう、と思う。

「ヒロイ、この子たち……」

「仕事が先だ」

 ぴしゃりと言われ黙り込む。さろはむぅっとふくれながら書類をめくり始めた。そのさろにバーニーが鼻先を近づける。

「バーニー、ヒロイがいじめるの。どう思う?この子たちお腹すかせてるのにそれあげる暇もくれないんだよ」

 ついにムクがうっかり吹き出してしまった。ヒロイが苦虫を噛みつぶしたような顔になる。バーニーが分かったのかどうなのか、ヒロイに咎めるような視線を送るのにやれやれ、という気分をしっかり顔に出しながらひらひらと手を振った。

「勝手にしろ。ダイバーはムクだからな」



 空腹が解消され、元気になった様子で好奇心たっぷりにうろうろする五匹の子犬をバーニーに預け、家を出る。真剣に心配そうな顔をするヒロイを見て、思わずさろとムクは顔を見合わせ、互いの笑いをこらえている顔を見比べてしまった。

 連れて行かれた場所は、鬱蒼とした木に囲まれた家。迎えに出てきたのは警察の桐生だった。ヒロイは勝手に家の中のどこかに足を向けてしまい、桐生に案内されて二人は今回の対象者のもとに行く。

 対象者は廃人。どういう事情でその対象に潜るのかすら今回は知らされていない。ただ、廃人になった直接的な原因は薬らしいということだった。



 戻ってきた桐生に顔を上げ、ヒロイは黙ってその顔を見る。誰も身元が分からないという今回の対象。いや、分からないと、知らないと誰もが判で押したような返答を返す対象者に、ヒロイは見覚えがあった。そして、だから今回のダイバーはムクになったのだ。

「どうしたんです、難しい顔をして」

 いつものことだ。だが、少し違う。桐生のその辺りの敏感さがヒロイの口の端に微かな笑みのようなものを浮かべさせた。皮肉げな、とも言われそうなものだったが。

「何でもない」

「そうですか」



 ムクは潜った瞬間、身構えた。追い出そうとする反撥と、引き込もうとする、一瞬恐怖を感じてしまうくらいの吸引力を同時に感じる。その相反するものが混在する精神状態に戦慄した。

(オレの手に余るぞ、これは)

 とっさにそんなことを思いながら、どちらにも捕らわれないよう注意を払いながら潜っていく。対象の精神が自分に向かって何か意志を持った時は、それを避けなければいけない。弾き出されるならまだいいが、取り込まれれば面倒なことになりかねない。

 ようやく潜っていったムクは、はっと目を見開いた。

 それは遠くに見えた。目を凝らしているうちに、距離感が縮まってくる。人影だった。視点はおそらく、対象者自身のもの。並んでいる人を見るように移された目に映ったのは、ヒロイだった。自分たちが知っているのよりもずっと若い、少年のヒロイ。詰め襟の学生服を着て、今と変わらぬ能面のような顔をしている。理知的とも言うのかもしれないが。

 そして、もう一度戻した目の先にいるのは、大人と子供。二人の男と一人の女、そして、長い髪の愛らしい笑顔の少女。

「!」

 出そうになった声を封じる。

(さろ……!)

 必死に気を静める。混乱は危ない。ダイバーは平静でなければならないのだ。どんなことがあっても、潜っている間は。

 大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。サポートにさろがいる。そう思いながら気を静め、そこから目を離した。見なければいけないのは、これではない。

 見なければいけないもの。この対象が廃人になった理由。原因。

 ようやくそれが見えた時、ムクはきゅっと口をひき結んだ。それは混沌とした、まるでイメージだけの映像のようだった。

 四方八方、全ての場所から伸びてくる手。それは自分を捉え押さえ込もうと動く。全ての手は、白衣の袖から出ていた。そして、押さえ込まれようとしている「もの」も白衣。そして、真っ暗な中に浮かぶいくつものぽっかりと空いた赤黒いもの。口。やがて、伸ばされる手の半数に、注射器が握られる。

 声のない悲鳴がムクの頭を割ろうとするように響いた。



 真剣に、帰れなくなるのではないかとムクは思った。潜ったまま「帰る」事ができなくなったダイバーの話は聞いている。壊れてしまうのだ。

 冷や汗に紛れ、目を開けたムクは頬の痛みをまず感じた。そして、目の前のほっとしたようなさろの顔。サポートとして、潜って迎えに来るのではなく、力づくで叩き起こされたのだ。乱暴なその方法は、かなり危険でもある。戻ってくればいいが、行ったまま切り離された状態で体だけ起きてしまうこともあるのだ。ただ、今回に限って言えば、さろの判断は正しいとムクは思う。

