暑さに委ねた恋心
高校生2人の、静かな想いを描いた物語です。
一人称視点で進みます。
甘めの青春BLのお話です。
あ、好き。
生まれて初めて一目惚れをした。
入学式。桜はとうに散り、緑が舞っている。
4月は出会いと別れの季節なんて言うが、こんなド田舎じゃ高校生になっても大してメンツが変わらず新しい空気を感じることは無い。
東京とかいう都会からは随分離れた南の島。電車はもちろん存在しないし、娯楽である映画館やゲーセンも1つもない。そんなところに生まれて16年。俺は今日から高校生だ。従兄弟からもらったお下がりの制服を身にまとい、正門をくぐる。
「おはよー」前を歩いていた幼馴染の松下優馬に声を掛ける。
「はよー、今日から高校生だってよ。実感わかないよなぁ」
気だるそうに答える優馬も誰かからのお下がりであろう少し古くなった制服を着ていた。
「だよなぁ。8割くらい中学一緒のやつらだし。はぁ、あっちー」
気温はそこまで高くないはずなのに湿度のせいで空気が重くとにかく暑い。春だとは思えないくらいの汗が額から滲み出る。
「入学式とかやる意味あんのかねー」前を歩く優馬が言う。同感だ。そりゃもちろん新しく入ってくる人もいるけど、ほぼ持ち上がり。やる必要なんてあるのだろうか。そんなことを思いながら俺と優馬は階段を上る。入学式の前に教室で待機しておくらしい。
教室は、古き良き伝統を残してます、って言いそうな古い造り。お世辞にも新しいとは言えない机と椅子。まぁ、予想はしてたけどこんなもんだよな。
黒板に目をやると誰がどこの席に座るかが書かれていた。全部で24席。相変わらず少ない。
俺の席は──ラッキー。窓側の1番後ろじゃん!
軽い足取りで自分の席に向かう。
こういう席好き。寝てもバレない、とかもあるけど教室全体が見渡せるこの感じ。なんともいえない優越感が広がる。
席につき外を眺める。窓から入ってくる風がやけに涼しく感じた。
少しすると先生が入ってきて、入学式の順序、入り方などを説明した。あまりちゃんと聞かずに、ぼーっとする。
隣の席、空いてる。
入学式に来ないなんて結構勇気あるよなー
俺は、優等生とも不良とも言えないけど、休むことにどこか罪悪感を感じて体調不良でもない限り休んだことは無い。1人で過ごすなんて寂しいし…。
気づいたら先生の話は終わっていて、みんな体育館に移動しようとしていた。慌てて、席を立ちみんなに着いていく。
体育館の玄関前まで来て、自分の前に見たことのない後ろ姿がある事に気づく。
さっきの空いていた席の人だろうか。
そんなことを考えていると、強い風が吹いてきて顔にあたる。ぎゅっと目をつぶって風が止むのを待った。
次に目を開けた時、俺は息を飲む感覚を初めて知った。
綺麗な横顔に似合わない不機嫌そうな顔で、さらさらの髪を掬うように払い、ため息をついていた。
妙に色っぽくて、ドラマのワンシーンにありそうなくらい「美しい」という言葉が似合うその人に目が離せない。
あ、好き。
一瞬でそう感じる。
ドクドクと変に脈打つ鼓動に動揺が抑えられない。
初対面、ましてや同性にこんな感情を抱いたのは初めてだった。
入学式が始まり、何事もないようにみんなが入場していく。その人も当たり前に歩き出す。
1年生の緊張感が漂う中、俺の心臓だけが違う高鳴りを感じていた。
入学式が終わり、みんなが教室に帰っていく。
式の途中、自分の斜め前に座るその人から目が離せず、何一つ話に集中できなかった。
変だ。自分の心なのに、自分じゃ制御できないくらいわからなくなっている。一目惚れ、ってやつなのか…?
教室に帰っていく間もその人を目で追い続けてしまった。
教室にたどり着き、自分の席に座ろうと足を進めるとその人も同じ方向へ行く。
あ、やっぱり隣の席の人だ。
椅子を引き、腰を下ろしているその動作ですら綺麗でまた変に心臓が動き出す。
この気持ちを顔に出してしまわないように、何事もないように自分の席へ向かう。
先生の話も、鳥のさえずりも俺にはもう何も聞こえてこなかった。
入学式、俺は案の定彼に話しかけることはできなかった。
話しかけてはいけないような気がして、ただただ眺めることしかできなかった。次の日もその次の日も。
目で追いかけるのが精一杯で、話しかけるなんて俺にはできなかった。
気付けば1年。1年経ってしまった。
彼と話したのは行事の確認ごとで話したときの2、3回だけ。
1年まともに話すことは出来なかったけど、彼について知ったことはたくさんある。
名前は水無瀬 遥。誕生日は8月17日。身長は180cm超え。出身はこの島だけど、一人暮らしらしい。好き嫌いが少し多くて、でもたくさん食べる。運動は好きで勉強は少し苦手。数学が特に嫌い。授業中はよく居眠りしてるし、学校も休みがち。見た目は綺麗すぎて話しかけにくいけど、友達と話してる時は明るくて優しそうでクラスにはあっという間に溶け込んでいた。
友達と話している時、授業中、昼ごはんを食べている時。毎日眺めて、毎日目に焼き付けて、少しずつ勝手に彼を知っていって。こんな……ストーカーまがいなことをしたい訳じゃない。
でも、話しかける勇気もない。こんなに好きなのに。
