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第三十二話

水瀬悠菜の登場。

栗須明奈の暴走。

混乱の度合いを深める中、唯一の救いは瀬戸綾乃の解放だけ。

ところが、それすら救いとはほど遠いことを、関係者は思い知らされることになる。


 高級ホテルの面目躍如といわんばかりの豪華な内装が飾り立てる空間にたたずむ、クイーンサイズのベッドの上に眠る少女。


(まるで眠り姫だな)


 眠る綾乃を見たイーリスは、子供時分に聞いた昔話を思い出した。


「お姫様は王子様の口づけで目を覚まし……幸せに暮らしました。だったか?」

 もう、話のあらすじしか覚えていない。

 王子様に救われるお姫様。それが憧れ。

 いつの日か、私にも王子様が来てくれると、本気で信じていた頃の記憶。

 それをこんな時に思い出すとは、どういう皮肉だろうか。

 イーリスは口元を歪ませて自嘲した。

「王子様なんて……」

「はい?」

 何事かと自分の顔をのぞき見るのは、悠菜。いや、水瀬の顔。

 眠り姫は目の前で眠り続けているというのに、お姫様は待ち続けているというのに、肝心の王子様ときたら……。


「このヘタレ」

 ポツリとでも呟かずにはいられない。


「さっきから何ブツブツ言ってるんですか?」

 イーリスに襟首を掴まれた悠菜は、綾乃の眠る別室へ連れてこられた。

 事情も何もわかりはしない。

「いいから。言うことを聞け」

 とだけ言われても納得のしようがない。

「唐突にそう言われても」

 悠菜は困惑する顔でイーリスを見た。

「どうして、私が弟のマネをして、この子を起こさなければならないのですか?」

「それが、不肖の弟を持つ姉の義務だ」

「……いろいろ、痛い言葉ですね」

「わかったらやってもらおう」

 イーリスは真剣な眼差しで悠菜と、ベッドで眠る綾乃を見比べた。

「お前の弟がこの子の人生を、これ以上狂わせないためにも」


 この女の子―――瀬戸綾乃という名。は、弟のせいで誘拐された。しかも、記憶をいじられている可能性が高い。

 それを、弟のフリをして確認しろ。

 そう、言われた。

 理不尽だ。と、悠菜は思う。


 全ては、弟のせいだ。

 

 そんなことないはずだ。

 悠菜はそう思う。

 弟がどんなバカでも、たかが人間だ。

 私達の血を考えれば、単なる虫けら同然ではないか。

 そうではないのか?


 弟はそれを強く否定しようと“教え込まれ”、“実践”しようとしていた。

 どんなに失敗しても、どんなに苦しくて痛い思いをしても、それでも弟は粗め用途はしなかった。


 悠菜は知っている。


 弟は、人間になりたかったのだ。


 それが、悠菜には許せない。

 そのせいで、弟はあれほど情けなく、弱い存在に成り果てたのだ。

 高貴な血を引く私達が、どうして人間風情に命令され、それに従わなければならない?

 なぜ、最強の私達が、最弱の人間に成り下がらねばならない?

