第四十話
「お……御父様」
「悠菜」
「はい」
「今回の件とどうつながるか、それはわからないが」
集まった全員の前で、由忠はそう切り出した。
「昨夜、病院の医師が一人、何者かに襲われた。何より―――あの病院には死人がいる」
「死体?」
悠菜が首を傾げた。
「安置所にならあるんじゃないですか?死体があると困るんですか?」
「違う。お前にもわかるように言い直すと、死霊―――俺はそう判断した。それで、だ」
由忠は何故か悠菜を睨んだ。
「悠菜」
「はい?」
「悠理の記憶は持ち合わせているな?」
「はい―――それが?」
「一昨日、お前が現れる直前、あいつと会話した。あいつはこの病院にからくりがあると言っていた―――それは何だ?」
「……えっ?」
全員の視線が集まる中、悠菜はきょとん。とした顔を由忠に向けた。
「どうした?」
「悠理、そんなこと言ってました?」
「……ちょっと、待て」
由忠は額に手をやりながら、信じられないという様子で娘に言った。
「お前……忘れているんじゃないだろうな」
「ですけど!」
悠菜は何故か、ムキになって反論した。
「弟の思考を一々記憶しているはずがないじゃないですか!」
「悠菜ちゃん」
ルシフェルが言った。
「顔にウソって書いてある」
「ウソ」
「本当」
ルシフェルの視線を受けた周囲も彼女の言葉を是認するように頷いた。
「か、顔洗ってくる」
「待ちなさい」
栗須に首を押さえられているので、逃げようがない。
「私でさえ、あなたには聞きたいことが山ほどあるんですよ?悠理君?」
「し、知らないものは知らないもんっ!」
「焦るところがアヤシイです」
「わ、私、急用思い出したから!」
着込んでいたセーターを脱ぎ、逃げだそうとする悠菜。
対する栗須は、目にも止まらぬ速さで、悠菜の首を掴んだかと思うと、力任せに握りしめた。
「痛ぁぁぁぁいっ!」
台所に悠菜の悲鳴がこだまするが、まともに取り合う者はいない。
「この程度で悲鳴を上げるとは―――それでも日菜子殿下の」
「痛いものは痛いもんっ!」
ヤクザですら震え上がるだろう栗須のドスの効いた声に、悠菜は子供同然の反論で応じた。
「御父様ぁ!御母様ぁ!」
悠菜は泣きながら両親に救いを求めるが、
「吐け」
由忠は眉一つ動かさずそう言い、肝心の遥香でさえ、
「悠菜ちゃん?楽におなりなさい?」としか言わない。
「これは最初で最後の警告です―――悠理君?」
「ぐすっ。悠菜です」
「ど・っ・ち・で・も・お・な・じ・で・す」
悠菜の胸ぐらを掴みあげた栗須の声は、「恐怖を音にしたらこんな感じ」を地で行っていた。
コクコクコク。
そのあまりの迫力に、悠菜は泣きながら頷くだけだ。
「素直に吐きなさい。さもなければ、“ごちそう”を味わっていただきますよ?」
「ご、ごちそう?」
「ええ」
栗須は満面の笑みを浮かべるが、その顔は、どうひいき目に見ても、怒り狂う般若の方が愛嬌というか、かわいらしさがある。
青くなる悠菜の前で、栗須は言った。
「メイドのおもてなしの中でも最上級に属するメニューです」
「お、おいしいの?」
「ええ♪まず、竹串を爪の隙間にねじこんで」
「ヒッ!?」
「ペンチで生爪を一枚ずつ引き剥がして……万力でゆっくり時間をかけて潰します」
「やっ……ヤメ」
「何をガタガタ震えているのです?これはまだ前菜ですよ?」
何が嬉しいのか、栗須は詠うように言った。
「メインディッシュは―――(自主規制!)―――」
悠菜があまりの恐ろしさに気絶した程の“おもてなし”を語り終えた栗須は最後に続けた。
「オプションは多数ご用意しております。今でしたらもれなく“鉄の処女”が」
「栗須さん」
イーリスがげんなりし、綾乃が青くなる中、ルシフェルは平然と言った。
「それやられると、悠菜ちゃんが戦力として使えなくなります」
「そのかわりに私がいます」
ムッ。とした顔で栗須に答えられ、
「ですけど」
ルシフェルは言った。
「悠菜ちゃんだって、懲罰部隊代わりには使えます」
懲罰部隊―――上層部が勝手に決めた軍律をあえて無視したり、背いて見せた勇敢なる将兵を集めて臨時に編成されるもので、原則として選抜制度がとられる。
部隊の任務は、最前線での戦死者の回収や埋葬もあるが、やはり、地雷原を並んで歩いて地雷除去に当たるのが、この部隊の将兵の醍醐味。
撤退時の殿軍として敵から送られて来る砲弾の受取係などを仰せつかる名誉職として知られ、あまりの強い周囲からの嫉妬のため、人命を軽視する傾向が強かったり、敗色が濃厚な軍隊では、「あまりに名誉すぎる」ために、選抜者を死刑に処してしまうこともある(無論、この説明は皮肉である。念のため)
