第六十四話
どっしーんっ!
派手な音を立てて、美奈子がようやく止まった。
一体、どこをどうやって、何がどうなったらこうなるのか、全くわからないが、とにかく、美奈子は生きていた。
「痛たたたっ……」
美奈子は何とか自分の体が無事であることを確かめた。
「全く……」
手足に問題はない。
感覚も正常だ。
「お母さんも、どこまで私を頑丈に産んでくれたのかしら」
グニッ
立ち上がろうとした美奈子の手が、柔らかいものに触れたのは、その時だ。
「へ?」
暗闇の中、よくわからないが、どうやら感触からして人らしい。
「えっ!?うそっ!」
美奈子は慌てて立ち上がり、声をかけた。
「だ、大丈夫ですか!?」
「まったく……」
美奈子はその声に息を飲んだ。
それは、聞き間違えることのない相手の声。
グリムの声だ。
「あなたという人は……」
グリムが美奈子の前で立ち上がった。
「どこまで愉快な人なんですか?」
「ぐ、グリムさん……」
「お久しぶりですね。そう言った方がよさそうです」
グリムはニコリと笑った。
「私を―――殺しに来ましたね?」
「……」
美奈子は、無言で頷いた。
「あなたには、それしか選択肢はないですからね」
グリムは美奈子の脇をすり抜けた。
美奈子に出来るのは、道を譲るだけ。
「美奈子さん」
グリムは、そんな美奈子に言った。
「あなたに、殺しは似合いませんよ?」
「で、でも……私は」
「ふうっ……では、こうしましょう」
「?」
「ついて来て下さい。むしろ、あなたはその方がいい」
「どこへ?」
「ついてくればわかります―――あなたには、“それ”を見る義務と権利がある」
美奈子が連れてこられたのは、地下第10層。
「第10層については、何かご存じですか?」
美奈子は無言で首を横に振った。
「ふふっ。そんなに緊張しないで下さい」
グリムは美奈子に笑って見せた。
「培養槽があるんですよ」
「……世界樹の?」
「そうです―――つきましたよ?」
それが世界樹の根だと、グリムは言うだろう。
写真で見たマングローブの根によく似ていることは確かだった。
恐らく天井まで20メートル以上あるだろう第10層全体に広がる無数の根。
世界樹。
その美しい名からは想像もつかないような、むしろ一種の醜悪さすら感じてしまう光景が、美奈子の目の前に広がっていた。
「ここは、魔法防御があるから大丈夫です」
分厚いガラスで囲まれた部屋に入ったグリムは言った。
「でないと、ああなりますよ?」
グリムに指さされた先。
「?―――ヒッ!」
そこをのぞき見た美奈子は、小さく悲鳴をあげた。
信じられなかった。
第10層の床。
そこには、床を埋め尽くす程の骨が転がっている。
何より、根の先端。
そこには、ひからびた死体が無数に突き刺さっていた。
様々な動物のひからびた死体。
その中には、人間もいた。
信じられない。
美奈子は、世界樹から視線を外そうとして、出来なかった。
目の前の恐怖が、美奈子を捉えて放さないのだ。
「これが、世界樹の正体です」
グリムは楽しそうに言った。
「生命力を吸収し、養分とする。―――美奈子さん、気づきませんでしたか?世界樹もまた、生命体なのですよ?植物ですから」
「……」
世界樹を、単なる樹木だと想像していたのは、美奈子の知識の限界だ。
根本的な所を落としていたことを、美奈子自身、認めざるを得ない。
世界樹。
それは、何を栄養として育つのか。
―――その答えが、ここにあった。
「かつて四界を形成した世界樹。その生命の源は―――命なのです」
