第六十二話
●近衛軍迷宮突入 前日
「世界樹の葉って」
美奈子はグリムに訊ねた。
「人間全部に有効なの?」
「相性はあります」
グリムは答えた。
「葉一枚で全人類をカバーすることはさすがに」
「それじゃ、取り戻しても」
「だから」
グリムはコーヒーを美奈子に渡しつつ言った。
「葉を増やすんです」
「葉を―――増やす?」
意味がわからない。
木がないのに葉が増えるはずがない。
「世界樹の葉は、種でもあるんです」
美奈子の疑問に答えるように、グリムは話した。
「人間界の種子は果実の一部として存在しますが、世界樹は、一部の葉が種となるのです」
「……ああ」
美奈子はそれで合点がいった。
「大切に保管されていた世界樹の葉って、ようするに世界樹の種なんだ」
「そうです」
グリムはうれしそうに頷いた。
「いずれ、三界の祖である世界樹を復活させる日が来る―――そのためです」
「来るの?」
「人間界で言えば―――復活の日。ですか?」
「……宗教的レベルの話ってわけね」
美奈子はコーヒーを飲み干した。
「で?」
コーヒーカップをテーブルの上に置いた。
「どうやって、世界樹を復活させるの?」
「世界樹の組成は記録がありますから」
「……まさか、クローン?」
「そうですよ?」
グリムはあっさりと認めた。
「なら、もう別なところで成功したの?」
「いえいえ」
グリムは首を横に振った。
「どうしても葉が出ないのです。ですから」
グリムは少し、遠い目をした。
「もう少し、実験を重ねる必要はあるのです」
「……」
美奈子は、ふと思いついたことを言った。
「あのね?」
●地下迷宮 通路
「もうっ!私のバカっ!」
美奈子は泣きそうになりながら通路を走っていた。
「何であんなこと教えちゃったのよぉ!」
バンッ!
通路の一角にはめ込まれていた点検用のハッチを蹴り開け、美奈子はその中に潜り込んだ。
「世界樹が復活するって、つまり、どういうことか、何で気づかなかったのよ!」
美奈子は、その答えを知っている。
面白そう。
見てみたい。
……つまり、自分の好奇心だ。
迷宮内部に張り巡らされたセンサーや電気系統は全て人間界から仕入れたものだ。
グリム曰く「コスト削減」だそうだが、おかげで美奈子にも、大体のところがわかる。
「あった!」
狭い点検用通路の中、時折、蹴躓きながら走った美奈子は、ようやく目的の場所にたどり着いた。
「水瀬君達に攻め込まれた時用にって準備していたけど」
美奈子の前にあるのは、大きなレバー。
それが、迷宮全体へ電源を供給するブレーカーの一つであることは、構造図を把握している美奈子にはわかる。
これで電源供給が遮断すれば、グリム達のいる司令室や、少なくとも人間界の機材を使っているあらゆる施設は機能を停止する。
ただし―――
「これが切られると……地下5層から8層までの自爆装置が作動―――確か80秒」
記憶の中から、美奈子は必要な情報を引き出し、周囲に安全な場所を求めた。
「―――よしっ!」
一瞬、水瀬達の顔か脳裏に浮かんだが、美奈子はそれを振り切った。
「何とかしてね!?」
ガンッ!
美奈子は、ブレーカーを切った。
そして―――
ガシャンッ!
「きゃっ?」
どっしーんっ!
●地下迷宮 司令室
「電源が落ちました!」
オペレーター達が右往左往する中、グリムだけは冷静だった。
「ふん?」
自分の指先さえも見えない暗闇の中。
「―――美奈子」
グリムは楽しげに口元を歪めた。
「私が、君をそんなに信じていたと、そう思っているのか?」
パッ。
グリムの呟きに反応したかのように、司令部には灯りが戻った。
「落ち着け」
グリムはオペレーター達に命じた。
「電源は他にも系統がある」
そうさ。
グリムは喉で笑った。
備えは常にしておくものだ。
「第5から8層、自爆装置作動します」
ズンッ!
ズズンッ!
