第六十一話
●迷宮第五層 リンク・ポイント
迷宮の崩壊により、シェリスの死体は確認されることはなかった。
ただ、立ち会いのイツミが仇討達成の宣言をあげただけ。
仇討ちの中でも最も後味の悪い結末を向かえることになった。
「はいこれ」
イツミが、泣きじゃくるセージュの懐にねじ込むようにして、書状を押しつけた。
「仇討ちの達成は、私が保証してあげる。私のサイン入りだから、問題ないはずよ?」
セージュはそれに答えることすら出来ない。
例え、イジメられていたとはいえ、かつての学友をその手にかけたことは、セージュにはかりしれない精神的ダメージを与えていた。
「……悠菜」
イツミはそんなセージュを突き放すように、悠菜に訊ねた。
「上で、何が起きたの?」
「綺麗なお空に蝶々がヒラヒラしてます……」
イツミの足下に転がる悠菜は、ズタボロの体から弱々しい声を出した。
セージュ達が死闘を繰り広げる中、虐待というべきイツミの“修正”を受けた名残だ。
「お姉さんが、薄くてセクシーな服着て……大股開きで……“カモーン”って……」
ガンッ!
ゲシッ!
ドガッ!
ふわふわふわ……
イツミ、綾乃、ルシフェル三人からほぼ同時に殴られた悠菜の魂は肉体から離れようとした。
「勝手に臨死体験しないっ!」
ガシッ!
イツミが悠菜の魂を鷲掴みにすると、無理矢理、体に押し込んだ。
「……どういう理屈?」
「禁則事項の最悪のケースですね……」
「それで復活する方も問題だと思うけど」
あきれ顔の綾乃達の前で、悠菜が上半身を起こした。
「痛たっ……御父様なら、絶対襲いかかるような絶景だったのに……」
「あの種馬なんてどうでもいい!」
イツミは不機嫌さを隠さない顔で怒鳴るが―――
「初対面の時、小学生と間違われたの、未だに気にしてるんですか?」
「とにかくっ!」
絶対図星だ。
全員がそう思う中、イツミは怒鳴った。
「迷宮が崩れたんでしょう?何があったの?」
「人間が」
悠菜がそれに答えた。
「爆破したんですよ―――迷宮を」
「……ふぅん?」
イツミの目は、軍人のそれになった。
「成る程?確かに有効な方法ではあるわね」
「そうですね……」
悠菜は痛むお尻を何とか無視して立ち上がり、辺りを見回した。
迷宮第五層―――
それまでの層より、作りはしっかりしているし、天井も広い。
本来、すべての迷宮がこんな作りになるはずだったんだろう。
悠菜はそう思った。
「それより―――」
悠菜は装備を確かめながら師匠に訊ねた。
「目的は何ですか?お師匠様?」
「目的?」
「何の目的で、シェリスさんに近づき、ここまで来たか―――です」
「別に?」
イツミは小首を傾げた。
「暇つぶしよ?」
「それ―――私が信じると思います?」
「師匠の言葉は神の言葉」
イツミは低い声で告げた。
「―――それを忘れたと、そう言いたいの?」
余計なこと聞くな。
うるさい黙れ。
イツミの言葉の意味は、このどっちかなんだろう。
ついでに―――
シバくぞ?
どっちにしても、これだけは避けられない。
「……」
それを知る悠菜は、黙るしかなかった。
●迷宮第五層 通路
「人質が二人?」
「はい」
これまでの経緯を説明していた悠菜は頷いた。
「悠理の友達一人、妹一人」
「……そこまで人質をとる?」
イツミは顎に手をやると、立ち止まった。
「ヘンね」
「えっ?」
「そんな手間、なんでとるのかしら」
「……というか」
悠菜は申し訳なさそうに俯いた。
「私……ううん?悠理もですけど、グリムの目的が今ひとつわかりません」
「……そう?」
イツミは、少しだけ意外。という顔になった。
「戦略の授業、無駄だったかしら?」
「提示された条件から逸脱する一方なんです」
「ふむ……」
確かにそうだ。
イツミもそう思う。
コトの発端は、単に二人を追う死霊。
それだけだ。
なのに、死霊の話が世界樹の葉にまで広がり、今や地下迷宮まで―――。
弟子でなくても混乱する。
そう思うイツミは言った。
「全てをつなげることは出来ないかしら?」
「それこそ―――空想の世界です」
「そうかしら?」
「えっ?」
「今の話を聞く限り―――」
イツミは言葉を紡ぎ始めた。
●地下迷宮 某所
すべては、最初からグリムの計画通りなんだ。
ベッドに横たわる美奈子は、痛む頭を駆使して、その結論に達していた。
空想。
今まで、そうして否定してきたことが真実だと、今わかった。
グリムの目的は一つ。
失敗の取り消し。
それだけなんだ。
そのために、霧島を屍鬼同然にし、屍鬼や死霊を集めた。
想像外だったのは、人間から思わぬ反抗を受けたこと。
そのために、私を誘拐し、こんな地下迷宮まで作らざるを得なかった。
