第三十一話
「事情は聞いたけど」
ルシフェルが、これ以上ない。という程げんなりとした顔で言った。
「予想外の“転化”が起きた。そういうことだね?―――水瀬君」
「ムッ……悠菜ですっ!」
少女がルシフェルにムキになって怒鳴る。
「友達の顔も忘れたんですか!?」
「ああ。そうだったな」
由忠は優しく頭を撫でるだけ。
「お前は水瀬悠菜……女の子だ」
「そうです!」
背景でエッヘンッ!という言葉が浮かぶ中、少女こと、水瀬悠菜はその平べったい胸を反らせた。
「あのぉ……」
それを少しだけ離れた所で見ていたイーリスが、遥香に訊ねた。
「本当に、性別の転化なんてあり得るんですか?」
イーリスは、それが信じられない。
生まれてきた生命体の性別が定期的に変わる。
そう説明されて、納得のいく者などいるはずがない。
対する遥香はそっと自分の子供を指さした。
(実例が存在するじゃありませんか)
その指は、そう語っていた。
「……」
イーリスは、反論する気にもならず、ため息と一緒に肩を落とす。
「イーリスさん」
遥香は言った。
「先程の説明、小さい頃の魔法実験の後遺症―――それでは納得いきません?」
「それはそれで、かなり無理矢理だと」
「そうですか」
今度は遥香が落胆する番だ。
「―――せっかく、いい言い訳を思いついたと思っていましたのに」
「ほらぁ!」
イーリスはたまらず言った。
「言い訳なんですよね?でなければ、性別どころか人格まで変わるなんてこと!」
「それでも、あの子は存在しています」
由忠に甘える娘(?)の姿をほほえましく思いつつ、遥香は微笑む。
「それだけが大切なのです」
遥香の近衛での立場を思い出し、イーリスは固い顔のまま頷き、
「―――わかりました。早急に、そういえるよう、認識を改めます」
そうとだけ言った。
「はい♪」
「御父様?」
いつの間にか、由忠の膝の上に乗った悠菜が猫なで声で言った。
「あのね?」
「ん?何か欲しいものでもあるのか?」
対する由忠は負け時と猫なで声だ。
「お父さんは、お前の欲しいものなら、何だって買ってやるぞ?」
“危ねぇなぁ”
周囲のそんな視線に気づかないのか、親子の危険な団らんは続く。
「悠理ったらね?」
「ん?あのバカがどうした?」
「転化が始まるっていうのに、何の準備もしてくれなかったのよ?」
「むぅ。それはいかん」
由忠は、目元だけ緩めたしかめっ面で言った。
「後でたっぷり地獄を味わわせないとな」
「そう!」
悠菜は「我が意を得たり」といわんばかりのしたり顔で頷いた。
「私のお洋服だって用意してくれてないし!」
「ふむ……それは大事だ」
娘の服装は、男物な上にあちこちが汚れている。
特に、袖は先程生首を掴んだせいでドス黒く染まっていて汚らしい。
娘の服が血で汚れていたら、ちょっとはそっちで驚けとは思うが、
町中を歩くチンピラを“試し切り用骨付き肉”といってはばからない由忠は、この範疇にはいなかった。
「いかん。明日になったらすぐに服を買いに行こう」
由忠にとって、問題は娘の服の汚れでしかないのだ。
「はぁい!」
嬉しそうに抱きつく娘を抱き返す由忠の目は緩みきっている。
「はいはい。そこまで」
そう言って突っ込んだのは遥香だ。
「それで?どうするんですか?」
「何が」
「樟葉ちゃん達に、悠君の所在について、どうやって説明するか。そう聞いたのです」
「そんなもの放っておけ」
由忠はそっぽを向きながら言った。
「カワイイ娘はここにいる。あのバカ息子なんざ知らん」
「あなた!」
遥香は悠菜を夫から奪い取り、怒鳴った。
「悠菜で遊ぶのは母親の特権です!」
「娘に甘えられるのは父親の醍醐味だ!」