 ふざけている。

 それが、悠菜にはガマンできない。


「虫けらにこき使われるのがガマンできない―――そういう顔だな」

 心を読んだように、イーリスが言った。

「思い上がるなよ?貴様に出来ることは限られている―――虫けらはお前だ」

「なっ!?」

 きっ。と睨み付ける悠菜の眼光は鋭い。だが、それにイーリスは全く動じない。

「殺すか?私を」

「お望みなら」

「それで気が済んでも……お前は人一人……虫けら一人救えない。その程度の存在であることに、何もかわりはない」

「死が、怖くないんですか?」

「怖い」イーリスはきっぱりと言った。

「自分が消えてなくなることを怖がらない者など存在しない」

「私は怖くありません」見下した様な口調で悠菜は言った。

「死んだら終わり。それだけですから」

「達観しているんだな」

「当然」つんっとそっぽを向く悠菜。

「私は自らに誇りを持っていますから」

「だから、お前は虫けらだと言ったんだ」

「意味がわかりません!」

 悠菜はイーリスにくってかかった。

「……悪意は感じますけど」

「虫けらが、死を恐れると思うか?」

「はい?」

 悠菜は、その唐突な質問に面食らった顔をした。

「光に引き寄せられる蛾、死肉に群がる蝿……そこにどんな危険があっても、彼らが死を恐れると思うか?」

「……虫けらにそんな感情があると本気で思っているんですか?」

「だが、人間はそれが出来る。死を恐れる……人間が虫けらではない証拠だ」

「人間も所詮虫けらと同格……より広い、究極的な視点に立てばそうなります」

 悠菜の声は、どことなくつまり気味だ。

「神の視点に立てば?ならお前だってそうなる」

「違う!」

 悠菜は怒鳴った。

「私の体に流れる血は!」

「ああ。何の取り柄もないヤツは、大抵そういう。ロクな実力も、まして実績なんてカスほどもないヤツは特に、だ」

 イーリスは挑発するような態度でその抗議を聞き流した。

「自分に何も出来ないから、せめてとばかり血を誇る……花の品評会にジャガイモを出展するようなものだ。血に聞け。羞恥心はないのかと」

「―――っ!」

 反論できず、唇をかみしめる悠菜に、イーリスは冷たく言い放つ。

「弟の代わりも出来ない程度のゴミが偉そうにほざくな」

「ち、違っ!」

「なら、証明して見せろ。貴様がいう弟―――水瀬悠理より自分の方が、あらゆる面で格上、当然、弟の代役なんて完全にこなしてみせると」

「や、やりますっ!」

 顔を真っ赤にした悠菜は力んで言った。

「こ、この私をバカにした落とし前、絶対に!」

「ああ……それは楽しみだ」

 イーリスは言った。

「ほら。お姫様のお目覚めだ」




 ああ。これは夢だ。

 綾乃はなんとなくそれがわかった。

 心地よい小鳥の鳴き声と、レースのカーテン越しの穏やかな朝の光が綾乃を起こしてくれる。

 目覚めたのは自分の部屋。

 使い慣れたベッドに机。

 心地よいまでに見慣れた空間。

 お気に入りの猫柄のパジャマに身を包む綾乃は、大きく伸びをした。

 今日も一日、いいことがありそうだと。綾乃はそう思った。


 気が付くと、景色が一変していた。

 制服姿で歩いていく先は―――

 そう。

 学校だ。

 

 カバンの中には手作りのお弁当。

 いつも“美味しい”と食べてくれる彼のためのとっておきだ。


 ……え?


 綾乃は立ち止まった。


 彼って……誰?


 教室に景色は移る。


「おはよう」

 そう、声をかけてくれるのは桜井美奈子。クラスメート。

 大切なお友達。

「おはようございます」

 笑顔で返しつつ、綾乃は何度も教室を見回す。

 クラスの全員がいるはずなのに、誰かがいない。

「あの……美奈子ちゃん?」

「何?」

「このクラスって、何人でしたっけ?」

「40人よ?男女あわせて」

「……」

 見知った顔ばかり。

 それなのに、誰かがいない。

 カバンをあけ、お弁当を確認してみる。

 確かに二人分。

 違うクラスだったか?

 違う。

 他のクラスで知っているのは、芸能人の子ばかり。

 彼は、芸能人じゃない。

「あれぇ?」

 背後から声をかけてきたのは、信楽未亜。

「にゃあ?綾乃ちゃん。そのお弁当は誰のため?」

 イタズラっぽい、まるでチェシャねこを連想させる顔に、綾乃は戸惑いながら答えようとした。

「え?あの―――君の」


 え?

 誰?

 何君?

 私、今、誰の名前を言ったの?


