第四十二話
神音商会。
“天原骨董品店”や“天原組”を傘下に置く広域指定暴力団……もとい、それ同然の組織。
そのトップは―――天原神音。
「何をやっているんだあの人はぁぁぁっっ!!!」
イヤでも思い知らされる結論に、たまらずに叫ぶ由忠。
唖然とする遥香。
その二人の様子に、残されたルシフェルと栗須が思わず引き気味で互いの顔を見合う。
「あの―――お知り合いなのですか?御父様?」
「閣下?ご存じのお方ですか?悠菜ちゃんは魔族だとか……」
「ああ……忘れたい位、いや。最初から関係が無かったことにして欲しい位のな」
由忠は力無い声で頷く。
「天原神音……別に水瀬神音とも……つまり、俺の実の母親だ」
「はぁっ!?」
ルシフェルと栗須のすっとんきょうな声がハモって病室に響いた。
「つ、つまり」
ルシフェルは言葉につまりながら、
「御父様は……魔族とのハーフ?」
「そうだ」
由忠はそれに頷いた。
「水瀬家ではそう珍しいことではない」
「ど、どういう家系なんですか?」
「後で教えてやる……ルシフェルも我が家の一員なんだからな―――知る前にはよほどの覚悟が必要だが」
「ということは……」
なんてところに養女に来たんだろう。と白くなるルシフェルに対して、意外と動じていないのは栗須が訊ねた。
「悠理君は、魔族のクォーターで、神族のハーフ?」
「そう、なりますわね」
遥香はなんでもない。という顔でそれを認めた。
「はぁ……」
ということは、日菜子殿下の次の帝は、魔族の血を継ぐ、神族のクォーターかぁ……。
そんなことをふと考えてしまう。
血統としてはかなり悪くないはずだ。
「で?」
由忠はようやく落ち着いたらしい。
「悠理はどうしてそれを知った?」
「ああ、それでしたら」
栗須は何でもない。という顔でとんでもないことを言い出した。
「空間つなげるのをアルバイトでやったの、悠菜ちゃんと悠理君なんだそうです」
ジャキッ!
室内にそんな音が響いた。
「ぬがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!」
「あなた!落ち着いて!」
遥香が羽交い締めにして止めるのも無理はない。
ベッドの上に仁王立ちになる由忠の手には抜き身の刀が握りしめられていた。
「そんな格好で外に出たら、次は精神科のお世話ですよ!?妻として世間様歩けなくなるじゃないですか!」
「離せ遥香ぁっ!」
由忠が錯乱していることは間違いない。
「あのバカ共、今度という今度こそ、手打ちにしてくれるわ!」
由忠は凄まじい怒鳴り声をあげた。
「お袋といい、あいつ等といい、どこまで家の恥をさらせば気が済むというんだ!」
ガンッ!
普段は静かな病室に、今日は様々な音が響く。
そろそろ看護婦が怒鳴り込んでくる頃だ。
栗須はそう思って、こっそりため息をついた。
その目の前で、どうしたものか、由忠は壁にめり込んでいるが、そんなものは関係ない。
この不潔で不純でどうしようもないオトコが天罰を喰らうのは、何度見ても楽しいのだから。
ただ、看護婦が怒鳴り込んでくるのだけは勘弁してほしいと思う栗須の後ろ―――丁度、ドアの方から声がした。
「病院で騒いでいいと躾たつもりはなくてよ?―――由忠?」
栗須が振り向くと、いつの間にかそこには一人の少女が立っていた。
身長は130センチ程。
黒いゴシック調のかなり手の込んだ高級なドレスに身を包む少女の手には花束が握られていた。
「折角、お見舞いに来てあげたというのに、そんな振る舞いとは―――いい度胸ね」
慌てて近づいて来る遥香に花束を渡した少女は、まるで目に見えない糸を引くように、右手をちょい。と動かした。
ズルッ―――ベタンッ!
由忠がその動きに合わせるように、壁から引き剥がされ、ベッドに叩き付けられた。
「全く……親の躾がなっていないって世間様に思われちゃうじゃない」
遥香が用意した椅子に何でもない。という顔で座る少女。
その動きは、宮中女官団所属の栗須の目にも優雅であり、そして寸分の隙もない洗練された動きであることは明白だ。
栗須は、興味と警戒がないまぜになった視線を少女から離すことが出来ない。
「悠理達には、空間制御の練習としてやらせただけです」
少女はどこからかティーセットと茶葉を取り出し、勝手にお茶を用意し始めた。
「ああ……いいんですよ?遥香さん。たまには私がやります。いい茶葉が入ったの。ルシフェルちゃんだっけ?初めまして。そちらのメイドさんもご一緒にいかが?」
「お……お袋」
どうにか復活した由忠がそう言った途端―――
ガンッ!
