episode7
「たっだいま〜!」
凛の友人から頼まれて、彼女を自宅に招き入れた。
普段と全く違う凛の姿を見て、新鮮さが胸に染みる。
「水いる?」
「いらなーい!」
凛はそう言いながらフラフラ歩きながら近くのソファに寝転んだ。終始笑っていて、ずっと楽しそうだった。
「ベッド行かないと風邪ひくよ」
「う〜ん……あはは!響さんも一緒に」
「!?」
凛は自分の腕を引っ張り体の中に引き寄せた。いつもは控えめな彼女が大胆な行動に出るとは。
自分の首に凛の腕が回っていた。視線の先を少し上に向けると、凛の可愛らしい唇があった。ピンク色で、光が反射してぷっくりとしているように見えた。
「……はぁ」
小さくため息をつきながら彼女の腕を解いた。凛の寝顔のすぐ横に肘をついて、しばらく寝顔を見つめた。飲みすぎたせいなのか、頬が赤くなっていた。
彼女の手を見つめ直し、優しく握りしめた。すると猫のように丸まって笑った。
さらに彼女の頬に手を当てて顔にかかった髪の毛を耳にかけた。赤くなった顔を見て思わず口元が緩む。
———幸せだな。
「凛?」
「んん.....」
「ははっ」
「きょ..もとさん.....」
名前を言おうとしたのか、言いきれずに眠ってしまった。本当に手放したくない。凛を見るたびに独占欲が強まっていく。
目の前にある唇に触れたい気持ちをグッと抑えた。
「よっ……」
凛の首と体を支えながら彼女を持ち上げた。ソファなんかで眠ると風邪を引いてしまう。俺もよく仕事帰りにそのままソファで寝て風邪をこじらせたことがある。
持ち上げた瞬間から軽いな〜と思いながら顔を見つめると、ぐっすり眠っていた。その寝顔が可愛くて可愛くて、愛おしくなった。
勝手な自分の行動だけど、君が大人になるまで待つつもりはない。それでも、守る覚悟はある。
暗闇の寝室に行き、凛の体をベッドに寝かせた。
「ん……」
起こさないようにそっと手を離した。
再び額に触れて、顔を近づけた。
———でも、キスは起きている時限定にしたい。
「.....おやすみ」
その代わりに頬に軽いキスをして布団をかけて寝室を後にした。
♢
「ん〜.....あれ?」
ふかふかのベッド。少し明るい部屋。てか頭いった〜。昨日飲みすぎちゃったのかな。
私はベッドから起き上がり黒いスリッパを履いた。
「これって」
見たことのあるスリッパに違和感を覚えた。
私は早足で寝室を出た。
やっぱり.....
知らぬ間に京本さんの家にいた。
うそでしょー!
昨日の時点では祐奈の家に泊まる予定だったのに。いつ、どのタイミングで京本さんの家に来たんだろう。
私がベッドを使ってしまったせいで、京本さんはソファで寝ていた。
私はそばに行き小さくしゃがんだ。
「京本さん?」
「...んん」
「おはようございます。あの、昨日はすみません」
「ん?起きたの。まだ寝てていいのに」
京本さんは目を擦りながらゆっくりと起き上がった。髪もボサボサで、前髪が瞼にかかっていて表情がよく見えない。
「あ、起きましたか?」
私は笑いながら京本さんの前髪を耳にかけた。なんだか急激に京本さんと触れたくなった。
「2回目ですけど、おはようございます」
自分の両手を京本さんの頬に当てた。柔らかくてツルツルした肌がよく似合う。
「おはよ」
「照れてるんですか?」
「照れてない」
「うそだ〜。耳真っ赤ですよ。京本さんでも照れることなんて———んん.....」
「朝だからって、安心すんなよ」
「ちょちょちょっと!待ってください!」
京本さんに体を引き寄せられて息ができなくなるほど強く抱きしめられた。
「きょ、京本さん...離してください」
「むり」
私はグッと京本さんの肩を掴んだ。緊張して手が震えてしまう。
「いただきます」
今日は私が朝ご飯を作った。家に泊まらせてもらい、その上ベッドまで貸してくれた。流石に朝食くらいの恩返しはしたい。
「美味しい!」
「よかったです。少し味付けを濃くしちゃったと思ったんですけど、大丈夫そうですね」
京本さんは口いっぱいに食事を頬張った。あまりにも良い食べっぷりが見ててとても気持ちがいい。
「ただの和食定食なのに、こんなに美味しいって言ってもらえるなんて嬉しいです」
私も自分の分をお盆に乗せて京本さんの向かい側に座り食事を始めた。こんな朝も、悪くない。
「今日学校?」
「学校です。でも午後からなので」
「じゃあ学校まで迎えに行こっか?」
