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第三十五話

今回、かなり長いです。ごめんなさい。

「自業自得」

 イーリスは由忠に冷たく言い放った。

「私に由衣殿、そして今度は栗須殿にまで手を出そうとした?どこまで最低なんですか」

 もうこれ以上ない位、イーリスの顔は冷たい。

「水瀬自身は元が男だからいいですし、エリスやエマは、あの性格だからともかくも、由衣殿の方やルシフェル、そして萌子殿にとって、あなたの振る舞いは理解できるものですらありません!」

「……そういうものか?」

「……ちょっと待ってください」

 次の言葉が恐ろしくて、イーリスは由忠の言葉を止めた。

「日本社会全般に通用する一般常識に照らし合わせて発言してくださいね?」

 ここまで念を押しながら、それでもイーリスは、目の前のダメ男には何の効果も示さないことを、心のどこかで理解していた。

 由忠は言った。

「オンナ遊びが悪いことなのか?」

 ほらやっぱり。

 イーリスはため息と一緒に肩を落とした。

「……」

 そして、由忠に顔を近づけた。

 まじまじと見つめるその視線の先にいる由忠の目は、信じられないと如実に語っている。

「閣下?」

 イーリスの吐息を感じつつ、由忠はイーリスを見つめる。

 返答次第で覚悟を決める。

 イーリスのその決意に由忠は気づかない。

「オンナ遊びって、どうお考えなんですか?」

 そのイーリスの問いに、由忠は真顔で答えた。

「……絶対的必要行為?」


 ガンガンガンッ!

 クギで何かを打ち付ける音が響く中、悠菜は病室に入り、足を止めた。

 床に白くて長細い白木の箱が置かれ、それをイーリス叩いている。

「あ……あの、イーリスさん?」

 髪を振り乱して金槌を握るイーリスの鬼気迫る様子に、さすがの悠菜も引き気味だ。

 それで悠菜の存在に気づいたのだろう、イーリスは顔だけ悠菜に向けた。

 血走った目で睨まれた悠菜は、自分の心臓の強さに感謝した。

「しばらく待て」

 イーリスは恐ろしくドスの効いた声で言った。

「もう少しで済む」

「は、はい?」

「今、性格破綻者の葬儀の準備中だ」

「御父様が入院されたと聞いたんですが」

 悠菜は首を傾げながら言った。

「私、お見舞いに」

「葬儀は教会で行ってやる。一応、義理は立てる」

「御父様は神道で」

「地獄に堕ちるヤツに宗教は関係ない」

「いえあの……」

 ガタガタッ!

 白木の箱―――棺桶が激しく揺れた。

 ガンッガンッガンッ!

「うるさいっ!」

 メキョッ!