最初から気付いてはいたけどこの気持ちはやっぱり恋らしい。同性だから違う。と自分の心でずっと否定していた。だけど、否定できないほどに好きが溢れて認めざるを得なくなった。
話したい。笑いかけて欲しい。触れたい。触れられたい。
いつの間にかそんな欲望で頭の中はいっぱいだった。
4月。俺は2年生になった。出会いと別れの季節。去年はなんとも思ってなかった言葉だったけど、今は分かる。4月は間違いなく出会いの季節だ。彼に出会って初めて知った感情だった。
始業式、いつものように斜め前の彼を見る。ふと振り返った彼とバチッと目が合う。
やばっ、見てるのバレた。焦って目を逸らす。なんで、なんでこっち見たの。視線で気づかれた?キモイって思われた?焦りで視界がぐにゃっと歪んで、脳が真っ白になる。
式が終わって、いつもなら彼の少し後ろを歩くけど今日はできなかった。焦りが止まらなくて、彼より先に教室に戻って自分の席に着いて寝たフリをした。
みんながぞろぞろ教室に戻ってくる。心臓がうるさい。隣に彼が座る気配を感じて、怖くなって更に強く目を閉じる。
「碧くん、で合ってるよね?」
隣から声をかけられてビクッと反応する。
「寝てる…?」
どうしよう、寝てるフリ続ける?起きてるって言う?迷いまくった末に起きてる選択をすることにした。
「な、なに?起きてるよ」
少し冷たく返しちゃったかも。そう思ったけど、彼は何も感じてないみたいで、笑顔で話しかけてくる。
「いや、さっき目合ったよなー。って思って」
やっぱり気持ち悪いって思われたんだ。鼓動が早まる。
「ご、ごめん。ずっと見てた訳じゃなくて、たまたま目が合っちゃって、キモイって思ってたらごめん」
言わなくていい事までスラスラと自分の口から出てくる。
俺、こんなオドオドするタイプじゃないのに…。知らない自分を感じて恥ずかしくなる。
「え?あ、いや違うよ!別にキモイとか思ってないし責めてるとかじゃなくて!」
彼が慌てたように話す。
「前から話してみたいと思ってたんだけど、なかなか話すタイミングがなくて、話せなかったからこれを機に…的な?」
思わぬ回答にパッと顔を上げて彼を見る。ニコッと微笑むその顔は入学式で見た時とはだいぶ印象が変わって見えた。
「俺も水無瀬くんと話したいと思ってた!」
さっきとは打って変わって、自分の本音がパッとでてくる。
彼はまたニコッと笑って「俺、勝手に碧くんって呼んじゃったし、俺のことも下の名前で呼んでくれていいよ」と言ってくれた。
「じ、じゃあ遥、くん。」
「うん、碧くん」
名前を呼ぶのも呼ばれるのも恥ずかしくて、顔が熱くなるのを感じた。
「碧っていい名前だね。綺麗」
真っ直ぐ目を見つめて言われて、恥ずかしくて咄嗟に目を足元に移す。
「遥くんも、いい名前。遥くんにすごいピッタリ」
目を見ては言えなかったけど、ずっと思ってたこと。遥って名前がこんなに似合う人がいるのかと思うほど、どこまでも澄んでいて、どこか切なさを纏っているような、そんな人。名は体を表す、ってこういうことを言うんだろうか。
本人に直接言えたことが嬉しくて頬が緩む。
「早速なんだけどさ、」遥くんが話し出す。
「もうすぐテストあるじゃん?勉強教えてくれない?」
喜びに浮かれていた気持ちが急速に冷えるように沈んでいった。あー、そういうこと。理解した。テスト危ういから俺に声掛けたって訳ね。
自分で言うのもなんだが、俺は割と勉強はできる方だ。授業はサボらないし、寝ないし。聞いていれば理解できることばかりだ。遥くんは学校もよく休むし、授業中は寝てるから点数が危ういんだろう。でも、いいや。利用されてもいい。それでも話すきっかけになるなら全力で教えよう。そう決めてから、無駄な期待はしないようにした。傷付くのは怖い。俺は常に一歩引いて、遥くんと話すようにしようと思った。
その日から、授業中に席をくっつけて勉強を教えることが増えた。本当はダメだけど、遥くんは教科書をよく忘れるから先生が「じゃあ、隣の矢野に見せてもらって」とこちらに指示してきた。
「別にわざと忘れた訳じゃないよ?」小声で少し笑みを浮かべながら言うその姿が愛おしくてたまらない。
放課後、学校に残って勉強することもあった。俺は自分で理解はできるけど、人に教えるのはそんなに得意じゃないから遥くんに理解してもらおうと、がんばって俺自身も勉強をした。遥くんは俺の下手くそな説明でもちゃんと理解してくれようとするし、教え方が微妙な時でも「あ、わかった!出来そう。ありがとう」って言ってくれる。でも、集中力はあまりなく、すぐに飽きてしまう。
「散歩行こ!」
遥くんはいつも唐突だ。放課後、部活動に励んでいる生徒たちの声が響き渡る中庭。遥くんはスマホを片手に前を歩く。夕日で赤く染まる空が遥くんまでをも赤く染めていて美しい。遥くんはスマホを掲げて空の写真を撮っている。パシャ。パシャ。不思議とカメラのシャッター音まで綺麗に聞こえる。
「碧くん、写真撮る?」
パッと後ろを振り向いて俺に声をかける。
「ふぇ、写真?」いきなりすぎて意味が理解できなくてアホみたいな声で聞き返してしまった。
「うん、2人で撮ろうよ」
そう言うと、後ろを歩いていた俺に近づいてきて、顔を寄せる。
「いくよー、」パシャ。
