episode1
「ありがとうございまーす!」
「お姉ちゃんかわいいね!肌がツルッツル!」
「そんなそんな!また買ってくださいねっ」
顔には何面ものお面を貼り付けて営業スマイルでなんとか乗り切る。足先までグッと力を込めて体力消耗を必死に抑える。果てしなく続く階段をひたすら上り下りしてその間に何人もの客がビールをねだってくる。
体の中まで汗が染み込み、下着がズレる。今日に限って洗濯が間に合わずヨレたスポブラをつけてきてしまった。
腰に巻いてあるタオルで額を拭い、辺りを見回しながら愛想が良さそうな人を見つける。
「お姉ちゃん!ビール!」
浦田凛、20歳。しがないビールの売り子だ。
「はーい!ありがとうございます!900円です!お支払いどうされますか?」
背中に背負っている大きなビールの樽から伸びる管を使ってプラスチックカップにビールを注ぐ。
「PayPayで!」
「こちらにタッチお願いします!」
スマホの画面を表示させてコードを読み取る。樽が重すぎて片手に持っているビールが震えていた。
派手に泡が立ちまるでCMで見るようなビールが完成した。
素早く決済を終わらせて彼がスマホをしまった瞬間に注ぎ終わったビールを手渡す。
「ありがとうございまーす!」
「うまそ〜!」
彼の隣には年老いた奥さんが座っていた。旦那は彼女にビールが入ったコップを見せて嬉しそうにしていた。こういう客はとてもやりがいがある。個人的に下心のある客はお断りだ。でもどんな客だろうと、自分の売上命のこの仕事には欠かせない存在なのだ。
再び辺りを見回した。
『逆転ー!!』
試合も最終盤に差し掛かっていた。点差がひっくり返るたびに、スタジオの熱も跳ね上がる。こういう時は私たち売り子も”残業”をしなくてはいけない。選手のおかげでビールは飛ぶように売れた。
———次は、あの客。
「お姉ちゃん!一杯くれよ!」
「ありがとうございまーす!何でお支払いしますか?」
「え?あ!いけ!いけ!あぁー!!」
「あのー.....?」
声、届いてないのかな。
盛り上がりがピークに達してしまい私も相手の声が聞こえづらい。にしても試合にのめり込んでいる客に対して心の中で静かな怒りを抑えて必死に笑顔を守った。
「すみませーん」
「あーすまないすまない!カードで!」
「こちらにタッチお願いします」
すまないすまない!って、バカ。こんなこと、絶対に言えないけど。
「ありがとうございまーす」
あっちはありがとうも言わないで、ただ楽しんでればいいもんね。少し無愛想でも別にバレないバレない。
塩対応で接客を終わらせると、試合終了のブザーが鳴った。
視線を変えて周りを見渡すと、売り子の子たちがいないことに気がついた。
「あれ?」
まずい。腕時計を確認すると、10分ほど退勤時間を過ぎていた。時間通りに戻らないと怒られるのに。私は人混みに逆らって客席から離れた。
♢
「今後は、このようなことがないようにします」
案の定、時間通りに樽を戻さなかったせいで上の人からきつく怒られた。
「すみませんでした」
両手を重ね合わせながら深くお辞儀をする。なんで私だけ.....
「はぁ」
客には無視されるし、時間通りじゃないって怒られるし。わたし、なんでこんなことしてんだろ。
ボーッとしながらドームの周りをトボトボ歩く。悔しくて思わず自分の袖を握りしめる。うまくいく!と思っている日こそ、結果うまくいかなくて。その度に辛さは倍増するばかり。
「なんで.....」
少しずつ自分の頬を濡らした。立っているのもムカムカしてきて、近くのベンチに腰掛けた。
小さなため息をひっそりと吐く。白い息がドームを隠した。
っていうか.....
