第二十三話
「答えて」
暗い部屋の中に水瀬の声が小さく響く。
「こんな所にこの子がいるワケは?」
霊安室の隣の部屋。
そこに入り込んだ水瀬の視線の先。
そこには、先程水瀬をエレベーターに乗せた看護婦がいた。
力無く床にへたり込むその目の焦点は合っていない。
「それは……」
患者の秘密を守る。
その職業倫理観がまだ生きているのか、言いよどむ看護婦に、
「君は僕の何?」
水瀬の言葉が飛ぶ。
「奴隷……です。ご主人様」
恍惚の表情を浮かべた看護婦が頬を赤らめて言った。
「そうだね?」
水瀬は満足そうに、看護婦の形のいい顎を掴んで自分へと向けさせた。
「そのご主人様からのご質問だよ?」
残虐さすら感じる冷たい笑みを浮かべる水瀬の言葉に、
「……はい」
看護婦は、どこか壊れたような、抑揚のない声で答えた。
「この子は―――」
バタン。
「成る程ねぇ」
ドアを閉めた水瀬は、感心した。という声で呟いた。
地下室。
しかも霊安室の隣。
普通なら倉庫にでも使うだろう部屋。
そこに流動食を運ぶ看護婦。
それをおかしいと思わなければ、いくら何でもどうかしている。
水瀬が疑問に思ったのも、ただそれだけのこと。
手がかりになればよし。
なければ忘れる。
その程度の気持ちで、水瀬は看護婦に催眠術をかけて情報を引き出しただけだ。
ドアの向こうは、地下室特有の湿ってよどんだ空気が充満する部屋。
そこにあったのは小さなベッド。
寝かされているのは、10歳にも満たない小さな子供。
そこで水瀬に術をかけられた看護婦はいう。
「この子達は植物人間です。両親はもう亡くなっていて、身元引受人の方が毎月お金を支払ってくださるだけです。……病室?引受人の方がいらっしゃる時だけは普通の病室に移します。病室は満員になることが多くて、こういう子達に割り当てられる分はないのです。……ええ。料金は当然、普通の入院患者より割り増しですよ?」
つまり、普段はこんな部屋に押し込んで、金を支払う奴が来たらバレないように入院患者用の個室に移す。
そう言っているのだ。
ヒドイ病院だと水瀬も思う。
よりによって霊安室の横だ。
人として、自らの振る舞いをどう思っているんだろう。
……
いや。
水瀬はその考えを否定した。
こうするのがヒトなんだと、自分がわかっていることに気づいたから。
ガタンッ
ドアの向こうで物音がした。
目を覚ました看護婦が流動食の準備にかかったんだろう。
「さて」
水瀬はエレベーターに向かって歩き出した。
霊安室まである地下は、死霊の念が渦巻いてはいるが、かといってあの獄族の感じはもうしない。
問題はここじゃない。
あの瞬間だと、水瀬は思う。
あの瞬間、僕は彼の臭いを嗅いだ。
あの瞬間?
そう。
ここであの子と出会った瞬間。
あの女の子と、出会った瞬間……わずか一瞬のことだった。
どうしても、それが気になる。
チンッ
水瀬の前でエレベーターのドアが開いた。
それから30分後。
病棟に移動した水瀬は病院内をうろついていた。
病院ロビーの一角にあった花屋で買った花束を持ち、見舞客を装っている分、目立たないはず。
水瀬はそう思っている。
実際には、お見舞いに来た小学生。位にしか周囲に見られていないだけなのだが……。
それでも、
あの子に会うことが出来ない。
廊下の角まで来た水瀬は呟く。
「精神科じゃなかったのかなぁ」
壁の案内表示板を見ると、その先は心臓外科だ。
ふと、あの子の顔を思い浮かべた水瀬は、
「でも、あの子はいないよなぁ」
そう思った。
「心臓っていうより、脳みそがどうかしてるって感じだし」
「あれぇ?」
廊下の向こうからそんな声がしたのはその時だ。
「お兄ちゃん?」
聞き覚えのある声に水瀬は思わず振り返った。
腰まで伸びる長い髪に、大きな目をした美少女が、驚いた。という顔で立っていた。
その手には大きな花束があるからお見舞いだろう。
無論、水瀬が驚いたのはその花束であるはずがない。
「あれ?萌子ちゃん?」
そう。
そこに立っていたのは、腹違いの自分の妹、加納萌子だった。
「どうしたの?こんなところで」
「それはこっちのセリフ」
「私はお友達のお見舞い。お兄ちゃんはって……何?その花束」
「うん。一階の花屋さんで買ったんだ。一番安いから」
「……どうして入院のお見舞いに菊の花なんて買ってくるかな」
「ダメ?」
水瀬は不思議そうに首を傾げた。
「だってお浸しにも出来てお得だよ?」
「……お兄ちゃん。何かするときは必ずルシフェルお姉様と相談してからにしてね?」
萌子は水瀬の手から小さな花束を受け取ると、
「とにかくこれは没収。それじゃ、バツとして付いてきて」
それだけ言って歩き出した。
行き先は心臓外科病棟だ。
「罰って?」
水瀬もその後に続く。
そんな兄に妹は言った。
「兄として私を呆れさせた罰」
萌子が向かったのは病室ではなく、なぜか入院患者に開放されているらしいサロンだ。
入院患者とおぼしきパジャマ姿の男女がにぎわう一角で、萌子は目当ての人物を見つけた。
「あ、いた」
その言葉の先。
そこにはプライバシーが守られるようにブースで区切られたパソコンが並んでいた。
「琥珀ちゃん」
萌子の声に振り返ったのは、
「あれ?」
水瀬が驚くに十分な相手。
霊安室の前で出会った、あの子だった。
手間が省けたな。
そう思う水瀬の目の前で、女の子同士の会話が弾む。
普通の女の子か?