「成る程?」
栗須は心底納得した。という顔で頷いた。
「じゃあ、どうしましょうか?ルシフェル様?何かいい案が?」
「とにかく」
ルシフェルは考えながら言った。
「悠菜ちゃんがこの仕事の間中、私達の言うことを何でも聞いてくれるようになってくれればいいのです」
「洗脳―――ですか?」
「それが一番有効だと思うけど、後遺症が残ると困ります。何か有効な手段はありませんか?」
「うーん」
栗須はしばらく考えた後、言った。
「私、女の子でしたら何とかする方法を知っていますけど……男の子は経験が」
栗須は、いまだに水瀬を男の子だと思っていることに気づいたルシフェルは言った。
「今―――というか、その子は女の子ですよ?」
「えっ?」
栗須は、何を言われたかわからない。という顔でルシフェルを見た。
「ルシフェル様?」
「股間に手を回してみてごらんなさい」
風呂から上がってきた綾乃が、あごで悠菜の股間を示す。
「間違いありませんよ?」
数分後。
「ヒック……ヒック……」
下半身丸裸の悠菜が、よってたかって脱がされたパンツとズボンを握りしめて泣き崩れていた。
「驚きました」
栗須は足下の悠菜を驚愕の眼差しで見つめた。
「ま……まさか、本当に女の子だったとは」
「いやはや……」
イーリスも言葉がない。
「これは信じないわけにはいかないな」
「だからって!」
悠菜は精一杯の迫力をこめて栗須達に怒鳴った。
「ここまでやらなくてもいいじゃないですか!」
「安心しなさい。悠菜ちゃん」
遥香が悠菜に近づき、その肩にそっと右手を置くと、左手に掴んだデジタルカメラを悠菜の前に突きだした。
「写真はとってありますからね?“オンナノコ丸出し”のヤツ」
「お、御母様ぁ!」
「―――さて。あなた?」
わんわん泣き叫ぶ娘を無視して、遥香は夫に向き直った。
「いつまで寝ているんですか?永眠しちゃいますよ?」
「……俺が……何をしたというんだ……?」
女性陣によってたかって殴り倒された由忠が虫の息で倒れていた。
「さて。悠菜ちゃんを借りますね?」
栗須は、そういうなり、悠菜を抱きかかえ、ドアに向かって歩き出した。
「女の子でしたら、方法はあります♪」
「女の子だったら?」
ルシフェルにはその意味はわからないが、イーリスはその意味がすぐにわかった。
「栗須殿」
イーリスはどこか血走った目で病室を出ていこうとする栗須を呼び止めた。
「はい?」
「次のラウンドは私にしてくれないか?」
「まぁ♪」
その言葉がよほど嬉しかったのか?栗須は艶めかしいまでの微笑みをイーリスに送った。
「よいご趣味をお持ちで♪」
「女子校育ちのあなたには負ける」
「ふふっ―――修道院ご経験者がご謙遜を♪」
「水瀬が女の子なら万一心配もいらん。こいつは一度味わってみたいと思っていたところだ」
「な……なんだか私、背中に悪寒が」
真っ青を通り越して真っ白になった悠菜が恐る恐る栗須の顔を見る。
「心配しないでくださいな」
自由の利かない悠菜の首筋に指を這わしながら、栗須はやや甘い声で言った。
「それはね?悠菜ちゃんの、心の中の小悪魔が、これから始まるとっても素敵な世界にときめいている証拠なのよ?」
「あくむ……じゃなくて?」
「ふふっ?痛いのは最初だけよ?可愛い仔猫ちゃん♪」
「―――誰か助けてぇぇぇっ!」
悠菜の助けを求める叫びも虚しく、悠菜の眼前でドアが閉まった。
さらにしばらくした後。
「どうするんです?」
結局、病院に逆戻りした由忠。
それを送り届け、病院の待合室のソファーに座りながら、イーリス達三人は紙コップ片手に途方に暮れていた。
「どうするもこうするも」
イーリスは、紙コップを苦虫を噛み潰したような顔で睨みながら言った。
「こんなマズイコーヒーでよく金を取る気になる」
「そうではなくて」
綾乃は炭酸飲料の入った紙コップを興味深そうに口に運ぶ綾乃がイーリスを止めた。
「情報が不足しています」
「そうだな……」
イーリスもその点については同感だった。
「昨夜、由忠殿は何かを見たという。琥珀とか言う女の子?それがなんだというんだ?」
「事件と関係はないと思います」
ルシフェルはもっともらしいことを口にした。
「御父様、何か勘違いされているんじゃないですか?」
「どうでしょう」
それを否定したのは綾乃だ。
「悠理さんも、この病院を調べていた。そして何かを掴んだ」
「看護婦のお姉さんでも追いかけてきたんじゃないか?」
