終章弐〜美奈子&悠菜
●水瀬悠菜の場合
「グリム・リーパーの件は以上です」
近衛騎士団の制服、29式黒色開襟型制服を纏った悠菜は、手にしたファイルを閉じ、敬礼した。
スラックスではなく、タイトスカートを履いているのが、悠菜にとって唯一に近い、オンナとしての自己主張なのだろう。
「……神音母さんの所に行くだと?」
悠菜の前、執務椅子に腰を下ろし、頬杖をつく由忠の顔は、苦虫を噛み潰したように歪んでいた。
「お袋とは、本気で殺り合う覚悟がいるな」
「……それは止めたほうがいいでしょう」
悠菜は直立不動のまま、言った。
「理由は、御父様が一番ご存じのはずです」
「……ったく。オヤジもオヤジだ。いくら死ぬ間際とはいえ、隠密衆を含む不正規連隊の指揮権をお袋にくれてやるとは」
「いいじゃないですか」
「何がだ?」
「おかげで近衛の情報網は、人間界だけじゃなくて、魔界に天界まで」
「……情報網が広範囲なのは結構だが」
由忠は煮え切らないという顔で、“娘”を見た。
「おかげでこっちは出所も判らない情報に引きずり回されっぱなしだ」
「あの戦争もそうでしたね」
「遊撃隊も随分、振り回された口だろう?」
「はい。当初、中世協会が柏崎のゲートを狙っていると聞かされて、そっちに回っている最中に日村のゲートがやられました」
「悠理が数日かけて作ったトラップも、せいぜいが柏崎の原発を消滅させるのが精一杯だった」
「……あれは正直、予想外だったと、悠理も認めています」
「わかってやっていたらタダではおかん―――それより、悠菜」
「はい?」
「事件の発端についてだが」
「?……ああ、霧島一家の件ですか?」
「そうだ」
由忠は、執務机の引き出しから書類封筒を取り出し、机に置いた。
「調べはついている。なかなかに興味深いオチがついたぞ?」
●桜井美奈子の場合
桜井美奈子。
彼女は、公には失踪したことになっている。
決して、友達の家に泊まりに行っているとか、そうはなっていない。
そして、美奈子の母は、普通の主婦。
結果として、こうなった。
家に戻った美奈子の目の前で、スゴい速さで葉子が家に連れ込まれ、
ガシャンッ!
ガチャッ!
美奈子の前で、ドアが無情にも閉められた。
ご丁寧に鍵までかけられた。
「お、お母さんっ!?」
美奈子は血相を変えてドアのノブを掴んだ。
どんなに力をかけても、うんともすんとも言わない。
「ど、どうして!?」
葉子はすでに家の中なのに、どうして私だけ!?
「4歳の妹連れて、何日もどこ行っていたの!」
ドアの向こうで母がすさまじい剣幕で怒鳴る声がする。
「だ、だって!」
「だってもヘチマもないっ!家にいるのが、そんなにイヤなら出て行きなさいっ!」
「あーんっ!ごめんなさいっ!お母さんっ!開けてぇぇぇぇっっ!」
●水瀬邸
「―――というわけで」
「追い出されちゃったんですか?」
「……うん」
「どうするの?しばらく、ここにいますか?」
「ううん?鈴紀先輩のトコに厄介になることに」
「止めた方がいいんじゃないですか?それ」
「それが……途方に暮れていた所で鈴紀先輩につかまっちゃって、問答無用で」
「ご愁傷様。しばらくは、探偵稼業が忙しそうですね」
「もう、しばらく休みを楽したいのに」
悠菜は、無言で湯飲み茶碗を美奈子の前に置いた。
「ご愁傷様」
「グリムさん、恨むしかないわ」
「梅寿司」と書かれた茶碗を見つめながら、美奈子は肩を落とした。
「こんなの……あんまりよ」
「まぁまぁ―――さめちゃいますよ?」
「ありがと……」
お茶の暖かさが心にまでしみいるのを感じながら、美奈子は訊ねた。
「ところで、水瀬君は?」
「しばらく帰らないです」
悠菜はきっぱりと言った。
「私、悠理の代わりってことでここにいる。だから、私がここにいる限り、悠理は戻らないことになっています」
「ふぅん?」
しげしげと悠菜の顔を見た美奈子が、
「妹さんがいるって聞いたことないんだけど」
「ムッ。私は姉です!」と、悠菜はムキになって怒鳴った。
「私の方が、ずっとずっと!ずーっとしっかりしてるんですからっ!」
「そ、そうなの?」
「―――最後まで疑わしいって声ですね」
「そっくりだから」
「違います」
「どこが?」
「いろいろです―――それで?」
お茶を飲み干した悠菜が、美奈子に訊ねた。
「ここに来た理由は、そんなことじゃないでしょう?」
「―――わかる?」
「ええ、村上先輩と、霧島那由他の件、違いますか?」
