第六十五話
「あの……悠菜ちゃんは?」
「放っておいても大丈夫よ」
イツミは冷たく言い放った。
「一人かくれんぼ大会の真っ最中みたいだし」
「……生き埋め、の間違いじゃなくて?」
「お葬式ごっこでもいいわ。何なら、火葬ごっこ。お骨あげ含めて……あーっ!やってみたい!」
「……」
「それより」
イツミは足を止めた。
それがあまりに急だったため、回りを興味深そうに眺めていたセージュが、イツミにぶつかった。
ドンッ!
セージュの胸に突き飛ばされる形で、イツミが前にコケた。
「い、イツミ様っ!?」
「は、鼻、すりむいちゃった……」
顔を押さえるイツミに、セージュが慌てて駆け寄った。
「ご、ごめんなさいっ!」
「いい」
イツミは鼻をさすりながら言った。
「わざとじゃ、ないんでしょう?」
その時、イツミはセージュがどこに立っているか、よく見ないで立ち上がったのは事実だ。
「きゃっ!?」
ムニュ。
そんな効果音が聞こえてきそうな勢いで、イツミの頭がセージュの胸にめり込んだ。
「……」
「い、イツミ様っ!?」
セージュが赤面する中、イツミは無言でセージュの胸を鷲掴みにした。
「い、一度ならず、二度までもっ!」
グイッ!
グニグニグニッ!
イツミの手がセージュの胸をもみしだく。
「やっ!やめてくださいっ!」
「この胸が!この胸がっ!」
イツミは顔を真っ赤にして、胸を揉み続けた。
「三千五百年、ちっとも成長しない私に対する当てつけ!?この巨乳が!この巨乳がっ!―――あーっ!くやしぃぃぃぃぃぃぃっっっ!」
怒って人の胸をもみまくるなんて大人げないとは思う。
御トシ数千年を誇るキャリア女性とは思えない。
普通は、そうだろう。
だが、どう見ても12か13歳くらいにしか見えないというイツミの外見が、その不評をどうしても見る者に抱かせない。
グニグニグニッ!
「あっ……ああんっ♪」
これでもか。とばかりにセージュの胸をもみまくったイツミの目の前で、セージュが崩れ落ちた。
「ふんっ!」
イツミは、顔を真っ赤にして荒い息を吐くセージュを一瞥した。
あーっ。すっきりした。
イツミは、そう呟くと、目の前に広がる闇の中に視線を向けた。
「―――さて。待たせて御免なさいね?」
闇の中へ語りかけるイツミ。
誰に語りかけているのか、ルシフェルや綾乃にはわからない。
ただ、イツミが足を止め、そうする以上、何かがいるのは間違いない。
そう、思う程度だ。
(おかしい)
ルシフェルは自然と警戒した。
騎士特有の暗視能力が効かないほど、闇が濃すぎる。
何かの魔法が使われているのは間違いない。
(これ―――暗闇?)
暗闇
結界の張られた一定の空間を光さえ通さない暗黒空間にする魔法。
人間でも可能な、結界魔法の初歩だ。
ルシフェルは結界魔法を展開した。
四方全てを防御する、防御魔法の中でもかなり強力な魔法。
万全の備えの中、視線と神経を研ぎ澄まし、不意の攻撃に備える。
「……」
ドンッ!
その一撃は、ルシフェルが右へと視線を動かした途端、真っ正面から来た。
「っ!!」
ルシフェルは、その攻撃を避けなかった。
いや、避けることが出来なかった―――そういう方が正しい。
結界を破られ、シールドの反射魔法でそらすのが精一杯だ。
間違いなく、普通の魔法騎士なら消し炭は避けられなかったろう。
「敵っ!?」
剣を構えつつ、ルシフェルは仲間の姿を探した。
綾乃にセージュ、イツミ。
皆、無事だ。
「セージュ、後ろへっ!―――カノッサ!」
「はい?」
「やっぱりついてきてた!」
突然、綾乃の背後に開いた暗闇の中から出てきたのは、カノッサだ。
「どうでもいいけど、セージュを守って!」
「えーっ!?私がですかぁ?」
カノッサは、かなり不満そうな顔だ。
「私、こうして、姫様の戦いを見物してたいんですけどぉ」
カノッサは、手にしたポップコーンを囓りながら、主君に抗議した。
「私、危ないのキライなんです」
「ぐちゃぐちゃ言ってると、サラリー下げますよ!?」
「はぁいっ!がんばりますっ!」
カノッサは、セージュの襟首を掴むと、穴から這い出た。
「さ、セージュちゃん!」
「ルシフェル!」
剣を構えつつ、綾乃が怒鳴った。
「かなりの敵ですっ!」
「うんっ!」
ルシフェルも前の敵に備える。
だが―――
イツミは、剣を構える二人に向き直った。
「イツミ様!?」
すっ。
イツミの右手がまっすぐに伸び、その細い指先に光が集まった。
「な、何をっ!」
ドンッ!