由忠の後頭部を巨大な金ダライが直撃し、由忠は沈黙した。
「御母様と呼びなさいと何度言ったらわかるの!?あなた、今おいくつ!?」
「も、もうそろそろ」
「40近くになって!親の呼び方も知らないとは恥ずかしい!」
「あ、あの……」
ルシフェルが恐る恐るという顔で言った。
「御母様?」
「ああ―――申し訳ございません。御義母様」
遥香が少女に深々と頭を下げた。
「養女をとりましてもご挨拶にもうかがわず」
「……いいのよ」
少女はバツが悪いという顔で言った。
「いくら何でも、子供の教育環境としては悪いところだし」
「恐縮です。改めて今度、家の方にもお越しになられて、さらに養女にしたエリスとエマも顔も見て上げてくださいませ―――ルシフェルちゃん?ご挨拶なさい?」
きょとん。とするルシフェルに遥香は言った。
「神音様……あなたの御婆様ですよ?」
うそ。
それがルシフェルの偽りない感想。
自分より圧倒的に年下が御婆様?
何の冗談だろう?
「ふふっ……魔族や神族はなかなか年をとらないから不思議なんでしょう?」
少女=神音は笑いながら言った。
「ヴォルトモード卿がこの前絶賛していた娘ね?」
「!!」
ヴォルトモード卿。
かの一年戦争時の魔族側総大将。
ルシフェルと決闘を演じた相手。
それを知っている?
「そんな顔しない」
神音はティーカップを渡しながら、たしなめるように言った。
「あれは私闘じゃない―――戦争だった。それはわかるわね?」
その言葉はわかる。
わかるからこそ、唇を噛みしめながら、ルシフェルはただ頷くしかなかった。
「は……はじめまして。ルシフェルです」
「よろしい♪」
満面の笑みを浮かべて頷いた神音は由忠に向き直って怒鳴った。
「で!?このザマは何?説明なさい由忠!」
「そ、その前に」
由忠は弱々しい動きで写真を母親に見せた。
「この写真について教えてください」
「何よこの写真」
指が軽く動いただけで由忠の手から写真が離れ、神音の手元に移動する。
「はん?これがどうしたの?」
神音の見る写真。
そこには、魔法陣と、その側に転がる紙袋が写っている。
「その紙袋……“天原骨董品店”と」
「当たり前じゃない」
神音は呆れ顔だ。
「この魔法陣、ウチの店で無料頒布したモノだもん」
「……」頭を抱える由忠。
「……」言葉を失う遥香達。
「何故、そんなことを?」
勇気を出して、祖母にそう問いかけたのはルシフェルだ。
「グリムに頼まれたのよ」
神音はにべもなく答えた。
「召還されるのはあいつ。そう固定しておけば、獄族であるアイツは楽々と魂が手に入る。そうね―――魂と引き替えにあなたの願いかなえます無料キャンペーンってとこかしら?素人でも出来るように簡易化、自動化されているヤツよ」
「あってほしくさえないキャンペーンですね」
栗須は思わず言ってしまうが、それを否定する声は上がらない。
「今までウチを訊ねた人間のお客には全員配布しているけど、実際にやったのはそう多くないははずよ?それがどうしたの?なに?実際使った物好きがいたんだ」
「ええ―――それでこっちは大迷惑です」
由忠は金ダライを鉄兜代わりにしている。
「配るこっちは冗談なのに……それで?」
神音は息子にきつい視線を投げかける。
「水瀬家当主として、この状況をどうするつもり?」
「はぁっ?」
由忠は意味がわからない。
ガンッ!
さらに金ダライが頭上に落下してきた。
「もうっ!グリムよグリム!」
頭を抱えて唸る息子に近づくなり、神音はその胸ぐらを掴んだ。
「あいつ、“世界樹の葉”は盗み出すわ、迷宮作り出すわ、もうやりたい放題じゃない!」
「そ、そんなこと僕に言われても……」
朦朧とする意識の中、由忠は何とかそう弁明したが、
「あるの!」
母親には聞こえなかったようだ。
「目的は、私怨であんた達をなぶり殺しにすること。
だけど、問題はそんなささいなことじゃない!
その後よその後!
グリムはね!この世界で大量粛正やらかすつもりなんだから!
目的?
わかるでしょう!?
“世界樹の葉”を使って、この世界を獄族で支配するつもりなのよ!
死者に限定された魂の管理を生者にまで拡大することで、この人間界に新たな“世界樹”を作り上げる。つまり、人間の生死、運命を支配することで、かつての獄族の繁栄を取り戻すって!あいつは本気!―――このまま放っておいたら、四界は戦争になるわよ!?」
「……つまり」
話が大きすぎて今ひとつ理解できない由忠は、それでも母親の言葉を正確に翻訳した。
「単なる金儲けのつもりでやったことが、気がついたら収拾がつかない騒ぎになっている。何とかしろ―――そういうことですね?」
神音は顔を真っ赤にして息子の首を締め上げた。
「その通りだけど、そこまで翻訳しなくていいの!