なんでこんな思わせぶりなことをするんだろう。俺だけが勘違いして勝手に舞い上がってるなら……って、怖くてたまらない。嫉妬なのか独占欲なのか。持ってはいけない感情が胸に広がる気がした。テストまでの間なのにこんなに優しくしないでよ。俺の複雑な感情とは裏腹に遥くんは撮った写真をニコニコしながら眺めている。
好きだ。ほんとに、苦しいくらい好き。顔が熱くなり、火照っている感覚が自分でもわかる。でも今は真っ赤に染まる夕焼け空が隠してくれる気がした。
テストはあの濃厚な期間が嘘だったかのようにあっさり終わった。これで、この幸せな時間も終わりなのか。
いつも通りの日常に戻るだけ。それなのに、胸の奥にぽっかり穴が空いたみたいだった。
テスト返しが終わったと同時に、席替えも行われた。くじ引きで行われた席替えだったが、運がいいのか悪いのか俺の席は変わらず後ろだった。遥くんは廊下側の前から2列目。ただでさえ話す機会がなくなったのに、物理的に距離まで遠くなってしまった。遥くんと本当に関係が絶たれたみたいで正直耐えられない。遥くんのテストの結果は分からない。けど、友達と嬉しそうに話してるのを見ると、きっといい点が取れたんだろうと思いほっとする。次のテストの時でもいい。また俺を頼ってくれたらいいな。欲深くなる感情を持ちながらもどこか控えめな自分がいた。
昼休み、俺の前の席になった優馬と一緒にご飯を食べる。「なぁ、テストどうだった?まぁ、聞くまでもないか。お前毎回上位だもんな」
唐揚げを口いっぱいに頬張りながら優馬が言う。
「まぁな。優馬と違って俺優等生だから」自慢げに言うと優馬はムッという顔をして、また唐揚げを口に入れた。
そんな他愛もない話をしていると、こちらに向かって遥くんが歩いてきた。え、え何。遥くんに気付かないふりをしてご飯を口に入れる。
俺の席の隣に立って、「碧くん!」と元気よく声をかけてきた。慌てた素振りを見せないように、極力落ち着いて返事をする。
「どうしたの?」
「見て!数学のテスト。こんな点数取れたの初めて!」
テスト用紙を両手でしっかり握って俺の目の前に持ってきた。用紙の右上には53の数字。高い、とは言えないが以前の遥くんにしてみればものすごい成長だ。
「すごい!赤点回避出来ればいいって言ってたくらいなのに、全然余裕で超えてるよ!!」
俺もテンションが上がって、大きな声で喜んだ。
「でしょ!碧くんのおかげ、本当にありがとう!」
へにゃ、っと笑う顔がたまらなく可愛くて照れてしまう。
「い、いや全然俺のおかげとかじゃないよ。遥くんが頑張ったからだよ」
さっきのテンション任せの返事ができなくて、いつもみたいにオドオドしてしまう。
「ううん、碧くんのおかげ。また、勉強教えてね!」
そういうと遥くんは足取り軽く自分の席に戻って行った。
―また、勉強教えてね!―
さっき言われた言葉を反芻する。
また、教えていいんだ。また、一緒にいていいんだ。嬉しくて自然と頬が緩む。その様子を見て、何か思ったのか優馬が不思議そうに聞いてくる。
「あれ、碧って遥と仲良かったんだ」
優馬がそう言ったけどその質問より先に言い方が引っかかった。
──遥…?
「え、優馬こそ呼び捨てするくらい、仲良かったんだ?」
自然と少し怒ったような口調になる。なんで、俺こんなキレてんの?そう思ったけど、心のモヤモヤがどんどん湧いてくる。
「いや、俺陸上部じゃん?部活の時たまに来るから、一緒にやってんだよ。」
確かに優馬は陸上部だけど、遥くんがたまに来る?毎日見てたのに知らなかった。
「それほんと?」
「ほんとほんと。てか、なんか怒ってる?…もしかして、遥のこと好きだったりして笑」
優馬がニヤニヤと言ってきて、その瞬間一気に恥ずかしさが込み上げてきた。
「あ、いや。そういうんじゃ、なくて…」
あからさまにキョドってしまう。目の前の優馬は、目を見開いて驚いた顔をする。
「え、なにマジなの?」
優馬に隠しても、どうせすぐ気付かれる。なら自分から言ってしまおう。
「マジ…です。」
顔が熱くなるのを感じて両手で顔を隠す。
「いや、別にいいんだけどさ、お前少し前まで美人お姉さんとかが好きだったじゃん。急に同性いくとは思わんかったわ。」
若干呆れたような口調で言ってくる。
「俺もびっくりしてるんだよ。今まで男の人好きになったこととかないし…。最近女の人見てもなんとも思わないし。というか、むしろ遥くんでしか反応しない、みたいな…?」
何を言ってるんだ俺は。さっきから優馬の冷たい視線が刺さってくる。
「まぁ好きな人出来たのはいいことなんじゃね?でも、遥モテるから碧の出る隙ないかもよ」
「それは、もちろん知ってるけど…」
そう、遥くんは非常にモテる。去年から先輩後輩関わらず何人かに告白されているのを見たことがある。遥くんは恋愛に興味は無いのか、いつもニコニコしながら、「ごめんね」と言っては断っていた。そんな人に俺が好かれるわけないよな。そんなことを考えていると優馬が思いついたように言ってきた。
「今日、部活見に来いよ!遥も来るって言ってたし。な!遥」
優馬は離れた席にいる遥くんを大きな声で呼ぶ。
「ちょっと、何勝手に決めてんの!余計なこと言わないで」
慌てて優馬を止めようとしたけど手遅れで、遥くんは何が何だかわからずにきょとんとして首を傾げている。
