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第三十話

 事態の急変は、その夜起きた。


 水瀬悠理が連絡を絶った。


 近衛関係者は、城外に出る際は定時連絡を入れる義務がある。

 水瀬悠理は連絡を忘れる常習犯だったのも災いした。

 司令部は、「いつものことだ」と無視を決め込んでいたが、春菜殿下遭難の報を受け、近衛幹部が緊急招集されたというのに、何故か水瀬悠理が登城してこない。

 そこで行われた司令部からの呼び出しにも応じない。

 確認したら、常時携帯が義務づけられているGPS発信器の反応も消滅していた。


 春菜殿下に続き、水瀬悠理までが敵に襲われたか?


 司令部は、反応消失から24時間後、ついに水瀬捜索を関係者に命じた。

 

 近衛司令部から第一報を受けたのは、父、水瀬由忠だ。

 「あんなバカ息子放っておけ」と任務を拒絶した所、妻である遥香にぶっとばされてやむを得ず、妻を同伴で出動。

 続いてルシフェル達が動いた。


「水瀬君が消息を?」

 この際、遥香を除けば、唯一青くなった、つまり、水瀬の安否を心配したのは、ルシフェルただ一人だった。

「そうです」

 電話の相手は、緊急事態を告げる水瀬専属CPO(戦術担当士官)鈴宮遥すずみや・はるかだ。

「近衛司令部は、悠理君が消息を絶った場所を中心に捜索するように指示を」

「……水瀬君が、やられたと?」

「それは……不明で、す」

 鈴宮の声は、緊張のせいか、震えているように聞こえる。

「とにかく、悠理君の安否の確認を最優先に行動してください」

「了解」



「全く」

 ベンツ(ちなみにB)のドアを乱暴に閉めながら、毒づくのはイーリスだ。

「春菜殿下が襲われたというのに!あのバカは!」

「やむを得ません」

 ルシフェルは助手席のシートベルトを締めながら言った。

「とにかく、水瀬君が消息を絶ったのは―――ここです」

GPSナビのモニター上でルシフェルが指さしたのは、

「病院?」

「はい……ここです」

「脳外科か」

「精神科……だと思います」

「待て……まさかと思うが」

「はい?」

「あのバカ、病院では携帯をお切り下さいとか言われて、律儀に発信器の電源まで切ったとかいわないだろうな」

「あれは、電源切れませんから」

「あ……聞いたぞ?非常呼集の時、どこぞのラブホテルから出動してきたって」

「い、イーリスさんっ!」

「フフン?相手は秋篠宮家の三男坊だそうだな」

「……」

 勝ち誇ったようにすら見えるイーリスの言葉に、ルシフェルは赤面して俯いてしまった。

「あれで関係が近衛女性陣にバレたり、樟葉殿に小言を喰らったのは、気の毒な気はするが」

 イーリスは車を発進させながら、思いついたように言った。

「ところでルシフェル」

「はい?」

「呼集のアラームにびっくりして、思わず中で爆発されたとか?」

「……次に来るまで怯えてたんですから」

 泣きそうな声でポツリとそう言ったのを、イーリスは聞き逃さなかった。

「そうか」

 あまりにあっさりした言い方に、怒られるかと思っていたルシフェルは驚いてイーリスの平然とした顔を見た。

「あの……」

「ん?」

「何か、言われるかと思ったんですけど」

「それは年上としてか?シスターとしてか?」

「ど、どちらでも」

「年上としてなら……ドジ。シスターとしてなら、これだ」

 イーリスがグローブボックスから取り出してルシフェルの膝の上に置いたのは、一冊のパンフレット。

「その8ページ目」

「?」

 ペラッ。

 そこにはこう書かれていた。


『当教会における赤ちゃんの洗礼式について』


 呆然とするルシフェルに、イーリスは言った。

「同僚のよしみだ。費用は半額でいいぞ?」



「ええい!あのバカは何をしておるか!」

「仕方ないじゃありませんか」

 同じ道を走る車―――こちらはAMGのS―――の車内。

 運転席で不機嫌さを隠さないのは由忠だ。

 頭に巻かれた包帯は、先程遥香にノされた時の名残だ。

「悠君だって、やられる時はやられるんです」

 そう言うのは、助手席に座る妻、遥香だ。

「やられた―――本当にそう思っているのか?」