 イーリスの金槌が鈍い音と共に棺桶の真ん中にめり込んだ。

 棺桶の揺れが収まったのを確認したイーリスが再び悠菜に振り返った。

「ふうっ……本当は、瀬戸綾乃に会いに来たのではないのか?」

「う、うん……こっちで精密検査受けてるって、ルシフェルが」

 悠菜の声が心なしか震えていた。

「410号室、ただし、ここに彼女がいることは極秘だ。その辺を正しく理解しろ」

「だ……だれにも言いません」

「よし。芹沢医師にここに来るように伝えてくれ。死亡診断書を書いて欲しいとな」

「は……はい」


 弟じゃないけど、やっぱりイーリスさんは怒らせないようにしよう。


 悠菜はそう心に決めながら病院の廊下を歩き、様々な入院患者であふれかえる病院内の一角で声をかけられた。

「あれ?水瀬君」

 振り返ると、理沙が小さく手を振っていた。

「ああ……理沙さん?」

「?」

 理沙は悠菜に近づくと、じっ。とその顔を見つめた。

「ど……どうしたの?」

「君」

 理沙は悠菜から視線を外さず、じっと悠菜の顔を見つめる。

「何かあった?」

「えっ?」

「随分、女の子っぽくなったなぁって思ってさ」

「そ、そんなことないよ!」

 悠菜は慌てて“弟”を演じた。

「そう?」

「そうっ!」

 ふうん?と首を傾げる理沙はそれでも疑わしそうな視線を変えることはない。

「それで?お姉さん、何か収穫でも?」

「あ……今の所、ない」

「ふぅん?」

「……ずいぶんと疑わしいって目ね」

「何か隠してない?」

「イヤね。そんなわけないじゃない」

「慌ててる」

「しつこい男って嫌われるわよ?」

「じゃ、やめる―――岩田警部の容態は?」

「うん。傷は塞がってるし、今朝からは普通のご飯食べられるまで回復して」

「そう、それはよかったね」

 安堵のため息一つ、下げた視線は理沙の手に提げた袋に至る。

「お姉さん。それ」

「えっ?ああ。岩田警部の着替え。あの人、あの歳で独身だから」

「へぇ?」

 ニヤリ。と笑った水瀬が、理沙に舐めるような視線を向けた。

「な、何よ。気味悪いわね」

 思わず後ずさりして身構える理沙に、水瀬は言った。

「オトコのパンツをお洗濯なんて……そっかぁ。お二人はそういう関係で」

「なっ!?」

 理沙は火がついた様に赤くなってわめいた。

「ち、違!勘違いしないでよ!こ、これは部下としての点数稼ぎというか、しかたなく―――そう!仕方なくなんだから!」

「へぇ?ふぅん?そうなんですかぁ」

「人をそんな視線で見ない!」

 赤面する理沙がバッグを振り回すが、悠菜はそれを余裕でかわしながら茶化し続けた。

「お姉さん?」

「な、何よ!」

「はいこれ」

「なっ。何よこれ」

「僕からの贈り物♪」

 理沙は手の中のモノをまじまじと見つめた。

 少しの間、理沙はそれがなんだか分からなかった。

 薄くて平たい不透明なビニールの包み。中身こそ見ることは出来ないが、輪郭だけで判断すると、直径数センチの輪のようなモノらしいことまではわかる。

「?」

「やっちゃえばお姉さんのモンでしょう?」

 悠菜はそう言って、親指と人差し指で作った輪の中に指を何度も通す仕草をした。

 その意味を朧気ながら理解した理沙は、問答無用で自分の手の中にあるモノの意味を覚った。

「こ……これ……!」

「間違っても水筒代わりにしないでね?」

「こっ―――このっ!」



「これっ。葉子」

 その瞬間、軽く葉子の頭を美奈子が触れた。

「ご飯食べる前には?」

「あっ。はぁい。いただきます♪」

 料理に伸びた手をひっこめ、改めて手を合わせた葉子が、ちらりと美奈子を見た。

 食べていい?

