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トルソオ

作者: 夏樫

 ねえ、ご存知でしょう。ゴッホは自画像の為に自分の耳をちょん切ったって言うじゃありませんか。それとも、ゴーギャンだったっけ? 知りません、それより聞いて下さいよ、全く私は腕が邪魔なんだ。何も絵を描く訳じゃない。邪魔なものは邪魔なんです。美しくなりたいんだ。腕。ヒトの腕。長く伸びただらしない腕。どうしてこんな物が、至上の利器みたいな面で肩から垂れ下がっているのでしょう。全くおかしな話じゃありませんか。美しい肩。私は肩を愛します。肩ほど愛らしく、小悪魔的な人体のパーツが他にありますか。無いでしょう。無いんです。そんなものあっちゃ困る。ええ、そうですね。確かに醜い腕がぷらぷらしてるためにその肩の愛らしさが際立つなんてこともなかないでしょう。なくはないだろうけど奇蹟ですよ。奇蹟。ミラクル。起こり得ないことです。とにかくね、邪魔なんですよ、腕が。いいですか、広い部屋に美しい細工があるとするでしょう。美しいですね。貴方にも分かる美しさですよ。凝ったもんじゃありません。もっと心の奥に突き刺さるような美しさです。それが芸術なんですよ。分かりませんか。あるでしょう、細工が。ガラス細工とでもしましょうか。脆く儚く美しい。分かりやすいでしょう。ね、それで良いんです。そしてその隣に馬糞があるのを想像してもみて下さい。どう感じます、ああ、馬糞の隣にあるからガラス細工が一層際立って美しいなんて思いますか。思わないでしょう。次元が違うんですよ、次元が。不快。思わず嘔吐するような不快。この美しい細工に馬糞が付いたらどうしようかと常に案じ、警戒しながら肩の美しさには惹かれて、腕の醜さに震えて、ええ、恐怖です。余りに醜くて、恐ろしいのです。怖くて怖くて仕方がない。だから切り落として永久におさらばしたいと思うのだって無理ないでしょう。ああ、私はトルソオになりたい! 分かってくれるでしょう。肩からにょっきと二センチばかり飛び出した、何の役割も果たさない肉の塊。それが鎖骨を動かすと同じようにひょこひょこと跳ねるんです。自分の肩がそんな風になるところなんて想像したら、すみませんね、昂奮して仕方無い。だってほら、こんな具合に、え? 嫌ですよ、解きません。私は口だけで何だって出来るんです。足も使えます。そりゃあ足だって嫌いですよ。大嫌いです。でも腕程じゃありません。いや、しかし何れはちょん切りたいもんです。トルソオ。私はトルソオになりたいんだ。さっきも言いましたっけ。一人じゃ動けもしない、食餌も排泄も為されるまま、飾られる為だけに存在するトルソオ! 無駄の削ぎ落とされた完全な美、完全な不具。矛盾だと思われますか? ならそれでも構いやしない。貴方に理解されようなんて思っちゃいないんです。それでもついつい喋り捲って、非常な失礼を致しました。貴方なら何でもして下さるって伺って来たんです。お金だってちゃんと積みますよ。ほら、口で器用に出来るでしょう? もう腕なんて暫く使ってませんから、慣れたもんです。こう見ると本当、汚い脚ですね。何で胴で終ってくれないんだろう。幾ら必要です? 腕をほうら、ここら辺、今舐めたところからばっさり切り落としてくれるだけでいいんです。両腕とも頼みますよ。ああ、死なせてもらっちゃ困ります。ですから、ちょん切ったあとは縫合もお願いします。時期さえ教えて頂いたら抜糸は自分で出来るでしょう。やって見せますよ。それ位出来無くってどうしてトルソオになれます? 舐めないで下さいよ。ああ、ああ、ぶらぶらぶらぶら、頭がおかしくなりそうです。ね、先生、早く切って下さい。


 やあ先生、先日はどうも。具合は頗る良いですよ。汚らしい腕が無くなって爽快に毎日過ごせてます。素晴らしいんです。となるとどうしても脚が気になってしまって。腕のように後ろで縛っとくわけにも行かなくってね。汚いと思いませんか。おやおやこれは案外簡単に理解を示して下さるんですね。ああ、そりゃあそうだ、男の脚なんて詰まらないでしょう。そうでしょう、そうでしょう。女の脚だっておんなじですよ。胴だけ、いや、脚がほんの五センチほどね、申し訳程度に生えてて、それで時々歩いてみようとしたりして、だけど普段は突っ立ってるか寝てるのがいいですね。あんまり動いちゃ矢張り、興醒めです。先生、無駄話はもう沢山だ、脚です、両の脚。こないだみたいにね、痛くないように、いや、多少痛くたって可いんです。スパッと行きましょう。ああ、でも、脚だと自分で抜糸は出来ませんから、もう一度来さして貰います。ええ、金はしっかり。前と同じでいいんですかね? ほら、ちゃんとこうして口で。いえね、親父の遺産が転がり込んで、余って余って困ってるんですよ。羨ましいったってあなた、闇で仕事してりゃあ法外な金持ちなんでしょう。働いてるだけましか。だけど楽しくって仕方無いって顔なさってますよ。同類です、先生。さあさ、お願いします。麻酔をぷちゅっと打って、ね。