「クスッ……ご自身より強い息子がやられたというのが、面白くないのですか?」

「俺は父親として!」

「はいはい」

 まるでだだをこねる子供をあしらうように遥香は言った。

「息子の不甲斐なさに腹を立てている……そう、おっしゃりたいのでしょう?」

「わかっているなら一々言うな!」

「本当……いくつになっても変わりませんね……そういう所」

 妻に手玉にとられているのがイヤでもわかる由忠は、面白くない。

「……褒めているのか?」

「いえ?」

やんわりと微笑む遥香の横顔を見ながら、由忠は妻に言った。

「遥香」

「はい?」

「今回の件、天界はどう動く?」

「そりゃぁ……静観ですわ?」

「何もしてくれない?」

「悠君を動かしているのが精一杯ですわ」

「全く、あいつと来た日にゃ」

 由忠は苦い顔をさらに苦くして言った。

「あの戦争でも途中までロクすっぽ役に立ちはしなかった上に、今回まで―――あいつはどこまで水瀬家の家名に泥を塗れば気が済むんだ!?」

「いいじゃありませんか」

 怒り狂う父親に、母親はやんわりと言う。

「功績は順調に立てています。それに、あなたのように女性問題を」

「起こしている!」

「―――はい?」

 遥香は、きょとんとした顔で夫の横顔を見た。

「あの……あなた?どういうことです?」

「祷子の件、忘れたわけではあるまいが!」

「そりゃそうですよ?でも、そのおかげで、人間の跡取りが出来たわけで」

「……いいか遥香」

「はい?」

「あいつは……日菜子殿下に手を出した」

「はぁっ!?」

「皇室の上層部は皆知っていることだ。知らぬは当人達ばかりらしいが」

「ま、まさか、悠君……」

「あんな性別すら安定しない変人が、次期女帝に手を出したなんて認められるか?」

「……小さいとき、憧れはお姫様なんて言ってましたけど」

「なるだけでも問題なのに……祷子といい、殿下といい―――!!」

「“あの子”の件は関係ありません」

「ハァッ……時々、お前のその割り切りの良さがうらやましい」

「どうも♪」

「―――チッ!」

 由忠が、前を走る車がイーリスのそれだと気づいたのは、妻に毒づいた後だった。



「ううっ……」

 ここがどこだかわからない。


 “弟”の記憶からすれば、多分、葉月という街の中らしいんだけど―――。


 そう思う少女は、焦る気持ちを抑えながらあたりを見回した。

 “困った”

 それが、少女の正直な気持ち。

 

 少女の最後に覚えているのは、1年ほど前の戦場。

 そのテントの中。


 それが、次に目を覚ましてみたら、冷たいコンクリートの合間だ。


 “転化”が起きたんだろうことはわかるんだけど―――。


 少女は、“弟”に文句が言いたかった。


 “転化”が起きるなら、前もって準備しておいてくれればいいのに。

 例えば、ふかふかのベッドとか、カワイイお洋服とか……。


 そう、文句が言いたかった。


 弟の記憶と自分の記憶のリンクが始まる。

 頭の中をかき回されるような気持ち悪さに、少女はその場に蹲ってしまう。


 どれだけの時が経ったかわからない。

 時計は10時近くだけど、それが何年何月何日の10時なのかわからない。

 どこかに“弟”が住んでいる家があるはずだけど、それさえわからない。


 ……だめだ。

 少女は痛む頭で星のない空を仰ぎ見た。

 何もわかんない。

 記憶のリンクが終わるまで、どうしようもない。

 待つしか、ない。


 くうーっ。

 お腹が空いたな……。


 少女は、食べ物を探して荷物を探すと、お尻のポケットから財布が出てきた。


 千円札が数枚入っている。


 何とか、ご飯が食べられる。と、少女は財布を戻しながら思った。


 その安堵感が、自分の状況を把握するだけの精神的余裕を与えてくる。

 人気のないビルとビルの、人が通るだけでやっとの狭い隙間。

 それが自分の居場所だと、その時気づいた。

 “弟”は、“転化”が始まることに気づき、人気のないビルの合間に隠れたのだ。

 だけど、いつまでもここにいることは出来ない。

 

 そっ。


 少女は、ビルの合間から出ると、目に入った店に向けて歩き出そうとして―――。


 グイッ!