 その眼はそう聞いていた。

「はい。食べましょうか」

「はぁい!」

「ごめんなさいね?ルシフェルさん」

 申し訳なさそうに両手を会わせる美奈子に、ルシフェルは言った。

「いい。葉子ちゃんと遊びたかったのは私もだから」


 葉子を連れて時間を潰す。

 そう言われても、子供をどこに連れて行って良いか分からず、懐具合も寂しい美奈子は、やむを得ずルシフェルにメールをした。


 葉子の面倒見るの手伝ってくれないか。


 メールはそういう内容。

 それにルシフェルは喜んで応じた。


 家に連れてきて。ご飯用意しておく。


 メールを打ち終えたルシフェルは、すぐに昼食のメニューを変えたのだ。


「どう?美味しい?」

「うんっ」

 美奈子の問いかけに、葉子は幸せそうに頷く。

「そう。さすがルシフェルさんね」

「そ、そんなことないよ」

 博雅のために作るのとは少し違う意味で胸の奥が熱くなるような幸福感に包まれながら、それでもルシフェルはそう答える。

「あるわよ。葉子の太鼓判だもの」

 美奈子は微笑みながら、友達の労作を称える。



「それで?」

 ようやく口を開いたのはかなめだ。

 傷がようやく癒えたかなめは、ルシフェル特製のおかゆをすすっていた。

「えっ?」

「ここに来たのは、単なる葉子ちゃんの面倒だけじゃないだろう?」

「よくご存じで」

 美奈子はちょっとだけ、バツの悪い顔をした。

「目的は?」

 そのかなめの問いかけに、美奈子は何でもないという顔で答えた。


「村上先輩達に会わせてください」


 その瞬間、茶の間は静寂に包まれた。


「な……なんのことだ?」

 かなめの問いかけに、美奈子は冷たく答えた。

「村上先輩が、葉月に戻ってる。それはわかってるんです」

「ど、どこからの情報だ?」

「霧島那由他の存在。それが状況証拠です」

「―――会って、どうする?」

「会ってから考えます」

「そんないい加減なことで」

「いい加減でいいんです!」

 美奈子は怒鳴った。

「村上先輩に会わなければ、何にも進まないんですから!」

「―――ダメっ!」

 怒鳴ったのは未亜だ。

「そんなのダメだよ!」

 眼をぱちくりさせた美奈子が、血相を変えた未亜を見つめた。

 しばらく、じっ。と未亜の顔を見た美奈子は、

「あのね?」

 ため息混じりに言った。

「ハアッ……何か勘違いしてない?私が村上先輩に会いたいっていうのは、みんなにとっても大切なことがあるからなのに!」

「―――えっ?」

 皆の驚きの視線が美奈子に集まる。

「過去のドロドロにケリつけるんじゃないのか?」驚きのかなめ。

「桜井?包丁かナイフでも用意しようか?」興味津々の羽山。

「桜井……流血沙汰はどうかと思うぞ?」という博雅。

「みんな何言ってるの!?」

たまらず美奈子は怒鳴った。

「今回の事件、絶対、村上先輩が何らかのカギを掴んでいる。それを知りたいのよ!」




 なんとか理沙から逃れ、指示された病室に入った悠菜は、軽い違和感に襲われた。

 さすがに病院だけあって清潔さは保たれているものの、ベッドにサイドテーブル、背もたれのないパイプ椅子が一つずつあるだけの室内は、きわめて殺風景だ。

「?」

 一歩、室内に入った悠菜は首を傾げた。

「どうしたのです?」

 ベッドに腰を下ろしたまま、悠菜に声をかけてくるのは、一応のここの主。

 瀬戸綾乃だ。

 悠菜の顔を見るなり、枕の下に何かを慌てて隠した。

「何かありましたか?」

「え?う、うん……これ、お見舞い」

 悠菜は、病院内の花屋で買ったシクラメンの花束をサイドテーブルの上に置いた。

「まぁ。真っ白でキレイな花ですね」

 綾乃は悠菜からの贈り物を前に、目を細めて微笑む。

「うん。キレイだからラップしてもらったんだ。お見舞いって言ったら花屋さんがヘンな顔してたけど」


 ちなみに、お見舞いのお花のお届時期は入院直後や手術の前後は避けるのが原則。

 病状が落ち着つき回復に向かい始めたころが最適とされる。

 根のついた花は当然ながら、シクラメンの花も「死苦」を連想させるのでタブーとされる。

 ……念のため。  


「でもね?水瀬君」

 綾乃はちょっとだけイタズラっぽい顔で言った。

「私、検査で来ているだけで、入院しているわけじゃありませんよ?」