だけど、それは―――
「痛っ!」
脳の血管が切れたんじゃないか。
そう思うほどの激痛に、美奈子は頭を抱え、ベッドの上でもがいた。
「な、何で……」
頭を抱えながら、美奈子は呟いた。
「危ないって、考えないかな……自分」
情けない。
美奈子は涙が出るほど後悔した。
誘拐されたというのに、自分を頼ってくるグリムにいい気になった。
グリムの参謀役。
その地位が当然のように思えて、そう振る舞ってしまった。
結局、あの時、クスリを飲まされて……。
「いいように使われて、後はポイってされるの、わかっていたはずなのに」
バカだ。
美奈子はそう思った。
心の底から、そう思った。
「いい気になって……グスッ……あんなことまで考えちゃうなんてぇ」
暖かい涙が枕を濡らす。
もうだめだ。
美奈子にはわかる。
グリムはもう、自分を必要としない。
彼は、世界樹の葉を手に入れてしまったのだから―――
「バカぁ……」
自分の頭を何度も叩いてみる。
痛いけど、何にもならない。
「ご近所の皆様どころじゃないのぃ……」
後悔しても始まらないのだ。
でも、それしか、今の美奈子には出来ない。
「全人類の皆々様に、どうお詫びするつもりよぉ……」
その時、
カチャ
ドアが開いた音がした。
「―――えっ?」
キィッ
ドアの軋む音がして、一人でにドアが閉じた。
「建付、悪いのかなぁ」
美奈子は閉じたドアをじっと見た後、枕に顔を埋めた。
「ううっ……ドアまで私をバカにする……グスッ」
どうしよう。
どうしよう。
そればかりが美奈子の頭を駆け回る。
仰向けになって天井を見つめるけど、それでもどうにもならない。
「―――いっそ、死んでお詫びを」
ダメだ。
そう。
だめなんだ。
そんなことしても、事態は終わらない。
痛いのはイヤだし。
終わるのはこのシリーズだけだ。
「はぁっ……次は綾乃ちゃんが主役かなぁ」
ふと、綾乃と水瀬の仲睦まじい姿が瞼に浮かんだ。
「ダメッ!」
そう!
それだけはダメだ!
「そうよ!―――なんで私ばっかりこんな目に会うのよ!」
美奈子は起きあがろうとして、頭痛に叩きのめされた。
「痛いよぉ……」
シクシクシク……。
室内に美奈子の鳴き声だけが響く。
「悲惨だよぉ……どうやって止めればいいの?あんなことぉ。―――っていうか、その前にこの頭痛、どうにかしてよぉ」
……。
―――ある。
一つだけ、あった。
そう。
“あれ”を止める方法が、一つだけ。
「そうか―――」
それは、美奈子の失策。
自分の失策が、光明をもたらせてくれた。
「ケガならぬ、バカの光明」
バカ。
その言葉に、美奈子は顔をしかめた。
あの時、水瀬が書いた落書きには、しっかりと『桜井美奈子のバカ』と書かれていた。
「あの落とし前―――絶対につけさせる!」
動かない体で、美奈子はそう決意した。
「私よりずっとバカなクセにっ!」
そうだ。
グリムの恐ろしさをわかりもしないで、
上辺のバカさ加減に踊らされて、
いつも通りの“何とかなるんじゃない?”
位の気軽さで、
ここまで来たに違いない。
「本当に!バカなのは水瀬君なんだからっ!」
そうだ―――
水瀬が来た理由。
それが、自分を助け出すためだと、美奈子はわかっている。
それだけに、水瀬をバカだと思う。
助けるべき相手が、敵に味方するなんて。
「はぁっ……」
美奈子は深くため息をついた。
「どっちがバカなのか、わかんなくなっちゃった……」
目をつむっても、ただ、頭痛だけが襲う。
そっ。
そんな美奈子の額に、何か冷たいものが触れた。
ひんやりして気持ちいい。
「―――え?」
誰かが来たのか?
驚いた美奈子は、そこに意外な存在を見つけた。
「なっ!?」
●地下迷宮 司令部
「では、“根”の準備は完了だな?」
『準備は完了でございます』
「美奈子が、あそこに妖魔を進めさせようとした時には驚いたが」
『折角の部隊、全滅するところでした』
「戦術としては正しいのだが……美奈子が潰れた偶然には感謝すべきだな」
『はい―――“根”はすでに機能を開始』
「素晴らしい!」
グリムは歓声を上げた。
「これで私の宿願は果たせる!」
『はい……同慶の限り』
「グリム様」
モニターの向こうと通信していたグリムに、オペレーターの一人が告げた。
「大変です!」
「ん?」
「美奈子様が!」
「どうしたのです?放って起きなさい。どうせ頭痛で動けないのですから」
グリムの目は冷たいが、オペレーターの目は違った。
「―――どうしたのです?」
「美奈子様が!」
「美奈子が?」
「脱走されました!」
「なっ!?」
R指定に関するガイドラインに従い、一部削除しました。(T_T)