 背後から回った手。

 回した方は、それで少女を取り押さえられると思ったろう。

 だが―――


 少女の体は、すでに数十メートル向こうへ飛す退っていた。


「!?」


 少女の目に映るのは、いかにもその筋の殿方の面々。


「何のご用ですか?」

 少女の凛とした問いかけに、明らかに狼狽したらしい男達の中の一人が言った。


「お嬢ちゃん。一緒に来てくれねぇか?」

「いやです」

「……一言で突っぱねやがったな」

「だっ、だって……」

 少女はそれでも申し訳ないという顔で言った。

「怖いおじ様方とご一緒なんて……」

「ふっ……怖がらなくてもいいんだぜ?あるお方がお前さんをお探しだ」

 180センチ以上の身長にゴツい体格に高級そうなスーツ、さらに五分刈りにサングラスという、いかにもな格好の男が、この男なりに優しい声で言った。

「あるお方?」

 子供が聞いたら泣くだろうなぁと思いながら、少女は訊ねる。

「ああ。この辺に、こんな服装の女の子がいるはずだから、問答無用で連れてこいってな」

「……」

 うーん。

 そんな顔で考え込む少女が、ようやく口を開いたのは、男達に完全に包囲されてからだ。

「ああ。成る程」

 “弟”の記憶から、それらしい人物にようやく思い当たった少女は、感心したように言った。

「義理堅いお方」

「わかったかい?」

「“弟”が事件に巻き込まれていたのですね?」

「は?」

「その関係者の方?弟がいつもお世話になっております」

「はぁ……どうも」

「でも、私は関係ないですから」

 くるっ。

 踵を返す少女の足は、宙に浮いていた。

「まぁ待ちなって」

 先程の男に襟首を掴まれ、宙に浮かされていたのだ。

「終わったら―――俺達が相手してやるからよ」




 ちゅどぉぉぉぉぉん!!


「なっ!?」

 市内の空気を揺らさんばかりの爆発音に、イーリスは思わず急ブレーキを踏んづけた瞬間、交差点を爆風と一緒にベンツが飛んでいった。

「きゃっ!?」

 急ブレーキの衝撃で、助手席のルシフェルの体にシートベルトが食い込む。

「な、何ですか!?」

「わからん!」

 シートベルトを外し、イーリスは車から降りた。

「イーリス!」

 背後からの声に振り返ると、由忠がいた。

「閣下!」

「バカ息子を捜していた―――見つけたぞ」

「あ、あれ!水瀬ですか!?」

「ああ」

 由忠は言った。

「こんな所であんな爆発騒ぎ引き起こすバカはあいつだけだ。ルシフェル、遥香!」

「はいっ!」

「はい?」

「先に行け!あいつは間違いなく逃げる!」

「逃げるって……どこへ?」

「知るか!とにかく、あいつのことだ。右へ右へ逃げるはずだ!上空から確認しろ」

「わかりました。ルシフェちゃん?行きますよ?」

「はいっ!」

 遥香とルシフェルが空を飛んだ。

「イーリス」

「はい?」

「車をどこかに動かす」

「とはいえ」

交差点のど真ん中には炎上するベンツの残骸がある。

「どうするんです?」

「Uターンしてホテルの駐車場に止める。往来を止めるわけにもいくまい」

「はい」

 車で来たことを後悔しつつ、イーリスは自分の車のドアを開けた。




 某ホテルの一室。


「わざわざのご訪問、痛み入ります」

 ドアに向かって丁重に腰を折るのは背広姿の男―――グリムだ。

「こちらこそ、丁重なご挨拶、痛み入ります」

 そう言って頭を下げたのは、先程の少女なのだが―――

「ははっ……そのようなゴミをお持ちになってのご訪問とは」

「これは失礼いたしました」

 少女は手に掴むモノを一瞥した。

 それは、人間の焼けこげた頭部。

 顔だけ見ると、先程の五分刈り男だとわかる。

 一部が炭化していたソレを、少女は軽く持ち上げた。

「これの脳みそから、ここまでの情報を引き出しておりましたので」

 バンッ!