水瀬は萌子と話す女の子を観察しながら思う。
魔素の反応はない。
獄族特有の反応もない。
感じるのはただの人間の反応。
もし、偽装しているとしたらかなりの腕前だ。
見誤ったか?
でも、あの時、確かに彼の感じがしたんだけど……。
「もうっ!お兄ちゃん!」
萌子が思案にふける水瀬を怒鳴った。
「ちゃんと人の話、聞いていた!?」
「え?な、何?」
「これだもん」
萌子はため息混じりに言った。
「この子、私のお友達で武原琥珀ちゃん」
「はじめまして」
琥珀と呼ばれた子は、にこやかに微笑む。
へぇ。と、水瀬は内心で驚いた。
地下で出会った時には気づかなかったが、かなり華のある、可愛らしい子だ。
目の大きな愛らしい顔立ち。
リボンでツインテールにまとめられた髪。
色白の肌。
まだ幼さから抜け出せないままでいる体つき。
ロリコンになったつもりもないが、悪くはない。
「琥珀ちゃん。紹介するね?コレが不肖の」
「萌子ちゃんが拓也さんの次に愛してる大切なお兄さまだよね?」
「こ、琥珀ちゃん!」
赤面する萌子が怒鳴るが、
「だって、萌子ちゃんったら、なんだかんだでお兄さんの話たっぷり聞かせてくれるんだもの。魔法騎士なんですよね?」
魔法騎士。その言葉に水瀬はかすかな期待を感じた。
「え?ええ」
「ははっ。もしかしたら、魔法で私の病気も治してもらえるかな」
「病気?アタマ?」
ボカッ!
萌子が花束で水瀬を殴る。
「な、なんてこと言うの!?」
「っていうか、お兄ちゃんになんてコトするの!?」
「お兄ちゃんが悪い!」
「萌子ちゃんだって悪い!」
「まぁまぁ」
席を立った琥珀が二人の間に割ってはいる。
「私がとっても面白いモノ、見せてあげるから。それで勘弁」
「面白い物?」
何だろう。
水瀬と萌子が互いの顔を見合う中、琥珀は椅子に座り、マウスを操作した。
パッ
「ほぉら」
琥珀が自信満々に画面に映し出したモノを見て、少なくとも萌子は思考がフリーズしてしまった。
画面に映し出されたモノ。
それは―――
「こ、これ……瀬戸先輩?」
思わず萌子が両手で顔を覆い、指の隙間からじっくり見つめるのも無理はない。
画面には一糸まとわぬ艶めかしい姿で微笑む瀬戸綾乃の姿が映し出されていた。
「そ。コラだけど」
「コラ?」
大した動揺すら見せない水瀬は不思議そうに言った。
「合成写真だよね?これ」
「そうです。よく出来てるでしょう?」
「うん……よく出来ているけど」
「何ですか?お兄さん、女の子に興味ないんですか?」
「そんなことはないけど」
「お兄さん」
琥珀は心配そうな顔で水瀬の手を取った。
思ったより冷たい手は、そっと水瀬の手を包み込む。
「EDは、立派なビョーキですよ?」
「は?」
意味がわからない。
「それとも」
ポンッと手を打った琥珀が画面を切り替えた。
「ヴッ!」
映し出された画像を見た水瀬の息が、一瞬止まる。
「こっちのシュミが?」
そこに映し出されたのはマッチョな男同士が絡み合う画像。
しかも無修正だ。
「こら」
ポンッ。
吐き気を抑えながら、水瀬が琥珀の頭を小突く。
「どっちも興味ありません」
「そんなぁ」
琥珀は残念そうに言った。
「せっかく萌子ちゃん驚かせてあげようと思って、とっておきの秘蔵画像公開したのにぃ」
「というか、こんなのどうやって」
「へへっ。暇だからパソコン始めたのが去年の秋でした。親切なお兄さんがいろいろ教えてくれたんです。私、インターネットって外の世界を知ることが出来るから熱中して、そんな中で集めたんです」
「そのお兄さん、そんなことするために君にパソコン教えたんじゃないと思う」
「そ、そうよ」
水瀬に続き、ようやく復活したらしい萌子も言う。
「もっと綺麗な風景写真とか見るべきだわ」
「こういうの?」
パッ
「外で撮影されたモノじゃなくて!」
「冗談です」
琥珀は笑って言った。
「最近は、オバケ騒動があって、そっちに熱中していたから、画像収集がおろそかになっていたから、久々に始めたばかりなんですよ」
「オバケ騒動?」
「そうです」
琥珀は言った。
窓の外から救急車のサイレンが近づいてくる。
「看護婦さん達が見たそうです。夜、あちこちでユーレーさん達が行列作って歩いていくんです。看護婦さん、それ見て何人も辞めちゃったって」
「……幽霊の、行列?」
「うっわーっ。見てみたい!」
コツンッ。
水瀬が萌子の後頭部を軽くはたく。
「こらっ!」
「だ、だってぇ」
「そんなもの、見るもんじゃありません!いくら患者より死霊の方が多い厄介な病院でも!」
「こらっ!」
ガンッ!