司令部を激震が襲う。
グリムは足を踏ん張って凌ぐ。
すると―――
フッ。
司令部は、再度、暗闇に閉ざされた。
「何っ!?」
●地下迷宮 点検用通路
「いっ、痛たたたっ」
暗闇の中、そんな音がした。
美奈子だ。
「逃げようとして蹴躓くなんてぇ……」
そんな声と、
ごそごそ
何かを探す音。
そして―――
パチッ
その音と共に、灯りが灯された。
「これだけが頼りかぁ……」
美奈子の手元には、一本のペンライトが握られている。
「あとは、グリムさんからくすねた点検用通路の鍵だけ」
青銅製の鍵を、美奈子はポケットから取り出そうとして
カランッ
その音に気づいた。
「ん?」
ペンライトで辺りを探ってみると、ライトの光を受け、何かが光った。
「―――宝石?」
赤い光を放つ石を手にして、美奈子は思い出した。
「服従石」
そう。
グリムからぶんどったあの石だ。
美奈子は無言で石をポケットにねじ込むと、立ち上がり、足下に転がるケーブルを手に取った。
「これ―――何のケーブル?」
美奈子の目の前には、太い電源ケーブルの束がある。
さっき、逃げようとして蹴躓いたのは、このケーブルだった。
何かはわからないが、結構大切なケーブルだろうことは、美奈子にも推測はついた。
ただ、最早この施設は美奈子にとって敵の施設。
壊して怒られることもないだろう。
「―――これ、いいんだよね?」
●地下迷宮第五層
ガレキの山の中からはい出てきたのは、悠菜達だった。
「大丈夫?」
「何とかね」
悠菜の声に答えるように、ガレキの下から顔をのぞかせるルシフェル。
「何が起きたの?」
「トラップ?」
「誰か、感知した?」
「私は」
悠菜は首を横に振った。
「赤外線・ケーブル、レーザー、空気振動検知、全然」
「……」
ルシフェルは、ガレキの下からのぞくイツミを引き出しながら言った。
「結論からすれば、偶然ですよ」
「私達が関係ない所で騒ぎになってる?」
「それ、ありえます」
悠菜は、ルシフェルの手を止めた。
「そっとしておいて下さい。お師匠様はお疲れです」
「放って置けと?」
「安置はしましょう」
悠菜は、ガレキの下敷きになってノビたイツミをガレキの上に置いて、その手を胸の上で組ませると、手を合わせた。
「南無阿弥陀仏」
その後、
ドンドンドンドンドンドン!
第五層では、爆発音が連続して響き渡った。
●地下迷宮 点検用通路
ドンドンドンドンドンドン!
太鼓のような音が、点検用通路をおっかなびっくり進む美奈子の耳朶を打った。
激しい振動を受け、周囲のあちこちでモノが落下したり、倒れたりするのを、美奈子はしゃがみ込んで凌ぐのが精一杯だ。
グリムの放った追っ手か?
一瞬、そう思った美奈子は、身を固くしたが、
それはない。と、判断した。
「電線を通す穴」を準備したグリムの目を盗んで、設計数値を書き換えて人間が通れる程度の通路に仕立てたのは美奈子自身。
グリムどころか、オペレーター達もこの穴の存在を知るはずがないのだ。
「ここを移動する限り、安全なんだから」
美奈子は自分にそう言い聞かせた。
入り口は各層に一つだけ。
ここを通じて、第9層まで降りればいい。
自分がいたのが第6層だから、3層を降りればいいのだ。
第9層には―――美奈子がつけなければならない“落とし前”が存在するのだ。
「階段は北側のカドだから」
太鼓の音が聞こえなくなった通路。
様々なモノが散乱する中、
美奈子は歩き始めようとして、足を止めた。
ガタンッ!
ガランッ!
ドンッ!
美奈子の背後に、そんな音が近づいてくる。
「……へ?」
恐る恐る振り返った美奈子は、ペンライトを音のする方へ向けた。
一瞬、何が起きているのかわからなかった。
ただ、暗闇の中から音だけが迫ってくる。
「……?」
目を凝らしても、音だけしか情報が入らない。
「何?」
ドンッ!
ガッシャンッ!
