終章〜日菜子
―――さて。
ただでさえ少ない作者の時間と精神を削りまくりの今回のお話。
最後にカタをつけるべき四人の話をここで掲載させていただこう。
●日菜子殿下の場合
同じ頃―――
宮中、近衛兵団戦闘指揮室は、空前の事態に大混乱に陥っていた。
「敵、東京都全域に展開!」
「宮城上空、敵測定限界値以上!」
宮城上空に、突然、魔族の反応が現れたかと思うと、あっという間に、東京都全域が、数え切れないほどの魔族の反応に覆い尽くされたのだ。
「目視確認は出来ないのか!?」
「分厚い雲に覆われて、反応のある雲の中までは!」
「ええいっ!メサイアは全騎、戦闘ステータスで起動!予備騎もだ!」
「β級の起動命令は!?」
「信濃以下、全艦艇、戦闘態勢のまま待機!」
戦闘指揮室に怒鳴り声がとどろき渡ったのは、その時だ。
「静まれっ!」
騒然とする室内が、水を打ったように静まりかえる。
「近衛兵団全軍に命ずる!」
そう、大音声をあげるのは、あのハゲ―――ではない。伊東大将だ。
「事態を静観せよ!これは訓練であるっ!尚、この命令は勅諚であるぞっ!」
勅諚
一言で言えば、天皇の命令。
それに逆らえる者は、少なくともここにはいない。
その命令を下したのは、当然―――
日菜子だ。
「そうですか……春菜は、無理ですか」
「ご期待に添えず、面目次第もございません」
深々と頭を下げる栗須に、日菜子は言った。
「いえ。むしろあなたはよくやってくれました。女官団の者達も」
「恐縮です」
「ふふっ……どうでした?去年以来、二度目の対妖魔戦」
「十分に、堪能させていただきました」
栗須はせめてもとばかりに微笑む。
「殺し足りないのが残念です」
「頼もしい限りです。春菜と、姉様は?」
「昨日のうちにお戻りになられ、お二方共、別室でお休みでございます。お客様が」
「そうですか……天界のお話、聞きたいものです」
「天……界?」
栗須はその言葉にひっかかった。
栗須自身、いや、宮中の者達は、自分の主君が、この事件の最中、安全のため、どこかに身を潜めたことは知っていた。
だが、その正確な居場所を知っている者は、誰もいないのだ。
その答えを、日菜子自身の口から、栗須は聞いた。
「そうです。天界―――私は、魔界ですけど」
「そ、そんな危険なところへ!」
「何を言うのです?」
日菜子は血相を変えた栗須の前で、平然と紅茶に口を付けた。
「天界、魔界共に、そちらの世界の帝のおわすお城の中。少なくとも、私は有意義な時間を過ごさせていただきました」
「し、信じられません」
「そうでしょうね」
クスクス笑う日菜子は、ティーカップをテーブルに戻した。
「私も驚きましたけど、亡き先帝と母が、かつては両方を行き来していたそうです。そう聞いたら、安心して行けました」
「先帝陛下まで?」
栗須は、もっと信じられないことを聞いた。
もしかしたら、日菜子殿下は、ヘンなクスリでも使われたのでは?と、栗須はかなり失礼な勘ぐりをした位だ。
「ええ。過去はいろいろあったようで」
日菜子はとても楽しそうな顔をしていた。
「先帝や母の若い頃の冒険譚。春菜が聞いたら、きっと楽しいお話にまとめてくれるでしょう」
「はぁ……」
「さて、栗須」
時計を見た日菜子が、栗須に命じた。
「少しだけ、退出していなさい」
「はっ?」
「お客人をおもてなししなくてはなりません」
どなたですか?
