第六十九話
数分後、美奈子の前に放り出されたのは、袋から顔を出す悠菜だ。
頭にたくさんのタンコブを作っていることから、かなり痛めつけられて来たことは間違いない。
「あ……れ?」
美奈子は、その顔を見た途端、奇妙な違和感を抱いた。
袋に詰め込まれているのは、水瀬悠理。
その顔を間違えるはずはないのに―――
「水瀬君?」
袋に近づいて、その顔をまじまじと見た美奈子は、ルシフェルに問いかけた。
「ルシフェルさん。この子、水瀬君じゃないですね」
「えっ?」
ぎょっ。とした顔のルシフェルが、どう返答して良いのか躊躇しているのは明らかだ。
「水瀬君のご親戚?それとも―――お父さんの隠し子?」
「親戚はともかく、隠し子って……」
「“近衛の種馬”って、女性週刊誌でかなり叩かれてる人だから」
「……それ、私にとってはお父さんだから」
「大変だね」
「もう慣れたけどね―――それで?」
ルシフェルは逆に訊ねた。
「どうして、そう思うの?」
「だって」
美奈子は言った。
「この子、どう見ても水瀬君じゃないもん」
「水瀬自身ってことにかわりはないんだけど……」
「ちょっとだけ……微妙に違うのよ」
「どこ?」
ルシフェルも、悠菜の顔をのぞき込むが、どこがどう違うか判らない。
ただ、ルシフェル自身、あのホテルで水瀬が悠菜になっていることを、確かに感じ取っていたのも否定できない事実だ。
「よくわかんない。雰囲気というか……」
「そう?」
「そう……水瀬君って呼んでいいのかしら?この子、女の子じゃない?」
「どうして桜井さんって、そうも鋭いの?」
何だってお見通し。
そんな言葉がぴったり来る。
あの第三眼どころの話ではない美奈子に、ルシフェルはそう訊ねずにはいられない。
美奈子は、そんなルシフェルに苦笑しながら答えた。
「女の子のカンは、いつだって世界で一番鋭いのよ」
「うううううっっっっ」
袋から顔だけ出すという、今時、アニメでもないだろう姿を晒す悠菜は、滝のような涙を流し続ける。
「せ、折角、6話ぶりに復活できたのに……」
「よかったじゃない」
ルシフェルにはそう言われたが、
「よくないっ!」
悠菜は噛みついた。
「こんな復活の仕方はあんまりだもんっ!」
ガンッ!
悠菜の後頭部に、見事に決まったイツミの一撃。
それを見た美奈子は、内心、手を合わせた。
「―――ぐちゃぐちゃ言わない」
セージュ、治癒。
イツミは、セージュに治癒魔法を命じ、悠菜の入った袋を両手で持ち上げた。
「このまま、溶鉱炉にでも落としてあげましょうか?」
「け、結構です」
「結構ですね?―――そう。溶鉱炉に落とされることが、結構なコトなんだぁ」
「イヤだって、そう言ったんですっ!」
「殺されたくない?」
「はいっ!」
「言うこと聞く?」
「絶対服従!生涯忠誠っ!」
「よろしい」
ぽい。
どしゃっ。
派手な音を立てて、悠菜の入った袋が床に落とされた。
「い、痛いよぉ……」
「悠菜」
「はい?」
「作戦を伝えます。“端末”出して。いい?しくじったら―――わかるわね?」
イツミが“端末”と呼ぶのは、PDAのような天帝近衛軍採用の軍事情報端末。
ちなみに、魔界からのライセンス品だ。
端末に表示されるのは、世界樹の情報。
「今まで、私が集めたデータと、さっき、グリムから受け取った世界樹の遺伝子情報。他に必要と思われるようなデータは、一通りよ?さっさと目を通して」
「はい」
「その前に命令を伝えるから、聞き逃さないで。立場上、公式記録になりかねない端末での伝達は出来ないから」
「はい」
悠菜がイツミから受け取った作戦は簡単だ。
世界樹に接触。世界樹と精神を同調させて乗っ取れ。
乗っ取った後、自殺に追い込め。
細かい指示を除外してまとめれば、そういうことだ。
「……」
受け取った悠菜は、きょとん。とした顔で自分の師匠を見る。
「あのぉ」
「何?命令拒否は死刑よ?」
「そうじゃなくて」
悠菜は、手にした端末と師匠を代わる代わる見た後、思い切った口調で言った。
「それ、無理です」
「何がっ!?」