驚愕する二人の前で、イツミの手から放たれたのは、魔法の光。
「きゃっ!!」
「っ!?」
何とかかわす二人。
突然のことに唖然とする二人に、イツミは冷たく言い放った。
「どこにお目目つけてるの?二人とも」
「えっ?」
無言でルシフェルと綾乃は顔を見合った。
何故、イツミが自分達を攻撃したのか、まるでわからない。
「―――もし、あなた達が私の弟子や部下なら、タダじゃおかないところよ?」
「で、でもっ!」
「敵は目の前に」
「目の前?」
イツミは綾乃の抗議に鼻を鳴らした。
「フンッ。目の前って、どっちのこと?」
その声は、明らかに苛立っている。
「ですから―――」
ドンッ!
その途端、綾乃は横から突き飛ばされた。
ルシフェルだった。
「なっ」
何を!?
その声は言葉にならない。
綾乃を突き飛ばしたルシフェルの持つシールドが、綾乃を背後から襲う新たな攻撃魔法を受け止めた。
「敵が―――見えない」
ルシフェルの目の前に広がるのは闇。
暗黒の魔法に、いつの間にか取り込まれたかのような錯覚すら感じる闇。
魔法騎士の暗視の力さえとどかない闇が、ルシフェルを惑わす。
「どこ?どこから……」
ルシフェルの焦ったような口調に、イツミは楽しげに語りかけた。
「見えたら一人前よ♪」
「……」
「開始から10秒経過―――悠理なら終わってるわよ?」
「っ!」
ルシフェルは歯を食いしばって前を睨み付けた。
水瀬君は、この人に一人前だって認められている。
そういうことだ。
それは、ルシフェルにとって、最大級の侮辱だ。
ルシフェルにとって、水瀬とは、信頼できるパートナーであり、手のかかる弟。
だが、ルシフェルという魔法騎士にとっては、全く事情が違う。
水瀬悠理。
その存在は、絶対的な信頼と同時に、同じくらいの劣等感の対象でもある。
共に戦いながら、常にルシフェルが無意識に味わってきた負の感情。
―――絶対に、戦ったら勝てない。
世界最強の魔法騎士。
その名声そのものに興味はないものの、ルシフェルにも魔法騎士としての自負はある。
だから―――
負けたくない。
水瀬君にだけは、負けたくない。
ルシフェルの心の奥底には、そんな対抗意識がいつだってくすぶっている。
イツミの言葉は、その焼けぼっくいに火をつけた。
―――ヒュンッ
ルシフェルは、“デバイス”を起動させた。
数は6。
今のルシフェルに使える最大数だ。
それに鏡を動かす。
意識がコントロールにとられるため、かなり危険な行為だが、それは敵の位置を割り出す上でも有意義なはずだ。
デバイスが魔法の矢を連射する。
ルシフェルの前面と背面にそれぞれ3つずつ。
敵の狙撃を避けるため、せわしなく動きながら、デバイスは通路を撃ちまくった。
「―――そこっ!」
ルシフェルが、デバイスの攻撃反応から、敵の位置を割り出したのは、デバイスの一基がルシフェルの前面、右壁側を撃った時だ。
それまで素通りしていた攻撃が何かに当たった。
壁にへばりつくように避難するセージュ達のさらに奥の何かに当たった。
否。
何かに弾かれた。
ルシフェルは、デバイスの操作を中断、魔法攻撃をそこめがけて撃ち込んだ。
爆風と爆煙が通路を駆け回る。
「―――瀬戸さんっ!」
「はいっ」
その声に反応したように、綾乃が斬り込む。
何もない漆黒の闇。
そうとしか見えない闇。
だが、綾乃の目もまた、魔法の矢を弾いた場所だけは捉えていた。
綾乃は、そこに潜む何かを狙い、剣を振るった。
その剣が、何かにぶつかった感触を、綾乃が感じた瞬間―――
ドンドンドンッ!