その言葉を、栗須は飲み込んだ。
下がれ。
日菜子は、自分の主君は、そう命じているのだ。
栗須は、一礼の後、部屋を下がった。
「―――さて」
栗須の退出を見送った日菜子が、目をつむったまま、声を上げた。
「折角、二人の時間をとったのです。―――お顔を拝見させていただけませんか?」
「……よく、わかったものですね」
「恐れ入ります」
ふっ。
赤い髪の少女。
年の頃は、日菜子より上。
整った顔立ちの美しい顔立ちの少女。
身に纏った、シンプルだが高級そうなドレスがふわりと揺れる。
魔界の第一皇女。
ティアナ・ロイズール・トランシヴェール。
その彼女が、日菜子の前に姿を現した。
「お初にお目にかかります―――日菜子殿下」
「ああ―――そうですね」
日菜子は立ち上がって、空いたカップに紅茶を注ぎ始めた。
「お茶、いかがですか?」
「結構です」
「椅子、そこにありますから」
「……結構です」
「お客にしては、態度がスゴイことになってますね」
「親の教育が良いので」
「そうですか……恐ろしいことを」
突然の来訪に一切動じることのない日菜子は、ティーカップをソーサーに乗せて、テーブルに置いた。
「この世界では、皇女がお茶を用意するのですか?」
ふんっ。と鼻で笑ったティアナの質問にさえ、日菜子は眉一つ動かさない。
「せめてもの心遣いと思ってくださいませ―――冷めてしまいますよ?」
「ですから、いりません。いらないものを勧めるのが、この世界の流儀なのですか?」
「折角、作ったのです。出がらしのお茶に、ハバネロにワサビにカイエンペッパー入り」
「……」
「あっ。青酸カリと水銀と、ヒ素も入れましょうか?何でしたらウランも」
「お客に死ねとおっしゃるおつもりですか?」
「死にそうもないお顔なので」
―――ビシッ!!
二人の視線が、すさまじい勢いでぶつかり、視覚効果上、超新星顔負けの光を放つ。
「何しに来たんです?呼んだ覚えはありませんよ?」
「あら?ついにけんか腰というか、本性を見せたようですね」
「ケンカに来たのですか?」
「いえ?」
ティアナは無言で、剣を抜いた。
「あなたにお願いに来たわけでもありません」
「……」
日菜子は、一切、動じることなく、まっすぐにティアナを見つめるだけ。
「……剣が、怖くないのですか?」
「私は皇女です」
日菜子は、微動だにせずに答えた。
「このような時、動じて良いと教わっていません」
「……つっ」
ティアナが内心、「厄介なヤツ」だと思っているのは、その表情から明らかだ。
「私は、あなたに命じに来ました」
「何を?」
「水瀬悠理を、諦めてください」
「水瀬悠理の、何を諦めろと?」
「み、水瀬悠理の……えっと、全てです!」
「全て、とは?」
「全てといえば、全てです!決まっていますっ!」
ティアナは、剣を構えた。
「水瀬悠理は、瀬戸綾乃の―――私のモノですっ!」
「―――成る程?」
クスッ。
日菜子は軽く吹き出した。
「な、何がおかしいんですっ!?」
「つまり」
日菜子は、微笑みながら言った。
「瀬戸綾乃を応援しているつもりで、悠理に情が移った―――そうですね?」
「なっ!?」
ティアナは耳まで真っ赤になった。
「ほら。お顔は正直♪」
「ち、違いますっ!」
「なら」
日菜子は慌てるティアナに言い放った。
「その言葉は、瀬戸綾乃本人に言いに来るように伝えなさい。あなたのような、使いっ走りの言葉に一々従う理由はありませんっ!!」
「だ……黙って聞いていれば!」
「一々、文句言い続けてきたクセに」
「それが気に入らないんですっ!」
ティアナは、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「水瀬悠理をたぶらかした(自主規制)がっ!」
「……」
「地位を振りかざして、他のオンナのオトコを横取りするなんて!恥を知りなさいっ!」
「自分の分魂から恋人を奪うのは問題ないのですか?」
「か、関係ありませんっ!魂が一緒だから、問題ないんですっ!」
「すごい屁理屈ですね」
「だ、黙りなさいっ!」
「とにかく」
日菜子はティアナに答えた。
「私は、何があろうと、絶対に、悠理を諦めません」
「魔界の第一皇女たる、この私が命じているのです!」
「例え神に命じられたとしても―――私は拒みます」
「今日、この場であなたを消し去ることも出来るのですが!?」
「別れろと脅されて、はいそうですかと諦めるほど、私は安い気持ちで悠理を愛してはいませんっ!
本当に人を好きになったことがないから、そんなことをいうのですっ!
くやしかったら、本気で人を好きになってご覧なさいっ!
人を本気で好きになるために、どれほどの覚悟がいるか!