「いや、その後にバイトがあるので、大丈夫です。ありがとうございます」
「そっか。バイトって売り子?」
「今日はお花屋さんです」
すると京本さんは目を見開いて箸を置いた。
「花屋で働いてるの?」
「はい。高校生の時からお世話になっているところなんです」
「そうだったんだ。凛の知らないこと、また知れた」
京本さんが頭を撫でてきた。
「えへへ」
「.....」
「あ、あの〜.....ちょちょっと!」
髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き回された。私は止めようと京本さんの腕をどかした。
「京本さん———!」
二人で笑いながら、食卓はオレンジ色に変わった。
「いってきます」
「気をつけてくださいね。んん.....お仕事遅れちゃいますよ〜」
「離れたくないよー」
「はいはい。もう満足ですか?」
「満足.....したっ!ははっ」
「ちょっと!」
京本さんは素早くキスをして玄関を出た。
自分の頬を触ると、熱がこもっていた。急にあんなことするから、困ってしまう。
そろそろ私も学校の支度するか。今日は祐奈は授業はない。大学を一人で過ごさなくてはならない。祐奈がいないと話す相手もいないし、つまらないなー。
そんなことを考えながら洗面台に向かい、冷水で顔を洗った。
「つめたっ」
そばに置いてあったタオルで顔を拭く。京本さんの匂いがした。それだけで包まれている感覚に陥った。
多分あっちは意識してないだろうけど、私は京本さんに惹かれている。
「りーんちゃん!おはよ!」
「.....」
「また挨拶なしー?記録更新だよ!」
話す相手がいないとは思ったものの、一方的に話しかけてくる人ならいた。
同じ学部学科で私より一つ下の宮野功太くん。研究内容も全く同じでよく一緒に実験をしている。
「今日までの課題はやってきましたか?」
「もちろん!ほら見て!」
すると宮野くんは生物の情報伝達に関するレポートを見せつけてきた。
「うん。あとで教授に提出しに行きましょうか」
「分かりました!」
彼はウキウキるんるんで前を歩いた。
年下の子との付き合い方は、いまいち分かってない。
「どうしたんですか?」
「ううん。なんでもないよ」
宮野くんはまるでひよこみたいにぴよぴよしていた。
その後ろ姿を見つめながら研究室に向かった。
いま私たちがいるのはキャンパス中央玄関前。ここから研究所まで歩いて3分ほど。ゆったりとした足取りのままあっという間に到着した。
「おはようございまーす!」
朝でもないのにこの挨拶をするのは私たち研究員限定である。
「宮野くん元気ね〜。凛ちゃんおはよう」
「おはようございます」
私は研究室の先輩に挨拶をした。彼女の名前は藤本薫。みんなからは薫さんと呼ばれている。
「今伝達のDNA調べてるんだけど、手伝って欲しいことがあってね」
「もちろんです」
私と宮野くんは薫さんに近づき一緒に研究の手伝いをした。
♢
「今日はこの辺までにしとこっか!二人ともお疲れ様!」
「お疲れ様です」
その日の研究を終わらせて白衣を元の位置に戻した。私は夜にバイトがあるため早めに抜けた。
「あれ?凛ちゃんは?」
「今日バイトがあるって言って早めに帰ったわよ」
「えー!一緒に帰ろって誘おうと思ったのに.....」
私は大学を出てバイト先であるお花屋さんに向かった。一駅乗り最寄駅のすぐ近くにある店舗。ずっと昔から通い詰めてお世話になってるところだから目を瞑っても行けると思う。
「はぁ〜!」
大きく背伸びをした。午後からだけど、今日もよく頑張った!残りのバイト、頑張っちゃおっと。
「.....ん?」
スマホから音が鳴った。確認すると、京本さんだった。
「も、もしもし?」
『凛?学校終わった?』
「よく分かりましたね。ちょうど今終わってバイト先に向かってます」
『そっか』
「はい。京本さんもお仕事お疲れ様でした。お互い、頑張りましたね」
『.....』
「京本さん?」
『はぁ。声聞いたら、顔見たくなった』
「えぇ?またすぐ会えますよ。あ!そしたら今日お花屋さん来ますか?」
京本さんは少し間を置いて答えた。
『凛が花に囲まれてるの、見てみたいな』
「へへ。分かりました。住所送っておきますね」
『ありがとう』
「それじゃ、また」
耳から電話を離した。
京本さんの声、とっても落ち着いて優しかったなぁ.....
