第七十話
「素粒子崩壊?」
「まぁ……ぶっちゃけ、素粒子は物質の最小単位のこと。さっきの攻撃の場合、射撃軸線上にあった物質はすべて素粒子の単位で分解されたってことになるわね」
「物質ってことは、世界樹も?」
「もちろん。この世界では、エネルギーもある種の物質として存在している。それさえ分解してしまえば、誘爆の心配はないもの」
「そういうものですか?」
「―――桜井」
イツミは、美奈子の肩に手をおいて、深いため息をついた。
「そう……そうとでも考えなきゃ、このご都合主義満載のお話でヒロインはれないわよ?」
美奈子は、即答した。
「そう考えます。断定します」
世界樹の崩壊。
それは、この事件における、一つの結果に過ぎない。
事件の解決に当たった悠菜達の前には、問題が山積したままなのだ。
「世界樹―――葉と一緒に消滅」
「……はぁっ」
綾乃が失望のため息をついた。
「……母上に、何と申し開きすればよいのでしょうか」
「諦めなさい」
ぽんっ。と悠菜が気の毒そうに肩を叩いた、その時だ。
「カノッサさん!」
セージュが悲鳴をあげた。
「!?」
皆の視線が集まる中、床に転がされていたカノッサに、セージュがすがりついていた。
「カノッサ!?」
駆け寄った綾乃の前のカノッサの口からは一筋の血が流れている。
「ど、どうしたのです!?カノッサ!」
その呼びかけに、カノッサは答えることがない。土気色した顔からは、徐々に生気が失われつつあった。
「どきなさい」
イツミが二人を押しのけるようにカノッサを調べるが―――
「だめね」
イツミは、悔しそうに首を横に振った。
「ストリーネ系毒薬の典型的症状が出てる。体のどこかにカプセルでも仕掛けられていたのかしら?」
「……第四計画の」
「悠菜。多分、その通りよ?計画に失敗したカノッサを始末して、それ以上の追求の手を阻止した。それとも、この子自身の決断か」
……やられたわ。と、イツミは悔しそうな顔で爪を噛む。
「第四計画が、この世界樹のデータをどこで仕入れたか。他の計画とは何なのか、何一つわからないまま、捜査は一から出直しね」
「お師匠様……まさか、その第四計画の」
「そうよ」
イツミは頷いた。
「第四計画の全貌の把握と組織の壊滅。それが、私達の使命」
「人間界で遊んでいたんじゃなかったんですね」
ガンッ!
「殴るわよ?」
「……殴ってから言わないでください」
カノッサの死体が光の泡となって消えようとする中、イツミは綾乃に訊ねた。
「辛い所だと思うけど」
「……はい」
部下の死に浮かべた涙を拭い、綾乃は頷いた。
「世界樹の葉は消滅―――あなたも、かなり重い叱責は避けられないわ」
「覚悟しています」
「そう……天界として出来ることは何もないけど、私個人は、経緯をグロリア陛下にお伝えできる」
「お願いできますか?」
「ええ。セージュの仇討ちも含めて、魔界にも行かなきゃならないでしょうから。そして」
全員の視線がグリムに集まる。
「グリム」
「はい」
グリムの顔も、さすがに神妙なそれになっていた。
泣きそうな顔ですがりつく琥珀に、「大丈夫」と笑みを浮かべると、グリムはまっすぐにイツミに視線を向けた。
「自分の罪は、自覚しています」
「死は避けられないわよ?」
「―――はい」
「といいたいけど」
イツミは肩をすくめた。
「あなたの知識、殺すには惜しいわ?どう?知り合いの所に潜伏して、研究を続けてみるってのは」
「―――はっ?」
「神族や魔族まで屍鬼化する魔法―――喪失魔法にするには惜しいのよ」
「……法の秩序より、実益ですか」
「あいにくと、私は裁判官じゃないの」イツミは笑った。
「私は軍人なの。わかる?」
「成る程?」
「人間界からは少し離れてもらうけど―――桜井」
「はっ、はい!?」