 どうも暫く。ほら、どうです? なかなか良い恰好でしょう。作らせたんです、特注ですよ。いや、この姿になって随分長いこと満足してましたよ。鏡の前でこうね、毎日過ごすんです。うっとりしちゃいますよ、本当。理想的な形に切って下すったから。時々ちょっと躰を捻ってみたりして、その曲線美にまた魅入ってみたりしてね。そりゃもう、楽しいったらありません。私の理想ですから。おや、これは先生、私の無駄口もお嫌いじゃないようで。ええ、それが女中を一人置いてましてね。身辺の世話は全部それにさせてるんです。やだなあ、邪推しないでください。メイドとご主人様なんてそんな立派なもんじゃありませんよ。何の関係もないんです。給金を弾んでるから汚れ事も厭わずやってくれるだけいい子ですけどね、腕と脚の付いた不細工です。そりゃ私の主観ですけど、間違っちゃいないでしょう。顔だって散らかってますからね。え? ああ、今日ですか。もう少し聞いてくれたっていいのに。いえいえ、良いんです。今日はですね、少々お恥ずかしい話なんですが、アレをね、スッパリ、いってもらいたいんです。どうも私は自分の胴体から突出したものが嫌いと見えて、嫌いってもんじゃないんですよ。こんなものあるとノイローゼになりそうなくらいなんです。気色悪いですよ。腕や脚なんかよりは随分マシなもんですけどね、それでも順にちょん切っていくとどうしてもやり残しは気になるじゃありませんか。頼みます。今度は数センチの可愛気なんて要りません。根元から、睾丸からすっぱりと無かった事にして頂けませんか。出します、出します。余って余って困ってる。それをお節介な遠縁がね、私に会いもしないで運用しよう増やそうと五月蝿いから任せていたら増えちまいましてね、どうせ私の死んだ後を狙ってるんでしょう。取り入っといたら分け前が多くなるだろうって算段ですよ。全く嫌になります。世知辛い、世知辛い。最初に来た時にトルソオ人形の話をしたでしょう。美しいトルソオの。トルソオは人間の玩具なんです。人間が美を追求するための被験体として作られた玩具。それ自体が美しさを持って生まれたなんて、そんな強大な罪はありません。背徳の香りがするでしょう。いけないんです。どうしてもいけないことなんです。美しい、それなのに美しい。私はトルソオになりたい。繰り言を、申します。私は、トルソオに、なりたい。ト、ル、ソ、オ。弄ばれる美しき不具。ねえ、頼みます。トルソオに性別なんて、あってはならないのです。何も性転換しろって言うんじゃありません。お願いします。もう慣れました。目を閉じ再び開いたら私はもう男根を失っています。


 酷いもんです。絶望の淵ですよ。人間の慾深さに私はすっかり絶望しました。いやいや違います。遠縁の親戚なんてどうだっていいんだ。あれは唯の雑談ですから。ちょっとした愚痴だと聞き流してくれりゃ良かったんだ。変なとこばかり覚えてるんだから。私の話ですよ。私自身の。強慾、貪慾、呆れるばかりだ。金で買うのは欠損です。これって哲学じゃありませんか。ドーナツの穴は確かに穴として存在するのか、それとも無なのかって話です。欠損は美しさがある限り、存在もするんじゃないかって私は思ってるんですけどね。どうでしょう、哲学なんて結局何の足しにもならない机上の空論みたいなもんじゃないですか。それでも真理を求める気持ちは分かります。よくよく理解できます。私がこうしてトルソオ人形に必死で、死に物狂いで近付こうとしてるのだって、同じような動機なんです。洞窟から出て太陽を見る努力、自分を完成された芸術品に近付ける努力はそれに近いんですよ。いや、違うかな。何だかよく分からなくなってきました。話していると思考が纏まらないんです。口から出任せって言うでしょう。頭なんか通ってないんだ。私の躰が美を欲して、欠乏を渇望して、その慾が頭なんて通さずに口から出てってるんです。先生、もう分かるでしょう、今日は何を切って貰おうって腹なのか。そうです、そのとおりです。先生が今まじまじと見てらっしゃる私の顔、いいえ、私の頭。こんなものがあっては、いけません。これは私という個人の個性を外側から一番くっきり表す憎むべき物体です。いけません。没個性の、画一的な、大量のトルソオ人形が陳列されているところを想像してご覧なさい、荘厳な景色でしょう。そこに顔なんてあっちゃ、兵馬俑より泥臭いじゃないか。私は綺麗になりたいんだ。いや、もう私じゃない。トルソオ。トルソオとお呼び下さい。唯の、一つの男のトルソオ人形が、今から出来るんです。トルソオがトルソオたる為に、美しくなきゃならない。そこに私なんて居ちゃいけないんです。お分かりでしょう。一思いにお願いします。今度は縫ったりしなくてもいいんですから、簡単なものでしょう。トルソオ、トルソオが完成したらどうして頂きましょう。そうですね、せめて、せめて一晩でいいから、鏡の前に立たせておいてくれますか。いや、贅沢を言うなら、前後で合わせ鏡にして下さい。そうして一晩、願わくは二晩、腐ってきたら、先生ご不快でしょうから、好きに捨てて下さって構わないのですが、ですが、腐臭というのも、何とも言えず、よいものです。心臓を引き摺り出されるような慾望と衝動を感じます。先生、死体。もうそこにあるのは美しいトルソオなんかでない、死体です。胴だけの死体。どうぞ、どうぞ、お好きに。

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― 新着の感想 ―
[一言] 拝読しました。 全体の狂的な雰囲気がなんとも。 脚を切った辺りでなんとなく先の想像もつく訳ですが、 それでも読むのを止められない昏い魅力がありました。 他の作品も、是非読んでみたいなと思…
2012/02/19 15:54 退会済み
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