「う゛っ」

 花瓶を探す悠菜が固まった。

「ふふっ……病院っていうから、お見舞いって考えたのでしょう?」

「だ、だって……」

 高かったのに……。そう呟いて花束をしまおうとする悠菜を、ベッドから立ち上がった綾乃がそっと止めた。

「ご厚意はありがたくいただきます♪」

「最初からそう言ってくれればいいんだもん」

「くすっ。そうですね」

 さすがにバツが悪いという様子で、綾乃は小さく舌を出した。

「それで?」

 悠菜はパイプ椅子に腰を下ろした。

「検査はどう?」

「よくわかりません」

 綾乃もベッドに腰を下ろして答えた。

「何だか分からない道具や機械でいろいろ―――しかもこんなところに一人でいろだなんて」

「―――魔界とは違うでしょう?」

「ええ……って!?」


 その瞬間、綾乃はベッドの上で30センチ位飛び跳ねた。


「あ……あの」


 悠菜の顔をうかがうその顔はもう蒼白だ。


「ハァ……やっぱり」

 悠菜はそう言って大きなため息をついた。

「おかしいと思ったんです」

「ど……どうしてわかったんですか?」


 そう。

 外見というか、肉体は綾乃だが、内面、つまり、精神は綾乃のそれではない。

 それは悠菜の目から見れば一目瞭然。


 綾乃。


 そう表現しても、中身は別人。


 魔界のお姫様。


 次期魔帝。


 ティアナ・ロイズール・トランシヴェール殿下。


 その人だ。



 ロイズール殿下演じる綾乃(以下、綾乃と表記)は、恐る恐るという顔で水瀬に訊ねた。


「へ、変装は完璧のはずです」

「どこが?」

 悠菜は呆れた。という顔で綾乃に言った。

「気配が綾乃ちゃんじゃないもの。どうせこの後抜け出してどこかのケーキ屋でも行こうとか考えてたんでしょ?」

「ち、違います!」

 綾乃はムキになって反論した。

「ケーキじゃなくて、ワッフルです!」

「同じだって」

「ケーキとワッフルは違います!」

「お菓子って意味で違わないでしょう?」

「そ……それはそうですけど」

 納得できない。という顔で、綾乃は口を尖らせながら頷いた。

「せっかく、食べたいだけ食べられるチャンスなのですから……」

「最近、綾乃ちゃんがどんなにダイエットしても体重が増える一方だって泣いてたけど、成る程ねぇ」

「だ……ダイエットなんてする必要はありません」

 むしろ哀れむような視線に耐えかねたのか、綾乃はついにそっぽを向いた。

「適度に運動していれば……その」

「本体は?」

「……で、ですから!」

 一番イタイ所をつかれたらしい。

 綾乃はベッドから立ち上がって怒鳴った。

「ち、ちょっと位です!ほんのケーキ10個位!女の子として許される範囲内です!」

「食べ過ぎ」

「そ、そんなことありません」

「ショートケーキ100g中のカロリーは344キロカロリー」

「そ、それでも」

「女子高生が健康を維持するための目安は2000キロカロリー位だって」

「た、たかがケーキ」

「ぶくぶく」

「す、少しくらい……」

「ぶくぶく」

「う……ううっ……」

「お腹でっぷり」

「や、痩せます……」

「二の腕タプタプ」

「つ、次からはケーキの量を減らして……ローカロリーのケーキだけに」

「体重計、持ってきましょうか?」

「つ、謹んで遠慮します」

「ま、とにかく一度、ゆっくり話したいとは思っていたんですよ―――ロイズール殿下」

「……姿はこのままでかまいませんか?」

 綾乃は泣き顔でそう訊ねた。

「構いません―――少し、真面目な話がしたいのですが?」

「じゃ、お茶くらい用意して下さい」

「……」

 結局、悠菜は弟の大切にしていたティーセットと茶葉で紅茶を用意した。

「お茶菓子は?」

 綾乃は冷たく座った目でそう言った。

「え?」

 ピタリと、お茶をいれる悠菜の手が止まった。

「お茶菓子」

「だ、ダイエット」

「お茶菓子」

「……ど、どうぞ」

 どこから取り出したかピエール・エルメのマカロンが綾乃の前に置かれた。

「ありがとうございます♪」

 綾乃はそそくさとマカロンに手を伸ばした。

「その奥に隠しているイスパハン(ケーキ)、早く切ってくださね?」

「……」


 27センチのホールケーキを一気食いしてご満悦の綾乃に、悠菜は涙ながらに訊ねた。

