no title
ネタバレになりかねない描写が多くあります。ご理解ください。
「あははっ」
なんて憎たらしいほどに、清々しいほどに晴れた空なんだろう。
なんて死ぬのに、最高の日なんだろう!
そう思うと心の底から楽しくなって笑いが止まらない。私の人生も、私の人生を狂わせた奴らにも、これから私のせいで人生が狂ってしまう奴らにも、この世で呑気に生きている奴ら全員、嗤ってしまう。
スマホはさっき、二つあった最後の仕事を終えたばかり。直後に地面へ叩きつけたから無惨にディスプレイの破片が飛び散っている。……物に八つ当たりはよくないね。まあでも、せっかく書いた私の遺書は、有効活用してもらわなくちゃ。
私を殴って蹴っての暴力を振り続け、挙句の果て私を自傷癖持ちの虚言と罵った両親も。私の嘘を信じず、両親の本当を信じたゴミ共も、幼馴染も。みーんな、地獄に落ちればいい。今まで嘲笑ってた私のせいで。
「ふふ」
それってどんなに楽しいことなんだろう。きっと、人生で一番楽しい! 奴らの歪んだ表情を見れないことだけが心残りだけれど、私が死ななければそんな顔になることすらない。だから、私は奴らを殺すために自殺する、そう決めたんだから。
そう思えば、楽しくて楽しくて仕方がない。自然と鼻歌を歌っていた。
屋上の無骨なコンクリートを、スキップをするんじゃないかって自分でも思うくらい軽やかな足取りで歩いていく。
殴られた場所が痛くても、身体中を痣だらけにしても、誰も心配してくれなかった。だって、私は嘘つきだから。自傷癖があるから。助けてって言ったのにな。おかしいな。なんで、なんで?
でも、一人だけ信じてくれた。純粋無垢で、世の中の汚さを知らないほど可憐な女の子。
琥晴。七瀬琥晴。なんて可愛い響きの名前なんだろう。きっと両親に愛されているに違いない。けど、現実は違うらしい。琥晴はよく泣いていた。
誰にも見てもらえない、愛されないって。その度に私が、
「大丈夫、私はそばにいるよ」
って言うだけで、安心したように顔を綻ばせ余計に嬉しそうに涙を落とした。
その度に私は高揚した。琥晴の世界で、この子を愛してるのは自分だけなんだって。この子のこの表情を見れるのは自分だけなんだって。そう自覚しただけでゾクゾクした。言い表せぬ興奮で全身が震えた。
だから、もうすぐ来るはず。
そっと耳を澄ますと、ちょうど金属製のドアの向こうからバタバタと階段を駆け上がってくる音が聞こえる。
その足音だけで誰かわかってしまう私はきっと重症だろう。
足音が一度止んだタイミングで振り返った。勢いよく開けられた錆びついたドアの軋む音が心地よい。
「芭月っ……!」
「琥晴……。来てくれたんだね」
彼女の青ざめた表情を見ただけで、喜びが溢れて止まらない。呼吸を整えられず、肩で息をする様子が愛おしい。とにかく私を想い走ってきてくれたという事実が、私を喜びの頂点にまで連れて行った。
「どうしてっ……?」
「どうして? やだな、琥晴。おかしなことを訊かないで? もとより私はずうっと、こうするつもりだった」
「じゃ、じゃあなんで!」
いつもあんな事を言ったのか、と訊きたいのだろうけど琥晴はまだ息が整っていないらしく、言葉が途切れ途切れであった。
「そうすれば、琥晴は私だけを見てくれるでしょう?」
「っ……」
「…………」
やめてよ、そんな悲しそうな顔で私を見ないで。そんな絶望しきった顔で私を見ないで。そんな自分で泣いてることにすら気づかない顔で、私を見ないでよ。
――興奮して襲いたくなっちゃうでしょう?