———このまま一人で死んじゃおっかな〜。
なんて、いつものことだ。これが平常運転。いつもネガティブに物事を考えてしまう。だからいつも怒られて、呆れられて、何もかもがうまくいかない。またそれに対してネガティブになる。
でも、もし私が死んだらどうなるんだろ。親は悲しむのかな?いやいや、ずっと疎遠で、今どこで何をしているのかも分からないし。友達は?祐奈は悲しむかもしれない。
でも、彼氏に依存気質だから別に気にしないか。誰も悲しまないなら、死んじゃえばいっか。
私は立ち上がり、ある場所に向かった。あそこに行くために進む足も特に躊躇しない。少し嬉しくなりながら歩いて行く。
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しばらく歩いてたどり着いたある場所。
「ついた」
見知らぬビルの屋上。東京が一望できるようなビルだ。この辺で一、二を争うほどの高さ。綺麗な街灯があちこちに散らばり、輝きを見せていた。
誰も来たことないようなとこで死ぬ。そうすれば誰にもバレないし、探しにも来ない。うん、大丈夫だ。
私は手すりに足をかけた。全身に力を込めてまだ落ちないようにした。視線を落とすと、普段は大きく見えるはずの車が米粒のように小さくなっていた。
「.....怖くない。怖くない怖くない」
そう自分に言い聞かせながらさらに柵を乗り越えようとする。目を瞑り、体重を前にかけようとした。
「なにやってんの。」
「え?」
その時だった。そこには、知らないスーツを着た男性が一人立っていた。革靴の音とともに私に近づいたと思えば、手を差し伸べてきた。
「こっちおいで」
その瞬間、全身の体温がブワッと熱くなった。とろけるような優しい声。それに包容力がありそうな手。
私は体が動くままに行動した。目の前にある手に自分の手を重ねて、柵を降りた。
「大丈夫?怪我は?」
私は首を横に振った。彼は隣でよかったと口ずさんだ。静かに彼の方を見ると、タバコを吸いながら視界に広がる光る街を見ていた。その姿にドキッと胸が弾む。
何か言わなきゃ。
「あの、ごめんなさい」
彼の方を向いて視線を下に向けた。決して前は見ずにひたすら。
「何しようとしてた」
「え?」
私は咄嗟に彼の方を向いてしまった。自然と視線が交錯する。
「こんなところに来て、何かあったんじゃないの?」
彼は首を傾けながら私の目を見据えた。ハッと息を飲むような切れ長の目。血管が浮き上がる手。なんだか全てがかっこよく見えた。左手に持つタバコすらも、かっこいい。
「.....死のうと、思ってました」
「へー」
「否定しないんですか」
「別に、否定なんてしないよ。君の意思で死のうと思ってたんだから、俺の意思を被せる必要ないよね」
なんで。あまりにも真剣に言うから、真に受けちゃう。
「......」
「......」
お互い黙り込んだまま、気まずい空気が流れた。
「でも君はさ、まだ先があるんじゃない」
「.....先なんて、ありませんよ」
「先がない人なんていないんじゃない?」
どこまで素敵な人なの。素敵な人っていうか、私とは正反対の考え方に、私にはない感性を持っている気がした。
「でも、俺も同意見、かな」
「先がないってことですか?」
「うん。別に、無理して生きる必要もないと思う。成功しか経験してない人なんていないからね」
「なんか、その考え方いいですね」
私は柵に膝を乗せて再び街を眺めた。
「.....きみ、名前は?」
見知らぬ彼は柵に頬杖をつきながら名前を尋ねてきた。今思えば、見上げてしまうほど身長が高い。私が164センチだから、180センチくらい?あると思う。
「浦田凛です」
「凛。素敵な名前だね」
こういうことが普通に言えてしまう。
「あの、お名前....」
「響。京本響」
「京本さん」
「いきなり苗字。なんか堅くない?響でいいよ」
「いや、でも、初めましてだし、そんな急には」
「俺は凛って呼ぶけどね」
京本さんは一歩私に近づいた。一気に胸の距離が近くなり、鼓動が早まる。当たり前だけど、咄嗟に下を向いてしまう。
「凛。こっちきて」
「.......」
「大丈夫。何もしないから」
そんな甘い声で誘われたら、対抗できない。
「凛って、いい香りするね」
「え?そうですか?香水も何もしてないですけど」
「じゃあ凛自体がいい香りってことかな」
「え?」
私は上を向き、思っていた以上に京本さんと距離が近いのに気づく。
「やっとこっち見た」
「あの、ちょっと」
京本さんはさらに私に体を近づけ私を見下ろしてきた。
悪い目。目を細めてほくそ笑んでいた。
「何もしない、って」
「ん?」
なに、その顔。そんな優しい顔で見られたら、腰抜かしちゃう。
「あ、あぁ———」
「凛?りん?!」
視界がぼやけて、京本さんの顔が歪んだ。頭がキーンとして、もう、倒れそう。