突然、自分の名を呼ばれた美奈子は、驚きに裏返った声で返事した。
「な、何ですか!?」
目の前で、魔族が死ぬところを初めて見た美奈子は、その光の泡の消えゆく姿を、ぼんやりと見つめていたところだった。
「グリムのマスターとして、それでいいわね?」
「えっ?」
「グリムを自由にするか、しないかって聞いたの」
「……」
グリム・リーパー
それは、美奈子にとって、複雑な人物となっていた。
自分を頼ってきた存在。
自分と共に戦った戦友。
自分を殺そうとした敵。
自分を犯そうとした敵。
そして―――自分の下僕。
ここまで様々な関係となりうる存在は、生涯かけてもいないだろうと、美奈子は思う。
そんな存在の処遇を、美奈子は求められているのだ。
「どうなの?」
「私の敵とならないこと、そして」
美奈子はまっすぐにグリムを見つめ、言った。
「全てを解決してくれる―――この二つを飲んでくれるなら」
「グリム?」
グリムは、言葉を噛みしめるように、俯きながら言った。
「協力出来ることは、しましょう」
●桜井美奈子の日記より
上を下にの大騒ぎ。
ジェットコースーター
……騒ぎを表現する形容詞って、いろいろあると思う。
でも、こういうのって、なんて表現したらいいんだろう。
イツミさんとセージュさんは、「人間界と下手に接触できない」という理由で、あの穴からどこかへ(きっと、魔界だと思う)へと去っていった。
私達は、水瀬悠菜ちゃんやグリムさん達と一緒に、穴から地上へ。
久しぶりに見た朝日は、とても眩しくて、何だか見ているだけで嬉しくなった。
でも―――
私は身柄を拘束された。
自分がグリムさんに協力して、近衛軍と渡り合ったことは隠しようのない事実。
私は、自分がやったことは包み隠さず、すべて、問われるままに答えた。
地下迷宮の改装
トラップ設置
戦闘指揮
いろいろだ。
「こんな子供が?」って、近衛のエライ人達は驚いていたけど、でも、その場にいなければわからないことを、私が次々と報告したから、その人達も信じないわけにはいかなかった。
「まぁ、バツだと思って、大人しくしてなさい」
樟葉さんにそう言われて、近衛の施設―――鍵付き格子付きの部屋に押し込められたのは、仕方ないと思う。
私が指揮をとったあの戦い、重軽傷45人、8人が入院中だという。
傷害罪どころか殺人未遂で告発されても、文句が言える立場じゃない。
今更ながら、自分が何をやったか。
それが重くのしかかってくる。
ごめんなさいではすまない。
ケガでよかった。
それは、自分に対する甘えでしかない。
ただ、その罪の重さが怖い。
「葉子?おいで」
「はぁい♪」
私は覚悟を決めて、葉子を抱きしめた。
もう、これが最後かもしれない。
何度も、そう思いながら。
翌日。
何度目かわからない尋問の後、訊ねてきたルシフェルさんから話を聞けた。
全ての事件のきっかけは、霧島那由他にとって義姉にあたる不破(旧姓:霧島)忍の産んだ子、不破未来にあった。
不破未来は、生まれながらの植物人間。
騎士の血の負が働いた結果だという。
不破忍の父、霧島源一郎は、孫を助けるためにグリムさんと契約を結んだ。
グリムさんは、魔法で内蔵を含むかなりの部分を、ある娘から移植することで不破未来を救おうとした。
ところが、ここでグリムさんさえ予想が出来なかった事態が生じた。
ドナーの娘が、心臓発作で死亡。
死体は、司法解剖だなんだで、臓器が使えない状態になってしまったのだ。
ルシフェルさんが聞いた所だと、不破未来ほどの状態だと、臓器の交換可能な対象は極めて限定されており、むしろドナーが見つかった事自体が奇跡に近かったという。
それがダメになったのだ。
グリムさんでもどうしようもない。
しかも、最悪なことに、ドナーを殺すようにし向けたのは、何と霧島源一郎自身。