ゴロゴロゴロゴロ……
「ゴロゴロ?」
美奈子は、その音で何が起きているのか、ようやく見当が付いた。
それは、今年の冬。
水瀬を詰め込んだドラム缶を、綾乃が転がしていたときの音。
それに、よく似ていた。
つまり―――
「ま、まさか?」
美奈子は慌てて足下を見て、初めて気づいた。
「これ……傾斜してる?」
迷宮の作りがどう関係しているかわからない。
だが、どう考えても床は傾斜していることを、美奈子は否定できない。
そこを―――
ゴロゴロゴロゴロ……
何かが、転がってくる。
しかも、自分の方めがけて―――
ゴロゴロゴロゴロ!
ペンライトがついに物体を捕らえた。
「冗っ談!」
それは、どこかに設置されていたんだろう、巨大な土管だった。
鉄製の見るからに重そうな土管が、美奈子めがけて転がってくる。
「ウソぉっ!」
美奈子は後ろを見ずに一気に走り出した。
●地下迷宮 第五層
役立たず ここに眠る
ガレキの山の上にそんな墓碑を刺し終えたイツミが満足そうに頷いた。
「これでよし」
「あのぉ……」
綾乃が恐る恐る訊ねた。
「いいんですか?仮にもあなた弟子」
「いいのよ」
と、イツミは言下に言いきった。
「あなただって、本心ではこうしたいはずよ?」
「……」
「移動するわよ?さっきの爆発で、迷宮がいつ崩落してもおかしくないんだから」
●地下迷宮 司令室
理由はわからない。
正副両方の電源系統が断たれた。
致命傷だと、グリムにもわかる。
電気で動く人間の機械がなければ、迷宮に意味はない。
手抜きが過ぎたか?
グリムは自問したが、それを否定することは、出来なかった。
「無理もない」
そう思う。
「迷宮は美奈子に委ねていた」
それが理由だ。
「そして……裏切られた」
迷宮が最もよく機能していた時、美奈子が座っていた椅子は、冷たく主を待つだけ。
それが、何だか妙に寂しく感じられる。
「私達は―――いいパートナーになれると思ったのですが」
今まで、命令をよく実行したオペレーター達は、ロウソクで明かりを採り、迷宮の状態把握に勤めているのが目に入った。
わかる限りでは、
第4層まで崩壊。
第5層から第8層までの構造物の8割が大破。
その影響で崩落の危険性大。
このままでは、第9層。第10層まで崩落に巻き込まれる危険性がある。
「迷宮は―――放棄か」
グリムは深いため息と共に、そう呟いた。
それしかない。
「特別室へつなげられるか?」
「バッテリーがわずかですが」
「つなげ」
オペレーターから受話器を受け取ったグリムは、
「私だ」
その声は、グリムが、かなり苛ついていることを示していた。
「根の方はどうだ?」
『最終段階です―――後は』
「よし。妖魔達は例の部屋へ?」
『移動は完了しています』
「“葉”をもって私もすぐに向かう」
受話器を戻したグリムが、暗闇の中にいるオペレーター達に命じた。
「聞け」
オペレーター達が一斉にグリムに向き直った。
「迷宮を放棄する―――各員、そこの脱出口を使って迷宮の外へ脱出せよ」
グリムの指さす先には、「緊急用」と書かれた穴があった。
「滑り台になっている」
いぶかしがるオペレーター達に、グリムはそう告げた。
「飛びこんで、流れに任せろ―――そうすれば」
グリムは微笑んだ。
「君たちは自由になる」
「―――はいっ!」
「わかりましたっ!」
自由。
それを、危険からの脱出と捕らえたオペレーター達は、我先にと穴へと飛び込んでいった。
グリムは、司令室の最後の一人が穴に飛び込むまで見送った後、デスク上のボタンで穴を封じた。
「自由―――よい言葉だ」
グリムは笑いながら言った。
「どうとでもとれる。本当に都合のいい言葉だ。―――ああ。諸君が、自由になるのは本当さ」
穴の先。
そこで何が起きるのかを知るグリムは言わずにいられなかった。
「少なくとも―――私はウソは言っていないからね?」