「へーっ?」

 ちらりと美奈子を見る未亜が、イタズラっぽく言った。

「美奈子ちゃんも、お弁当くらいは」

 目の前で美奈子と未亜がじゃれ合うのを見ながら、綾乃は呆然としていた。


 私は―――。

 私は、

 私。




「綾乃ちゃん!」

 強く揺すられた綾乃は目を覚ました。

 見慣れない天井。

 自分をのぞき込んでいる顔がある。


「……あ、あれ?」

 綾乃は周囲を見回してみた。

 自分はベッドの上に寝かされていて、室内の様子から、どうやらホテルの一室らしいことはわかる。

「気がついた?」

「……は、はい」

 綾乃は、きょとんとした顔で弟にバケた悠菜を見つめる。

「あの……」

「あのね?えっと……いろいろあったけど、とにかくもう大丈夫だから!」

 悠菜はそう言って笑うが、綾乃は笑みすら浮かべない。

 ただ、じっ。と、悠菜の顔を見るだけだ。


「……う゛っ」

 悠菜は内心で焦った。

 まるで心の中を見透かすかの如き視線を外すことが出来ない。

 先に視線を外したら負けだ。と、悠菜が自分に言い聞かせているわけではない。

 ただ、綾乃の視線を、体がそう受け取っているのだ。


「こら」

 コツンッ。

 イーリスが後頭部を突いてくれなかったら、悠菜はいつまでもそうしていたろう。

「さっきまでの威勢はどうした」

「か……体が」

「ああ。なんだかんだ言っても、DNAレベルに刻み込まれたこの子への服従心は抜けなかったと見えるな」

「こ……殺してもいいですか?」

「やれるか?」

「……無理です」

 指一本動かない状態が、本当に綾乃によるものか、眠っている弟からの妨害なのか、はたまたイーリスのいう通り、DNAレベルの恐怖なのか、とにかく、水瀬は負けを認めざるを得なかった。


「イーリスさん」

 見知らぬ環境で知人に出会えたことがよほど嬉しかったのか、明るい声で綾乃はイーリスの名を呼んだ。

「おはよう……というには、夜遅いか」

「あの……私」

「ああ。ちょっとした事件があってな。気にする必要はない程度のことだ」

「また……何か巻き込まれました?私」

「物好きは多いからな―――所で」

 イーリスは、一呼吸置いてから言った。

「こいつだが」

 イーリスは水瀬の後頭部を小突きながら言った。

「知り合いか?」

「えっ……?」


 じっ。と悠菜の顔を見つめる綾乃は、口を開いた。


 水瀬悠菜。

 名はそうなっている。

 だが、外見は水瀬悠理と全く同じ。

 瀬戸綾乃にとって、寸分違わぬ、最愛の存在のはず。


 それなのに―――


「あの、イーリスさん?」

「ん?」

 先程の水瀬ではないが、次のアクションがなければ、自分までもが凍り付いていたことだろう。

 

 瀬戸綾乃のことは、あの「倉橋事件」に関わった者として知っている。

 あの事件で、魂を失いかけていることも、実感こそわかないものの、朧気ながらに受け入れていた。

 水瀬悠理が彼女を助けようと、事件以来動いていたのも知っている。

 全てが空振りに終わったことも含めて……。

 

 その彼にもたらされた一筋の光明。

 それが、あの獄族。

 水瀬悠理は代償と引き替えに、瀬戸綾乃を救った。

 それはわかる。

 わかるが……。


 瀬戸綾乃にこう聞いてみればいい。


 最愛の人は誰ですか?


 きっと、彼女ははにかみながら一人の男の子の名を口にするだろう。


 それが、目の前の少年(今は少女だが、どうでもいい)。


 互いに愛し合っていたことはイーリスも認める。


 いずれ式で祝福してやろうと、内心で思っていた。


 その二人の関係が……今は違う。



瀬戸綾乃は、不思議そうな顔でイーリスに訊ねた。


「イーリスさん。あの……」


「ん?」


 水瀬君でもいい。悠理君でもいい。

 何でもいい。

 この子の名前を。

 最愛の存在の名前を。

 その口から聞かせて欲しい。

 無意識にロザリオを握りしめ、イーリスは内心で祈りながら、次の言葉を待った。


 希望。

 それは危く儚い。

 イーリスは改めてそれを痛感させられた。


 綾乃はいった。


「……この子、誰でしたっけ」

 


 代償が支払われた。


 瀬戸綾乃は、水瀬悠理の名を、その記憶から失っていた。





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