「どうやってこんなモノを!」
「何―――種を複製して、発芽させたのですよ。つまり、これは世界樹のクローンです」
「グリムさんが落としたっていう、あれじゃなくて?」
「あれは違います。あれは正真正銘のオリジナル。あれを発芽させることは、獄族の間でも不可能に近いとされてきました」
「不可能?」
「ええ。長年使われなかったせいで、発芽の方法が失われたのです。私は、発芽を促進するプログラムを遺伝子に与えることで、ここまで育てたのですが」
「失敗したみたいね。―――根っこしかないもん」
「そうです」
グリムは心なしか肩を落とした。
「どうやっても、葉が出ない。何をどうやっても、です。葉が出なければ世界樹には意味がない。私にとって長年の研究課題でした。でも、あなたがその解決方法を示してくれた」
「あれは、この世界の樹木を育てる方法で」
「いやいや」グリムは嬉しそうに言った。
「元は一緒です。クローンにオリジナルを移植するだけですから」
「知らないわよ?どうなっても」
「勿論」
バラッ……
美奈子の視線の先で、ひからびた死体が崩れ落ちた。
ひからびた肉片と一緒に床に落ちた服。
美奈子は、その服に見覚えがあった。
「あ……あの服って」
美奈子は、その死体の服に見覚えがあった。
あれは確か―――
「そうです」
グリムは楽しげに頷いた。
「あのオペレーター達です」
「味方を殺したの!?」
「彼らは、元々死人です」
グリムは表情を変えない。
「用が終わったから、自由にしてあげただけ。私は彼らに言いましたよ?自由にしてやると」
「―――最低」
ぎゅっ。
美奈子は、拳を握るとグリムを睨み付けた。
「人の命を玩ぶなんて!」
「―――我ら獄族は、元からそんな存在です。
でも、考えてみて下さい?
もっと厄介なヤツが、どこにいるかを」
グリムの視線の先の世界樹。
それで、美奈子にも、グリムが何を言いたいかわかった。
獄族よりも厄介な存在―――世界樹。
グリムは、そう告げているのだ。
「命を養分にする。その上、命の行く末を玩ぶ力を持つ―――それが、この樹なのです」
「……」
「それに比べたら、私なんてカワイらしいものでしょう?」
「……詭弁のつもり?」
「詭弁?」
グリムは美奈子に向き直った。
「どこがですか?」
「他の命を栄養として摂取する。必要の有無を問わずに他の命を奪う……それは、生きてく上で避けられないこと。そうでしょう?あなただって、散々」
「成る程?」
クックックッ……
グリムは笑った。
「確かに、私達も、そしてあなたもそうだ。生きるために他を苦しめ、殺す」
「……」
「それはエゴ、業、その究極の形が―――これです」
「グリムさん。この樹を使って、何をするつもりなの?―――ううん?違う」
美奈子は言った。
「―――誰に、何を唆されたの?」
「唆す?」
グリムは怪訝そうに眉をつり上げた。
「私が、誰かに唆されて、世界樹をここまでしたと?」
「もし、グリムさんが獄族の中でもかなりの人物だとする」
美奈子は、グリムから視線を外さずに言った。
「社会的地位があれば、かならず仲間がいるはず。それが、誰もいない」
「私は一人が好きなんです」
「違う。
グリムさんは、味方がいない。
それは、グリムさんが、私達の世界で言えば、フリーの学者みたいな、限定された地位にある証拠。
私にはわかるんです。
グリムさんは唆されたって。
誰かに世界樹の復活を、唆されたって。
どうしてわかるの?
こんなシロモノ、気楽に手に入るはずはない。
グリムさん、言ってましたよね?