「悠理さんの年上好きは知っていますが……そうではないと思います」
「根拠は?」
「悠理さん、由忠様、共にこの病院を疑っていらっしゃる。少なくとも、由忠様は、悠理さんの情報が何か役立つものと判断されておいでのはず」
「ハァッ……イーリスさん」
ルシフェルは、紙コップの中の液体の暖かさを感じながら言った。
「私の友達なら、多分、こんな言い方すると思います。―――この事件は最初からすべてがおかしかった。関係のない事件同士が気がつくとつながっていた。この病院も、事件に関係があると疑った方が利口だ」
「桜井美奈子か?」
「はい……私の大切な友達です」
「お前は先に出たから知らないだろうが、家では信楽未亜という娘が怒り狂って南雲大尉が止めるのに苦労していたぞ?泣きじゃくって」
「……未亜ちゃん」
「まぁ、私もその意見には同意する」
ポイッ。
イーリスの投げた紙コップは見事な放物線を描いてゴミ箱に消えた。
「……よし」
イーリスは会心の笑みを浮かべて頷いた。
「これで成功する」
「はい?」
綾乃とルシフェルは、イーリスの言葉がわからず、思わず顔を見合わせた。
「今、神に祈ったのだ」
イーリスはソファーから腰を上げた。
「我らに敵を滅させたまえ。この願いかなうなら、この紙コップをあのゴミ箱に入れたまえとな」
「汝、神を試すなかれ」
ルシフェルが苦笑しながら言った言葉に、イーリスは吹き出した。
「フッ……神にとっても刺激になる。たまにはいいだろうと思ってな」
1時間ほどしたらまた来る。
イーリスはそう言って待合室から姿を消した。
綾乃もまた、“お手洗いです”と言って席を立った。
「あれ?ルシフェルちゃん」
手持ちぶさたにぼんやりしていたルシフェルに誰かから声がかけられた。
「?あれっ?」
声のした方に振り向いたルシフェルは、自分めがけて手を振る女性の姿を認めた。
「理沙さん?」
「おひさ?元気してた?って……こんな病院にいれば言えないか?」
「お見舞いです」
「またまたぁ♪」
理沙は何が楽しいのか、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら、ルシフェルを肘で小突きながら言った。
「何?産婦人科?何ヶ月?」
「理沙さん!」
「調べて欲しいって、近衛から言われてね」
ルシフェルの前に突き出されたのは分厚い封筒。
「岩田警部があれだから」
「御容態は?」
「うん……内蔵は外れていたから大丈夫。もうすぐ退院ってところかしら?」
理沙はちらりとルシフェルを見た。
「―――近衛には感謝しているわよ?」
「やめてください」
ルシフェルはくすぐったいものを感じながら言った。
「理沙さん達にはお世話になりっぱなしなんですから」
「まぁ、そうなんだけどさ」
理沙はソファーにだらしなくふんぞり返った。
「全く、ここまで来れば因果としか言い様がないわ」
「因果?」
「ええ……詳しくはソコに書いてあるけど」
理沙はルシフェルの膝の上の封筒を指さしながら言った。
「まず第一、ここにはね?私や南雲がお世話になった人の遺児が入院している」
「南雲先生の?」
「第二、その子について調べろと水瀬君に頼まれた―――それ、そのデータよ?戸籍謄本とか。そして第三―――その子を調べていたら、奇妙な点ばかり出てきた」
「えっ?」
ルシフェルは思わず理沙の顔を見直した。
理沙の顔は決して楽しそうではないが、続ける。
「つまり、この件について―――死人はその子の親だけだと思ってたら、他にも死人がボロボロ出ていることがわかった」
「名前は?」
「不破未来。その子を巡っての悲劇の」
理沙はバックを漁りだした。
「犠牲者の第一は、この子よ」
理沙がバッグから取り出したのは、一枚の写真。
そこに写し出されているのは、家族に囲まれて微笑む小さな少女。
「心臓病患者でね。死ねば臓器移植のドナーになるところだったのよ」
理沙はタバコをバッグから取り出すと、場所を思い出したのだろう、舌打ちしてバッグに戻した。
「心臓病の治療には莫大なお金がかかる。だから、その支援をしてやる。その代わり、もし、治療の甲斐無く無くなった場合、生きている子供のためにドナーになって欲しい。親はそう持ちかけられたそうよ。移植される相手は勿論、その子」
「そ、そんなことを!」
娘を助けたい一心の親心に取り入った悪魔の甘言。
そうとしかルシフェルは言い様がなかった。
もし、自分に娘がいて、心臓病を患ったとして、その治療費を肩代わりすると申し出てくれた人物に、そう言われたらどうする?