私だって、京本さんの声聞いたら会いたくなる。でもお花屋さんに来てくれるんだよね。それなら頑張れる!
胸高鳴らせて駅に向かった。
「こんにちは〜」
「凛ちゃんお疲れ〜!今日もよろしくね」
「よろしくお願いします」
駅前にあるお花屋さん。人通りが多く、たくさんの人がお花を買ってくれる。やりがいもあり、幸せな仕事。
エプロンに着替えてレジ前に立った。
「凛ちゃん?」
「はい!」
先輩に話しかけられた。その横には、見たことない男性が立っていた。
「彼は今日から一緒に働くことになった、松田隼人くん。凛ちゃん急だけど、松田くんにレジ教えてあげられる?」
長身の男性だぁ。
「松田です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。それじゃあ早速レジの使い方教えますね」
「あの、お名前聞いても?」
「あ、そうだよね。浦田凛です。凛ちゃんでも、浦田さんでも、なんでもいいです」
「凛ちゃん、いくつ?」
「いま大学2年生だから、二十歳?かな」
「俺も!」
「本当?!随分と大人っぽいね」
「よく言われる」
まさか同い年がバイト仲間になるなんて。基本年上しかいなかったから。ちょっぴり嬉しい。
「ここをこうして接客してね。何か分からないことあったら呼んで!」
「ありがとう」
「ううん、大丈夫」
私はレジを松田くんに任せて入り口のお花の手入れを始めた。今日は秋桜がたくさん。今が一番増殖する季節である。そして、秋桜は私が一番好きなお花。
「よっ」
「うわっ!もう〜びっくりした!」
耳元で京本さんの声がして振り向いた。いつもと変わらない、かっこいいままの京本さんがいた。
「来てくれたんですね!」
「もちろん。これ、いる?」
「いいんですか?」
「うん」
「やった!ありがとうございます!」
温まったコーヒー缶をくれた。いまは10月。少し肌寒くなってきた季節にぴったりだ。
私はありがたくいただきポケットにしまった。
「これは.....」
「秋桜です。ちょうど今の季節が旬で、うちも色とりどりの秋桜を販売しているんです。ピンクに白.....ほら、可愛いでしょ」
私は一本秋桜を手にとって京本さんの顔に近づけた。
「これ、ください」
「え?」
「凛が可愛いって言ったものが一番いいのだって、思ってるから」
「へへ。ありがとうございます」
秋桜を持ったまま京本さんと一緒にレジに向かった。
「いらっしゃいませ」
ここで松田くんの出番だ。私は松田くんに目で合図をしてその場をサッと離れた。
「お支払い方法は———」
うんうん、順調だね。
「ありがとうございます」
「買えましたか?」
会計を終えた京本さんがこちらに向かって歩いてきた。
「今日は、どこか食べに行こうか」
「行きたいですけど、秋桜が枯れちゃうので、今日はなしにしておきましょう」
「分かった。でもその代わりに.....」
京本さんの顔が一気に近づいた。私は一歩下がろうとしたが、肩に触れられ離れられなかった。そして耳元でつぶやいた。
「たくさんハグしたい。だから帰ってきて」
「ち、近いです」
「いま、ここでハグしたら怒られちゃうでしょ?家で待ってるから」
京本さんはようやく顔を遠ざけた。そして秋桜が入った袋を覗いた。少し微笑んだまま、こちらを見て帰ってしまった。
「はぁ———!」
心臓がはち切れるかと思った。
———京本さんはいつも私を困らせる。
『駅前にあるお花屋さん分かりますか....?』
『フラワーショップ〇〇店?』
『そうです!』
『りょーかい』




