episode4
「わたし、京本さんがいい」
「えっ」
「あぁ!いや.....」
心の声が漏れるとは、このことだろうか。なんで急にこんなこと思ったんだろう。
私たちの体は自然と距離をとり一歩下がった。
「これは、その.....」
私は恥ずかしくなり下を向いた。仕事中にこんな狭いところで何をやってるんだろう。
「ん?」
「約束!です。もしまた会ったら、付き合うって」
胸が苦しくなりながらも京本さんの目を見て言った。京本さんは表情を一切変えずにいた。
「って、なんでこんな前の話してんだろわたし。すみません。仕事中なので戻りますね」
私はその場から離れようと廊下に出た。これを機に、京本さんのことは綺麗さっぱり忘れてしまおう。こんな偶然な恋をしても、幸せにはなれない。いまはまだ、目の前にあることで精一杯なのだから。
「凛!」
私の名前を呼ぶ声と同時に振り向き、涙が宙を舞った。平行線に続く廊下に立っていた京本さんは、歩いて徐々にこちらに近づいてきた。
「京本さん.....」
京本さんは勢いよく私に抱きついてきた。さっきとは比にならないほどの強さで。
「凛。俺は凛がいい」
甘い声が耳元で囁かれて、今にも崩れ落ちそうになった。
「もしこれが険悪な恋でも、君が俺のことを好きでなくても、俺は、君といたい」
こんなに真っ直ぐ言われたら、好きになってしまう。出会ってまもない私たちだけど、この恋は運命なんかじゃなくて必然なのかもしれない。
「わたしも、京本さんといたいです」
弱まることのない京本さんの力。比例して私も京本さんとの距離を縮める。こんなに自分から人と距離を詰めたのは初めてのことだった。緊張するよりも自然と京本さんに抱きつきたくなる。
ハグしていた手は徐々に離れていき、目と目が合った。長い前髪が目にかかっていてメロい。
京本さんの手が私の耳まで届き、顔を近づけてきた。私も必然と目を閉じた。
「あっれ〜トイレこっちじゃないの?」
遠くから人の声がした。京本さんは手を離して辺りを見回した。
「誰かいないかな〜」
確かに声がする。こんな状況、見られたらまずい。
「今日仕事終わったら迎えに行く」
「え」
京本さんはそう吐き捨てて私のほっぺをつねって会場に戻っていった。
「あ!あの子に聞いてみよ!すみません」
あとで迎えに来るって、私のことだよねきっと。こないだ京本さんがくれた連絡先からメールで連絡くるのかな。仕事終わったあとどこかで待ってたほうがいいかな。どうしよう.....
「あの〜?」
「え、あ、はい。どうしましたか?」
「お手洗いの場所って」
「この階にはないので、2階にならあります」
「ありがとうございます〜!」
小さくお辞儀をしたあと、お客さんの後ろ姿が見えなくなるまで見届けた。
♢
「お疲れ様でーす」
全ての客が会場を後にしたあと、清掃作業をして業務を終えた。着替え室にいる他の売り子の子たちに挨拶をして部屋を出た。
この仕事の唯一の楽しみは誰もいないドームの廊下を歩くことだけだった。試合中は観客で溢れかえっている。静寂に包まれたこの空間だけは私を迎え入れてくれてる気がした。
「あ」
ハッと思い出したように携帯電話を取り出した。京本さんに連絡を取らないと。
「でんわ?」
メールを打とうとしたとき、京本さん側から電話がかかってきた。
「もしもし?」
『仕事お疲れ。ドーム前で待ってるよ』
「外出たところですか?」
『うん』
「私も今外出ましたけど.....あれ〜?どこにいるんだろう」
「うしろ」
「うわっ!」
「気づかなかった?」
電話をしている最中に後ろから抱きつかれたと思えば、一足先に私を見つけていた京本さんだった。
「どこにいるのかと思いましたよ」
京本さんは私の肩に顔を埋めるようにして抱きついてる。息ができなくなるような窮屈感に夜空の星と共に浸った。
「凛の顔を1秒でも見てないと死んじゃうよ」
「1秒って。そんなにわたしのこと気になるんですか?」
彼は自慢げにもちろんとつぶやいた。
「京本さん、長いですよ」
「もう少しだけ」
「はぁ.....」
月明かりの下で、体の熱が冷めることはなかった。
♢
「お邪魔します」
「はぁ〜!疲れたっ」
京本さんの押しに負けて、二度目の京本さん宅にやってきてしまった。ここにはもう来ないと思っていたのに。
『今日は夜遅いし俺の家来て』
な〜んて、断れるわけない。
「紅茶飲む?」
「いただきます。ありがとうございます」
紅茶。幼い頃は飲めなかったけど、歳を重ねるごとに克服していった。
「今日も仕事姿、可愛かった」
「え?」
「売り子の中でもダントツで凛」
キッチンに立ったまま腕を組みながらほくそ笑んでいた。
「そんなことないですよ。わたし以外にも可愛い子はたくさんいます」
確かにビールの売り子はある程度可愛くなきゃなれない。私なんてたまたま合格してしまった底辺中の底辺。ただシフトが全指定というところに惹かれただけ。
「凛は頭二つ三つ、抜けてると思うよ」
「そうかな〜.....」
京本さんは紅茶の入ったマグカップを二つ持ってきてくれた。隣に座った瞬間、ふわっと大人な香りがした。無造作な髪型にすら惚れてしまう。
「どうした?」
「あ、ごめんなさい。紅茶、いただきますね」
紅茶を飲み込み、口の中か一気に甘い味で満たされた。美味しい。
「はぁ〜しあわせ」
二人で紅茶を楽しんでいる間、とつぜん京本さんが肩にもたれかかってきた。
「なんだか、今日は疲れてますね」
「うん。そうだね.....」
沈黙が続き、とろけるような紅茶も味を失いかけていた。対比して肩にはいつまでも温もりが残り続けていた。
『いま仕事終わりました。』
『電話大丈夫?』
『大丈夫です!』