「そろそろいいですか?」

「ええ?どうぞ?」

 まったりとした表情でお茶に手を伸ばす綾乃が頷いた。

「綾乃ちゃんの魂の問題、解決したのではないのですか?」

「していますよ?」

 綾乃は何でもないという顔で頷いた。

「でも!」

 だからこそ、納得出来ない。

「だったら何故、殿下が?」

「これはその後遺症です」

「わざと残させた―――の間違い、じゃなくて?」

「失礼な」

 少し乱暴にお茶に口を付けた綾乃が言った。

「魂と魂の間にいわば大きな穴が開いてしまったのです。いくら獄族といえど、魂を一から作り直さなければ、もうどうにもならないでしょう?」

「そういうものなのですか?」

「そういうものです」


「では、第二の質問―――あの獄族はどこへ?隷従させていたのでは?」

「……」

 綾乃はちょっとだけ黙った後、静かにティーカップをソーサーの上に置いた。

「その質問を待っていました」

「へ?」

「グリムが脱走しました」

「何……したんですか?イジメすぎたとか」

「何もしていません。ただ、“これ以上はおつきあいできません”と書き置きがあっただけで」

「……さすがのワガママ」

「何か?」

「いえ何でも」

「居場所は分かっています」

「じゃ、さっさと」

「この体で易々と行ける場所ではありません」

「……本体は?」

「私が人間界へ?周囲が納得してくれると思いますか?」

「ちなみに、もしも本体が動かれた場合はどのように?」

「母上直属の近衛軍が護衛に」

「クイーン・グロリア直属の軍っていうと……どれくらいでしたっけ?」

「護衛として派遣される数は……そうですね、お忍びで500万程度ですか」

「公なら?」

「軽く2億」

「えっと……魔界の総人口が推定300京、常備総兵力数が約9000兆でしたよね?」

「はい♪総動員数が1京少しです♪」

「いいです。僕、代わりに探しますから」

「言って下さると信じていました」

「言わないととんでもない目に会いそうなので」

「とんでもないなんて」

 綾乃は目を見開いて言った。

「そんな生易しいものじゃありませんよ?実際、ゲートの向こう側では完全装備の近衛第4軍が待機中です。私の権限で動かせる精一杯ですが」

 魔界の一個軍団が通常編成で約9000万の兵力だと悠菜は思い出した。

「……僕が代わりの捜索引き受けなかったら?その連中が?」

「はい。地上の草の根までも焼き尽くして探し出すでしょう」

「草の根かき分けて……じゃなくて?」

「草の根まで焼き尽くして、です」

 綾乃はにこりと微笑みながら言った。

「手加減はしません」

「……天界とどうこうという話は言うだけ無駄ですね」

「はい♪」

「……それで?」

 悠菜はどこからか一升瓶を取り出してラッパ飲みした。

「まぁ。お酒をそんな乱暴に」

「飲まなければやってられません!」

 その声は涙声だ。

「いきなり性別は入れ替わるし、話は進まないし、グリムって人からは何の誘いもないし!もう散々なんですから!」

「大変なんですねぇ……」

 しみじみとした声で綾乃は頷いた。

「でも、頑張って生きれば、きっといいこともありますよ?」

「ううっ……ヒック……ひ、人の情けが身にしみます」

「グリムの件はお任せしますね?」

 悠菜は頷いてから、思い出したように言った。

「あの?」

「なんです?」

「でも、何でグリムさんを、殿下が追いかけるんです?軍まで動員して」

「そ……それが」

 綾乃はバツが悪いという顔で手に持ったハンカチをいじりだした。

「持ち逃げされたものが」

「なんです?」

「……“呪具”です」

「“呪具”?いろいろありますが」

 言いかけて悠菜は気づいた。

「殿下、まさかそれって」

「魔界帝室の秘蔵品。この子の治癒に必要だからと言われて」

「クイーン・グロリアに無断で持ち出した……と」

 悠菜はあきれ顔で言った。

「何やってるんですか?」

「返す言葉もありません」

 綾乃は落胆のため息混じりにうなだれた。

「盗まれたのは人間の魂の管理に用いられる“世界樹の葉”です」

「……天界どころか三界の取り決めによって封印された“禁具”じゃないですか」

 悠菜の声はもう裏返っていた。

「そうです」

 綾乃は力無く頷いた。

「聞いたことはありますよね?