萌子の右ストレートが水瀬の顔面にめり込む。
「ヤバい発言しないの!お兄ちゃんが言うとシャレにならないんだから!」
「へぇ?お兄さん、見えるんですか?」
琥珀の興味深そうな声に、
「す、少しだけね?」
そう答える水瀬の顔は、かなり痛そうだ。
「本当に、この病院、出るんですか?」
「―――そういう発言は慎んで欲しいものだな」
琥珀の興味深げな声は、そんな言葉に遮られた。
その声を聞いた途端、琥珀の顔が露骨なまでに「しまった!」という顔になった。
振り向いた水瀬の目に映ったのは、白衣を着た若い女の姿。
白衣から判断すると、女医だろう。
大きく胸元が開いたスーツに白衣を羽織った、琥珀とは正反対なまでの、まさに「女性美」に満ちあふれた女が自分達を見つめ、いや、睨んでいた。
「大した規模ではないが、この病院にも面子というものがある」
女の声は、冷徹な印象を受ける分、医者というより科学者のそれに近い。
「幽霊など一時的な幻覚に過ぎない。だが、その存在は時にいらぬ騒ぎを引き起こす」
「で、でも、看護婦の鈴木さん、アレを見たショックで病院辞めちゃったって」
「フンッ。夜勤続きの疲労から幻覚を見たのだろうよ」
「幻覚見るまで働かせるって方が幽霊より怖い気が」
「ほう?なかなかいいことを言うな」
女医が感心した。という顔で水瀬を見た。
「その通り。人を疲労させ、幻覚まで見せる。それは全て人のすること。そして、それを感じ、判断するのは人の―――ここだ」
女医は、水瀬の頭を指さした。
「こうは考えたことはないか?」
女医は言う。
「人間の様々な感情は、すべて脳で判断することだと」
「―――終末に見る走馬燈ですら、脳の一部の働きだと聞いたことは」
水瀬がそれに応じる。
「その通りだ」
水瀬の返答に満足したらしい女医が続ける。
「感覚器官から入る情報を判断し、感情として発露する。それは全て脳の働き。脳こそが人の全てなのだ」
「……肉体に蓄積された疲労という情報が、脳の正常な判断を狂わせ、結果、看護婦は幽霊という幻覚を見た。そうおっしゃるのですか?」
「その通り」
女医は答える。
「無論、私は魂の存在までは否定しない。突き詰めていけば、その存在は否定するどころか、むしろ肯定せざるを得なくなる……公に口にするのは常識が邪魔をしすぎるが」
「魂が脳を管理しているとでも?」
「そうだ。あくまで私の仮定にすぎない。だが、所詮、魂とはその程度の存在に過ぎない、またはそれ以上の存在ならはそれでも結構だが、その存在が実証されることは、人類にとって有益なはずだ……さて。武原琥珀」
「は、はいっ!」
「くだらないことに脳細胞を使うな。検査の時間だ」
女医はそれだけいうと、踵を返してサロンから出ていった。
「あのキ印、誰?」
「お兄ちゃん!」
「桐沢冴子先生です。脳の分野でも有名な人ですけど、本来は心臓系の人で、私の主治医の人です」
「ふぅん?」
「名医なんですよ?心臓手術の成功率は世界トップの方で」
「SM専門店で女王様の方が売れるんじゃないかな」
「あははっ!言えてます!」
「二人とも!」