つまり、依頼主の暴走が、グリムさんの仕事を台無しにしたのだ。
グリムさんはこれに怒った。
ドナーの両親を仕掛けて、自分に霧島源一郎を殺すように依頼させたほどだ。
そして、グリムさんは、霧島源一郎にこのことを突きつけた。
霧島源一郎は慌てた。
そして、唾棄すべき行動に出た。
養女である孫、霧島那由他を、自らの代償として差し出すことで、孫の延命込みで、グリムさんと手打ちをしたのだ。
グリムさんが、何故、そんなことに応じたのか。
それはわからない。
わからないけど、見せてもらった写真からすれば、かなりの美少女だ。
わかりたくないけど、多分、相当な下心があったんだろう。
……これだからオトコって。
コホン。
とにかく、これで全てが終わるはずだったのだ。
しかし、グリムさんもトコトン運がない。
霧島那由他を手に入れる前に、霧島源一郎は殺され、那由他自身が失踪する。
ここで出てくるのが、村上先輩。
そして―――
この事件が始まった。
後は、グリムさんに聞くべきだろう。
世界樹。
それは、不破未来のドナーを作るために必要。
それが、私の結論だけど……。
格子付きの窓の外は、夕陽が傾いていた。
あと少しで春休みが終わる。
とんでもない春休みだったなぁ。
●皇室近衛騎士団団長執務室。
「結果はムダだったわけだ」
執務椅子に座った樟葉は、背もたれに体を預けながら言った。
「徒労だった」
「グリムと、春菜殿下の関係は」
前に立つ悠菜の質問に、樟葉は煩わしそうに答えた。
「グリムに言わせれば、もう発現していた。グリムが春菜殿下の居場所を把握できたのは、“統べる力”を探した結果に過ぎないそうだ」
「春菜殿下は、このまま放置ですか?」
「グリムにもどうしようもないそうだ。下手に力を封じれば、殿下の命が保証できないと言う」
「力が殿下のお体にたまって?」
「そういうことだ……ところで息子」
「はい?」
「不破未来、どうなった」
「……」
悠菜の顔が、曇った。
「どうした?」
「……先程、息を引き取ったそうです」
「……そうか」
樟葉は眼を閉じ、幸薄き子供の冥福を祈った。
「南雲は、どうしている?」
「ずっと遺骸の側に」
「……そうか」
「今、グリムさんが向かってくれています」
「ん?」
「樟葉さん?」
悠菜は悪戯っぽい顔で
「グリムさんは、魂を操れるんですよ?」
「……どういうことだ?」
「四の五の言わずに」
悠菜は、手にしていたケースから紙を取り出した。
「これ、掲示の許可もらえませんか?」
樟葉は無言でその紙を手にした。
「ポスターか?」
どうやら悠菜の手書きらしい。
妙に丸っこい字で書かれた内容を読んだ樟葉は、目を丸くした。
「成る程?」
クックックッ……。
「これは、グリムも盲点だったな」
「そうです」
悠菜もつられたように笑った。
「もとは、桜井さんの発案です」
「あの娘の?」
「ええ。それ、グリムさんに話したら」
「その時のグリムの顔が見たかったな」
樟葉は大笑いしている。
それは、久々に見た樟葉の笑顔。
それだけで、悠菜は不思議な幸福感に包まれる。
「もうこんなの!」
執務室は、大爆笑に包まれた。
●翌日 近衛府付属病院産婦人科病棟
若い夫婦が、産婦人科の廊下を歩いていた看護婦を呼び止めた。
「あの……」
夫だろう男が、壁に貼られたポスターを指さしながら、神妙な顔で看護婦に尋ねた。
「このポスターなんですけど」
「ああ。これですか?」
「詳しく、聞きたいんですけど」
「じゃあ、どうぞ?」
看護婦は、そのポスターを壁から剥がすと、二人を連れて診察室へと向かって歩き出した。
その手に握られたポスターには、こう書かれていた。
『女の子の赤ちゃんが欲しい方
ご相談に乗ります。
確実保証付き!
一組様限定!