それを知ってから、そんなセリフを口になさいっ!」
「わ、私だって!私だって、好きな人はいますっ!」
「なら、余計な所に首を突っ込まずにその人だけを見なさい!瀬戸綾乃が、本気で悠理が好きなら、記憶を無くした程度で諦めるはずはないんです!」
「!!」
「第一、あなたは卑怯です」
「わ、私が?私が―――卑怯?」
「そうでしょう?剣を片手にした横柄な態度。あまつさえ、好きな相手と私を別れさせるために、瀬戸綾乃の名を使う。これが卑怯でなくてなんなんです」
「わ、私は……ですけど、私は瀬戸綾乃の」
「最初からはっきりおっしゃれば、私だってもう少し、対応もありましたよ―――“私は悠理を愛しています。ですから、悠理と別れてください”とか」
「え……えっと」
「一々、私の言葉を巻き戻さないでくださいね?」
「な、なら」
完全な敗北。
それを自覚したティアナは、悔しそうに日菜子を睨みながら訊ねた。
「あ、あなたに聞きます。
あなたは、どうして、そうも強くいられるのです?」
「私が、悠理を愛しているからです」
日菜子は、きっぱりと言い切った。
「皇女としての地位、身分、様々な障害を前に、幾度も煩悶しました。
それでも、私は、悠理を愛することを諦めることが出来なかった。
だから、今の私は、全てを犠牲にする覚悟が出来ているのです」
「あ……あなた……まさか」
ティアナは、その言葉の意味を悟った。
それは、皇女として、絶対にあってはいけないことなのだ。
目の前の少女は、それを覚悟しているという。
「こ、皇位を?」
「ええ……恋が成就すれば、それは私の廃位につながります。そして、私はそれを望んでいるのです」
「ば、バカっ!」
ティアナは怒鳴った。
「そんな軽々しいことで、皇女の責務が果たせると!?」
「あくまで私人として、ですよ?」
日菜子はティアナに微笑んだ。
覚悟のある、そのすさまじい微笑みに、ティアナは正直、気圧された。
「公人としては違います。皇女として職責を果たす時、悠理を犠牲にするなら、私はそうします。私人としての一片の躊躇でも、その時見せたら、私は悠理に嫌われます―――悠理とは、そういう約束なのです」
「……」
「私達は、単なるなれ合いで愛し合っているのではありませんよ?」
「そ、それでも」
「諦められない……それでいいのですよ?」
「敵に、情けはかけられたくないです」
「ふふっ」
そっ。
日菜子は、ティアナに近づくと、手を差し出した。
「敵ではありません。ライバルです」
「勝ち目の薄い戦な気がしますが……」
「悠理がどう心を動かすか。
それは悠理にしかわかりません。
ただ、私は負けません。
精一杯、一人の女の子として、最善を尽くすだけです。
あなたも、そうでしょう?
フェアにやりましょう」
「……」
「……」
ティアナは、苦笑と共に、その手を握った。
「最も、遠い存在ですが……最も長い時間を持つのは私ですからね」
「私も、今は心が最も近い存在ですから」
「最後には、私が勝ちます。絶対に」
「負けません」
「ふっ」
「ふふっ」
ハハハハッ。
室内に、日菜子とティアナの笑い声が響いた。
「人間のことわざに“雨降って地固まる”とあります。わるいことがあったあとに、かえって前よりもいい状態になることを意味します」
「くすっ。確かに」
「お茶、入れ直しますね?」
「ええ。お願いします」
「はい♪」
「日菜子殿下」
「はい?」
「その……単刀直入に聞きます」
「何でも」
「悠理とは……どこまでいってるんです?」
「内緒です」
紅茶を用意する日菜子は、動じるところもなく、そう答えた。
「教えてくださっても」
「悠理の閨に忍び込んで同じ事しますか?」
「も、もうそこまで!?」
「まさか―――キスまでです」
「な、なら……私にも」
「やったら教えてくださいね?100倍のキスと一緒に、100万回の平手打ちを悠理にくれてあげますから」
「ははっ……怖いこと♪」
「そういうものでしょう?」
「そうですね―――美味しそうなお茶菓子。もらっていいですか?」
「ええ。お茶、どうぞ?」
「ありがとうございます」
「では―――お互いの正々堂々とした恋の勝負開始を祝して」
「乾杯♪」
チンッ
カップ同士が音を立てた。
「あ、いけない」
日菜子は思い出したように口元を押さえた。