「遥、今日部活くるだろ?碧が見に行きたいんだって。」
「ちょっと、本当にもうやめてっ」
恥ずかしさでこの場から今すぐ消えてしまいたい。少しの沈黙の後、遥くんが嬉しそうにこっちに走ってきた。
「ほんと!?碧くん、今日来てくれるの?楽しみ。待ってるね」
その姿を見て息を飲む。…かわいい。
バイバイ、と言って軽く手を振り帰っていく後ろ姿を見送る。
「優馬、いきなりやめてよ。心臓に悪い」
「ごめんって。でも、陸上してる遥見たいだろ?」
そう言われてしまうと、頷くことしか出来なくて心の中で優馬に感謝をする自分がいた。
放課後。グラウンドには優馬と遥くんとその他数名の生徒がいた。
黒いインナーの上からTシャツを着て、短パンの下から黒のスパッツを履いた程よく筋肉のついた足が見えている。今の遥くんは同級生だとは思えない色気を放っていた。
制服ともジャージとも違う新鮮なその姿に目を奪われる。
今はどうやら準備運動をしているようだ。
周りにはちらほらと女子生徒がいて、キャッキャと話をしている。
「やっぱ水無瀬くんってカッコイイよね」「スタイルいいし、明るいし。勉強苦手なところも含めて可愛い」
やっぱ人気すごいんだな。そりゃあれだけ美形ならみんなそう思うか。
「でも、優馬くんも負けてないよね。The陽キャって感じでみんなに優しいし」「わかる!去年の体育祭の時、当たり前みたいに荷物持ってくれて惚れた!」
そんな会話も聞こえてきて、お前もモテんのかよ!と心の中でツッコまずにはいられなかった。まぁ、優馬のことはどうでもいい。今この瞬間の遥くんを目に焼き付けておこう、と遥くんを見つめる。すると、こちらに気付いた遥くんが笑顔で大きく手を振ってきた。
これ、俺に手振ってる、んだよな?
不安になりつつも、小さく手を振り返すと更に大きく手を振ってきて嬉しさで爆発しそうだった。
準備運動も終わり、本格的に練習が始まった。
今日は100メートル走の練習をするということは事前に優馬から聞いていたので、体育以外で遥くんの走る姿が見れることを考えてドキドキしていた。
遥くんがスタートの位置に立つ。顧問の先生の掛け声とともに遥くんが真剣な眼差しになり、地面に手を付き、膝を折る。真っ直ぐピンと張った背筋、指先から爪先まで感じる繊細さと今にも走り出しそうな緊張で密かに震えている脚、その全てが共存していた。
一瞬たりとも見逃してはいけない、と本能に近いものでそう感じた。
笛の音が鳴ると同時に、大地を蹴る。一直線に飛び出した遥くんは真剣に前を見据えていて、でもどこかいきいきしていて走ることが好きだと全身で伝えている。
気付いた時には遥くんはゴール地点にいて、肩で息をしていた。
あっという間だった。俺は別にスポーツとか詳しくないし、陸上の知識だって何も無い。だけど今の十数秒、息も瞬きするのも忘れて見入ってしまった。
そこからの練習も目が離せず、遥くんだけをひたすら目で追った。
いつの間にか時間は過ぎていて、空が赤くなり始めていた。余韻を噛み締めるように立ち尽くしていた俺に「碧!」と声がかかる。見れば帰る準備を終えた優馬がいた。
「どうだった?」
「…すごかった。俺、陸上のこととか全然知らないんだけど、とにかく美しかった!なんか目離しちゃいけない気がした。それに…」
「あー、分かった分かった。ちょっと待て」
興奮しながら話す俺の言葉を途中で遮る。
「いや、聞けよ」
話を止められ少しムッとする。
「俺じゃなくて、本人に言いな」
そう言って後ろにチラッと目をやる優馬を見て、嫌な汗がだらだらと流れてくる。恐る恐る後ろを見ると、遥くんがいて、照れくさそうに「あ、ごめん。別に聞くつもりじゃなかったんだけど…」と小声で言う。
俺の心臓は心配になるくらい早く動いていて、今すぐこの場から逃げたくなる。
「あ、えっと…」
言葉が出てこない。聞かれてたの恥ずかしい…。優馬は、そんなことを思ってる俺を気にも止めず
「じゃ、俺帰るわ。また明日なー」と手を振って帰っていた。
沈黙が流れる。気まずい。
「あ、あの…!」
沈黙は苦手で俺の方から声を出した。
「さっきの聞かれてたから分かると思うけど、今日見てて本当にすごいと思った。綺麗でカッコよかったよ」
そう言うと、遥くんがニコッと微笑んだ。
「ほんと?良かった。碧くんに見られてると思うと緊張していつもより力入っちゃったからダサかったかもって思ってた」
「そんなことないよ!俺すごい見入っちゃった」
勢いに任せて思ってたことを伝える。
「ふふっ、ありがとう。続きはバス停まで歩きながら聞かせてくれる?」
そう言われ、テスト期間のことを思い出す。お互いバスで帰るから放課後バス停でバスが来るまでいろいろ話していた。にしても、続き!?遥くんをひたすら褒めまくるだけの続きを本人に話すの?恥ずかしすぎるんだけど。
「つ、続きはまた今度で…。」
耐えられなくて逃げてしまった。
「えー、残念。もっと聞きたかったのに」
そう言ってイタズラっ子みたいに笑って俺の顔を覗き込んでくる。
「やめてよ、からかわないで!ほら前向いて歩かないと転んじゃうよ!」
そう言うと「はーい」と言って、俺の前を歩き出す。