世界樹は、厳重に管理されているって」
グリムは無言で頷いた。
「なら、世界樹をここまで育てたあなたに聞きます。この種、遺伝子?どちらにしても、どこから手に入れたんです?」
「っ!」
その表情こそが、種の入手先を告げていた。
「資金。
材料。
いろんなものを提供されたグリムさんは、誘いに乗った。
何故?学者って、そういうものだから。
倫理より研究結果を重視してしまうから」
「人のことを、よくも言いますね」
「エゴイストって意味じゃ、私もいい勝負ですからね」
美奈子は冷たい表情のままで続けた。
「グリムさん―――もう一度、考えて下さい。
世界樹を、復活させて、あなたは本当に、どうしたいのですか?」
「世界を、作り直す」
グリムは、答えた。
「この歪みきった世界を―――永遠の中世に戻すために」
「違うでしょう?」
「違う?」
「グリムさんは、これまで誰もやらなかった世界樹の復活を成し遂げる。その名声さえ、興味がない!」
「私は、それを成し遂げる唯一絶対の存在です」
「学者みんなそう言って、破滅していった。全てを破滅に追い込んでいく。そこに反省という言葉はない。そんな感覚がないから―――グリムさんもそう」
「私も破滅すると?」
「そう!研究の目的は間違いなく、失敗の取り消し。そのための手段としての世界樹」
「そうですよ?」
グリムはあっさりと認めた。
「過去を清算して、未来の名声を築き上げる。その、何が悪いんですか?」
「無茶よ!」
美奈子は怒鳴った。
「こんなもの、人類には必要ない!」
「私には、あるのです」
グリムは美奈子に向き直った。
「美奈子さん。私はかつて、契約を一度だけしくじったことがある。この天才の私が!私はそれが許せない!だから、世界樹を復活させる!」
「そこに矛盾があるのよ!」
美奈子がグリムの声を遮った。
「世界樹は、運命を書き換えるシステム―――だけど、過去を清算できるシステムじゃない。何故?決まってるでしょう?運命は未来のこと。過去のことじゃない」
「世界樹は、過去すら書き換える!」
グリムはムキになって怒鳴った。
「人間風情のあなたに何がわかる!」
「―――わかるのよ。ううん?あなたの方が、よくわかっているはずよ?」
美奈子は答えた。
「世界樹がその証拠。グリムさん、話してくれましたよね?世界樹は崩壊したって」
グリムは無言で頷いた。
「世界樹自身が、過去を取り戻すことが出来なかった。あなた方獄族も、世界樹をかつてあったように戻せなかった。それは何故?世界樹の葉が過去を戻すことが出来るなら、世界樹そのものを復活させられて当然でしょう?」
「そんなものは詭弁だ」
グリムは不快感をあらわにして、美奈子から視線を逸らした。
「くだらない詭弁に過ぎない!」
「そう?」
対する美奈子は、どこか勝ちを意識した声だ。
「グリムさん自身―――それを認めているんじゃありませんか?」
「!?」
グリムの顔が驚愕のそれに変わった。
「……あなたは、やはり、敵に回すべき相手ではないようだ」
「そして、あなたから世界樹を受け継いだ連中が、上手いこと世界樹を使って、何かをしでかすわけだ」
「……美奈子さん」
グリムは軽蔑したような顔で美奈子を見た。
「あなたの最大の欠点を教えてあげましょう。
―――空気が読めないことです」
「空気?」
「あなたはいい気になると、言わなくていいことを口にして、敵を増やすタイプだ」
カンッ
グリムの足が動いた。
「……」
美奈子は、それで気づいた。
グリムは敵か?
グリムは味方か?
―――敵だ。
それを、完全に忘れていた。
「あなたは、どこまで愚かなんだ」
グリムの指先が、後ずさった美奈子の額に触れた。
「少しだけ、待ちなさい」
意識を失い、床に崩れ落ちた美奈子を、グリムは冷たく見下した。
「世界樹の復活と―――あなたの言う私の欲望。その実現の瞬間には起こしてあげます」
グリムはそう告げると、世界樹の葉をポケットから取り出した。
「あんな連中に、何と言われたか?そんなことは関係ないのですよ」
世界樹の葉が、怪しく光るのを見つめながら、グリムは笑った。
ドンッ!
上の方で戦闘が開始された。
琥珀がどれほど持ちこたえてくれるか。
すべてはそれにかかっていた。
「確かに、私はエゴの塊です」
「あの子さえ、犠牲にしてしまうのですから……」
なんか……動きがないですね。