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第三十六話

 次の瞬間、室内に悠菜の悲鳴と命乞い、そして何か骨肉を砕くような鈍い音が響き渡った。




 その時まで、悠菜は疑問があった。


 何故、弟(悠理)があれほど自分を慕ってくれる瀬戸綾乃から逃げ出したのか。


 何しろ、弟は何故かその記憶にロックをかけてしまい、悠菜には見ることが出来なかったから、原因がわからない。


だから、悠菜は悠菜なりに考えた。


 魔界と天界というどうしようもない身分の差。

 

 アイドルと騎士。


 身長差。


 ……どれも違う気がしてならない。


 第一、人間界にいる限り、二人は親同士の決めた許嫁同士。

 恋人としては揺るぎない地位にいるのだ。


 そして、二人でいる時の弟の記憶は常に暖かい幸せに包まれている。


 それなのに?



 その理由を、悠菜は体で思い知らされた。


 この暴力だ。


 これじゃあ、弟だってたまったもんじゃない!


 日菜子だって少し前まで似たようなものだったが、今ではスネたりそっぽ向いたり、女の子として見ても愛らしくてたまらない仕草をする。

 全ては、日菜子が弟を愛してくれているから。

 日菜子は愛する存在に暴力を振るうなんて考えすらしない。

 必要としない方法を知っている。

 ……普通というか、当たり前といえば当たり前だけど。


 それがこの子は暴力暴力暴力だ。


 これが正しければ、恋人同士は殺し合いの関係とイコールになる。

 それは絶対に違う!


 反論を腕力でねじ伏せるような女の子を好きでいられるはずがない!

 どんな男の子だって逃げていく!


 私は綾乃ちゃんは大好きだ。

 弟だってそう!

 でも、これは間違いだ!

 誰かが正してあげなくちゃいけないこと。

 こんな暴力を振るうことが間違いだって!


 悠菜は痛む体をむち打って綾乃を睨み付けた。


 弟が綾乃ちゃんとつき合っていたのは、こんな暴力を受けるためじゃない!


 弟はマゾじゃないんだから!




 これじゃぁ、恋愛関係にある事自体が弟に対する侮辱だ!


 一度そう思うと、悠菜はなんだかそれが正しく思えて、腹の虫がムカムカしてくるのを押さえられなかった。


 そして―――




 パンッ!



 乾いた音が室内に響き渡った。




「……」

「……」


 室内はそれまでの騒ぎがウソのように静まりかえっていた。


「……」

 頬を押さえて呆然とする綾乃。

「……」

 その頬を叩いたのは悠菜だ。


「―――いい加減にして」

 物理的な痛みはない。

 ただ、心に直接突き刺さるような痛みを感じつつ、悠菜は言った。


「力で相手をねじ伏せるなんて最低だよ」


「……」

 呆然としたままの綾乃は、冷たい視線で自分を見つめる“恋人であるはずのオトコ”の顔を見つめたままだ。


「恋人って、互いに精一杯支え合って、助け合うものだよ?恋人の関係は、奴隷とご主人様の関係じゃない!」

 悠菜は綾乃に怒鳴りつけた。

「そ、そういう趣味の人もいるにはいるけど、弟―――じゃなくて、僕はそんな趣味はない。もし、僕から暴力を受けたっていうなら、一度でいいから言ってごらん?」

「い、今」

 悠菜の一言一言にびくつきながら、綾乃は頬を押さえたまま、かすれたような震える声でそう言った。

「それは別!」

 ビクッ!

 綾乃は身をすくませた後、

「……」

 ふるふる。

 首を横に振った。

 小さい子供が親に叱られているような、不思議と幼さを感じさせる素振りだった。

「でしょう?無抵抗の相手を叩きのめして楽しい?人として!」

「……で、ですけど」

「躾?浮気したり、言うこと聞かなければどうなるかDNAに刻み込む?そんな所?男の子に暴力ふるうなんて―――女の子として最低だと思わないの!?」


 グサッ!


 綾乃の平べったい胸に目に見えない巨大な刃が突き刺さった。


「だから(弟だって)嫌いになっちゃうんだよ!」


 ザクッ!