「遺伝子情報、きちんと見て下さい」
ぷうっ。
悠菜は不満そうに頬を膨らませた。
「食欲を司る本能はありますよ?だけど、これって……」
悠菜は、遺伝子情報の中でも、かなり複雑な式を前にうなり声を上げる。
「どうしたのです?」
「グリムさん。ここですよね。第四計画が書き加えた細工って」
「どれどれ?―――ああ。これで間違いないね」
イツミもその式をのぞき込むが、何が書いてあるのかさえわからない。
「この48241行からの式は、確かに食欲を司る遺伝子情報だが?」
「樹獣の遺伝子情報と比較したのですが―――」
悠菜は端末片手に、グリムと数分話し合う。
「成る程」
グリムは悠菜の言わんとしたことがわかった。
「イツミ様、これは無理です」
「だから、何がっ!?」
イツミには、悠菜とグリムが「無理」という理由がわからない。
「精神面の遺伝子情報がグチャグチャにされているんです。理由は、第四計画が、無理矢理、食欲のデータを付け加えたせいですね。その影響で、本来はマトモであるべき、必要な遺伝子情報のいくつかが破壊されています」
「その中に?」
「そうです。精神感応方面はすべてダメです。感応の方法がありません」
そう言うグリムの眼を見たイツミは黙った。
そこにいるのは、犯罪者のグリムではなく、獄族の学者、グリム・リーパーなのだ。
「世界樹は、第四計画のもくろみ通り、オリジナルの遺伝子情報との接触をトリガーとして、暴走。
だが―――これでは止めようがありません。
世界樹は、唯一残された本能。
食欲を満たすことだけしかないのです」
「精神感応は完全に?」
「同調した者の精神が保ちません。これほど強く、純粋ともいうべき欲望の塊となっては、逆に浸食は避けられません」
「そこの馬鹿娘でも?」
「天界の人形、その最大級の欠点は、精神面が不安定で、しかも脆いことと聞いていますが?」
「―――ちっ!」
イツミは、舌打ちして爪を噛んだ。
「方法はない?」
「世界樹を殺す?一つだけ光明があります」
そう、言ったのは、悠菜だ。
「光明?」
「破壊された遺伝子情報の中に、一つだけ」
「何?」
「あの世界樹は、恐ろしく成長が早く設定されています。つまり」
「つまり?―――もったいぶらずに言いなさいっ!」
「ものすごくたくさんの生命エネルギーを、消費せずにはいられない。いつだって空腹……ううん?飢餓状態なんです」
「飢餓……」
「ここだな……つまり」
遺伝子情報を確認しつつ、グリムが悠菜に訊ねた。
「内部には生命のエネルギーがほとんどないと?」
「あってもかなり少ないでしょう」
「枯死を待つ?」
「枯死するほどではありません。最低限度のエネルギーはいつだって保存しています」
「普通に攻撃したら?」
「下手すれば誘爆しますよ?この一帯の地形が変わります」
「大虐殺の前のわずかな犠牲は……」
「そういう発想、本当に軍人ですね。お師匠様」
「悪い!?」
「悪くはありません」
悠菜は、携帯をしまい、言った。
「―――別な方法を試したいので、わずかな時間をいただきたいのですが?」
「伝令っ!」
地上で戦闘態勢を整えていた樟葉の前に、ルシフェルがテレポートしてきたのは、そのすぐ後だった。
「どうした!?」
と、樟葉が慌てて駆け寄る。兵士達もルシフェルの突然の出現に驚いている。
「グリムの確保には成功!」
「よくやった!」
樟葉が力強くルシフェルの肩を叩いた。
「地上への攻勢がなかったのは、貴様達のおかげだな!」
「ち、違いますっ!」ルシフェルは慌てて言った。
「もっと厄介なのが来ます!」
「厄介?」
「ゆ……水瀬君から指示を受けました。遥さんはどこですか!?」
「地下……ですか?」
司令部の天幕にいた遙は、不思議そうに首を傾げた。
「別に動きはありませんよ?」
遙の示す表示は全く異常なし。
ただ―――
「これ、地下何メートルまでの表示ですか?」
「地下100メートルですよ?」
「何メートルまで測定できます?」
「最大300メートル。ただ、ジャムが入って、かなり精度が落ちます」
―――それが?