「ねえ、琥晴。泣かないで、泣かないでよ」
「泣いて、ない。誰のせいで……。今まで、」
「ん?」
琥晴が珍しく言いづらそうに口をつぐんだ。今までしどろもどろになることはあっても、言葉の途中で黙ることはなかったから疑問に感じた。
「今まで、私にくれてた言葉は、全部……、全部嘘だったの?」
おかしな誤解をさせてしまったようだ。私は本当が何よりも嫌いだと言うのに。ああ、でもそうか。私の言い方が悪かったのか、確かにあれじゃあ誤解されかねない。
「違うよ、琥晴。嘘なんかじゃない、生憎私は本当が大嫌いなの。ねえ、こっちにおいで」
可愛い琥晴は一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに一歩、また一歩と私へと距離を詰めた。私は琥晴と同じ方向に一歩、また一歩と琥晴から距離を取った――否、人生を終えるために飛び越えるフェンスに近づいた。
カシャン、と私の背中がフェンスにぶつかる硬い音が響いた。ねえ、琥晴。今どんな気持ち? 嬉しいだろうか、喜んでいるだろうか。それとも、幸せだろうか。いや、きっとどれでもない。悲しいだろう、憂いているだろう、幸せであるはずがない。目の前で唯一の友人が死のうとしているのだ。私のように狂人でなければ、喜べるはずがない。それが分かっていても、琥晴のその顔を見るだけで、私は嬉しくて喜んで幸せに満ち足りている。
「もうね、私は疲れちゃった。殴られ続けるのも、虚言癖って罵られるのも……。だから、終わりにしようと思ったの」
口に出せば出すほど、自覚する。私は汚い人間なんだって。さも、自分が被害者のように語って、琥晴に同情させて、彼女の優しさに付け込もうとしてる。優しい人を利用しようとしている人間が汚くないなら、きっとみんな綺麗だ。
ほら、琥晴は優しいから。こんな汚い私をまっすぐに見つめて、涙を瞳いっぱいに溜めて、今にも溢れ出しそう。
「芭月。……芭月」
「なあに?」
「辛かったら、私がそばにいるよ。疲れちゃったら、私が抱きしめてあげる。……だから、だからっ」
「死ぬのをやめろって、言うの?」
思わず低い声がでてしまった。もともと日に焼けていない白い肌が、白さを通り越して青白くなっている。
辛いときに、琥晴がそばにいたらどんなに幸せか。疲れたときに、琥晴が抱きしめてくれたらどんなに幸福か。でもね、琥晴は気づいてくれなかったでしょう? 貴女は貴女自身のことでいっぱいいっぱいだったから。私が辛くても、琥晴がそばにいたんじゃなくて、私が琥晴のそばにいたの。私が疲れていても、琥晴が抱きしめてくれたんじゃなくて、私が琥晴を抱きしめていたの。
分かってるよ。自分でも。琥晴に悟られないように細心の注意を払っていたの。どんなに辛くても、疲れていても。琥晴の辛さが、苦しみが、私といることで薄れてくれればいいなっていう、私のエゴで。琥晴に気づかせることをしなかった。
ほら、琥晴は悪くないでしょう? 私。ほら、ごめんねって。琥晴にごめんねって、言ってあげよう。それで仲直り。
「ごめんね、やっぱなんでもなない」
飲み込め、感情を。今までもずっとそうだ。ずっと上手にやってきていただろう?
「違うの。本当は死なないでって、言いに来たんじゃないの」
「えっ……?」
今までで一番間抜けな声が出たと思う。だって、さっきまでまるで私に死んでほしくないみたいな言い方をしていたのに。
「あっ、でもね、死なないでほしいっていうのは本当だよ。でも、死んじゃうなら、私を置いていかないで……」
琥晴が瞬きした拍子に、瞳からガラス玉が一粒落ちた。なんとなくそれを目で追う。それは地面と音も無くぶつかって、割れて消えた。
「……琥晴。自分が言ってる意味、分かって言ってるの……?」
自覚するくらい声が震えた。小さく琥晴が頷くと、またガラス玉が一粒落ちた。
「私には、芭月しかいないから。芭月だけがいてくれればそれでいいから。……でも、死んじゃうなら、私も死なせて。芭月以外、いらないから」
――私は、今どんな顔をしているのだろう。
全身が喜びに打ち震えているのがわかる。気を抜けば今にも笑い声を上げてしまいそうだ。
本当に、本当に琥晴の世界には私しかいないんだ。私は、こんな私にこの子を依存させることができたんだ。こんなに、琥晴が私に依存しているなんて、なんて幸せだろう。