 もう一本、刺さったらしい。


 綾乃はのけぞって床に倒れた。


「……生きてる?」

 綾乃の顔をのぞき込みながら、悠菜は冷たく訊ねた。

「し、死にたい心境です」

「でしょうね」

「で、でも!」

「―――何?」

 それが綾乃の―――いや、綾乃と魂を共有するロイズールの本音だろう。

 綾乃は流れる涙をそのままに悠菜にすがりついた。

「大切な存在を失う恐怖があなたにわかりますか!?自分ではどうしようもないことで、大切な存在を失う恐怖を!」


「……殿下」

 その時、初めて悠菜は理解した。


 この暴力が何なのか。


 それは綾乃(=ロイズール)の恐怖の裏返し。


 大切な存在を失う恐怖から逃れるために暴力に走る。

 

 そういうことなのだ。


「でもね?」

 ポケットから取り出したハンカチで涙を拭ってあげながら悠菜は諭した。

「それをやられる身にもなって?もし、殿下が僕で、僕が殿下だとして、どんな理由であれ、僕に暴力を振るわれたらイヤでしょう?違う?」

 コクン。

 綾乃は小さく頷いた。

「でしょう?―――だったら、もうしないでね?」

 コクン。

 さっきより小さめに頷いたと思いきや、

 フルフル。

 綾乃は横に強く首を振るった。


「何で?」


「だ、だって―――」

 綾乃は泣いているのか怒っているのかわからない表情で悠菜に言った。

「あなたは日菜子という女の子に夢中でしょう?この子が可哀想です」

「……この子は僕の記憶を失っている―――!?」

 

 その瞬間、

 悠菜は凍り付いた。


 まさか。


 そんなことが。


 いや。


 それなら納得出来る。


「殿下?」

 やや硬直した声で悠菜は綾乃に訊ねた。


「まさか、世界樹の葉を」


「そうです」

 綾乃は弱々しく頷いた。

「この子を魂の破滅から救うには、魂が最も大切に思っている部分を切除する必要がありました。“代償”です。でも、それはあまりに気の毒な話しです」


 綾乃は悠菜の背に手を回しながら言った。


「こうやって抱きしめられるだけでこの子がどれだけ幸せだったか。それは記憶を共有している私には痛いほどわかります。そして、その想いは私の中にきちんとした記憶として残っているのです」

「自分の記憶を綾乃ちゃんの記憶に戻すことで記憶の修正を試みようとして」

「そこがグリムの付け入るスキだったのです。私は綾乃を助けたい一心で危険を承知世界樹の葉を盗み出し、グリムに渡した。……渡してしまったのです。その結果を考えずに」

「……殿下」

「グスッ。あなたとこうしているだけで、綾乃は幸せなのです。それは、籠の中の鳥である私には到底味わうことのできない幸せ―――綾乃が幸せであればあるほど、私もそれを例え夢の中でも味わうことが出来る」

 

 きゅっ。

 悠菜の背に回る手に少しだけ力がこもった。


「私利私欲と笑って下さって結構です。だから、私は綾乃の幸せを願った。綾乃の幸せは私の幸せ。だからそれを失う恐怖は一緒」


「……」


「記憶を失う直前、綾乃の思念が私の元に届きました。“私は絶対、もう一度、水瀬君を好きになる”……記憶を失う恐怖より、あなたへの想いが勝っていたのです。それが私にはむしろ哀れにすら思えてなりませんでした」


「……だから、殿下は」


「私にとって、この子の記憶は自由を体験させてくれる貴重な存在。それを何とか元に戻したいと思うのは当然です」


「まだ、終わったわけじゃない」

 悠菜は綾乃の背に手を回しながら、諭すように言った。


「世界樹の葉を取り戻して、綾乃ちゃんに記憶を戻せばいいんだから」


「……だと、いいんですけど」


「?」

 意味がわからない。

 それでも、悠菜は言った。


「出来ると信じる所から全部は始まるの!最初からダメだって思っちゃったら、何も出来ないよ!?そうでしょう?」


「……」

 綾乃は何かを逡巡する目で悠菜を見つめるだけ。


「殿下!」


「……そう、ですね」

 コツンッ。

 綾乃は悠菜の胸の中におでこをつけた。


「万に一つの可能性でも賭けてみましょう」


「そうです!」


「―――それにしても」


 くすっ。


 綾乃は小さく笑うと、イタズラっぽい目で悠菜を見た。


「本当、最初は不思議だったんです」

 その顔は、何かつき物が落ちたような晴れ晴れとした表情を浮かべていた。

「こんな」

 しなやかな指先が悠菜の頬を撫でる。

「女の子みたいな童顔のどこがいいのか」

「ムッ」

 途端にしかめっ面になる悠菜。

「クスッ。怒らないで下さい……懺悔しているんですから」

「どーぞ」

 しかめっ面はそのままで、悠菜はぶっきらぼうに言った。

「……どうせならクラスメートの羽山光信や秋篠博雅とか、格好良いオトコはたくさんいるのに。綾乃は常にあなたしか見ていない。それがわからなかった。もしかしたら、この子はヘンな趣味を持っているんじゃないかなって」