「エリス達がいるでしょう!?」
「それはお互い様だ!」
「あのぉ……」
険悪になっていく夫婦の間に入ったのは、もう一人の二人の娘、ルシフェルだ。
「どちらにしても、悠菜ちゃんのことはともかく、水瀬君を確保したことだけは、司令部に報告しないと、そのうち、大変なことに」
「?」
コンコン
「失礼いたします」
一礼の後、室内に入ってきたのは栗須だ。
「綾乃様のお召し替えが終わりました」
「ご苦労―――栗須中佐」
「はい?」
「綾乃ちゃんの容態は?」
「よくお眠りです」
「そうか……」
「それでは私はこれにて」
一礼の後、部屋を出ようとする栗須を呼び止めたのは、悠菜だ。
「えっと……栗須さんでしたっけ?」
「はい?」
「ここを出て、何をしようというのですか?」
「―――あの男、グリム・リーパーの首級をあげます」
「なら、ここにいて、私達と行動を共にしたほうがいいですよ?」
悠菜はそう言ってニコリと笑った。
「一番早いのは、私の側にいることです」
「……何故です?」
「第一に、あのグリムという男、あなたは眼中に入っていません」
「私は敵とすら見られていない―――そうおっしゃるのですか?」
栗須の厳しい眼光すらどうとも思わないのか、悠菜は平然と答えた。
「その通りです」
「侮辱です!」
「―――でも、それが事実です」
悠菜は平静さを崩さない。
「狙いはもっと別な場所。そして戦いの場は、向こうがお膳立てしてくれますよ」
目の前の少女の真意がわからず、栗須は次の言葉を待った。
「そういう約束なのです」
「敵との約束事?それを信じろと?」
「義理堅い性格なんですよ。彼」
悠菜は言う。
「瀬戸綾乃の魂を保全するため、高貴な血―――純潔の皇女の血をわざわざ手にするため、危険を顧みず、敵地に侵入するほど」
「っ!!」
主君が襲われた理由。
それが、先程まで身の回りの世話をしていた娘のせいだと知った栗須は、背後のドアを睨み付けると、そのまま駆け出そうとした。
「まだ話は終わっていません」
ガンッ!
何故かドアが開かない。
「行かせてください!」
ドアのノブを握りしめながら、栗須は怒鳴った。
「あの子のせいで、殿下の玉体に傷が!」
「えっと、そういう言い方、別な意味に聞こえるんですけど……」
何故か、悠菜は赤面しながら、由忠の顔をうかがうように言った。
「私……おませさん?」
「ふふっ……可愛いぞ。悠菜」
「御父様ったら」
「とにかく!」
栗須はモップを抜きはなった。
「敵にきっかけを作っただけでも万死に値します!」
「もし、それを瀬戸綾乃の脳天に振り下ろしたら、別ルートで皇室は断絶する程度じゃすまないですよ?」
悠菜の声は冷たい。
「なっ!?」
「世の中、そういう風に出来ているんです―――考えてみてください。栗須さん」
悠菜は言った。
「獄族がたかが人間の子一匹助けるために危険を冒す?そんな天地がひっくり返ってもあり得ないことがどうして起きているか?それを考えれば済むことです」
「ひ、人をダニって―――!」
栗須は信じられないモノを見るような目で悠菜を見た。
「獄族にとって、人の命なんてその程度の価値しかありません」
悠菜はニベもない。
「奥は深いんですよ?この件」
「……」
「……」
睨み合いに近い状態で時間だけが過ぎる。
「……わかりました」
そう言ってモップを下げたのは栗須だ。
「ですが」
「条件があれば何なりと」
「聞いてくれます?」
「聞くだけなら」
「……敵の首級は、私にあげさせてください」
「あぁ。そんなことですか」
悠菜は笑って言った。
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