拒めた自信は、ない。
「親は同意した。治療こそが大切だと思ったのね。……当然だけどさ。んで、手術こそ行われたけど―――案の定、娘は殺された」
「えっ!?」
「殺されたのよ。この病院で」
理沙はまっすぐ前を向きながら言った。
「術後、経過は順調だったの……ところがある日、廊下をすれ違いざまに人にぶつかった。ただでさえ弱っていた心臓がその衝撃に耐えられず……」
「何でそれで事件にならなかったんですか?」
「なったわよ……なったけど、相手は足を骨折して、ようやく松葉杖で歩ける体。よろけてぶつかったということになって……もう不可抗力に近いってことになった」
「その……親御さん、告発もせず?」
「そりゃそうよ」
理沙は言った。
「警察も周囲も、やむを得ない事故だって処理しちゃって……死因も心臓病の発作で処理され、両親は自殺。娘に先立たれた絶望ってヤツね」
「でも、それがどうして殺人だと?」
「その事故起こした男、病院の屋上からフェンス乗り越えて飛び降り自殺してるのよ。告発されなかった理由はこっちの方が大きいでしょうね」
「?」
ルシフェルは意味がわからず、理沙の言葉を待った。
「ルシフェちゃん?骨折って満足に歩けない男が、どうやって階段しかない屋上へ行って、フェンス乗り越えられたと思う?」
「あっ!」
「口止めされたのよ。事件調べた担当、後で贈収賄で捕まった挙げ句、こっちも牢屋で首吊ってるからもう事実は闇の中だけどさ。こいつにも何かがあったと見るべきね。警官としてはこれはもう、援助を申し出たヤツが黒幕と疑うしかないのよ」
「自殺したご両親、さぞ無念だったでしょうね」
「その自殺だって、奇妙なのよ?まるで何かの儀式をして、自らを供物にしたとしか思えないって」
「……供物?」
「第三種事件には認定されなかったけどね?世の中、こういうの多いはずよ?ここまでをまとめると」
理沙はつばを飲み込んから口を開いた。
「この子の治療を巡って、臓器移植の動きがあった。そして臓器提供者は殺され、その殺害者も消され、警察は目をつむるよう工作された。対する臓器提供者の両親は抵抗のため自ら死を選んだ」
「臓器……移植は?」
「死後すぐならよかったんだけどねぇ……」
理沙はメモを見ながら言った。
「検屍や何やらで結局、臓器は使い物にならず……いっちゃ悪いけど、殺し損、殺され損ってところかしら?……御免」
目をつり上げるルシフェルに理沙は詫びた。
「少し軽はずみだった。でも、そういう結果に終わった。そうそう。肝心なこと忘れてた」
理沙は立ち上がった。
「水瀬由忠って男がいるはずだからソイツに渡して」
「父をご存じなのですか?」
「ええ」
何故か理沙は苦い顔になってから言った。
「警視庁警備部参事官やってる私の先輩の愛人」
義娘であるルシフェルが言葉に詰まったのを見た理沙は続けた。
「そんなのはどうでもいいの。ルシフェルちゃんに頼みたいんだから」
「私に?」
「中に、殺された子の両親の自殺現場の写真が入っている。何かひっかかるのよ―――普通の警官なら、オカルトに染まっていたで片づけるけど、あなた達とつきあいがあるおかげで常識無くしつつある私には気になるの」
「いろいろ引っかかりますが……後で岩田警部にご報告すれば?」
「そうね。警部の方がありがたいわ。職場復帰目指して頑張るでしょうし。あ、私、これから仕事だから。―――じゃね?」
歩き出した理沙に、ルシフェルは訊ねた。
「最後に―――資金提供者と、その殺された女の子の名前を教えてください」
理沙が口を開いた。
「資金援助申し出たのは、臓器被提供者の祖父、一年前の事件の犠牲者……霧島源一郎」
その言葉は、確かに耳に届いた。
やっぱりそうか。
そうは思う。
だが、次は?
「殺されたのは」
あり得ない。
あってはならない。
だからこそ、信じられない。
信じたく、ない。
だが、理沙の言葉を否定は出来ない。
理沙はこう、言ったのだ。
「武原琥珀よ?」