「ティアナ殿下?確か、母上から逃げていらっしゃるとか」
「ええ。肉体を奪って、お城から逃げ出しました」
「いいんですか?」
「一ヶ月も逃げれば、母上も諦めてくださるかと」
「つまり、反省も何もないと」
「反省してはいますが、叱られたくはありません」
「親に叱られるのは……うらやましいくらいなんですけどね」
「……ご両親のことは、魔界帝室の一員として、申し訳なくは思いますけどね?でも、叱られて嬉しいなんて、ちょっとヘンです」
「ふふっ。でも……こうなると、そう思えてなりません」
「そうですか?代わって欲しいくらいですけど」
「目の前で実演していただきたいくらいです」
「してみてもいいんですけどね」
ティアナは、本当に冗談のつもりで、そう言ったのだ。
だが、日菜子は、その言葉尻を捕まえた。
「していただけます?」
「母上がここにいれば」
「本当に?」
「ええ―――残念ながら、母上はいませんので」
「そうですか」
日菜子は、カーテンの裏を見ると、声をあげた。
「陛下―――叱られてもいいそうですよ?」
「―――へっ?」
呆然とするティアナの前で、カーテンが開かれた。
そこは、別室につながる通路。
カーテンの後ろで仁王立ちになっているのは、
妙齢の美女。
シンプルだが、厳選された素材に精緻な仕立てが施されたスーツに身を纏った見目麗しい女性が、額に青筋を立てて、ティアナを睨んでいた。
その女性に、ティアナはイヤでも心当たりがあった。
「はっ!?」
「……ティアナ」
カッ。
ヒールが音を立てたが、ティアナの耳には、
ドンッ!
怪獣が歩いているような恐怖感さえ感じさせる音だった。
「は、母上っ!?」
そう。
魔界女帝―――クイーン・グロリアその人だった。
「いけないっ!」
椅子を蹴って立ち上がり、慌てて逃げ出そうとするティアナだが、気が付くと、完全武装した女官達に取り囲まれていた。
人間界の女官達とは異なるコスチュームに身を包む女官達。
それは、魔界帝室の女官達だった。
「取り押さえなさいっ!」
魔界女帝の凛とした命令が飛び、女官達が一斉にティアナを取り押さえた。
「は、離しなさいっ!母上っ!?」
「この放蕩娘っ!こっちにいらっしゃい!」
女官達からティアナを奪い取ったクイーン・グロリアが娘の首根っこを掴んで、別室に引きずっていく。
「エトが来ているってのに!詩織の娘にケンカふっかけるとは!」
エト。
その名を聞いたティアナが、別室をちらと見た。
少し肥満気味の丸っこい体格の男と、物静かな女性、そしてティアナと年の頃は変わらない少女達が、バツの悪そうな顔でこちらを見ていた。
「天帝陛下?」
「久々に親交を暖めていたというのに!かつてのパーティ仲間の家族そろい踏みの時に、なんであなたはこんなっ!」
「母上ぇぇっ!お、お慈悲をぉぉっ!」
「今日という今日こそ、許しませんからね!?覚悟なさいっ!」
カーテンが閉められた別室のさらに別室へティアナを連れ込むクイーン・グロリア。
「ここから逃げようったって、そうはいきませんからね!?親衛軍6000万があなたの捕縛だけを目的に、この周囲を囲っています!さらに同数の天帝親衛軍の存在も忘れてはなりませんよ!?」
「そこに座りなさいっ!」
「ああっ!情けないっ!」
「親として恥ずかしいにも程がある!」
「詩織の娘があんな立派に育ったというのに、どうしてあなたはそんな!」
そこから響き渡るクイーン・グロリアの母としての怒鳴り声。
日菜子は、目を閉じてその罵声に耳を傾けた。
遠い日に、母に叱られた日々が走馬燈のように駆けめぐっていく。
“怒られるのはいつも私だけ”
“御母様は、私が嫌いなんだ”
いつも、そう思っていた。
正直、母を恨み、憎んだこともある。
だけど、今となっては、それさえ懐かしく、愛おしい。
隣室から響き渡る母としての怒鳴り声。
日菜子は、それを、自らの亡き母の声として聞き続ける。
手にするのは、銀のロケット。
母の形見。
それを握りしめる日菜子の頬を、涙が伝わっていった。
……あれ?
終わらないよ?
でっち、どうして?
……え?
何も考えていないから?
考えたよ。だから書いたんだろ?
……え?
クリスマスイブに独り身だからさみしいんだろ?
殺すぞ!?
うわぁぁぁんっ!