「いいよ、一緒に飛び降りようっ」
フェンスに腰掛けて、両腕を目一杯ひろげた。そしたら目の前にいる純粋無垢で可憐で可愛らしい、魔女に騙された可哀想な少女は迷うことなく私の腕の中に歩いてきてくれた。力いっぱい抱きしめると、少女は――琥晴は少しだけ苦しそうに吐息を漏らした。その音が、心地よくて更に力を入れる。すると、震えた手が私の背中に伸びてきて、弱々しい力で私を抱いてくれた。
拒絶されないのをいいことに、私は調子に乗って彼女の首筋に噛みついた。ビクリと体が震えたが構わず繰り返す。琥晴の首筋に噛みついた痕が残ったのを見て、満足した。今まで忘れていた欲望が腹の底で渦巻いて収まらない。
腕の力を弱めて、琥晴の顔を覗き込む。さっきとは違った潤んだ瞳で私の目をじっと見つめていた。紅潮した頬が可愛らしい。
「あいつら全員殺してやろう」
今までで一番いい笑顔だと思う。気分もすっかり晴れやかになっていた。琥晴が驚いたように目を見開いてから、琥晴の反応を確認してから。私は琥晴を抱きしめたまま、体重を後ろに預けた。
腰掛けていたのは五センチもない幅のフェンス。当然のように後ろにはなにもない。あるのは触れられない空気と、遙か下の地面だけ。
琥晴は軽いから私の力でも簡単に持ち上がった。最初は楽しい浮遊感。一瞬でそれに慣れると、空を見上げる余裕ができた。琥晴はまだ浮遊感になれないのか、ぎゅっと目を瞑って私に抱きついている。
ごめんね、琥晴。私ね、琥晴を死なせるつもりなんて、殺すつもりなんてないんだ。この後は、私だけ自殺に成功して、琥晴だけ助かる。そうすれば、琥晴は私にもっと執着する。依存してくれる。そう、確信しているから。最低でしょ? そう言って怒ってくれれば、罵ってくれれば最高だ。そういう感情を抱けば抱くほど、きっと忘れられなくなる。記憶から消そうにも消せなくなる。私が死んでも、琥晴だけは、私のことをずっと考えてて。裏切り者でも、どんなレッテルを貼ってでも、何でもいいから。ああ、でも嘘つきとだけは思わないでほしいな。私は今まで一度も嘘をついてないもの。
ごめんね、琥晴。きっと私はとっくに壊れてしまっていたの。だから、琥晴の傷ついた顔が愛おしくてたまらない。涙を流す姿に興奮して収まらない。自分がずっと傷つけられていたのにも関わらず、人の傷つく姿が気持ちよくてたまらない。いや、むしろ傷つけられていたからかもしれない。いっぱいいっぱい傷つけられた私は、人を傷つける資格を得たと錯覚しているのかもしれない。錯覚でも、私は愛を伝える代わりに、傷をつけている。きっと、そんな人間がこの世界にはごまんといる。愛という言葉で美化して平気で人を傷つける愚者共が。私もその愚者の一人。
一応、感謝してやる。私を産んだ両親に。もうすぐ、今までお世話になった分のお礼をするから。何を言っても助けてくれなかった小学生のときの担任たちも、お巡りさんも。きっと、たくさんお礼ができると思います。お世話になりました。ありがとう。さっさと地獄に落ちてくれれば幸いです。
心の中で吐けるだけの毒をいっぱい吐いて吐いて、吐ききってから、ぼやけた焦点を合わせた。視界がはっきりとすると、いつの間にか琥晴が目を開いて私をまっすぐに見つめていた。
もはや衝動的に、私は琥晴の頭を抱きしめた。それは守るためなのか、愛を伝えるためなのかは自分でもよくわからない。けれど、思いが溢れ出しての行動だというのは、はっきりと分かる。
ああ、大好き、愛してる。愛しているよ。琥晴。この世界の何よりも。琥晴だけが、琥晴だけが私を信じてくれた……!! 私の嘘を信じてくれてありがとう。琥晴は私の全てでした。だから私のいない世界で、心の底から私を憎み恨んで執着して生きてくれますように。歪んだ方法でじゃないと、愛の伝え方を知らない私をずっとずっと覚えていて。琥晴も私が全てであればいい、永遠に。
「愛してるよ」
彼女の耳にぐっと顔を近づけて囁いた。耳を噛み、そのあと唇を重ねた。私以外の誰にも、もう二度と触れさせないでくれたらいいな。もう二度と会うことのできない、貴女の人生を壊す私なんかのために。
自然と視界に青空が映る。本当に、ムカつくぐらい、けど苛立ちを消すくらい、綺麗な青空だ。なんて、なんて今日という日は、死ぬのに最高の日だろう。
――アハハッ




