第5話:新星(改)
クラスの大半が、今か今かと時が満ちる瞬間を待ち望んでいた。
本日の授業もいま現在やっている数学で終了である。
だが、その数学が中々厄介であると言えよう。
教科書の例題を幾つか上げ、解説し、それを黒板に書くスタイルの授業を勇気達が担当している数学教師は好む。
その為、教師が黒板に綴った数式と文章を丸ごとノートに写せば問題ないのだが、その単純作業は一時間近く行うのは酷と言うもの。
教師の抑揚のない解説と黒板を叩くチョーク音が大半の学生にとって子守唄に近かった。
――早く、終わってくれ。
苦痛な授業と言う名の枷から早く解かれたい生徒達は、頻繁に時計を見るのだが、こういう時に限って時間が経つのが遅くなってイラつくのである。
勇気もその一人と言えよう。
(……今日の放課後に会ってくれ、ねぇ)
気持ちを紛らわせたかった勇気は、胸ポケットから一枚の写真を取り出し、周囲に見えない様に机に置く。
写真には一人の女性が映っていた。
カメラ目線でない所から、どう考えても無断で撮ったものであろうと考えられるが、その点はあえて無視した。
(名前は、夢野彩香さんだっけか)
写真を受け取った時に雛菊から聞かされた彼女のプロフィールを思い出す。
『彼女は夢野彩香さん。ロリ巨乳って言葉は彼女の為にある言葉だと思わない?』
雛菊に訊かれた時は笑って誤魔化したが、今こうして彩香の写真を見ると同意せざるを得なかった。
背丈だけで考えれば中学の低学年に間違われるかもしれない。
童顔にもほどがある幼顔だから、中学校や下手をすれば小学校の制服を着たら、違和感なく信じてしまうかもしれないだろう。
けど、背丈や容貌とは裏腹に、体型は女性の象徴が壮大に主張していたのであった。
簡潔に述べれば特に胸が。
視線を彩香の胸元に動くのを堪えつつ、昼休みに言われた雛菊の言葉を思い出す。
『夢野彩香さんは幻惑の魔法や香華の魔法を得意とするの』
幻惑の魔法は文字通り、相手に幻を見せて惑わせる魔法である。
術者次第で応用の幅が広がる魔法の一つであり、達人クラスになると実物に限りなく近い幻を見せる事も出来るのである。
(幻惑の魔法は知っているが、香華の魔法なんて聞いた事もないぞ)
少なくとも、学園の授業で出てきた部類に似たような名前は聞いた事はなかった。
(固定魔法か……? けど、部長が知っていた所からすると、秘伝系統やらそっち系にあたいするかもしれないし)
推測が徐々に迷走化していくのを感じ頭痛を覚える。
考えても答えが得られないと分かっていながらも、気が付いたら夢野彩香が得意とする香華の魔法についての考察にふけていた。
それが功を奏したのか、気付いたら鐘の音が鳴り響いていたのであった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「勇気、今日は暇なのかい?」
ホームルームを終えると、真っ先に祐希が話しかけて来た。
ここ最近、付き合いをないがしろにしていたせいもあってか、目に力が入っている様子。
「あー、今日か?」
思案を巡らす勇気。
ここで、これから行う予定を口にして良いものか、と自問する。
別段、祐希に言っても何ら問題もない話しであるが、女性絡み――特に祐希を深愛している雛菊を初めとした者達が関わった話しは色々とこじれる可能性がある。
そうなった時の事を考え、直ぐに答えが出た。
「悪い、祐希。今日は部長に手伝いを頼まれているんだよ」
手を合わせて謝罪する。
「雛ちゃんに? なんならボクも手伝うよ」
「……お前は俺を殺すつもりか?」
「えっ!?」
思わぬ言葉に祐希は目を丸くした。
まるで心外だ、と言わんばかりの驚き様に、勇気は「分かっていないな、お前」と話しを切り出して説明する。
「祐希。学園での俺とお前の立場は、周囲から見ればなんて思われているか知っているか?」
「なにって、親友?」
「間髪入れずにそう言って貰えるのは有り難い所であるが、事実は……あ~、やっぱり今のなし。綺麗さっぱり忘れてくれ」
「何さ、途中まで言ってそれはないだろう。今日、気になって寝られないじゃないか」
「言ったら、お前の次の行動が目に見えているからな。今後の俺の保身の為に言わないでおくよ」
「明日、寝不足になったら勇気のせいだからね」
「はっは。面白い事を言う、寝惚け祐希。お前が悶々として寝れない夜を過ごせるなら是非とも見てみたいものだな」
「何を言っているんだいキミは。こんな繊細なボクを捕まえて」
「じゃあ訊くが、俺が送った目覚まし時計、まだ無事か?」
ギク。
そんな擬音が聞こえてしまいそうなほど、表情を強張らせる祐希を見て「やっぱり」とあきれ声を上げた。
「まだ、朝は師匠に起こしてもらわないとダメか?」
「な、な、なにを言っているんだい勇気。そんな子供でもないんだから、朝一人で起きるぐらい朝飯前だよ」
「いや、あからさまに視線を逸らされ、声を震わせて言われても何の説得力もないと思うんだが」