「……」
「幸い、ここには私とあなたしかいません」
悠菜は自分の茶碗にお茶を注ぎながら言った。
「これから語ることは、あなたには、信じられないこと半分、理解できないこと半分―――そんなお話です。ですから、納得が得られるとは最初から思わないでください」
美奈子は無言で頷いた。
「まず、前提条件からお話ししましょう。桜井さん、“さまよえるユダヤ人”ってご存じ?」
「……ワーグナーの?」
「それはさまよえるオランダ人。私が言っているのは、その原型になったお話」
「へぇ?そんなのあるんだ」
「あるんです。……コホン。“さまよえるユダヤ人”とは、ヨーロッパの伝説、広まったのは中世末期だそうですが、その頃広まった伝説の人物。永遠に呪われた放浪者のことで、アハスエルスという名前も残っています。
十字架を担って刑場におもむくイエス・キリストが、アハスエルスなる靴屋―――まぁ、職業については異説いろいろですが―――その家の前で休息を求めたとき、アハスエルスはこれを拒絶し、イエス・キリストを辱め、打擲し、そして「早く歩け」と罵りました。
その時、イエス・キリストは「汝、我の来たるを待て」と答えて立ち去ったのですが、それ以後、アハスエルスは故郷と安息とを失い、永遠に死ねない体で最後の審判の日まで地上を彷徨う運命を負わされたといいます」
「ふぅん?」
「伝説によれば彼はイエスの死後、世界各地に出現しているとか、長崎でフランシスコ・ザビエルとも会ったといわれることもあります。詳しくは芥川龍之介の「さまよえる猶太人」を読まれることをお奨めします」
「それで?」
美奈子は、悠菜が何を言いたいのか、ピンとこない。
「その伝説と、村上先輩達と、何がどうつながるの?」
「獄族の呪いに、永遠の生という呪いがあります」
悠菜は、その答えを告げた。
「永遠の生―――死ねない呪いです。アハスエルスという別名もありますが、出来過ぎですね」
「人魚を食べたら死ねなくなるとか言うのとは違うの?」
「人魚の肉には、その呪いがかかっているのですよ?同じです」
「……まさか」
死ねない呪い。
それが、何を意味するか。
それを察した美奈子は刮目して相手を見た。
「いくら何でも!」
「言ったでしょう?獄族の呪いだと」
「それこそ滅茶苦茶よ。獄族でしょう?神の子とされるイエス・キリストがその呪いをかけられるはずがない!」
「そうです」
悠菜は干し柿に手を伸ばしながら頷いた。
「かけたのは、イエス・キリストを支えていた獄族です」
「話が滅茶苦茶すぎ」
美奈子はムキになって答えた。
「飛躍しすぎて、どうにも納得どころか、理解できない」
「最初から断ったはずですよ?“これから語ることは、あなたには、信じられないこと半分、理解できないこと半分―――そんなお話です。ですから、納得が得られるとは最初から思わないでください”と」
「……でも、それと村上先輩と」
悠菜は、無言で書類封筒をちゃぶ台に置いた。
「厳密に言えば、村上先輩と霧島那由他は―――もう、この世の人ではありません」
書類封筒から悠菜が取り出したのは、新聞の切り抜き。
「霧島源一郎が殺された翌々日、九州博多港から大陸に向けて出港した貨物船が一隻、対馬沖で沈みました」
「まさか……」
「沈没船は最近になってようやくサルベージされましたが……その船倉から、明らかに密航者とわかる若い男女の遺体が発見されています」
「……先輩」
「先輩達は、肉体を失い、魂だけになりながらも、救われることのない、永遠の殺し合いが続く……呪いの輪を回っているんですよ。ぐるぐる……ぐるぐる」
「……」
「……ぐるぐる」
「やめてっ!」
美奈子は、目の前で回される悠菜の指から目を背けた。
「もういいっ!」
「……そう、ですか?」
「どうしようもないの!?先輩達は、永遠に苦しみ続けるの!?」
すがりつくような美奈子の視線を前に、悠菜は平然と言い切った。
「ありません」
「そんな……」
「永遠の苦しみ―――それこそが、彼らが果たすべきを求められた契約の代償なのですから」
不正規連隊
―――近衛発足以前から、水瀬家が統率して来た諜報・謀略専門部隊。
水瀬家にとって不都合な存在は、例え権力者であろうとも排除してきた、日本史上最大級の闇の組織。
現在の神音商会非合法執行部隊の母体。皇室魔導兵団非公式外郭団体。
当然、所属しているのがマトモな者達であるはずはない。