遙のそんな視線を受け、ルシフェルが失望とも安堵ともとれないため息をついた。
「やっぱり、やってなかったんだ……」
「ルシフェル」
事情がわからない樟葉が訊ねた。
「どういうことだ?すでに第4層まで破壊済み。敵の侵攻を調べるなら、100メートルあれば十分、準備可能だ」
「事情は、映像を見ていただければわかります。遙さん、最大でお願いします」
「はい」
ピッ。
遙は、地下300メートルまでの拡大映像を表示した。
確かに、地下に埋まっている様々な物質の影響で、地下100メートル以下は、深くなるにつれて映像が乱れている。
だが、その乱れを無視するように、存在する何かを、遙の第三眼は捉えた。
地下を掘りながら地上へ進む何か―――
イソギンチャクのようなシルエットが不気味に土を掘っている。
「な、何だ!?」
「地下280メートル、サイズは全長で100メートル近くあります」
「100メートル!?」
遙の報告に、樟葉達は青くなった。
「想定していないぞ!?」
「水瀬君から」
ルシフェルが言った。
「水瀬君からです、大規模魔法で仕留める。射線軸は」
ルシフェルが、地下を掘り進むイソギンチャク―――世界樹の開けたトンネルをなぞった。
「穴の通りです。口径は30メートル。地上へ抜ける可能性99%、地上被害甚大。遙さんには、トンネルから正確な射線軸を予測、周辺部から兵を引かせて下さいとのことです」
「280メートルの土砂を打ち抜くだと!?」
樟葉でなくても、その無茶苦茶さがわかる。
どこの世界に、280メートルのトンネルを一撃でほじくることが出来る攻撃がある?
正直、信じられない。
「正確には、消滅だと」
ルシフェルにそう言われると、尚更。
樟葉は、混乱する頭を静めるのがやっとだ。
「しょう……めつ?」
「はい。“詳しい説明?地上で見ていて!”って言われて……」
「ルシフェルにも告げていないか……」
樟葉は、遙に命じた。
「射線軸、予想は出来るか?」
「水瀬君の反応がないので、正確な予測は不可能です」
「地上へのトンネルの針路で予測しろ」
「了解。このままですと―――ここです」
「成る程?」
樟葉の口元が緩んだ。
「こいつはいい」
「閣下?」
「―――全部隊に通達!運河公園まで移動!急げっ!」
ルシフェルは、モニターを見た。
遙の第三眼が示した射線軸の先にある地上施設。
そこには、
葉月センター。
そう、書かれていた。
地下はすさまじい騒ぎになっていた。
無数の、本当に無数の光塊が生まれては、一カ所に集められている。
光塊。
製造方法は様々だが、一言で言えば、魔力の塊。
悠菜達は、必死にそれを作りまくり、集められた光塊はすでに広い室内の大半を埋め尽くしている。
「本当、こんな魔法の初歩中の初歩使って、何しようというの?」
イツミが光塊を作りながらぼやくが、
「昔、悠理が独鈷山でやった実験、覚えてます?」
「?……あっ!」
イツミが目を見開いた。
「あの、人間のラジオとかいうメディアでやってた、教養講座とかいうのに悪影響受けて、それでやったあの実験!?」
「そうです」
悠菜は魔法陣から視線を外さずに頷いた。
「あの実験、お師匠様には怒られましたけど、悠理はこっそり、実験を続けていたんです」
「理論上は、あれを発射するには、最低でも数十キロの空間と水と空気が必要よ!?」
「そうです」
悠菜はそれを認めた。
「本来は、空とか、広い空間が確保できる所でなければ使えません。
でも、悠理は、空間封印魔法を使って―――」
悠菜が魔法陣の一つを操作すると、突然、空間に割れ目が発生し、光塊が吸い込まれていく。
「その数十キロを、空間そのものを縮小させることで、わずか10メートルまで縮小することに成功したんです―――後始末が大変ですけど」