「本人の顔と口で言われると死にたくなるんですけど」

「そうですか?でも、わかりました」

 キュッ。

 綾乃はもう一度、悠菜に抱きついた。

「あなたは優しい人。綾乃のワガママにもつきあえる頑丈さを持った人」

「それ、本当に褒めてます?」

「ええ。だから、あなたをこの子は好きになった。それを、私もいつの間にか分かっていたのです」

「これで終わりですか?」

「いえ」

 悠菜の胸元から顔を上げた綾乃は、晴れ晴れとした、むしろ何か決意した顔で言った。


「何としてもグリムを捕まえて、ギャフンといわせて、世界樹の葉を取り戻して、ついでにこの子の記憶を元通りにさせます!」


「そうですね」


「というわけで決めました!私も、この子の体を借りて参加させていただきます!」


「えっ?」


「元々、この子はあなたと同類。私の力は思う存分発揮できます。何より、これは私とこの子の問題なのですから♪」


「それであんな破壊力を」


 そりゃ痛いワケだ。


 悠菜は遠い目でさっきの暴行を思い浮かべた。本当に自分が頑丈だと思う。


「クスッ……さっきのコトはお詫びしますね?」


「え?いいですよ。反省しているんでしょう?」


「ええ。人間界の言葉で言えば、海より深く」

 イタズラっぽく舌を出した綾乃は、何故かペタペタと悠菜の体を触り出す。

「で、こういうおまじないもあるんですよね?痛いの痛いの飛んでけーって」

 ペタペタ

 ペタペタ


「飛んでけーっ」


 まるで幼女のようなあどけなさで、綾乃は悠菜の体を触っては“おまじない”を続ける。

 治癒魔法の方が有難いんだけど。

 悠菜はそう思いつつも、綾乃になされるがままにしていた。

  



 ただ、


 ペタッ


 悠菜は忘れていた。


 自分は女の子。


 でも、相手はそう思っていない。


 自分もそう演じていた。


 ただ、物理的な偽装はしていないから……。


「?」


 綾乃の手が、ソコに来た時、悠菜は自分のミスに気づかされた。


「……」


 クニクニ。


 綾乃が怪訝そうな顔で何度もそこを掴んでは離す仕草を繰り返す。


「あの?」


「な……なんです?」


 悠菜は、バツの悪そうな顔で綾乃に答えた。


 その悠菜に、綾乃は訊ねた。


「オチンチン、どこかに落としちゃいました?」




「本当に大丈夫?」

 水瀬邸の玄関で、ルシフェルが美奈子に心配そうに訊ねた。

「何が?」

 靴を履きながら、美奈子は問い返す。

「何も心配することなんてないじゃない?」

「あの獄族に襲われたばっかりなのよ?」

「大丈夫よ」

 美奈子は笑ってルシフェルに言った。

「ちょっとそこのコンビニに行くだけだから」

「じ、じゃあ、ちょっと待ってて」

 ルシフェルがエプロンを外した。

「私も行く」

「だから」

「念のため。それと、お醤油が切れたから」

「―――うん」

「お財布、とってくるね?」

 ルシフェルが踵を返して廊下に戻った。

 その背中に美奈子の声が聞こえた。


「えっ?ええ―――私ですけど?」


 電話かな?

 ルシフェルはそう思った。

 誰と話しているか、それはわからない。

 いくら何でも、電話なら問題ないだろう。

 そう思ったのが、ルシフェルの大失点だった。


「お待たせ」


 財布を持って玄関に戻ったルシフェルだったが、


「桜井さん?」


 美奈子の姿はない。


「もう、行っちゃったの?」


 玄関から出て外を見回すが、誰もいない。

 門は閉まったままだ。


「桜井さん?」


 この時を境に、ルシフェル達の前から、美奈子の姿が、消えた。


  

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