詳しくは下記まで』
「グリム先生?ご相談の方ですよ?」
●10ヶ月後 近衛府付属病院産婦人科病棟
その鳴き声に、南雲ははっと顔を上げた。
ドアに駆け寄る父親となった男に、中から出てきた看護婦が声をかけた。
「おめでとうございます!元気な女の子ですよ!」
ハアッ……。
南雲は、安堵のため息と共に、手にした写真―――遺影に語りかけた。
「不破さん……聞こえますか?
あの元気な声。
あんなに元気に泣いていて……。
不破さん。
あの子は、あの子はね?
あんな元気な声で泣けるようになったんですよ?
聞こえていますか?
不破さん。
あの、元気な声。
聞こえていますか?
不破さん」
ポタッ
遺影の上に、涙が落ちる。
南雲は声を殺して泣いた。
最愛の人の忘れ形見が、元気な声で泣いている。
新しい、命として、
新しい、人生を歩み始めたのだ。
それを祝福して、
南雲は―――泣いた。
声を殺して、
泣き続けた。
●葉月市 喫茶「南風」
美奈子の拘束が解かれた日のことだ。
「これからしばらく、行方をくらますことになります」
カレー皿から手を離したグリムが、悠菜にそう告げた。
「どこへ?」
「とりあえず、神音商会へ」
「そこまで身を落とす必要もないかと」
「いえいえ」
グリムは、横に座ってパフェを食べている琥珀の頭を撫でながら言った。
「琥珀のメンテナンスに必要な部品は、あそこが一番、手に入りやすいですし」
「利害もあったんだ」
「ええ……何しろ琥珀は」
そう言って、琥珀を見つめる眼は、例えようもなく慈愛に満ちあふれていた。
「やたら手間と金のかかるもので」
「オンナって、そんなもんですよ?でも、琥珀ちゃんは」
「はい?」
パフェのスプーンを加えたまま、琥珀は首を傾げた。
「何です?」
「いいんですか?」
「私は、ご主人様と一緒なら、天国と地獄以外、どこへでも♪」
「ごちそうさま♪」
「ふふっ」
「ああ、そうそう」
グリムは悠菜に訊ねた。
「悠理君と約束があったんですが、どうします?あなたが代わりに?」
「お金?」
「金品の約束ではありません」
「じゃ、いい」
「いいんですか?」グリムは怪訝そうに訊ねた。
「悠理君、かなり怒りますよ?絶対」
「お金以外、もらっても困るし、私だって、散々迷惑したから、落とし前」
「はぁ……」
「それより」
悠菜は、テーブルに載った皿をどかし、グリムに訊ねた。
「綾乃ちゃん、本当にどうしようもないの?」
「綾乃さんは、最初に言った通りです」
「完全な記憶消去がなされています。最初からやり直すしか……」
「辛いね」
「ティアナ殿下から、自分に残された記憶の転送の話しもあったんですけど、あれはダメです」
「ダメ?」
「他の雑多な、ティアナ殿下ご自身の記憶と複雑に交わってしまい、綾乃さん自身、相当な記憶障害を引き起こす恐れがあります」
「ダメ……か」
「後は」
グリムは、立ち上がって、悠菜に告げた。
「悠理君と綾乃さんの問題です。本当に、運命が二人を結びつけるつもりなら、結びつきますよ?」
「ま、バカな弟の甲斐性に期待しましょうか」
「そういうことです―――では、また、いずれ」
「はい♪」
グリムと琥珀の去った後、悠菜はすっかり冷めたコーヒーを相手に、ぼんやりと考え込んでいた。
綾乃の記憶は戻らない。
でも、まだ二人とも16歳。
出会ったばかりで再出発したとして、何が問題だというの?
そう。
何も障害にはならない。
頑張れ―――弟!
「よしっ!」
気合い一つ、悠菜は立ち上がって、そして、気づいた。
「グリムさぁぁぁんっ!お会計っっっ!!」
……さぁ!本編は終わったぞ!
70話に間に合わせたぞ!?
……おい、助六。
何だ?
その冷たい視線は。
全部終わってない?
そう!
だから次は終章だ!
というわけで、最後の最後は、やっぱり、もう一話下さいね?