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牢獄シリーズ

牢獄の処刑人

作者: aki.
掲載日:2026/07/31





 鉄格子の向こうから、鈍い鐘の音が響く。

 一つ。また一つ。

 その音が鳴るたび、牢獄のどこかで誰かの命が尽きる。


「…………」


 その音を聞いた青年・アルトはゆっくりと立ち上がった。

 灰色のシャツは擦り切れ、首には幾重もの傷跡が走る。手首と足首には千切れた枷が今も残り、歩くたびに小さく音を立てた。


「……今日も、また逝ったか」


 冷たい石畳を踏みしめ、彼は最奥の独房へ向かう。

 そこには、すでに囚人の姿はなかった。あるのは力なく横たわる亡骸だけ。


「…………」


 その瞬間、亡骸の胸元から黒い霧が噴き出す。

 それは煙ではなく、憎しみだった。生前に抱えた怒り、悲しみ、絶望。誰にも届かなかった感情だけが形を持ち、怪物となる。

 黒い霧は人の顔をいくつも浮かべながら笑っていた。


『苦しい……』

『憎い……』

『全部壊してしまえ……』


 笑いながらも呟かれる言葉は怒りや怨み、憎しみのみ。

 その声は牢獄中に響き渡る。

 このまま放置すれば、この憎悪は生者へ取り憑き、新たな悲劇を生む可能性があった。


 だから、この場にはそんな負の感情を斬る者が必要だった。


「……………」


 アルトは腰に提げた黒い剣を抜く。

 刃に血は付いていない。

 この剣は命を斬るためのものではなく、魂にまとわりついた憎悪だけを断つための剣だった。


「……眠れ」


 静かな一言。

 黒い霧が牙を剥き、獣のようにいかかる。


 アルトは一歩だけ前へ出た。

 銀色の軌跡が闇を裂く。

 黒い怪物は悲鳴ではなく、泣き声を上げた。


『……怖かった』

『助けてほしかった』

『生きたかった』


 今度は嘆きの声が牢獄中に響く。

 その言葉を最後に黒い霧は光の粒へと変わり、静かに天井へ昇っていった。


 牢獄に、静寂が戻る。

 アルトは剣を鞘へ納め、亡骸の前に膝をついた。


「……助けられなくて、すまない」


 誰に聞かれるでもない謝罪。

 彼が斬ったのは囚人ではなく、囚人が最後まで捨てきれなかった苦しみだった。


「せめて、どうか安らかに眠れ」


 そして、彼は祈る。

 誰も救えなかった命が、ここより先の世界で救われるように。

 誰にも理解されなかった心が少しでも穏やかになるように。


『あるとぉ』


 その時、背後の暗闇から小さな足音が響いた。

 振り向くと、そこにいたのは、純白の、丸くて小さな人型の生き物。目も口もないのに、不思議と心配そうに見える。

 てちてちと足音を鳴らして近づき、その子はアルトの千切れた枷を、ぷにっとした手でそっと触れた。


「……ついてきたのか」


 小さな生き物は返事の代わりに、アルトの隣へ座る。

 二人はしばらく、光となって消えていく憎悪を見つめていた。


『あると。ぞーお、またきった』

「…………」

『あると。…ここから、いつでられる?』

「…………」


 小さな生き物は聞いてくる。

 アルトは答えなかったが、彼は知っていた。憎悪を斬り続ける限り、決してこの牢獄からは出られないことを。

 自分の首に残る傷と、千切れた枷がその証だ。


『あると。ぞーお、きるの、いつやめる?』

「………俺は、斬るのをやめないさ」


 これは、自分が決めたことだ。

 たとえ迷ったとしても剣を置くことはない。

 アルトは小さな生き物の頭を指先で撫でて柔らかく笑う。


 そしてまた、牢獄のどこかで鐘が鳴った。

 アルトは静かに立ち上がり、闇の中へ歩き出す。小さな生き物も悲しそうにしながらも彼についていった。


 牢獄の処刑人と呼ばれている囚人、アルト。

 だが彼が処刑するのは人間ではなく、人間から生まれ出た憎悪だ。


 彼は、今日も憎悪を斬り続ける。

 誰かの最後の憎しみに、終わりを与えるために。



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