後ろから遥くんを見つめる。程よくついた筋肉、練習の時の集中力、フォームの綺麗さ。そして走ってる時のあの楽しそうな顔。思い出してふと疑問に思う。
「なんで遥くんはさ、陸上部入らないの?あんなに楽しそうだったのに」
優馬が言ってた「たまに来る」も気になってはいた。陸上部には入らず、たまに程度なのはどうしてなんだろう。
「うーん、運動はただの趣味だから。それに俺試合とか出たくないんだ。あの試合特有の雰囲気とか歓声の声とか騒がしいのが少し苦手で。」
そう言う遥くんがどこか寂しそうな顔をしていたように見えたのは気のせいだろうか。あまり深く聞かない方がいいような気がして、「そっか」とだけ返す。
「逆に碧くんは運動とかしないの?」
体育の授業とかで見てたら分かってるはずなのに聞いてくる。
「言わなくてもわかるでしょ。俺、遥くんと違って運動苦手なの」
「運動下手っぴなの碧くんらしくていいよね」
またイタズラっ子みたいにニヤニヤしてからかってくる。
「もういいから!」と言って、早歩きをして遥くんの前を行く。拗ねるように言ってしまったが、遥くんにからかわれるのは嫌いじゃない。不思議だ。気付けばバス停に着いていて、そのタイミングで遥くんが乗るバスがやってきた。バスに乗り込む遥くんに、勇気をだして声をかける。
「また、練習見に行っても、いいかな…?」
心臓がバクバクと騒ぐ。遥くんは一瞬驚いたように目を見開いてそのあとすぐにいつもの笑顔をこちらに向けてくれた。
「うん、いつでも見に来て」
ふわっと目を細めて笑うその顔を閉まったドア越しに見つめる。手を振りながら、口パクでバイバイと言ってくれている。俺も小さく手を振りながらバスを見送る。
ただの友達同士。それ以上になれない事は分かっているのにこういうちょっとした出来事だけで期待してしまう。もっと近づきたい。胸が苦しい。
はぁ、と力が一気に抜けてその場にしゃがみこむ。
俺の好きに気付いてしまえばいいのに。
その日から遥くんが陸上をしに行く日には必ず見に行った。自分は帰宅部で良かったと心の底からそう思った。準備運動から練習中、練習が終わるまで。1秒たりとも遥くんから目を離すことはなかった。高校を卒業しても絶対記憶から無くなってしまわないようにと余すことなく彼を見つめた。そんなことをし続けて3ヶ月、季節はすっかり暑さを纏っていた。テスト前。いつもなら嫌な期間だけど、今回はそうではない。今回も遥くんからのお願いで、勉強を教えることになっていた。
昨日の帰り道。部活を終えた遥くんといつものようにバス停まで歩く。
「もうすぐテストだね」
なんの前ぶりもなく、こちらを向いて楽しそうに言う。
「なんでそんなに楽しそうなの。勉強苦手でしょ?」
苦手なことが始まるのに笑っている遥くんを見て、ふっと表情が緩む。
「だって、碧くんが教えてくれるじゃん。あの時間すごく好き」
俺に向かって言った「好き」じゃないのは分かっている。遥くんが言ったのはのんびりと勉強するあの時間のこと。それでも、自分との時間をそんなに良いものだと思っていてくれたんだと思うと、顔が一気に熱くなる。
「俺も好きだよ、。」
ずるい言い方。俺が言ったのは遥くんが言ったのとは違う意味だった。気付いて欲しいけど、気付いてほしくない。そんな矛盾を抱えながら、バス停で2人。生温い風を感じていた。
テスト期間に入ってからは、部活も休みになるので遥くんとはほぼ毎日放課後を一緒に過ごした。
教室で勉強する日もあれば、図書室に行ったりもした。もちろん、遥くんの気ままな散歩にもよく着いて行った。前回のテスト期間と全く違う距離感になっていったのは鈍い俺でも何となくわかった。でも、実際そんなに大きな差はないのかもしれない。近付いてはいけない、と遥くんの後ろを歩いていたあの時と違い、隣で同じ歩幅で歩くようになったり。2つの机をくっつけるのではなく、1つの机を2人で使うようになったり。
そんな周りから見たらほんとに小さい些細なこと。
それだけのはずなのに、心まで近づいたと勘違いしてどんどん欲深くなってしまう。
勉強していたのに机に顔を伏せてすやすや眠っている遥くんを見つめる。真っ黒で何色にも染まらない綺麗な髪。汚れを知らない彼にもし触れたらどうなってしまうんだろう。この関係は壊れてしまうのだろうか。あと数cm手を伸ばせば目の前の彼に触れられる距離なのに。グッと手に力を入れて引き戻す。壊れるくらいならこのままでいい。疲れてたのか勉強をし始めてすぐ寝てしまった遥くん。今日はすぐ帰ろうと思い帰る準備を始める。ぐっすり寝てる遥くんを起こすのは少々気が引けたが、肩を軽くゆすって声をかける。
「遥くん、今日は勉強おやすみして帰ろ」
そう言うと、机に伏していた顔を向けてきて、まだ眠そうな目をする。ふにゃふにゃした感じの遥くんにドキドキして油断していた。
「学校だと眠くなるからさ、うち来る?」
遥くんはいつも唐突だ。