神藤祐希は完璧超人と言われているが、朝だけは滅法弱いと言う面を持っている。
本人はえらく気にしているらしく色々と打開策を模索しているのだが、成果を得られた試しは一度もなかった。
殉職した目覚まし時計は三ケタの大台になるまでのカウントダウンが始まりつつあるし、毎日起こしている奈々以外が起こそうとすると、三十分は粘らないと起きる事はない。
「ボクも起きようと努力するんだけどね。誰か、目覚めの魔法とか覚えてくれないかな」
「強制的に目覚めさせる魔法なんて大魔法の部類だぜ」
頭を抱える祐希。
物珍しい光景を見て、妙に心踊る勇気であった。こと、この話題だけはアドバンテージを取れるから実に気分がいいのだろう。
と、気分を良くしていると、聞き知った声が耳に届いた。
「勇気、いる?」
「あれ? 珍しいね、雛ちゃんがボク達のクラスに来るなんて」
「そうかな? ……まぁ、中学の頃と比べるとそんなに来ていないかもね、ダーリン」
「雛ちゃん。その、いい加減にダーリンと呼ぶのは止めないかな。ちょっと恥ずかしいんだけど」
「そうなの? じゃあ、 ご主人様、旦那様、ハニーの中から好きな呼び名を選んでいいわよ」
「なんでそんなに限定的なの!? もっと違う呼び名があると思うんだけど。たとえば神藤君とか祐希君とか」
「まずは形からって言うでしょ? ゆくゆくは……キャー」
頬を抑えて身悶える雛菊。
そんな二人の成り行きを見守っていた勇気が話しを切り出す。
「それで、部長。俺に何か用ですか?」
勇気に問われ、妄想の世界から漸く雛菊は帰還する。
ハっと我に返り、自分の行いを振り返って頬を赤らめつつ言った。
「そ、そうだった。彼女、部室で待っているから呼びに来たのよ」
「彼女? 呼びに来た? 雛ちゃん、今日は勇気に手伝いを頼んだのじゃあないの?」
問われ「え?」と小さく驚嘆の声を出す雛菊だったが、勇気の気まずい顔を見て、直ぐに空気を読み取ったのであろう。
ニマリ、と怪しげな笑みを浮かばせてる雛菊を見て、制止の声を上げようとする勇気だったが、それよりも早く雛菊が説明を始めたのであった。
「……なるほど」
雛菊の説明を無言で訊いていいた祐希はそれだけ言い、くるっと全身を勇気に向ける。
「水臭いな、親友。そんな大切な事をボクに教えてくれないなんて」
やばい。
勇気の直感がそう告げていた。
表情は笑顔。
声は普段通りにも関わらず、背筋が凍らんと言わんばかりに寒気を覚えて仕方がなかった。
原因は祐希の眼であろう。
表情とは裏腹に冷たい視線を送る祐希を見て、勇気はただただ怯える事しか出来なかったのである。
「い、いや、な。別に隠すつもりとか、祐希が付いてきたら間違いなく祐希の方へ行くだろうな、とかそんなこと考えていないよ」
「へぇ」
声色が、祐希の双眸が少しだけ下がる。
圧倒的不利な状況。加えて打開策なしのお手上げ状態に勇気はどう言い包め様か考えていると、雛菊の方から助け舟をよこしてくれた。
「まぁ、ダーリン。彼女無し歴イコール年齢の勇気にとって、今まさしく幸福の瞬間を迎えようとしているのよ。親友として喜んで上げる立場だと思うけど?」
「別にボクは怒っている訳じゃないんだよ。ただね、親友なんだからそう言った相談の一つぐらいしてもいいと思うんだ。逆の立場なら、ボクは真っ先に相談するんだけどね」
「わたし、別に怒っているなんて一言も言っていないんだけど。……ほんと、二人共って仲が良すぎると言うか、副会長が変な雑誌の題材にするのも分からなくないわね」
いぶかしげに二人を睨むように見る。
その射殺すと言わんばかりの目線に勇気達は「ないない」と頭を強く振った。
「考えすぎだろ、部長。俺と祐希は小学校からの付き合いだから、部長達よりも親しむ時間が長かっただけだ。それに、俺にそっちの気はないぞ」
「そうね。そっちの気があったら、夢野さんと会うこと自体、断られていたとおも……あっ」
「「あっ」」
夢野の名前で三人は想起する。
慌てて時間を確認する雛菊。確認を終えると「しまったわね」と苦言を漏らした。
「もう、十分近くも彼女を放棄した事になるわ」
「そいつは拙いな。……ところで祐希。お前はどうするんだ?」
問われ、祐希は目を丸くして聞き返す。
「えっ? 一緒について行ったらダメだった?」
「いや、ダメだなんて……。てか、ついてくる気満々な訳ね」
チラッと雛菊に視線を送る。
勇気が何を言いたいのか察したのか、雛菊は「大丈夫よ」と頷く。
「もともと、部室で会ってもらうつもりだったから。みんなの前でね」
「……ちょっと待ってくれ、水樹さんやら。いま、みんなの前でとおっしゃりませんでしたか」
「さぁ、行くわよ! ダーリン、勇気。新星部員をゲットするわよ」
「って、こらおい! 無視するな。祐希もノリを合わせて「おー」とか言うな。お前、何気に根に持っているだろ。おい、こら! 俺の話しを聞け!」