「平気?」

「ああ……何とか。無理矢理注射うたれたんだ」

「……うん」



「報告書に書いて寄越せ」

 いつもなら見たものをまず話させるのに、ヒロイはいきなりそう言った。とっさにムクは、知っていたのか、と思う。ムクが見たもの。ヒロイとさろの姿。

 何で、と問い返すさろをしかしヒロイは呆れた目で見返した。

「お前……家に何おいてきたか忘れてないか?散らかったり汚れたりしていたら、しっかり片づけてもらうからな」



 玄関を開けた四人に向かって、計六頭の犬が駆け寄ってきた。桐生も報告書を受け取るために一緒に来ている。子犬たちは体中でしっぽを振り、これでもか、というくらいに愛情をぶつけてくる。

 桐生が驚いたようにヒロイを見た。ヒロイがそれに睨むような目を向ける。

「さろが連れ帰ったんだ」

 それに続けてさろが事情を話し、味方を増やそうとすると、桐生は違うところに感心した。その状態で弱っていたのでは、子犬たちはもう鳴く元気もなかったろう。

「よく気づいたね」

「だって聞こえたもの。苦しい、助けてって」

 ムクはとっさに何かがひっかかった。それが何か分かると、ヒロイに目を向ける。気づいているのだろうに、ヒロイは振り返らない。振り返らずに、じっとさろを見ている。

 鳴かなかった子犬。その声が、しかも意味を伴って聞こえたというさろ。勝手に意味をつけ加えているだけかもしれない。だが。あり得るのだろうか。潜り続けることで、機械なしで感応するようになるなど。まさか。

 打ち消しながら、さろを見る。ヒロイが皮肉な声でさろに言った。

「こんな世の中、生きていて幸せとは言いきれないだろうが」

「自分たちでそう望んでたもの」

「……で、今は何と言っているんだ?」

 ムクはそれでもう一度ヒロイを見た。ヒロイも同じ事を思っている。ただ、肝心のさろは何も疑問に感じていない。確かにそうだろう。潜ることで、人の心の声を聞くことに違和感など感じなくなっているのかもしれない。それに確信が持てたわけではない。

「分かるわけないでしょ。犬の言葉知らないもの。お腹すいたとでも言ってるの?」

 さろはそう言って子犬たちを見る。心配することでもないかもしれない。それにたまたまかもしれない。とりあえず、気にかけるのをやめた。何より、さろがこの調子では気にしている方がばかに思えてきてしまう。

「……矛盾したこと言っているぞ、お前は」

 呆れたようにそう言いながらヒロイはムクを見た。呆けた顔をしているムクに例のごとく、人を小馬鹿にしたような調子で言う。

「さっさと報告書を書け。待っている人がいるんだぞ」

「……へいへい」

 報告書を書くためにテーブルの方に行くムクを見ながら、ある意味子犬のおかげで助かったと思う。さろがムクが見てきた詳しい内容を突っ込んで聞こうとしない。知られて困ることではない。ただ、混乱はするだろう。何より、ヒロイ自身にも見えない要素が多すぎるのだ、まだ。

「さろ」

 振り返ったさろの顔を見てヒロイはやれやれ、と思う。期待に満ちた目。

「お前が面倒を見るんだぞ。躾もだ。ここから学校に行って、ここに帰ってこい。バーニーくらい手が離れるまでは」

「いいの?」

 嬉しそうにぱっと笑顔になりながらはたとさろはでも、と困った顔をする。それではかなり長い間自分の家の方が空き家になってしまう。人の住んでいない家は荒れるのが早い。

「居候期間だと思えばいいだろう。お前の家の方は……そうだな、新しいダイバーにかしてやるか?」

 適当に言いながらヒロイはそれで話を終わらせてしまう。どうせ五匹全部飼うことにはならないだろう。

「もらい手を探してもらえるか」

 桐生にそう言いながら、それでもとにかく、子犬をおくことを許されたことでほっとしている様子のさろに目を戻す。

「夕食の仕度をしてくれ」

 言われてさろはがくっと肩を落としながらキッチンに足を向ける。一瞬犬の面倒よりもヒロイの面倒を見る方が大変だと言い返しそうになったが、さすがにそれは飲み込んだ。せっかくヒロイが折れてくれたのだ。一度いいと言ったことを腹を立てたくらいで翻すヒロイではないが。

 が、冷蔵庫を開けてがっくりともう一度肩を落とす。

「ヒロイ……一体何食べて生きてるのよ」

 見事なほどに空っぽだった。今に始まったことではないが。

 報告書に向かっているムクを強引に引っ張り出すと、さろはヘルメットをかぶる。ぶつぶつ言いながらも、報告書などを書くのは好きではないムクはどこかほっとしてもいる。どうせ後で書かなければいけないというのに。



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