流れるように返事をして、 2人でバス停へ向かう。分かっている。遥くんに俺と同じ感情がないことは。だけど、好きな人からのこんな誘い、期待しない方が難しい。期待と緊張と嬉しさと。心の中はこんなにもうるさいのに、それとは反対にさっきからどちらも一言も話さず静かな空気が流れている。気まずい。最初こそ2人の時に良く感じていたが、最近思うことはなくなっていたその状況に心がザワザワする。なにか、話さなきゃ。そう思っているといきなり遥くんが「あ!」と声を出した。どうしたの、と聞くまでもなく「碧くん、バス来ちゃう!走って!これ逃したら次3時間後だよ!」と言い、慌てて走り出す。遥くんについていける訳もないが、がんばってその後を追いかける。なんとか間に合い、誰も乗っていないバスの1番後ろに腰をかける。久しぶりにあんなに全力で走って、呼吸が乱れる。汗で肌に張り付くシャツが鬱陶しくて無意識に険しい顔になる。
「ははっ、碧くん暑そう」
そう言う遥くんは俺とは対照的に涼しげな顔で笑っている。
「普段から運動してる人と比べないでよ。」
「ごめんごめん、こんな走らせちゃうとは思ってなかった」
さっきの緊張した空気はどこへ行ったのか、いつも通りの雰囲気に戻り安心する。
いつも見送るだけだったバスに揺られ、自分の家と反対方向に進んでいく。
バスを降りて、強い日差しが差す中、汗だくになりながら歩く。何も起きないと分かっているのに何かあったら、と無駄な妄想を頭の中で繰り広げて、「碧くん聞いてる?」と何度も言われてしまった。
友達の家に行くだけ、友達の家に行くだけ。と何度も自分に言い聞かせて、歩みを進める。
玄関の前に着いたころには緊張で心臓が騒がしかった。
「ちょっと散らかってるけどどうぞ。適当に座って」
「お、おじゃまします」
部屋はシンプルで物が少なくて、とても散らかってるなんて言うような部屋ではなかった。適当に座っていいと言われたがどこに座っていいか分からず立ち尽くす。
「ごめん、飲み物お茶くらいしかなくて…」
そう言ってグラスを両手に持って戻ってきた遥くんはその場に立ったままの俺を見てフッと笑った。
「もー、どこでもいいって言ったんだからどこでもいいんだよ」
と言いテーブルにグラスを置きベッドに座った遥くん。ベッドに座るのはさすがに申し訳なくて、遥くんの足元の近くの床に腰を下ろす。
「お茶、ありがとう」
持ってきてくれたお茶を飲み、緊張続きで乾いていた喉を潤す。
「あと、今日誘ってくれてありがとうね。あのまま帰るってなったら一人になるから寂しかった。」
「一人嫌いなの?」
「…俺のとこ母子家庭でさ、母親が帰ってくるの朝方とかよくあるから。小さい時から一人になること多くて、それのせいで今でも一人は苦手で…。もう高校生なのに子供みたいでダサいよね」
こんなこと言うはずじゃなかったのに、遥くん相手だとスラスラと言葉が出てきてしまう。あー、ほら遥くん困った顔してる。
「ダサくないよ。それだけ家族のこと好きってことじゃん。良い事だよ」
遥くんの優しく包み込むような声に安心した。この歳になってまで寂しいと感じている自分を自分自身で否定しては、また寂しさで埋め尽くされることが度々あった。大丈夫だよ、と言ってくれた気がして重くのしかかっていたものが一気になくなった。良い事、なんだ。寂しいって思ってもいいんだ。
「ありがとう」
自然と自分の口から零れていた。遥くんは少しの間驚いて、「寂しいんだったら俺と一緒にいよーね」と言ってくれた。それは友達として、だよね。それでも嬉しさで心が満たされた。
「遥くんは、一人寂しくないの?」
そう質問すると、少し考えてから
「うーん、寂しくはないかな。俺はどっちかって言ったら一人の方が好きだし。あ、もちろん友達とかは別だよ?」と何故か最後の部分は慌てて言った。
「俺は、家族みんないるのに一人暮らし始めちゃったからなぁ」
そう言われると、何故そうなったのか経緯が気になってしまう。
「なんで一人暮らし始めたの?」
ずいっと遥くんの方に身を寄せて聞く。
「俺さ、別に家族みんなと仲悪いとかそういうんじゃないんだよ。むしろ仲良くてさ。だけど兄さんが出来すぎる人で。勉強はもちろん、俺の得意な運動でさえ、一緒に出た大会では俺をズタボロに負かしていったんだ。母さんも父さんも兄弟間での差別とかは絶対にしてこないんだけど、俺自身がその場所に居づらくなって。それで一人暮らしなんとか許可してもらって、今に至るって感じかな」
一気に全部を説明してくれた遥くんは、顔は笑顔なのにどこか苦しんでいるように見えた。安易に聞いてしまったのは間違いだったかもしれない。
「…ごめん。そういう理由だって知らなくて。」
申し訳なくて、謝ることしか出来なかった。
「いいよいいよ、大丈夫だよ。俺から話したみたいなもんだし。しかも俺一人暮らし満足してるんだよ?こうやって、親に許可貰わなくても呼べるじゃん?」
俺の目を見てハッキリとそう言ってくる遥くんはあまりにも魔性の人だと思った。
「べ、勉強しよう!」
パッと目を逸らして、机の上にノートを広げる。遥くんはベッドを降りて俺の隣に座ってきた。筆箱を出しシャーペンを握る。すると、机に広げたノートをパタン、と閉じられた。頭の中にハテナを浮かべる俺をじっと見てきて「ほんとに、勉強するの?」
それはどういう意味だろう。ドクドクという音が聞こえる気がした。
「今日は勉強おやすみ、って碧くんが言ったんだよ」
言ったけどそれは遥くんが疲れてるからだと思って。
頭の中では返せるのに、現実では遥くんから目が離せずにいた。
ドクンドクン
「今日は休んじゃお?ね?」