 かつて三界が一つの世界だった頃の世界は一本の巨大な樹でした。

 その樹はただ大きいだけではありません。

 その葉は、全ての生けとし生ける存在すべての運命を見ることが出来る力を持っていたといいます。

 つまり、世界樹に暮らす者達は、世界樹に運命までを管理されていたのです。 

 世界樹に住む者達はそんな世界で生まれ、そして死んでいきました。


 いわば“定められた運命”に従い、生きていたのです。


 長い長い、永劫ともとれる時の流れの果て―――。


 いつしか、世界樹の定めた運命に従わない者達が現れました。


 運命を我が手で切り開こうとする者達……定められた運命を否定し、自らの生き様を自らの手で示さんとする者達……我ら魔族の祖先です。


 定められ、管理された運命に背くのが悪なら我らは悪として生きよう!


 ―――悪とされることこそが善。


 だからこそ、我らは自らを魔族と名乗ったのです。


 世界樹を護り、魂の管理という旧来の使命に固執する獄族の祖先達に我ら魔族は言い放ちました。


 運命の管理は世界樹ではなく、それを管理するお前達の仕業だろう!と。


 最初はささいな口論。


 でも、口論はケンカとなり、ケンカは戦いとなりました。


 それが“黄昏の戦”の始まり。


 平和な世界は阿鼻叫喚の巷と化し、多くの者達が刃の元に命を落とした。


 もしかしたら、それさえも世界樹が定めた運命だったのかもしれませんね。


 戦いの末、世界樹は崩壊。


 世界樹の残骸から天界・魔界・獄界が生まれ、三界が協力してこの人間界に生まれた。


 世界樹の葉が用いられたのは、この時です。


 人間の魂の管理に用いられたのです。


 人間の魂は、世界樹の葉によって情報を引き出され、その葉の上で情報を書き換えることが出来るように作られました。


 人間の魂を管理する権限は三界の取り決めで世界樹の頃からの経験のある獄族が受け持っています。

 魂のメンテナンスは彼らの仕事。

 それの仕事に、世界樹の葉は用いられています。

 無論、獄族の中にも心ない者がいないとも限りません。

 故に、世界樹は獄族の帝により厳重に管理されてはいますが、かといって獄族だけが世界樹の葉を持つのではありません。

 天界に住む神族も魔界の我ら魔族も、持っています。

 ただ、その乱用を戒め、魂の管理は獄族が行うという取り決めを護るために、世界樹の葉はそれぞれの帝が厳重に管理しているのです」


「……人間の世界で言ったら、どっかの軍隊から反応弾を持ち出したのとかわりませんよ」

 悠菜はあきれ顔で言った。

「むしろそれよりタチが悪い。そんなのがあれば、人間の魂をどうにだって書き換えられる。いわば人間を絶対的レベルで操れるという代物ですからね」


「綾乃を助けるのに必要だとグリムにせがまれました」


「それをバカ正直に信じたバカなあなたは、母上のいる城から、マヌケにも世界樹の葉を盗み出してグリムに与えた。―――所が、肝心のグリムはそれを利用するフリをして、綾乃ちゃんの魂の修復こそしたものの、頃合いを見計らって逃げ出した……世界樹の葉を持って」


「いろいろ引っかかるおっしゃりようですが……おっしゃる通りです。本来なら、その責任をとって私が彼を捕縛すべきなのですが」


「……逆に捕縛されたんじゃないですか?」


「えっ?」

 綾乃は驚いた顔で悠菜を見た。


「つまり」

 悠菜は綾乃のティーカップに新しいお茶を注ぎながら言った。

「あなたは世界樹の葉を持ち出したことで母上、クイーン・グロリアにより拘束され、魂だけなんとか逃げ出して綾乃ちゃんの体に逃げ込んでいる」


「……」

 ギクッ!