私の言っている方が格好良いじゃない!
いい!?
息子としてナントカなさい!」
「な、何とかって……」
クビを絞める力が強すぎて、由忠は息が出来ない。
「このままじゃ、魂奪ったヤツの死体や有り金目当てでグリムに協力していたことが、天界と魔界どころか、獄界にまで知れ渡ってしまうじゃない!―――あなた、御母様をお尋ね者にしたいの!?」
これほど横暴な言い分もそうはないだろう。
由忠は薄れ行く意識の中でそう思った。
―――由忠が地獄を見ていた頃。
イーリスは病院の廊下をうろつくうち、一人の少女を見つけた。
加納萌子。
由忠の娘であり、イーリス自身、何度か面識がある子だった。
「人捜しか?」
背後からの言葉に驚いたように、萌子は振り返る。
「えっ?ああ、イーリスさん。どうしたんです?」
「ん?」
「―――ここ、産婦人科ですよ?」
言われて気づいた。確かに妊婦らしい女性が多数行き来している。
「見物……としておこうか」
「も、もしかして」
不意に萌子の手がイーリスの腹に触れた。
「?」
その意味がイーリスにはわからない。
ただ、萌子の目は真剣そのものだということだけは、イーリスにもわかる。
「御父様に……」
「……」
「よ……よかったぁ」
病院の中庭は、入院患者の憩いの場となるよう、ちょっとした西洋風庭園のような作りになっている。
その一角、大理石で出来たベンチに座った萌子が大きく安堵のため息をついた。
「妊娠しているのかと思った」
「……私が妊娠していないことがそんなに嬉しいか?」
「だって!」
萌子はイーリスに言った。
「この年でまた兄弟が出来たなんて、どうやってお友達に説明したらいいんですか?」
「……そういうことか」
「そうですよ!」
萌子は憮然としてイーリスにかみついた。
「ルシフェル姉様は別格にしても、エリスとエマは養女ってことで納得っていうか、金髪の可愛い妹ってことで確かに自慢できます」
エリスとエマ……。
その名を出した後、萌子は自分の言葉の意味を思い出し、イーリスに詫びた。
「ご、ごめんなさい。……本当の親権者は」
「いや、いい」
イーリスは小さく微笑むことで萌子の謝罪を受け流した。
「私は神に仕える修道女だ。子育てなぞ出来ん」
「二人は今でもイーリスさんのこと、“御母様”って言ってますけどね」
「そうか……」
「会っていますか?」
「あの二人とか?時折な―――所で」
「はい?」
「父親に会いに来たにしては、ヘンな所にいたな」
「御父様、入院されたんですか!?」
萌子は驚いてベンチから飛び上がった。
「な、何で!?」
「別にいつものことだ」
「あ、成る程」
父親が入院したというのに、萌子はあっさりとしたものだ。
「じゃ、放っておいても問題ないですね。イーリスさんも、あの人にはあんまり近づかない方がいいですよ?」
「安心しろ。不祥事引き起こすたびにエリス達に通報している。おかげて閣下は、家に帰るたびに“御父様不潔!”の大合唱を喰らう。随分答えているらしいぞ?遥香様によれば、最近は仕事がなければ定時に家に戻ってくるそうだ―――飲みにも行かず」
「へえ?あの子達、活躍してますね」
「うむ」
イーリスは嬉しそうに頷いた。
遥香に小遣いを取り上げられていること、メタボ警告が出ていること、それから、由衣の胎内では、萌子の新しい兄弟がすくすくと育っていること。
イーリスは全てを口にしないことにした。
「あの閣下を振り回すのだからな……我がコトながら、大した娘達だ」
「フフッ……母親」
「君もいずれはわかることだ」
「そうですね」
萌子は頷くとイーリスに言った。
「私、これからお友達のお見舞いがあるんです。この前、お見舞いに来たのに、何もしないで帰っちゃったから」
「ほう?ケガでもしたのか?」
「ううん?心臓病で入院しているんです」
「心臓病?」
「はい。私、前にこの病院にかかった時に知り合ったんです。可愛い子ですよ?牛柄のパジャマがトレードマークみたいな子で。その子から、今日、絶対に来てくれってメールもらったんです」
「そうか……」
イーリスは、生け垣の角を曲がって近づいてくる人影に視線を送った。
「丁度よかったな」
「えっ?」
イーリスは、人影を指さした。
「あの子じゃないのか?」
「あっ。そうですね」
萌子は立ち上がると、イーリスに一礼して駆け出した。
「さて」
イーリスも続いて立ち上がり、歩き出した。
「琥珀ちゃん!」
萌子のそんな声がイーリスの背に当たった。
イーリスは、珍しい名だと思い、そしてすぐに忘れた。