俺の右手に遥くんの左手が軽く触れる。その瞬間、バッと手を引いてしまった。
ドクンドクン
まだうるさい。
「ご、ごめん。ビックリしちゃって」
そう言うと、さっきの飲まれそうな空気は消えていていつもの遥くんに戻る。
「うわ、ごめん。何してんだろ俺」
「いや俺の方こそごめん。今日は勉強休みにしようか。じゃあ俺帰ろうかな」
そう言って荷物をまとめる。ビックリした、あの空気少し怖かった。飲まれるところだった。帰ろうと立ち上がると、「まだ、帰んないで」と後ろから声が聞こえた。振り返ると困ったような笑顔の遥くんがいた。
「一人寂しいんでしょ?いつもの時間になるまでこっちいてよ」
言葉だけ聞いたらどっちが寂しがってるのか分からなくなりそうだった。
「…うん」
俺はバッグを置いて、また遥くんの隣に座る。ぽそっと「俺も寂しがり屋なのかもしれない」と遥くんが言った。
少しビックリしたけど、「そうかもね、似た者同士だ」と言って二人で笑いあった。
気付けばいつもより遅い時間まで、ずっと話していた。自分の家族の話、小さい時の話、好きな物とか趣味とか。今まで知らなかったことをお互いに質問してあっという間に時間がすぎた。
バス停まで送ってくれた遥くんにお礼を言い、バスに乗る。
「テスト終わったら、二人で夏祭り行こうね」
ドアが閉まる直前、そう言われて脳内がフリーズした。
「え、」
何も言えないままドアが閉まる。口パクで「絶対行く!」と伝えて、大きく手を振った。
ニコニコといつもの笑顔で手を振る遥くん。遥くんが見えなくなるまで俺は手を振り続けた。
あの誘いは、デート、ではないよね?遊ぶだけだよね?どうしよう、行くと言ったはいいものの心の準備なんて何一つできていなかった。へなへなと力が抜ける体をバスの座席に預けて、揺れるバスに身を任せた。
あの日から、遥くんは勉強にすごく集中できてたけど俺の方は全く勉強に身が入らなかった。夏祭りのことを考えるだけで頭がパンクしそうになるほどだったからだ。遥くんを見習って集中しなければと思い、なんとかいつも通りの点数を取れるようにがんばった。
テストはあっという間だった。いろいろあったけど、いつも通りに出来たはずだ。遥くんもどこか自信ありげな感じだ。
テスト返しの日。俺はいつも通り、程よく高得点を取れた。遥くんはというと、前回同様嬉しそうにテスト用紙を持ってきて見せてくれた。右上には65の数字。本当にビックリするくらい成長している。最初は理解できないと言っていたくらいだが、今は凡ミスがちらほら目立つくらいだ。ここまで伸びると教える側も気持ちがいい。喜ぶ遥くんを見て、俺も嬉しくなった。
テスト返しも終わり、来週の夏祭りが近付いてくると段々と実感が湧いてきた。浴衣とか着ていった方がいいんだろうか。お祭りなんていつもは短パンにTシャツという特に何も拘ってない格好でしか行ったことがない。でも、せっかくの遥くんからのお誘いだ。少しでも気合いを入れて行こう。
夏祭り当日。
結局親戚から浴衣を借りて着させてもらうことにした。初めての着心地に違和感を感じる。家を出る前に何度も鏡の前でチェックをした。変じゃないかな。はぁ、緊張する。遥くんとは祭りが行われる場所の近くにある神社の鳥居で待ち合わせをすることになっていた。集合は18時だけど、早めに出てしまい、17時には神社に着いていた。遥くんはもちろんまだ来ていない。
お祭りに来ている人なんてたくさんいるのに、手を繋いで歩くカップルにしか目がいかない。俺も遥くんと、なんて考えてしまう。遥くんが来るまで落ち着かなくてスマホを見ると17:30の数字。あと30分か。そんなことを考えていると「碧くん!」と前の方から声がした。パッと視線をあげるとそこには落ち着いた紺色の浴衣を着たいつもより何倍も大人な雰囲気を醸し出している遥くんがいた。長身な遥くんのスタイルが強調されていて目を奪われる。髪もセットしていて横髪をヘアピンで留めている。そのあまりの美しさに見とれていると「碧くん?」と再度声をかけられる。
「ごめんね、準備に時間かかっちゃって。早めに来たつもりだったんだけど、碧くんに負けちゃった」とキラキラな笑顔を向けてくる。
「あ、いや、全然大丈夫だよ。」一気に緊張が頭の中を巡って、視線を足元に向けて答えてしまう。
「碧くんも、浴衣着てきてくれたんだ。すっごい似合ってるかわいい」とストレートに褒められ心臓が跳ね上がる。
「あ、ありがとう。遥くんも似合ってるよ」と返すのが精一杯だった。
「じゃあ行こっか。」そう言うと遥くんは前を歩き出す。大きな背中を眺めながら着いていく。緊張をほぐそうと、大きく深呼吸をしてから「遥くん!」と呼ぶ。
振り向く遥くんに小走りで近づき隣を歩く。
デートじゃない、友達と遊ぶだけ。だけど、今日だけは遥くんの隣を独り占めしてしまおう。
時間はあっという間に過ぎて、辺りは真っ暗になっていた。来ていた人たちがそろそろ始まる花火に期待する声が聞こえてくる。遥くんと過ごす時間は楽しくて、ドキドキしていてずっと感情を動かされていた。二人で金魚すくい対決をしたり、お揃いのお面を買ったり、お互い違う味のかき氷を買って半分こしたりした。この楽しい時間がいつまでも続いて欲しいと心の底から願っていた。だけど、無慈悲にも時間は過ぎていく。