「出来る?」
「可能です。でも、光塊が足りません。」
「急ぐわ」
イツミ達は、光塊を作っては割れ目の中へと送り込むことに専念する。
「―――ただ」
悠菜は、ポツリと言った。
「私自身が、この魔法を使うのは初めてなんですよね」
はあっ。
悠菜の口から、小さくため息が出た。
「しくじったら……どこに逃げようかしら?」
「地上まで200メートル」
「水瀬はまだか!?」
地上では、葉月センターから撤収した近衛軍が運河公園に移動を完了していた。
「そのイソギンチャクが地上に出るまで、あと何分だ!?」
「推定60分」
「あの馬鹿息子……」
樟葉は、思わず爪を噛んだ。
「急げ……」
「臨界までもう少し!」
悠菜が怒鳴った。
悠菜の目の前には、10メートルほどの円盤が浮いている。
空間を操作することで、直径100キロを上回る空間を、わずか10メートル足らずに縮めているのだ。
並の技ではない。
光塊の集合体を安定化させ、かつ、空間を維持するというプロセスは、はっきり言って恐ろしく複雑な仕事なのだ。
「撃てますっ!―――後方へ下がって下さい!」
「急いで!みんな、防御魔法展開!セージュ、あなたの力じゃ不足よ!?綾乃と力を合わせて!、そこの狐!ご主人様、しっかり守るのよ!?」
「琥珀、カノッサと一緒に来なさい。君の力を借りなければならない」
「はいっ♪」
「そういえば、あの娘は?」
「もう安全な場所―――あの子のいるべき場所に送り届けています」
「早いですね」
「迅速がモットーですから」
「正確さは、その分期待できないのが、あなたですけどね」
「ぷうっ!」
円盤がすさまじい勢いで回転を開始した。
直径100キロの円盤が回転していると思うと、イツミでなくてもゾッ。とする。
「臨界点!―――いきますっ!」
悠菜の声と同時に、地下の世界が真っ白になった。
ドドドドドドドドッッッ―――ッ!!!
閃光。
爆音
感覚がどうにかなったんじゃないか?
そう思う、永遠とも思える時間。
悠菜達は、すべてに耐えた。
静寂が、訪れた。
「ふうっ……」
カランッ
パラパラパラ……
迷宮やトンネルの破片が落ちる音の中、悠菜のため息が響いた。
「後は、エルプスを放出っと」
悠菜がそう言った途端。
ズポォォォォォォォンッ!!
風呂の栓を抜いたような奇妙な重低音が、静寂を切り裂いた。
「!?」
一瞬、前に吸い込まれそうになった悠菜達は、何とか足を踏ん張って留まることが出来た。
「な、何の音?っていうか、何が起きたの!?」
それまで観客に徹していた美奈子が、困惑気味の声を上げた。
抱きしめていた葉子の安否確認さえ忘れ、美奈子は辺りを見回すが、目に見える変化がない。
「人間の言葉で言えば―――円形粒子加速装置とでもいうのかしら?」
その問いに答えたのは、イツミだ。
「円形?」
「サイクロトロン―――悠理はそう言っていたけどね。現物見たことはない」
「そ、その魔法で、何が?」
「知りたい?」
「それは―――まぁ」
美奈子は不承不承、頷いた。
「そう―――悠菜!状況は!?」
「エルプスは、放出状態のまま宇宙空間へ放棄……世界樹の反応、消えました!」
「そう……」
ほうっ。
皆の口から、安堵のため息が出る。
あの厄介者が消滅したのだから、当然だろう。
「あ、あの……」
「つまり」
イツミは、答えの途中だったことに気づき、美奈子に告げた。
「素粒子崩壊が起きたのよ―――わかる?」
美奈子は、黙って首を横に振った。
あと一話!一話で終わらせられるのか!?
……まぁ、100ページ分くらい書けば……死ぬって。
とにかく、もうそろそろ、終わりが見えてきました!
あと少し、おつきあい下さいっ!