その頭上で、魔法の矢が炸裂。
「!?」
綾乃はとっさに防御魔法を展開し、頭上からのさらなる攻撃に備えようとした。
その途端、斬りかかった闇の中から伸びた“モノ”が綾乃を襲う。
「ぐっ!」
その“モノ”を鳩尾に喰らった綾乃の体がくの字に曲がり、床に崩れた。
「瀬戸さんっ!」
それが、何者かの膝であると見たルシフェルは、魔法攻撃で牽制しつつ、崩れ落ちた綾乃を守るために駆け寄った。
ブンッ!
「っ!」
その音に、とっさに首をすくめたルシフェルの真横を、何かがかすった。
重い音から、金属であることはわかる。
ガンッ!
同時に、とっさに前に突きだしたシールドにも金属がぶつかる。
確かに、前後からの攻撃だった。
「何っ!?―――このっ!」
背後から頭を狙った攻撃を、間近に転がっていたデバイスで狙撃。
金属そのものへの攻撃は、紙一重で間に合わなかったが、デバイスの攻撃は、確かに何かを断ち切った。
カンッ―――ゴロゴロゴロ……。
床を音を立てて転がっていくのは、尖った先端を持つ革紐。
「―――まさか」
ルシフェルは、もう一度の攻撃を警戒しつつ、闇の中へと剣を突き刺した。
鈍い感触が、柄越しに手に伝わってくる。
相手が肉体を持つ存在であることは、それでわかる。
だが―――
グッ!
「!?」
感触から、剣がかなり深く肉体にめり込んでいるのは確かなのに、肉体の持ち主は、剣を掴み、力任せにそれを奪おうともがく。
やむをえず、ルシフェルは剣を離し、剣を目印に魔法攻撃を滅茶苦茶なまでに撃ち込んだ。
「トドメッ!」
腰の霊刃を抜き、およそ首だろうという辺りを薙ぐ。
感触は、確かにあった。
何かを切断した感触。
そして―――
ゴロッ
何かが、床に転がり、綾乃の真横に落ちた。
「?―――っ!!」
ルシフェルは、自分が悲鳴を上げなかったが奇跡だと思った。
そんなバカな。
何度もそんな言葉が頭の中を行き来する。
信じられない。
そう、思ってしまう。
何故か?
それは、人の首だった。
今やルシフェルも知る人の、首だった。
人?
違う。
あのシェリスだ。
端正な顔が、うつろな表情を浮かべてルシフェルをみつめていた。
だが、彼女は確かに死んだはずだ。
もう、死ぬと自分から言っていた。
だから、逝かせてあげたんだ。
止めも刺さずに。
それなのに―――
「う……あ……」
うっすらと目を開けようとする綾乃に気づいたルシフェルは、とっさにその首を綾乃の目の前からどかし、闇の中へと放り込むと、魔法を放った。
塵雲。
全てを原始単位に分解し、塵とする魔法。
ルシフェルが水瀬から教わった中でも、強力な部類に入る魔法だ。
普通、難易度のかなり高い魔法として知られるが、普段、ゴミを処理するのに多用しているルシフェルにとって、今ではかなり簡単に使える。
体をゴミ並に処理された方がどう思うか?
ルシフェルはそれだけは考えないことにした。
そうするしかないのだから。
闇が邪魔して、セージュや綾乃が、その首に気づかないことを祈りつつ、ルシフェルは綾乃に言った。
「立てる?」
「な……何とか」
よろめきつつ、綾乃は立ち上がった。
「あ、あれは一体……」
「よくわかんないけど、とにかく、勝ったよ?」
「手柄を失いました……ゴホッ」
胸元を押さえつつ、綾乃は激しく咳き込んだ。
口から血がこぼれた。
「肋骨が折れたみたいですね……内蔵も……セージュ」
「は、はいっ!」
ルシフェルの肩をかりつつ、イツミの元へと戻った綾乃にセージュが駆け寄り、治癒魔法をかけ始める。
「ふふっ……この体、借り物ですからね」と苦しげな顔で微笑む綾乃。
「詳しくは聞かないけど」
ルシフェルはイツミを見た。
さっきのこと。見たでしょう?