「花火、よく見えるところ知ってるんだ」と遥くんが言い、暗い神社の中に入っていく。誰もいない静かな空間に進むにつれて心臓はバクバクと鼓動を立てる。
草をかき分けて進んだ先。
「ここだよ」
そう言われて前を向く。
「わぁ、ここからこんなに見えるんだ」
少し高い場所にある神社のその場所は、お祭りの雰囲気全体が見渡せるほどの絶景スポットだった。
「よくこんな場所知ってたね。」
「小さい時兄ちゃんと毎年来てたんだ。碧くんにも教えてあげたくて」
そう言って遥くんは微笑む。
「もうそろそろ始まるね」
時間を確認しながら遥くんが言ったその時、大きな音が響き一発目の花火が上がる。それを合図に次から次へと色とりどりの花火が夜空を彩る。
「綺麗…」遥くんはそう呟いたけど、俺の目には花火を見上げる遥くんの横顔の方がよっぽど儚くて綺麗に映っていた。
「遥くん」
「ん?」
「好きだよ」
溢れる感情をもう抑えることはできなかった。驚いた顔してる。ごめんね、男なのに遥くんのこと好きになっちゃって。でも、それでも
「遥くんが好き。」
俺から見てもわかるくらい遥くんの顔がブワッと赤くなる。
「あ、えっと…」
困惑、するよね。もう元の関係には戻れないんだろう。自分で言ったくせに返事を聞きたくない。
「…それ、ほんと?」
「冗談でこんなこと言わないよ」
この関係が壊れてしまうのが怖い。今すぐ逃げだしてしまいたい。
「碧くん、こっち見て」
遥くんは下を向く俺にそう言った。顔を上げると真剣な顔をした遥くんと目が合う。
「俺から言いたかったのに」
そんなことを言って、震える俺の手に触れる。
「俺も碧くんのこと好きだよ。大好き。俺と付き合ってください」
「え、?」
聞き間違い、じゃないよね?遥くんも俺のこと好き?
「それ、ほんと?」
「冗談でこんなこと言わないよ」
さっきと同じやり取りを交わす。その瞬間嬉しさやら安堵やらで溜めていたものが一気に溢れ出した。
「ほんとにほんと?」
止まらない涙を無視して、また同じ質問を繰り返す。
「ほんとにほんと。大好きだよ泣かないで」
頬を伝う涙を遥くんが指で拭ってくれる。
「なんで、俺なんか、」
言葉が喉につかえる。俺が言いたいことを汲み取ってくれた遥くんが優しい声で答える。
「俺ね、本当は1年生の頃から気になってたんだ。隣の席からいつも視線感じてたから」
思い出したように、ふっと笑って先を続ける。
「それで、気になって碧くんが見てない時にどれだけ見れるか、なんてゲーム1人で楽しんだりしてた。最初はそんな感じだったんだけど、見ていくうちに碧くんの真面目さとか人に対する優しさとか、いつも少しだけ寂しそうなところとか。いろんな碧くんが見えてきて、気付いたら好きになってた。だけど、話すきっかけがなかなか無かったでしょ?」
話し続けながらも俺を安心させるように手を握ってくれている。うん、と軽く頷くと
「だからさ、あの日、碧くんの視線感じてた時に後ろ振り向いてみたんだ。」と驚くことを言った。分かってて俺の方を見たんだ。
「そしたら、碧くんの反応が思ってた以上にかわいくて。いいきっかけできたかなって思って話しかけたんだ。そこからは碧くんの知ってる通りだよ。勉強教えてもらったりしてずっと一緒にいるきっかけ作ってた。ちゃんと自分の思い伝えなかったのにそんなことするなんて、ズルいよね」
遥くんはちょっと困った顔で笑う。
「でも、これで伝わったでしょ?俺ほんとに碧くんのこと好きなんだよ。」
そう言って、触れていただけの手をゆっくり絡めてくる。心臓がうるさい。
「かわいいね、碧くん」
絡めた手が暑い。
「キス、していい?」
顔をのぞき込まれて聞かれる。頷くことしか出来ない。近付いてくる遥くんを直視できなくてギュッと目を瞑る。右手は繋がれたまま反対の手で頬に触れられる。軽く触れた唇のその感覚に今までに感じたことの無い多幸感を覚える。好き。大好き。恥ずかしくて言葉には出せないから、俺の気持ちが伝わるように触れるそこから必死に想いを返した。
唇が離れると、遥くんが繋いだ手はそのままに立ち上がり、歩き出す。
「どこ行くの」
「家」
間髪入れずに返される。前を歩く後ろ姿を見ながら期待で胸が昂る。
遥くんの家に着いた途端、口を塞がれる。茹だるような部屋の中で言葉はなくお互いの好きが伝わっていく。繋いだ手から、触れた唇から、今この空間の全てから幸せが溢れている。溶けるようになだれこんだのはこの暑さのせいにしてしまおう。二人だけの世界で花火の音はもう聞こえない。
夏祭りはすっかり終わり、外には静寂が広がっていた。遥くんが俺の髪を優しく梳いて指先でくるくる遊ぶ。とろけた空気に身を任せ遥くんの手を両手で握り、自分の頬に手繰り寄せる。
「冷たい」
「碧くんはあったかいね」
そんななんて事ない会話をして、ハグをしてお互いの体温を感じ合う。こんなにも寂しさを感じない夜はいつぶりだろうか。安心したら眠気がやってきて、静かに目を閉じる。幸せってこういうことを言うんだろうか。
眠気の限界が近付いてきている状況でどうしても伝えたくて
「遥くん、俺今すごい幸せ」と言うと、
「俺もすごく幸せだよ」
と遥くんの声が聞こえて、俺は緩やかに眠りについた。