 フラッシュをまとめて焚いたような閃光が瞬いたか思った次の瞬間、死体は、少女の手から消え去っていた。

「お見苦しいモノを」

「ふふっ……何」

 グリムは席を指し示しながら言った。

「あのテの人間はいくらでも組織出来ますから」

「あら?人間ダニを飼い慣らしておいでなの?」

 少女は、勧められるままに席に着いた。

「ははっ……悠理君でしたっけ?彼に比べても残酷さが増しているご様子」

「“アレ”と一緒にしないで下さい!!」

 少女は顔を真っ赤にして怒鳴った。

「私はアレほどいい加減ではありませんっ!“アレ”のおかげで私がどんなに辛い思いをしているかわかっているんですか!」

「しかし」

 グリムは冷たい目で、少女の左手を見た。

「先程、その愛らしい手で何を掴んでました?かの少年なら、そこまではやらなかったでしょう」

「そ……それは」

 少女は言葉を詰まらせた。

 “痛いところを突かれた”と顔に書いてある。

「ち……ちょっとした間違いです」

「間違い?」

 グリムは呆れた。という顔だ。

「どこをどうすれば、人が首だけになるというのです?」

「で、ですから」

 手をモジモジさせる少女の愛らしい姿を好ましく思いつつも、グリムはどこかで警戒を解けずにいた。

「“弟”に比べて、“私”は力のセーブが苦手なのです」

「力加減がわからず、どうあってもああなってしまう。そういうのですか?」

「そ、その通りです……」

 そう答える顔はもう泣きそうだ。

「ちょっと驚かせるつもりで魔法攻撃をかけてみたら、相手がバラバラになってしまった?」

「相手が脆すぎるんですよぉ……」

「あなたが非道すぎるの間違いでは?」

「ううっ……私、逮捕されちゃいます?」

「さぁ?私は人間の官憲ではないので」

「えっえっ……」

「ああ。泣かないでくださいな」

 席を立ったグリムはハンカチで少女の涙を拭いながら言った。

「だって……だって……」

「はいはい。お鼻を拭いて―――はい。ちーん」

「ちーん」

「良くできました……本来なら、あの子に来て欲しかったのですが」

「大丈夫です」

 少女は言った。

「記憶のリンクは完了していますから」

「言われる方は不安なのですが……まぁ、いいでしょう」

 グリムは席に戻った。

「わざわざ来ていただいたのは、このためです」

 パチッ

 グリムが指を鳴らす。

 すると、どこからか黒いマントを纏う性別のわからぬ者が音もなく現れた。

「……どうしたのです?」

 一生懸命、指をこする少女の姿を見たグリムが首を傾げた。

「いえ」

 そう言いながらも、少女は指をこするのを止めない。

「どうやったら、さっきみたいな音が出るんだろうって」

「ははっ……そういう問題は後にしましょう。問題は、この子のことです」

「?」

 よく見ると、黒いマントの男は、何かを抱きかかえている。

 人間の少女だ。

 よく眠っているらしく、ぴくりとも動かない。

「えっと……?」

 相手が誰かわからない様子で少女は小首を傾げた。

「わかりません?水瀬悠理にとっては大切な存在なのですが」

「瀬戸綾乃……ですね」

 それでようやくわかったのは、グリムの目にも明らかだ。

 グリムの口から失望のため息がこぼれた。

「……やはり、あの子に来て欲しかったですね」

「どうしてです?」

 少しだけ、むっとした顔の少女が咎めるように口を尖らせた。

「私だって」

「いえ―――もっと驚いてくれるかなって」

「“記憶”は引き継いでいます」

 少女は席を立ち、眠る綾乃の元に近づく。

 ポウッ。

 不意に少女の手が輝きを帯び、綾乃の額に伸ばされた。

「……生命反応に異常はなし……霊魂も安定……さすがですね」

「お褒めにあずかり恐縮です」

「ただ―――」

 少女はグリムに振り返っていった。

「どうやって落とし前をつけるのです?」

「落とし前?」

「“弟”はあなたの命を狙っています。そりゃあもう、ギッタンギッタンにしてやるって」

「ははっ……私、そんなに恨み買ってました?」

 グリムの背中を冷たい汗が流れた。


「ええ。それはもう」

 少女はニコリと微笑みながら答えた。

「ほら。日菜子って女の子を殺したでしょう?アレでもう理性の糸が切れてるんですよ。ですから、お聞かせできないくらいの勢いで」