その目は、そう語りかけていた。
イツミは、無言で頷いた。
「獄族が、魔族……ううん?我々までを?馬鹿な……」
イツミの顔は驚愕に引きつっている。
「ありえない……ううん?これはあってはならない……」
「イツミ様?」
治癒魔法が効いたのか、綾乃は何とか立ち上がった。
「一体?」
「う、ううん!?」
イツミは目の前で手をバタバタさせた。
「何でもないっ!何でもないからっ!」
そのあまりの子供じみた振る舞いが、見る者の毒気を抜いてしまう。
「?はぁ……」
「それより、戦えるの?」
「不覚はとりましたが、戦えます」
綾乃は力強く頷き、ルシフェルもまた、無言でそれに従った。
「そう?……なら全員、再度武装を確認。次はもっと厄介なのが相手よ?」
首を傾げる綾乃とセージュ。彼女達に背を向けたチョコレート色の髪の女の子が、ぽつりと呟いた言葉を、地獄耳のルシフェルは聞き逃さなかった。
「この仕事……厄介なことになりそうよ?」
「……」
ルシフェルが、イツミに声をかけようとするのと、イツミが再び、闇に向かって語りかけるのは、ほぼ同時だった。
「お待たせ―――ヘンな伏兵がいたから、手間取っちゃったわね」
闇の奥から返事があった。
「いいえ」
楽しげな女の声。
「見ていて面白かったです。私、人が戦うの、初めてナマで見ましたぁ」
無邪気な興奮を秘めた声。
「じゃ、そろそろ―――姿を見せなさい」
イツミのドスの効いた声に反応したかのように、暗闇が消え、周囲が明るく照らし出された。
「!!」
突然の灯りに目を閉じる一行。
再び開かれたその目に映し出されたのは―――有翼の天使。
数メートルはあるだろう八枚の白い翼を持つ少女が、豪華な装飾の施された教会のようなホールの中程から、一行にほほえみかけていた。
場の荘厳さ。
その美しき翼。
その美しい装飾品に飾られた黒髪。
その無垢な瞳。
もし、何も知らなければ、天使が降臨したと思うに違いない。
だが、ルシフェルは、驚きつつも、内心で、それが敵だとはっきり認識した。
「ご希望にお答えして、登場です♪」
はにかみさえ浮かべつつ、白いドレスに身を包んだ天使は微笑んだ。
「―――これ、似合います?」
外見からすれば、イツミと同い年くらいにさえ見える少女が、ドレスの端を掴む。
「グリム様が下さったんですよ?わたし、パジャマばっかり着ていたから、こういうの、憧れていたんです♪」
「それはよかったわね」イツミの冷たい声さえ、
「はいっ♪」少女には褒め言葉に聞こえるらしい。
次の瞬間、笑みを浮かべた少女の周囲に、無数の光球が出現。
ドドドドンッ!
光球と同数の魔法の矢が、一行に襲いかかった。
今までとは比較にならないほどの数と破壊力の攻撃を前に、ルシフェルや綾乃達は、逃げるのが精一杯。
近衛軍の誇る信濃級の集中砲火同然の攻撃が、ホールの壁や床に無数の穴を開けた。
黒こげになった弾痕を前に、ルシフェルは思わず唾を飲み込んだ。
とてもではないが、マトモにやって太刀打ちできる相手ではない。
それはすぐにわかった。
だが、敵である以上、戦うしかない。
でも、どうやって?
(こんな所で対艦戦闘?ううん)
その答えを、ルシフェルは内心、悲鳴と共に導き出した。
(これじゃ、対艦隊戦闘だよ!?)
一方、それまで立っていた所から、一歩も動かなかったのが、イツミだ。
周囲の床を弾痕が黒く染め上げる中、何故かイツミの周囲だけは元通りだ。
「……」
それが気に入らなかったのか。天使の攻撃が再びイツミに向けて襲いかかった。
「イツミ様っ!」綾乃の悲鳴が爆音にかき消される。
誰もが、イツミが骨も残さず消されたと信じて疑わなかった。
だが―――
「歓迎なら、他に方法があるでしょう?」
爆発の後、煙の中でそんな声がした。
「―――えっ?」
天使の顔に、はじめて驚きが浮かんだ。
イツミが何事もなかったかのように、その場に立っていたのを見たからだ。
「あはっ♪やるぅ♪」
その天使の楽しげな声に、イツミは軽く頭を下げた。
「それはどうも―――それで?」
イツミは訊ねた。
「名前は?」
「あっ、申し遅れました」
天使は、初めて気づいた様子で、深々と頭を下げた。
「私、武原琥珀と申します」