 綾乃の背後でそんな効果音が文字として現れた。


「さっき、殿下はグリムが魂を細工したといいましたけど、それは違いますね。殿下ご自身が別に細工した―――いつでも気軽に人間界で遊ぶために」


「ど……どうしてそんな」


「どうして?」

 悠菜はきょとんとした後に続けた。

「どう見ても今の綾乃ちゃんは、何者かに憑依されているんです。魂がリンクしているべきなのに、そうはなっていない」

「……すべて、お見通しというわけですか」

「そうです」

 悠菜は紅茶を勧めながら綾乃に言った。

「いろいろありますんで、当面はあなたを瀬戸綾乃として扱いますが、だからこそ、逆にお願いしたいことがあります」

「何です?」

「もう、グリムの居場所は知っているんでしょう?」

「……大体の所は」

「その目的も?」

「推定の範囲でよければ」

「煮え切りませんね」

「だって!」

 綾乃は初めて反論した。

「情報収集が一段落した時点で身柄を拘束されたんです!仕方ないじゃないですか!」

「そ……それを僕に言われても」

 悠菜は弱々しく反論した。

 何しろ、相手の中身はともかく、外見は恐怖の対象としてDNAレベルで刻み込まれた瀬戸綾乃だ。

 それが激怒している様は、悠菜に内心で逃げ出したいほどの恐怖心を与えていた。

「いいえ!」

 綾乃は立ち上がると、力んだ調子で言った。

「この体はあなたの妻となるべき瀬戸綾乃のもの!」

「……なら出て行ってくださいよ」

 ポツリと突っ込んだ悠菜のセリフをこれ以上ないほどの形相で睨み付けて沈黙させた綾乃は続けた。

「その妻の本魂が困っている、これはつまり、妻が困っているのと同じです!」

「違う違う」

 手をパタパタ横に振って否定した悠菜の顎に綾乃の拳がめり込んだ。

「お・な・じ・で・す」

「……」

 アッパーカットをモロに喰らって天井に頭からめり込んだ悠菜には、否定も肯定も出来ない。

「とにかく、私がそうだといってるんですから!そうだと思っていただければいいんです!」


 ズルッ―――ベタンッ!


 悠菜の足首を掴んだ綾乃は、そう言いながら天井から悠菜を引っぺがした。


「妻の言うことは常に正しい!そう思うのが夫の役目!そういうものです!」


 天井から今度は床にたたきつけられた悠菜が顔を押さえながらぼやく。


「クイーン・グロリアのダンナさんって、よほどの恐妻家だったんですね?」


 クイーン・グロリアの夫は魔界の王。

 かなりの政治力と武力で魔界帝室の地位向上を目指す妻の右腕として活躍。帝室に数千年に渡り逆らい続けた魔界辺境部族の多くを鎮圧した辣腕家だ。

 妻抜きでも“偉大な君主”と言うべき人物なのだ。


「ち、父上のコトは関係ありません!」

 父親を侮辱されたに等しい綾乃は顔を真っ赤にして反論した。

「父は確かに婿養子ですし、母に遠慮してばかりで、“いいよ。どうせ僕なんて”が口癖の人ですけど!でも言うべきことは言います!その後すぐ恐怖のあまり失神してますけど!」

 それが恐妻家だといいたい悠菜は思った。

「弟(悠理)と仲良くなれそうな人だなぁ」

「弟?」

「あ!いえ!こっちの話で!」

 悠菜は慌ててお茶を濁した。

 自分が性別すら安定しない不安定品だと、魔族に知られることははなはだ都合が悪い。


「じゃ、今の夫は妻に従うって、帝室の家訓みたいなもの?」


「違います!あれは私の考えです!」

 綾乃はきっぱりと言い切った。

「妻は夫を支えます。その夫は、例えば1支えられた見返りに、妻を無量大数(むりょうたいすう・10の68乗 注:10の88乗の説有)の単位以上で支えねばならないのです!」

「り……」

 理不尽。そう言いかけた悠菜の言葉を遮るように綾乃はより大きな声で言った。

「理想的!そうですね!?」

 その押しの強さに負ける形で、悠菜は何度も頷いた。


 頷かなければ殺される。


 悠菜の本能がそう告げていたから。


「そうなんです♪」

 微笑む綾乃を前に、悠菜はついぼやいてしまった。



「クイーン・グロリア、稀代の名君だけど、子育てだけは失敗したって噂、あれは本当だったんだ……」




 


綾乃=ロイズールの図式でした。本来は綾乃表記はロイズールと書くべきですが、何だか違うような気がしたのでそのままです。

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