「ははっ……」

 青くなったグリムは言った。

「よく、取りなしておいて下さると、大変有難いのですが」

「ふふっ」

 少女は笑っていった。

「無理です」

「ははっ……」

「百回殺した程度では済まないでしょうね。―――もっとも、あの人を巻き込んでないからまだ手は緩めるでしょうけど」

「あの人?……ああ、あの教師ですか?」

「あの女神様は―――指一本触れることすら許しません」

 その眼光に気圧されたように、グリムは何度も頷いて言った。

「はっはい!絶対に!」

「よろしい」

 ぺろり。とイタズラっぽく舌を出す。

「それで、綾乃さんの件ですが」

「魂の安定化には成功しました」

 グリムは、どこか震える声で言った。

「これで当面は安全です。ティアナ様からもお墨付きを」

「よろしい。ご苦労様でした」

「あの子との約束の件は、別な方法を考えますよ?」

「やむを得ません」

 綾乃を受け取りつつ、少女は言った。

「お手柔らかに」

 グリムがそれを受けて口を開こうとした次の瞬間―――。


 ドンッ!


「!?」

「!」


 部屋の壁が吹き飛び、何かが飛び込んできた。

 とっさに展開された二人の魔法防御ですら無視して二人めがけて何かを振り下ろす。

 左右に分かれたと思ったが、


 バンッ!


 今度はドアが吹き飛ばされ、室内に煙が充満する。

 催涙ガスだ。


「なっ!?」

「これ、誰が弁償するんです!?」

 グリムはヘンな意味で悲鳴をあげた。

「わ、私ですか!?」

「動くなバカ息子!」

 綾乃を抱きかかえる少女の首筋に、冷たい刃が左右から突きつけられる。

 その声に、イヤでも聞き覚えがある少女は、思わず動きを止めた。

「へっ?」

「水瀬君っ!?」

「る……ルシフェル……さん?」

 煙の中で見た左右。

 そこに立つのは、父由忠と姉ルシフェルだ。


 煙ではっきりとした姿は見えないが、グリムは二人を相手に戦闘中。

 一人は動きでイーリスとわかるが……。

 もう一人がわからない。


「このバカ者がっ!」

 ガンッ!

 よく見ようと、目を凝らした少女の後頭部に拳が振り下ろされ、たまらず少女は悲鳴を上げた。

「痛いっ!」

「この―――」

「待ってください!」

 もう一撃を喰らわせようとした由忠の手を止めたのは、ルシフェルだ。

「……あなた……まさか」

 驚いた。という顔でマジマジと少女の顔を見つめたルシフェルが、信じられない。という顔で訊ねた。

「あなた……水瀬君じゃ……ないね?」

 コクンッ。

 涙目で少女は頷いた。


「くっ!逃げられたっ!」

 その叫びが、少女の口を開くのを一瞬、遅らせた。

「く……栗須殿?」

 イーリスが、その声に動きを止めた。

 煙の向こうから現れたのはまごうことなきメイド服。

 手にはモップ。

 殺気立ってはいるが、間違いない。

「……ご無沙汰です。イーリス様」

 それは……栗須明奈だった。

「ど……どうして」

「春菜殿下が襲われました」

「それで……仇を打つと?」

「……はい」

 栗須はモップをしまいつつ、言った。

「殿下の玉体に傷を負わせた罪は万死に値します。その大罪は、敵の血によってのみ贖われますから」


「見ろっ!」

 由忠が少女の胸ぐらを掴んで怒鳴った。

「メイドですらあの覚悟だ!俺がイーリスをこのホテルに連れ込まなかったらどうなっていたかわかっているのか、貴様は!」

「論点が違いますっ!」

 止めたのはルシフェルだ。

 ルシフェルは叫ぶ。

「自慢できないことです!っていうか、あなた、水瀬悠理君じゃないでしょう!?」

「はっ……はい」

「何?」

 由忠はマジマジと頷いた少女の顔を見つめた。

 まごうことなき息子の顔。

 だが、その雰囲気は間違いなく……別人だ。

 その別人に、由忠は心当たりがあった。

「貴様……まさか」

 胸ぐらを掴む手の力が緩む。

「お久しぶりです。御父様」

 間違いない。

「……あっ……ああ」

 しまった。という顔の由忠はバツが悪そうに視線をそらせた。

そして、

悲しそうな目で、少女は名乗った。

「私……水瀬悠菜みなせ・ゆうなです」





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