第14話:家出の援護人
……最近思う事がある。普段、何も起こらない平穏の日々の時、常日頃「何か面白い事が起きないかな」や「この研鑽した力を発揮できる場が欲しい」と思って止まなかった。何も代わらない日々に刺激が欲しくて、何も行動に移さないくせに「何か起こらないかな」と甘ったれな言葉を吐いていたかつての俺を今すぐぶん殴りたい気持ちだ。
失ってから初めて気付くとは正にこの事を言うのだろう。平穏でつまらない、なんて悩んでいた俺はなんて贅沢な悩みをしていたなと本気で思うよ。
「――勇気。何一人でぶつぶつ言っているんです?」
ぶち。今、俺の血管が盛大に切れた音を確認したぞ。
今の発言に流石の温厚な俺も堪忍袋の緒が切れたんだろうな。
俺は他人事のように俺の様子を伺うお嬢様に向って、可能な限りおなかに力を込めてほえた。
「全てはお前の仕業だろうが!!」
時刻は朝六時。
まだ、夢の住人と化している人には悪いと思ったが、怒鳴りつけずにいられなかった。
後でクレームが来たら潔く謝ろう。……賄賂もちゃんと用意しないとな。
「大体、何で祐希まで俺の後について来るんだよ! 後――」
視線を祐希の隣に動かす。何で自分が怒られているのだろう、と小首を傾げている祐希の横にいるはずのない人間が入れたてのコーヒーを頂きながらくつろいでいた。……一般市民の家にエプロンドレス姿は違和感しか感じないな。
俺の視線を追って察したのか、祐希も苦笑いしている。どうやら祐希の差し金ではなさそうだ。
俺達の様子に気付いたのか、等の本人は営業スマイルを浮かべ、自分の飲んでいたカップを差し出す。
「欲しいならそう言ってください」
「いや、いらないから。っと、待て待て。何、飲んだ直後に俺に近づこうとする! 貴方は何をしたいんですか――師匠!!」
特に顔!
顔をそんなに近づけないで頂きたい。
両肩を掴んで近寄れないようにすると、師匠は口に含んでいたコーヒーを飲み乾した。
「いえ、物欲しそうな目付きをしていましたので、てっきり間接キスか口移しがご所望なのかと」
「貴方は俺をどんなキャラにしたいんですか。師匠、今度ゆっくりと話し合う必要がありますね」
と、そんな事を言いたい訳じゃないんだよ。
掴んだ手を離し、距離を開ける。何をされても咄嗟に対処できる間合いまで後退し、再度問う。
「師匠。どうして貴方が俺の家に? あっ。もしかして、拓馬さんに言われて、祐希を連れ戻しに来たんですか?」
それなら即効でこのお嬢様をつれて帰っていただきたい。
このお嬢様のおかげで俺が昨日の夜にどれほど苦労したことか。主に理性面で。
そんな淡い期待を抱いていたのだが、等の師匠は俺の期待を裏切るかの如くゆっくりと首を振って言う。
「残念ながら、そのようなご命令は受けていません。ただ――」
「ただ?」
「『優希一人にあの男の家に住まわせるな。奈々、すまないが、お前も一緒に向かい、優希の貞操を守るのだ』だそうです」
「……は?」
あの、イッタイナニヲイッテイルノヤラ。
空耳か。幻聴の類か。……きっと、疲れているんだろうな。おかしな言葉を聴いた気がする。
そう言えば調子も悪いことだし、今日は学校をサボ――。
「奈々。流石にそれは勇気のご両親に迷惑よ」
――はぁ。分かっていたさ。幻聴でも空耳でも、疲れて耳がおかしくなったわけでもないって事にさ。
けどさ、祐希。その発言はお前が言える立場じゃなくないか。
「そう思い、奥様からとある物をお預かりになりました」
「お母様から?」
はい、と肯定した師匠はエプロンドレスのポケットからとある物を祐希に差し出す。
渡した物は小さなノートのようなものであった。
「これは?」
「通帳でございます」
「いえ、それは分かるのですが」
「いくら勇気のご両親が親切でも、人一人向い入れるのに金銭的負担は免れません」
「そ、そうね。それは見落としていたわ」
「はい。ですから、金銭面で負担をかけない為に」
「生活費を渡すって事ですね」
おいおい。貴方達、本気で俺の家に居座るつもりなのか。
祐希に続いて、師匠もかよ。じょ、冗談だよね。
「あ、あの師匠?」
「何ですか、勇気」
「あの、その。お気持ちは大変嬉しい限りなのですが、その前に、拓馬さんは何も言わなかったんですか?」
あの人が何も言わないとは到底思えないのだが。
しかし、今の話しの流れを聞く限り、
「はい、問題ありません。旦那様は多少渋っていたけど、奥様が『可愛い娘に駆け落ちさせろ』って言うじゃない、と説得なさって」
「待て、何だ激しく願望が見え隠れする説得の言葉は」
「奥様も一度は経験したいと仰っていましたね」
「知るか! そんな事で、大事な娘を何処の馬の骨かも知らない男の家に行かせるなよ」
「――勇気、それは違うよ」
俺がツッコミを入れていると、祐希が俺達の話しに割って入ってくる。
何処となく不満げな顔をしつつ、腰に手をあてながら言った。
「わたくし――ボク達は親友だろ。その親友が自分を馬の骨なんて自虐的に言わないで欲しいものだ」
「……お前、こんな時に親友なんて言葉を使うのは卑怯だぞ」
それに、今までの知っている祐希の口調で言うのもだ。
確実に狙って言っているのが丸分かりなのだが、そう言われてしまうと何も言えないじゃないか。
「ゴメン。でも、ボク――わたくしとしてはこのままここに居たいのですが、やっぱりダメですか?」
ひ、卑怯だ。絶対に狙ってやっているなこいつ。
男が女のお願いに弱いって、以前に三山議論したから知っての上で、そんな懇願する態度を取っているな。
ご丁寧な事に目を潤ませてやがる。
……へっ。だが、甘いな祐希。それは一部の男の話しで、全部の男がその女の妙技に弱いとは限らないんだぜ。日本人がノーの言えない人間だとは思わない事だな。そう、何を隠そうと俺は数少ないノーと言える日本人なんだから。
うん。はっきり言ってやるぞ。
俺は大きく溜息を一つ付いた後に、言ってやった。
「……好きにしな」
うん。
やっぱり、女の妙技に勝てる男など居るはずがないんだよ、こんちくしょう。
「あ、ありがとうございます!」
お許しを貰った祐希が花開いたかの如く笑みを浮かべて、腰を深々と折る。
「これから毎晩が大変そうですね」
っ!?
耳元で囁かれた言葉に衝撃を覚える。
慌てて声主――ニンマリと口端を曲げている師匠に向ける。
「し、ししし、師匠? まさか、昨日の夜」
「さぁ? 何の事ですか、勇気。私は何も見ていませんよ」
嘘だ。絶対に嘘だ。
「どこから見た、どこまで見た!」
「そんな事よりも、朝の鍛錬の時間がなくなりますよ」
「話を逸らすな、師匠! 言え、言うんだ。たのむ、言ってください!」
まさか、全部見聞きされている訳ではあるまいな。
昨日の夜の出来事を……。